えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

人工知能による達成とその価値 Kieval (2024)

academic.oup.com

【要約】
・AlphaGoのような人工知能による達成(achievements)は、「達成とは何か」に関する近年の哲学的理論の観点から見ても、まさにAIシステムそれ自身の達成だと言える。
・通常、達成の価値は、その過程で人間固有の能力が発揮されるという点に求められる。
・この場合、人工知能は人間ではないので、人工知能による達成は「無価値の達成」だということになる。
・人工知能の能力についての理解が進むことは、その達成の価値についての議論をも深めると考えられる。

  • AlphaGoのような人工知能による達成(achievements)は、誰のものなのか(who is it an achievement for)。
  • ここでは、それが開発者などではなく人工知能自体の達成でありうると論じる。

達成の本質的特徴

  • Bradford (2015) は、達成についての最も包括的な説明を与えている。
    • 達成には、「過程」と「産物」の2要素が含まれる。「過程」とは困難なもので、そこでは行為者の力量から「産物」が生じる(competently causes the product)。
      • ある過程を意図的に遂行することで行為者がその力量をもって産物を生じさせるのは、行為者がその過程および構成要素について正当化された真なる信念を十分もっている場合である。
    • 過程と産物の両者が価値の源泉である。産物に価値があるとき、達成の価値は道具的である。だが達成の価値の一部はその過程に内在する。
      • 過程に内在する価値は、その過程を通じて人間固有の能力が発揮されるという点に求められる(完成主義)。過程の困難さと力量因果は、意志と理性の発揮を要求している。


  • Branfordによる「力量」(competence)の説明には、知性偏重という難点がある。
    • ある過程に関する命題的知識の増加が力量の増加に必要/十分かは明らかではない。
      • エンジンの仕組みをまるで誤解している人でも有能な運転者でありうるし(von Kriegstein 2019)、車の内部構造を熟知していてもハンドルを握ったことがなければ有能な運転者にはなれない。
    • 力量には命題的知識だけでなく、技能(skill)の習熟も関連している。


  • von Kriegstein (2019) は、達成の説明には反偶然条件(anti-luck condition)が必要だと指摘した。
    • 達成がある行為者のものであるためには、それが単なる偶然の産物であってはならない。
      • 達成の説明に力量が持ち出されるのはこの点を捉えるためなのであり、適切な力量の説明は偶然を排除するものでなくてはならない。
    • von Kriegsteinは堅固(robust)な徳認識論(Greco 2010; Sosa 2010)における議論をもとに、力量を次のように説明する。
  • ある行為者がその力量によってある目標を追求しそれに到達するのは、(1) (2)の両方が成立するまさにその場合である。
    • (1) 目標は、現実世界、および、関連する初期条件が現実世界と同一である最近傍可能世界で、達せられる。関連する初期条件には、行為者が(a)その目標に到達するために明示的に行った行為、もしくは、(b)目標到達の可能性を高めると考えて行った行為、が含まれる。
    • (2) 行為者は、自身の計画が良い計画である(つまり、行為が成功の可能性を高める)と考える点で正当化されており、また、次の条件を満たす出来事は存在しない*1。すなわち、(a)現実世界で生じ、(b)行為者はそれを予見しておらず、(c)予見していた場合、行為者は自身の計画が良い考える点で正当化されず、(d) それを知ることで正当化を回復できるような、現実世界で生じる他の出来事が存在しない。

人工達成

  • AlphaGoの碁を行う能力は、達成の本質的特徴を十分に満たしている。
力量因果
  • AlphaGoは目標状態を持ち、局面を表象し、手の選択肢を評価して決定する。この選択が、AlphaGoの成功を生じさせる。また、モンテカルロ木探索という形でメンタルシナリオを描く能力をもつとも言える(Halina 2021)。
    • こうした心的シミュレーションはBranfordの意味での力量因果にとって重要であり、AlphaGoは知性中心的な意味で力量を有すると言える。


  • またAlphaGoは反偶然的に説明される力量をも持ちうる。
    • (1) AlphaGoはほとんどの最近傍可能世界で勝利することができるし、また勝利の可能性を明示的に高める振る舞いを行う。
    • (2) AlphaGoは異なる行動プランの評価を行うし、また碁は完全情報ゲームのため、(a)-(d)を満たすような出来事は発生しない。


  • 達成は行為者(agent)にしか不可能だという反論がありうる。
    • 行為者性を示す存在だけが力量をもてると考える場合、AIシステムは行為者性を持たないので、力量あるAIシステムも存在しない、と論じることができる。
      • (Bradford自身は、〔逆に〕力量ある存在は行為者とみなせると主張したが)。
    • しかしAIが行為者でないという主張は、道徳的行為者性と意図的行為者性を混同していると思われる。
      • 多くの非人間的存在は(すくなくとも最小限の意味では)意図的行為者である。AIも、一定の目標追求のために意思決定し自律的に行動できる。
      • 意図的行為者性が力量にとって十分なら、AIも力量ある存在になれる。
困難さ
  • AlphaGoは努力をしているようには見えないため、それが実行する過程が困難には思えないかもしれない。
    • Bradfordは努力を現象学的に特徴づけており、現象的意識を持たないAIはその意味では努力を感じない。
      • だが、努力そのものが現象学的特性の一種なわけではない。現象的特性は努力そのものを捉えるための発見法的な手段にすぎない。
    • 努力には様々なものがあるが、それは究極的には、タスクへの様々な内的資源の投入に還元できるかもしれない(von Kriegstein 2017)。
      • そうだとすると、AlphaGoが努力していることは明らかだと思われる。深層学習システムの訓練と実行には膨大な計算資源が必要だからだ。


