えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

道徳の正当化(2)――失敗の理由 マッキンタイア[1984=1993]

美徳なき時代

美徳なき時代

目次
第4章 先行の文化と、道徳の正当化という啓蒙主義の企て
第5章 なぜ啓蒙主義の企ては失敗せざるを得なかったのか ←いまここ
第6章 啓蒙主義の企ての失敗がもたらした諸結果
第11章 アテナイでの諸徳
第12章 アリストテレスの徳論
第15章 諸徳、人生の統一性、伝統の概念

美徳なき時代
第5章 なぜ啓蒙主義の企ては失敗せざるを得なかったのか

前章のまとめと本章の展望

キルケゴール・カント・ディドロ・ヒューム・スミスは道徳の正当化に失敗した。なぜか。→ある独特な道徳信念の枠組みを継承していたから、失敗せざるを得なかった。
彼らに共通の信念
・真の道徳を構成する教えの内容と性格
・「道徳を正当化する」とは何かについての見解:人間本性を所有していれば受容することを期待できるような諸規則として説明・正当化する。
・人間本性に関する諸前提から、道徳の規則と教えとが持つ権威についての権威を引き出そうとする。
→こうした企てはどんなものであれ失敗することを立証する。何故なら、「道徳の規則と教え」について共通に考えていることと、「人間本性」について共通に考えていることとの間に、根絶しがたい不一致があるからである。

目的論的枠組み

 両方の概念の歴史的先祖であった道徳的枠組みは『二コマコス倫理学』でその基礎が分析された。この枠組みは目的論的構造をもち、
・偶然そうであるところの人間

・自らの不可欠の本性を実現したならば可能となるところの人間
を鋭く対比する。倫理学とは、前者から後者への移行を人々に理解させるべき学知である。従ってここには、「未教化の人間本性」・「理性的な倫理学の教え」・「自らのテロスを実現したならば可能となるところの人間本性」という3要素からなる構造がある。この枠組みはキリスト教世界/イスラム教世界でも、複雑化をこうむりつつも保たれた。
 従って、古典的な道徳の有神論的な形態では、道徳発言は二層の論点・意図と二重の基準をもっていた。何をなすべきかを言うことは、「どの方向が真のテロスに導くか」ということと同時に「神によって定められ、かつ理性によって理解された方が何を命じているか」言うことでもある。この枠組みの中で、道徳的文は真または偽いずれかの主張を行うために用いられた。この枠組み自体が神の啓示であると同時に、理性による発見物で合理的に弁護可能であると考えられ、理性と啓示には広大な一致の領域があった。しかし、プロテンスタンティズムとジャンセニズム的なカトリシズムといった新しい神学が、理性の新しい概念を具体化し、この一致の領域は消えた。

理性の新しい概念

 「理性は人間の真の目的を真に把握することは全くできない。というのは、そのための理性の能力は人間の堕落によって破壊されたからである。この新しい理性概念は、反アリストテレス的な科学・哲学の理性概念と一致している。ジャコバニスト・パスカルはこのことを認識していた。いまや理性の機能は計算である。理性が査定しうるのは事実に関する諸真理と数学的諸関係だけとなる。
 パスカルを熟知していたヒュームはもちろん、カント、ディドロらもすべて、人間本性に関する目的論的見解を拒絶している。これと同時に、「自らのテロスを実現したならば可能となるところの人間本性」なる観念も一切除去されてしまったのである。後には二つの要素から構成された道徳的枠組みが残る。
・ある種の道徳内容、目的論的文脈を奪い取られた命令
・未教化の人間本性についての見解
しかし、もともとこれらの命令は人間本性の矯正・改良・教育を目標としていたのであり、人間本性の特徴に訴えて演繹されたり、正当化されたりするような類のものではないのであった。従って、18世紀の哲学者の取り組みは不成功がさけられなかったのであり、彼らはこの試みのドンキホーテ的性格を認知できていなかった
 ――というのは言いすぎで、英国経験論の認識論的枠組みに満足していたヒュームやスミスよりは、『ラモーの甥』で18世紀の道徳哲学を批判するディドロの方がまだそのことを認知していた。さらに、実践理性の要請として神学的枠組みを提示したカントは、やはり、目的論的枠組みなしでは道徳の企て全体が理解不可能になると認めていた。この枠組みから離れれば、道徳はなくなるかその性格を大きく変えてしまう。