  • しかし、AlphaGoが用いている資源は内的な資源なのか?
    • (この問題は、意図的行為者としてのAlphaGoの境界線はどこにあり、それはハードウェアを含むべきものなのか、という問題である)
    • これに対しては肯定的に答えられる。AlphaGoのようなAIエージェントの実装は、それを訓練し実行するハードウェアと切り離せないからだ。
      • ハードウェアとソフトウェアの相互作用を通じてはじめて、AlphaGoは碁の手を打って勝利を生じさせることができる。
    • 普通の心的努力もある種のハードウェア〔身体〕を要求するが、これとAlphaGoが資源を投入して計算を行うこととの間に、明白な差は見当たらない。

無価値の達成

  • 以上から、AIはそれ自身として達成することができる。


  • このことは、「無価値な達成」が存在する可能性を開く。
    • Bradfordは達成の内在的価値を、その過程を通じて人間固有の能力が発揮されるという点に求める(完成主義)。
    • だがAIは人間固有の能力を持たないため、その過程に内在的価値はないことになる。
      • AIの達成の産物にほとんど価値がない場合、達成には道具的価値もない。
    • 達成は内在的価値を持つとふつう考えられているため、この帰結は奇妙である。


  • 人工達成の価値に関する理論的説明を与えることはできるだろうか?
    • 最も有望な方向性は、完成主義を、AIに特徴的な能力の観点から拡張するものである。
    • 現在、AIシステムの創発的能力を理解しようとする研究が急速に行われている。これは、規範的な理論に豊かな土壌を与えてくれるかもしれない。

*1:これはゲティア事例を排除するためのものである

『創世記』から年代学、そして地質学へ Rudwick (2014)

【目次】

第12章 結論

太古の地球史:回顧

 [293-1] 21世紀初頭には地球の惑星史はかなり詳細に再構築され、それが驚くほど波乱に満ちていたことがわかった。地質時代やその他の時間軸は慣習と利便性の問題だと認識され、その定義は議論と説得によって解決されるようになった。累代(aeon)、代(era) 紀(period)、世(epoch)......という階層は、地球史の記述と説明に有用だと合意された。[293-2] 化石記録が豊富な「顕生(累)代」(Phanerozoic aeon)は、より広大で化石記録をほぼもたない時代(「原生(累)代」(Proterozoic)・「太古(累)代」(Archaean)・「冥王(累)代」(Hadean))に遡る歴史の、ごく最新部にすぎないとわかった。[294-1] 顕生代内部では、19世紀にフィリップスが名付けた「新生代」、「中生代」、「古生代」が、2つの大量絶滅で区切られていると20世紀後半にはわかった。フィリップスの「代」の内部では、19世紀の層序学が生み出した各種の「紀」の定義に合意がとられ、地球史をより詳細にたどるために重要なものになった。「世」についても同様である。[294-2] こうした区分けは未だオープンなものであり、21世紀初頭には「人新世」が提案された。

  • 図12-1: 21世紀までに科学者が再構築した地球史の要約。放射年代測定技術の発達により、膨大な量的なスケールを描くことが可能になった。

 [295-2] 20世紀初頭から、こうした質的な太古の「歴史」は、量的な太古の「時間」スケールに照らして測定され、ますます豊かになった。100年の技術改良を経て、[296-1] 鉱物や岩石の放射線年代測定はルーティンにまでなった。また堆積物や氷床コアの年層(varve)の分析なども、推定年代の正しさを(少なくとも最新の年代については)確証した。たとえば、明らかに超長期にわたる更新世の氷河期が終わってから現在までには、数千年が経過していることが証明された。だからこそ、地球誕生から現代まで流れた時間は、ケルビンの言う数千万年どころではなく、放射年代測定が示す数十億年のほうが適当でありまた整合的だと思われたのである。合理的な疑いを覆し、地球は文字通りほとんど想像もつかないほど古かったのだ。

 [296-2] この遠大な歴史の中でもっとも印象的なのは生命の歴史である。19世紀初頭にキュビエらが絶滅の存在を示すまで、生命に本当の歴史があるかどうかは不明だった。同世紀中には、その歴史がある意味で「進歩的」であることも確立された。つまり、生物学者が「高次」とみなす生物は、「低次」とみなす生物よりも後に出現した。19世紀中盤には人間の化石が [297-1] 「第四紀」にしかなく、人類は地球史の最後の瞬間に現れたにすぎないとわかった。

 [297-2] 化石記録の逆の端の話としては、カンブリア紀の岩石に、後の生物に匹敵するほど多様で複雑な生物の痕跡が含まれることが19世紀後半にわかった。先カンブリア時代の岩石には明確な化石がなく、生命の歴史の始まりは曖昧だった。だが20世紀後半になり、先カンブリア時代を通して生命はほぼ極小で比較的単純だったことや、「カンブリア爆発」がより大きく複雑な生命(後生動物(meta-zoan))を急増させたことがわかった。また太古代にも生命がいたこと、それらが大気に酸素を供給することで、より複雑な生命が可能になったことも驚きであった。

過去の出来事とその原因

 [297-3] 複雑な生命の歴史の背後には、様々な変化の原因は何かという別の問題があった。[298-1] 進化論と言えば「ダーウィン的」なものと同一視される傾向があったが、実際のところは議論のあらゆる段階で様々な形態の進化論が存在していた。進化の原因をめぐる議論に地質学者と古生物学者はほとんど貢献してこなかった。ただし、進化の経緯を歴史的現実に即して再構築するためには、化石が必要だと主張することはできたし、実際そう主張してきた。このことは、遺伝学やDNA配列によって進化の証拠が増強された20世紀後半でも変わらない。

 [298-2] 進化の歴史的証拠(「事実としての進化」)とその原因の説明(「理論としての進化」)の区別は、太古の地球史の発見の過程で何度も浮上してきた区別の一例にすぎない。太古の地球史のあらゆる出来事について、その歴史的実在性の確立は、その適切な因果的説明とは区別されてきた。[299-1] この区別は、歴史学のような科学と物理学のような科学の違いによって根拠付けられてきた。諸科学の多様性を認識すれば、あらゆる科学は単一の「科学的方法」を共有する、またすべきだという思いこみから来る拘束から自由になることができる。太古の地球史発見の歴史では、人間界の研究ですでに確立された歴史という次元を、自然界の研究に取り入れることが重要な役割を担ったのだ。自然界の過去の出来事は、人間の歴史と同じように、まったく偶然性に満ちていた。

 [299-2] 完全な偶然という要素は、学者たちが太古の地球史を徐々に明らかにしてきたその過程にも浸透していた。本書で繰り返し見てきたように、新たな証拠の発見や解釈の提示は、[293-1] 関係者を何度も驚かせてきた。太古にかんする歴史的推論は、常に必然的に、多少なりとも推測的な部分を含む。だがそれはまた常に、新たな証拠に照らした訂正と改善に開かれてもいる。

  • 図12-2: フランツ・ウンガー(Franz Unger)が『原始世界』(Die Urwelt, 1851)で示した復元された太古の光景。この光景は、17世紀以降の地球史に関する発見を要約するものになっている。その時点で利用可能なあらゆる証拠を利用して復元された歴史は、必然的に推測的だが、さらなる証拠によって訂正と改善が常に可能である。この例の場合、19世紀以降にイグアノドンのより完全な化石が発見されたことで、鼻の角は爪であり、またその全身もまったく違う姿をしていたことがわかった。
太古の歴史の知識はどのくらい信頼できるのか?

 [301-2] 地球史の発見にかんする〔本書の描く〕簡潔な歴史は、いまや21世紀初頭まで来ている。だがこの物語は未完結だと示すために、時制は一貫して過去形を用いてきた。物語終盤で要約してきた解釈はまさに「作業中」(work in progress)であり、科学者たちがどのように、いつ、またそもそも合意に達するかはまだわからない。

 [301-3] しかし、本書がざっと語ってきた歴史物語を踏まえれば、太古の地球史の主要な特徴が、新しい発見やアイデアによって根本的に覆されることはありそうにないと考えられる。なぜなら、それは過去数世紀にもわたって徐々に再構成されてきたものだからだ。近年、科学的知識の歴史を、一連のラディカルな革命や通約不可能な「パラダイム」として描くことが流行している。このモデルは他の分野には適切なのかもしれないが、[302-1] 地球史の発見に関して言えば、再構成や解釈は、利用可能な証拠の観点からますます十分な方向に向かっていることは間違いない。20世紀のプレートテクトニクスや19世紀の「激変」否定などは、「革命的」とされることも多かった。だがこうした場合ですら、自称勝者が同時代人に吹聴するよりはるかに大きな実質的連続性があることが、歴史学者の厳密な研究によりわかる。

 [302-2] 地質学のような科学に全体的な進歩がある明確な一つの理由として、証拠が顕著に累積する性格を持つことが挙げられる。17世紀にアゴスティーノ・シッラ(Agostino Scilla)が収集し記述したサメの歯の化石は、18世紀にはジョン・ウッドワード(John Woodward)のコレクション(と洪水説)に加えられ、19世紀と20世紀の古生物学者により進化の観点から再記述・再解釈を受けた。そしてこうした再解釈は、同等の標本がより豊かに保管された状況で行われた。また、新たな場所でのフィールドワークや技術の改善も、利用可能な証拠を増加させている。

 [303-2] 19世紀末に現れた「地質年代学」の名が、17世紀の「年代学」から来ているのは些細な偶然ではない。ステノやフックは、岩石や化石の解釈方法をスカリゲルやアッシャーから借用したのであり、17世紀の年代学者と21世紀初頭の地質年代学者のあいだには、途切れることない知的・概念的連続性があった。概念や方法を文化から自然へと意識的に転用することは、岩石、化石、山、火山などを太古の地球史の理解可能な痕跡とみなす推論習慣の形成に不可欠だった。17世紀のフックや18世紀のジャン-ルイ・ジロー・スラヴィー(Jean-Louis Giraud Soulavie)らも、同時代の歴史家から方法と洞察を意図的に借用している。したがってこうした歴史家は、後の地質学者による地球史の復元にとって決定的に重要だったのだ。