「である」は「べき」を導かない

 こうした変化は、18世紀の道徳哲学者たちの「否定的な」主張の中によくあらわれている。曰く「完全に事実だけを述べる諸前提から、なんらかの道徳的または評価的結論へ移行する論証で、妥当なものは一つもありえない」。この原則がいったん認められれば、この企て全体への墓碑銘が出来上がる。ヒュームでは疑いの形で、カントには断定として、キルケゴールにも再びこの主張は現れる。
 このテーゼは論理的真理とまでいわれることがあるがそうではない。アリストテレス的な三段論法にしか当てはまらないからだ。前提の中に登場していない要素が結論の中に現れるような、いくつかのタイプの有効な論証がある。
プライアの反例
前提:「彼は艦長である」
結論:「彼は艦長がすべきことは何でもすべきだ」
ここからわかるように、このテーゼは無制限な一般原則ではない。
 ここで「実質上の評価的または道徳的内容をもったいかなる結論も、事実を述べる文からは導出されない」という修正があるかもしれない。この場合、このテーゼの妥当性は、一般的な論理原則でなく用いられているキータームの意味に由来するものとなる。そこで、
「17世紀から18世紀の間に、道徳的発言に用いられる鍵となる言葉の意味と含意がその性格を変えた」
と想定せよ。この変化が実際に起こったことの証拠を得るには、別の反論を見てみるとよい。

機能的概念

事実文前提:「この腕時計は大幅に不正確で計時がでたらめである」/「この腕時計は重すぎて、つけていると楽ではない」
評価文結論:「この腕時計はダメだ」

事実文前提:「彼はこの作物1エーカー当たりの収穫ではこの地域のどの農夫よりも多い」
評価文結論:「彼は良い農夫である」

これらの論証が妥当なのは、「腕時計」や「農夫」という概念が「機能概念」であることによる:これらの概念の定義、腕時計とか農夫が果たすことを特徴的に期待されている目的あるいは機能に基づいている。従って、「農夫」概念は「良い農夫」概念から独立に定義されえない。 
 上のテーゼが成立するとすれば、機能概念を含む論証は除外する必要がある。このことは、全ての道徳的論証がこのテーゼの適用範囲に入ると主張してきた人がこの除外を行ってきたであろうことを強く示唆する。しかし

古典的・アリストテレス的な伝統内部での道徳論証――そのギリシア的形態のであれ中世の形態のであれ――は、少なくとも一つの主要な機能概念を含んでいる。すなわち、本質的なあり方そして本質的な目的あるいは機能を有するものとして理解された人間という概念である。〔……〕<人間であること>は各々それ自身の意味と目的をもつ1揃いの役割――ある家族の一員、市民、兵士、哲学者、神のしもべ――を満たすことである〔……〕。「人間」が機能概念であることを止めるのは、それらすべての役割に先立ち、それらを離れた個人として人間が考えられるときだけなのである。 p.73

「人間」という概念が非機能化するためには他の重要な道徳用語も意味を変えていたに違いない。そして一定タイプの文の間の含意関係が変わったのである。「であるからべきは導けない」というのは、古典的伝統との最終的断絶と、18世紀の道徳正当化の試みの決定的な崩壊を意味している。

道徳判断の趣旨と意味

 以上の事態は
・今日の解決不能で果てしない道徳的議論の先祖となった
だけでなく、
・道徳判断の趣旨と意味を変えた
アリストテレス的伝統では、「よい/ダメ」と呼ぶのが適当なあらゆるタイプの事項は、何らかの与えられた目的あるいは機能を事実として持っている。従って道徳言明は事実言明である。人間の本質的な目的のような観念が消滅すると、道徳的判断を事実言明として取り扱うことに困難が出てくる。さらに、啓蒙主義が道徳を世俗化したことで、神法の報告としての道徳判断という地位もなくなった。

喪失か、開放か

 日常的な語法は未だに道徳的言明を真または偽とするが、その明晰な根拠は欠くようになった。このことを説明する仮説はこうであった
「道徳判断は古典的な有神論〔という枠組み〕でのさまざまな実践からの言語上の残存物であり、それらの残存物はその実践が供給する文脈を失ってしまった」
しかし問題を「喪失」の語彙で語ることはまだ正当化されていない。当時の人々はこの変化を、有神論の重みと目的論的思考様式からの「解放」、「自律の達成」とみたからである。どちらと考えるかは別にして、ここでこの変化の特徴を二つ挙げる。
1)この近代への移行は、理論と実践両面における移行であった
2)情緒主義的な「自己」がこれまでの諸様式から「どのように」切り離されたかを記述据える必要がある。際立った個人主義的な自己、「個人」の案出とは何だったのか、その案出が今日の文化に果たした役割という問題に向かう必要がある。