地質学と創世記、再評価

 [303-3] 初期の年代学者は、「宗教」が「科学」を歪めたものとして、今日不当に誹謗されている。[304-1] だが年代学者の狙いは、利用可能なすべての歴史記録から、世界の全歴史をできるだけ精確にプロットすることにあった。確かにその文化的背景から、人類史は啓示の観点から解釈されてはいた。しかしそのことは、年代学の歴史という性格に影響を与えるものではない。初期の年代学者が聖書からはじめたのは、それが最初の出来事を記録した唯一の歴史的資料だと信じられていたからであり、後に世俗的な記録が利用可能になれば、重要な資料として年代学に持ちこまれた。

 [304-2] したがって、初期年代学者の人類史に対する視点は、後の自然界の研究への歴史的思考法の転用を促したのだと考える十分な根拠がある。創造の「六日間」は、地球史の物語が発展するさいのテンプレートを与えた。その真価は、地球史が年代学者の想定より遥かに長いことがナチュラリストの目に明らかとなった18世紀に発揮された。「日」は不定の期間に延長されたが、地球と生命が一定方向に発展するという意味合いは維持できたのである。「日」の延長は当時の聖書学者も認めていたものであり、この点で聖書学と地質学の最新動向を知っている者のあいだに根本的な対立はなかった。聖書の「直解」にこだわる人々は [305-1] 知的・文化的周辺に追いやられたが、それも当然であった。

 [305-2] 地質学と『創世記』 のあいだに歴史的に大きな対立があったという神話は目眩ましである。真の対立点は別にあったし、今もある。19世紀、地球の遠大な歴史という地質学上の新たな描像に対する宗教的懸念は、あらゆる生物の進化的起源にかんする生物学上の新たな描像に対する懸念を根拠としていた。両懸念の焦点は、人間の本性と地位なのである。この懸念は理解できるし、不当とも言い難い。なぜなら、人間がそれ以前の霊長類から進化したという科学的推論は、無神論推進者に乗っ取られていったからだ。特にダーウィンの進化論は、すべてを包括する「世界観」であるダーウィン主義に変造された。それが反宗教となる可能性は19世紀後半には見えはじめ、ダーウィン主義者がますます攻撃的で教条的になった20世紀にはさらに明白になった。21世紀初頭の科学者は宗教的原理主義者にうろたえたが、自分たちの集団的な失敗、つまり進化という科学理論を無神論的世界観に拡張するという同様に悪質な原理主義者の奢りをくじけなかったことを、よく認識すべきであった。

 [305-3] 本書の話に戻せば、[306-1] 多くの人々にとって、21世紀の科学的な「古代の地球」と、17世紀の伝統的な「若い地球」の最も明らかな違いは、タイムスケールの違いではなく、歴史における人間の地位の違いなのである。人間はドラマ全体に登場し続ける存在から、最後のシーンにしか登場しない存在になってしまったようだ。19世紀の人々の言う「自然における人間の地位」にかんする、このラディカルな視点の変化が文化に与えた影響を十分に探求するには、まったく別の本が必要である。ここでは、こうした変化に先例がないわけではないことを指摘しておきたい。かつて、宇宙にかんする考え方には「閉じた世界から無限宇宙へ」の変化があった。これは人類を大きさの点で切り詰め、本書が描いてきた発見はそれを時間の点で切り詰めた。だがどちらの変化も、人間存在の目的や正義と哀れみに基づく社会構築にまつわる永遠の問いを変えはしなかった。こうした問いに宗教的文脈の中で取り組む多くの人にとって、地球史が大きく広がったことなど、宗教的にはたいしたことではない。ユダヤ教やキリスト教といった有神論的伝統で生きることを選んだ人々は、太陽系外惑星やブラックホールを冷静に受け止めるのと同じように、恐竜や大量絶滅を受け止めることができるし、そうするべきなのだ。

 [305-3] 太古の地球史の発見が「宗教」によって妨げられたという主張は、いかなるものでも決して支持できない。[306-1] 「科学」と「宗教」の絶え間ない内的な「対立」という観念は、その他の科学の多くの側面同様、地球史発見の歴史においては歴史学的吟味に耐えられない。

 [306-2] 太古の地球史にかんする新しい見解は、最も重要なところでは、既存の考え方を覆すことはできていないようだ。たとえば現代の権力者は、過去10年とか20年の気候変動の傾向について議論している。だがこうした短期的トレンドは、太古とおそらく将来の、遥かに大きい変化の観点から見れば無意味であることに気づいていない。また、現在の政策と実践が第六の大量絶滅を生じさせつつあることの意味に気づいていない。そして、数百万年、数十億年前に蓄積され再生不可能な自然資源をわずか数十年で利用することの影響に気づいていない。本書で要約した科学的発見の歴史に照らせば、このような無知と将来世代のニーズの軽視は許しがたいものである。

 [306-3] だが、最後はポジティブに終わろう。過去3–4世紀にわたり、学者、ナチュラリストあるいは科学者と自称した人々、多くは敬虔な人々の、想像力豊かで同時に細心な仕事によって、地球とその生命の波乱万丈の歴史が再構築され、自然界における人間の位置にかんする我々の見方は転換した。これは確かに、史上最も印象深い科学的達成の一つである。

フランシス・ゴルトン:人間測定と遺伝 Endersby (2007)

www.hup.harvard.edu

  • Jim Endersby (2007). A Guinea Pig's History of Biology. Cambridge, MA: Harvard University Press.
    • Chapter 3. Homo sapiens: Francis Galton’s fairground attraction, pp. 61–94. ←いまここ

【目次】

第3章 ホモ・サピエンス:フランシス・ゴルトンの展示の魅力

 [61-1] 10万年前のことを考えると、ホモ・サピエンスは何ら特筆すべき存在ではなかっただろう。我々は毛むくじゃらで姿勢の悪い猿であった。何らかの理由で樹上生活を捨てアフリカのサバンナに出ると、我々は多少直立しはじめ、魅力的な毛皮をほぼ失った。[61-2] この猿型生物が地球のほぼ全域に進出すると暗示するものはほとんどなかったが、現実にはそうなった。約1万2000年前、食料は栽培できると我々は気づき、定住生活を始めた。さらに数千年後、ホモ・サピエンスは「都市に住む」という最大の発明をなし、地球上のほぼ全ての陸地に広がってはより大きな都市を建築していった。

 [62-1] 都市によって小さな空間に多くの人間が生活できるようになったが、これは二つの大問題を生み出した。第一は食料確保、第二は排泄物処理である。約6000年間の格闘を経た1884年5月8日(木)、世界最大の都市であったロンドンで「万国衛生博覧会」(International Health Exhibition)*1が開催され、二つの問題に対する最新鋭の解決策が展示されると、400万体以上の好奇心旺盛なホモ・サピエンスたちがこれを見学しに来た。

ロンドン万国衛生博覧会の全体図(公式カタログより)

 [62-2] 展示の大半を占めたのは食料摂取(ingestion)関連の展示だった。中央には現役の酪農場があり、乳搾りの様子や加工品の製造法の図解などを見ることができる。[63-3] 巨大なカフェやレストランもあり、英国ベジタリアン協会は貧困層に菜食料理を提供するための慈善事業として出店していた。[62-4] パリのデュヴァル(Duval)のレストランのシステムに基づく「ディネ・ア・ラ・デュヴァル」では、 [63-1] 窓から調理過程を眺めることができた。[63-2] 当時のロンドンでは、自給自足が不可能になって食料品を店から調達する必要が増加し、それに伴い衛生状態や不純物混入に関する懸念が生じていた。酪農場やガラス張り厨房の展示はその不安に応えるものであった。

 [63-3] ただしテーマと関係のない展示も多く、ドレスのコレクション、[64-1] 古い町並みの再現、ブロンズ像、電飾、聖書、寄生虫、ベジタリアン料理などはジャーナリストから苦言を呈された。[64-2] このイベントは毎年開催される様々な博覧会の一種にすぎず、この種の博覧会の展示の雑多さは、何年も前に『パンチ』で皮肉られていた*2

 [64-3] 多くのジャーナリストはこのイベントを娯楽と受け取ったが、週刊誌『知識』(Knowledge)だけは違った。[65-1] 記者は、「真の衛生展示」と「より娯楽的な品々」の組み合わせが、衛生を学びに来た学生を和ませる教育的効果があると論じていた。そのようにリフレッシュした学生は、展示のあまり気持ちの良くない方面、つまり排泄物に関わるものに集中することができただろう。

 [65-2] 1851年の国勢調査によれば、英国では人口の半数以上が都市に住んでいた。人口増加に伴う水道の汚染によってコレラやチフスが蔓延した。[65-3]未処理の汚水はロンドンからテムズ川へ流れ込んでおり、1858年夏にはゴミによって川が[66-1]ほぼせき止められて、「大悪臭」(Great Stink)が発生した。衛生改革の緊急性が叫ばれ、下水道と堤防を建設する予算が議会をすぐに通過した。

 [66-2] この惨状は衛生博覧会のころ(1884年)には多少マシになっていたが、衛生問題はロンドン市民の悩みのタネであり続けていた。そこで博覧会の開会の挨拶で、「国民の社会的および家庭的状態の歴史に新たな次代を拓くだろう」と述べたバッキンガム公爵が喝采を浴びた。[66-3] これに応えるかのように、陶磁器メーカーのドルトン(Daulton)(現ロイヤルドルトン)は一つのパビリオンのほぼ全体を占めて、下水管、便器、工業用陶磁器などを展示した。[67-1] またネイティヴ・グアノ社は、川に流入する前に汚水を浄化する技術を展示し、金賞を受賞した(技術自体は普及しなかった)。[66-3] なおグアノ(guano)とは、イギリスの畑で肥料として用いられていた〔化石化した〕鳥糞である。これは南米や南太平洋地域から輸入されていたが、大規模な採掘により枯渇し始めており、価格が高騰していた。

 [67-2] 排泄物関連の展示の次には「健康に悪い服」の展示がある。コルセットが内臓に与える影響が石膏模型で示され、対策として即座に金具を外せる新たなドレスが示されていた。服飾に関心がなければ、隣には養蜂に関連する技術改良の展示がある。

  [67-3] 観覧者はこの辺りで疲れ果てて帰っていいのかもしれないが、それではもったいない。というのも養蜂器具や気象観測器具の展示と隣接して、ある好奇心旺盛なホモ・サピエンスが、自らの種を改良するための実験を発案していたからだ。

測定者/人を測定する

 [68-1] 公式カタログによれば、「気象観測器具と隣接して、フランシス・ゴルトン氏によるいわゆる「人間測定研究所」(Anthropometrical Laboratory)があります。ここでは、体の主な寸法を測定したり、聴力や視力を確認したり、体力をテストすることができます」。記録カードが作業料だけで発行される他、それは複製されて統計のために保管された。[68-2] 6ヶ月の会期中、9,000人以上に対して17種類の測定が行われた。ゴルトンはこの結果に大いに満足し、博覧会とともに研究所がなくなるのは惜しいということで、サウス・ケンジントン博物館の科学ギャラリーの一室を借り、さらに6年間研究所を維持した。こちらの研究所では、最初の3年間で4,000人近くのデータを集めた。[68-3] こうした測定が人間をいかに形成しなおす(resharpe)と考えられていたか、それを知るためには[69-1] ゴルトンその人についてもう少し知る必要がある。

 [69-2] ゴルトンは、奇人だらけのヴィクトリア朝の基準から見ても尋常でない人物だった。エラズマス・ダーウィンの娘を母とし、6歳で『イリアス』について議論するほどの神童だったが、学業成績は良くなく、医学を修めることはできなかった。1840年、18歳でケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入り数学を学んだが、キャンパスライフに夢中になり、普通学位(ordinary degree)で卒業した*3。[69-3] 22歳のとき父が死去。多額の遺産を得たゴルトンは学業をやめ、中東、スコットランド、南西アフリカへと旅に出かけた。ロンドンに戻って書いた最初の著書『熱帯南アフリカ探検者の物語』(Narrative of an Explorer in Tropical South Africa, 1853)には、ホッテントット〔コイコイ人〕の女性の臀部を土地測量用器具(セオドライト)で測定したエピソードが記されており、測定への関心が既に明らかになっている。「私はメジャーを大胆に取り出し、自分と彼女の距離を測って底辺と角度を得たあと、三角法と対数表で結果を得た」。[69-3] ロンドンでは自らの数学的能力を地図作成、地理学機器、気象予測などで発揮した。Anti-cyclone(高気圧)という言葉を生み出したり、新聞(Times)に気象予報図をはじめて載せたのはゴルトンである。1858年にはキュー天文台の理事に、1860年には王立統計協会のメンバーになり、同時期にはロンドン民族学協会の主要メンバーにもなっていた。

 [70-1] 1859年、いとこのチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を出版すると、ゴルトンはすぐに夢中になった。このことは、自分とダーウィンに共通の遺伝的な心の傾向によるのかもしれないと後には語っている。ダーウィンの「新しい考え方」を急速に摂取したことで、ゴルトンは「遺伝と人種改良の可能性というテーマを中心に集まっていた〔......〕様々な研究を推進する」よう促された。[70-2] 実のところこれは驚くべきことである。というのも『種の起源』は人間の進化にはほとんど触れていないし、まして「改良」については何も述べていないからだ。おそらくゴルトンは、生物が現在も進化しているという『種の起源』の有名な結びの句に触発されたのだろう。[71-1] ダーウィンが示しているのは、進歩(progress)は自然法則の一つであり、生物はすべて自己改良(self-improvement)というヴィクトリア朝の信条のもとに服しているということだ、とゴルトンを含む多くの人は考えていた。[71-2] また、ダーウィンが、家畜化された動植物を改良しようとする人間の努力と、自然が新しい種を創造する仕方を類比させていたことも、ゴルトンを触発した。ダーウィンは、人為選択が短い時間で成し遂げたことを踏まえれば、自然選択ではどれだけのことが出来るか想像してみるよう促す。[71-2] 生物には無限の改良の余地があるというこの感覚は、ゴルトンの想像力をかきかたてた。

 『種の起源』を読んで数年後、ゴルトンは「遺伝的才能と性格」について2つの論文を書いた。それは次のように始まっている。「人間が動物の生命に行使できる力は極めて巨大であり、自分好みのどんな品種でも作り出すことができる〔......〕[72-1] 精神の特徴も同様にコントロール可能であることを私は示したい」。動物の精神的特徴が改良可能なこと自体は狩猟犬などの例を考えれば明らかだが、ゴルトンはより議論を呼ぶ特徴を念頭に置いていた。すなわち、「非常に顕著な程度、才能は遺伝によって伝わる」。[72-2] ゴルトンは著名な男性の伝記を調べることによって、才能は家系を貫いていると確信した(女性が考察されることはほぼなかった)。

 このことの含意として、著名な男性が「精神、道徳、身体面で最も優れて最も適した」女性を説得して交配すれば、突出した子孫が生まれるだろう。子孫も同じように選択的結婚を行えば、ダーウィンの過程は劇的に加速しうる。「馬や牛の品種改良に費やしているコストと労力の1/12でも人種を改良する方法に費やしたなら、我々は天才の銀河を創り出せないだろうか!〔......〕[73-1] 我々が今日生み出したいと思っている男女なぞ、我々の良血統品種から見れば、東の町の街路にころがる最下層の(pariah)犬ころにすぎないのだ」。これはダーウィンの読みとしてはどこか倒錯している。ダーウィンは、将来的な種の「改良」を行うのは自然選択だと考えていたからだ。また実のところ、ゴルトンの考えは既によく知られていた人為選択を人間にも適用しようとするものにすぎず、この考えにとって『種の起源』は必要ないようにも思われる。しかしゴルトン自身にとっては『種の起源』が決定的だった。それは、人間は神によって独特の存在として創られたという宗教的見解を破棄するのに役立ったからだった。

 [73-2] ゴルトンは自身の理論に簡潔で覚えやすい名前を探し、はじめは「人間〔男性〕養殖」(viriculture)と呼んでいたが、結局は「優生学」に落ち着いた。自身のアイデアを雑誌で宣伝し、また『遺伝的天才』(Hereditary Genius, 1869) を著したが、この本は前述した論文と同工異曲のもので、高名な男性の説明を大幅に増補したものにすぎなかった。ゴルトンには知性やその他の精神の特徴を直接測定する手段がなく、社会的評判に頼るしかなかったのだ。[73-3] しかしゴルトンのアイデアはウケず、[74-1]『遺伝的天才』の書評はほぼすべて敵対的だった。たとえば『マンチェスター・ガーディアン』の書評は、優生学に対して現在でも有効な重要な反論を述べている。「ある男性の子孫が「市民としての役割」にふさわしくないかどうかを誰が決めるのか?」。

 [74-2] ゴルトンの最大の問題は、精神的な特徴が遺伝するという主張に本当の証拠が何もないことだった。信心深い多くの人はもちろん、そうでない人であっても、両親の健康と習慣が子供に影響すると信じていた。たとえば、たしかにアルコールは精神と身体を弱めそれは子供にも影響するが、同じ理屈から逆に両親が健康ならば子供は血筋とは関係なく健康になるし、また精神面での改良はもっぱら教育によって達成されると考えられていた。人は主として環境によって作られるのだ。こうした考え方は、ゴルトンの考えの魅力を削ぐものだった。人間を改良したいなら、選択的交配よりも禁酒運動や下水道改善のほうが喫緊の課題であった。1860年代は英国が非常に好調な時期で、有力者たちもスラムを取り壊して学校や下水溝を作ろうとしていた。

 [74-3] 遺伝環境論争は少なくとも[75-1] 18世紀後半からずっと続いており、〔ゴルトンが出てきても〕新しいものは何もなかった。ゴルトンは「遺伝」という言葉をフランス語(hérédité)から英語に持ち込み、自身の新しさを象徴する言葉にしようとした。しかし実際のところ、〔ゴルトンが示していた〕賢い親から賢い子が生まれるということ自体は広く認められていた。ただし、その主な原因は有利な環境が提供されることであり、知能の遺伝はそれほど重要ではないと考えられていた。この〔原因に関する〕見解をひっくり返すことこそがゴルトンにとっての本当の課題だったのだが、[75-2]ゴルトンは終始、遺伝的要因のほうが重要だと単に決めてかかっていたように思われる。1874年、ゴルトンは自身の見解を要約するものとして、記念碑的な対比を採用した。「「生まれと育ち」(nature and nurture)という言葉遊びは便利だ。人格を構成する無数の要素を二つの領域に分けられるからだ。生まれ(自然)とは人が生まれ持ってくるすべてであり、育ちとは生まれた後にその人に加わる外部の影響すべてである」。[75-2] なおこの言葉遊びはシェイクスピアの『テンペスト』から借用されたものである*4.

 ゴルトンは、社会改革者は自分のような高額納税者から得たお金を環境や教育の改善のために無駄にしていると確信していた。「赤子はみな同じように生まれるのであり、少年と少年、男と男の違いを作る唯一のものは耐えざる勤勉と道徳的努力である〔......〕などという仮説には我慢ならない」[76-1]「生まれの平等なるまやかしに私は徹底的に反対する」。ゴルトンはダーウィン主義を奉じ伝統宗教を軽蔑していたが、実際のところ非常に保守的な人物であり、「社会的に劣った」人々に恐怖を伴った軽蔑を感じていたのだった。

モートン卿の雌馬の再来

 [76-2] ゴルトンもその同時代人も、生物学的な意味での遺伝がどのようにはたらいているのかまったくわかっていなかった。[76-3] 『遺伝的天才』の出版後すぐ、ゴルトンはダーウィンから絶賛の手紙を受け取った。当時、『種の起源』の議論の弱点は遺伝の理論がないことだという批判がなされており、ダーウィンも遺伝について考えていたのだ。たとえば1867年、スコットランドの技師フリーミング・ジェンキン(Fleeming Jenkin)は次のように指摘した。[77-1] 生物が交配したとき、子孫は両親の特性が混合した特性を示すとする(これはゴルトンやダーウィンを含む同時代人の多くにとってもっともな仮定だった)。ここで、黒人の住む島に白人が難破して上陸した状況を考える。この人は「優勢な白人種の体力、エネルギー、能力」を持っている。この人はダーウィンの理論でいうと、偶然の変異で生じた新種に相当する。「難破した我々の英雄は生存競争の中で非常に多くの黒人を殺し、非常に多くの妻と子を得るだろう〔......〕だが何世代経っても、臣下である子孫を白人にするのには十分でないだろう」。この議論は人種差別的だが、論理は単純である。つまり、この英雄の子供は常に父より肌が暗くなるので、子孫は黒人のままだということだ。[77-2][78-1] そして同じことは、すべての生物のすべての形質に当てはまる。

 [78-2] ダーウィンはジェンキンの議論を懸念し、『種の起源』第5版(1869)でいくつかの変更を加えた。すなわち、新しい形態が孤立した奇形つまり「変種」(sport)として生じる場合には、たしかに種の本性を変化させることはできない。しかし、変種ではなく集団における通常のレベルの変異に焦点を当てれば、混合遺伝によって自然選択が無効になるわけではないことがわかる。ある種の鳥のくちばしに通常の範囲内でも様々な変異があるとすれば、一部の鳥は餌を巡る競争のなかで破れ、それが何世代も繰り返すことで、鳥のくちばしは特定のものに変化していく。

 [78-3] これでジェンキンを撃退することはできたものの、遺伝の明確なメカニズムがないことが自身の議論の大きな弱点であることをダーウィンは痛感していた。この問題にダーウィンは学生時代から悩まされており、「ビッグブック」(big spieces book)と呼んでいた本を書きながら考え続けていたが、[79-1] ウォレスからの手紙によって『種の起源』の刊行を急いだ。[79-2] その後「ビッグブック」の執筆に戻り、その一部が『家畜・栽培植物の変異』(The Variation of Animals and Plants under Domestication, 1868)になった。ここでダーウィンは、遺伝を巡るさまざまな不思議(puzzles)に焦点を当てている。[79-3] 現代の読者は『種の起源』ですら長すぎると感じるかもしれないが、『変異』には様々な動植物の品種改良について詳細な情報が大量に記述されており、もしウォレスの偶然の介入によって『種の起源』が今の形で出版されなければ、ダーウィンの理論の意義は大量の情報に埋もれて誰も理解できなかったかもしれない。ダーウィンが関心をもった様々な事例の中に本書の第一章で見たモートン卿の雌馬もあった*5

 [79-4] 関連する事例として、ダーウィンは先祖返り(reversion)の事例をたくさん知っていた。[80-1] ダーウィンは、ある特徴が先祖帰りして現れる原因が何であれ、その特徴は「見えないインクで書いた」文字のように存続し続けていたはずで、未知の原因の作用によってそれが再出現すると考えた。[80-2] ダーウィンはまた、サンショウウオなどの再生能力にも関心をいだいた。この事例は、「見えない」特性は生殖器官に限定されるものではなく、全身に及びうることを示すと思われた。そしてモートン卿の雌馬の事例は、「オスの要素がメスの形態に直接影響する」、つまりクアッガの本質が雌馬に残っていることを示すと思われた。

 [80-3] こうした様々な遺伝の不思議のあいだに一つの連関を見出すことがダーウィンの課題であった。『変異』の800頁にわたる詳細な事例記述の後、ダーウィンはついに「パンゲネシス(pangenesis)という暫定仮説」を提出した。すなわち、生物のすべての部分は「ジェミュール」(gemmules)と呼ばれる「微細な粒子を放出し、それは全身に行き渡っている。[...]この粒子は自己分割によって増殖し、」最終的には「全身のあらゆる部分から集められて生殖的要素を構成する」。[80-4] 現代遺伝学から見るとパンゲネシスは奇妙な理論だが、これを無視したり、逆にジェミュールを遺伝子の先祖として解釈したりしないことが重要である。この理論は、遺伝、発達、治癒(再生)といった現在では別個に考えられている事柄を併せて考える、「発生」(generation)思想の長い伝統から生まれたものなのだ。

 [81-1][81-2] ダーウィンはジェミュールを小さな生物のように考えていた。それは生き物の中で組み合わされて、子孫の特徴を生み出す。「未変異(unmodified)で劣化していない(=純粋で雑種化していない)ジェミュール」が両親にある場合「それらは結合しやすい」とされており、ジェミュール間には何らかの競争があるとされている。この競争では男性の要素のほうが強く、そのことがモートン卿の雌馬を説明するとダーウィンは考えた。またこのアイデアは、改良された新たな特性が持続し拡散する仕組みも説明すると思われた。[81-3] また重要なことだが、多くの同時代人と同様に、ダーウィンは獲得された特徴も遺伝すると考えていた。[82-1]しかしその場合、特定の器官の使用不使用が、どうやって遠く離れた生殖器官の細胞に影響するのだろうか。パンゲネシスはこの不思議にも答えられる。ジェミュールは生物が生きている間じゅう生産されつづけるので、変化した器官は変化したジェミュールを生産するのである。

 [82-2] ダーウィンは、発生に関する様々な事柄をひとつの説得的なアナロジーで説明しようとした。「動植物は種撒かれた土壌にたとえられる。すぐ発芽するものもあれば、長い間休眠するものもあり、腐るものもある。ある人の体には遺伝的疾患のタネがあるという表現には、大きな真理が含まれている。〔......〕有機的存在はミクロコスモス、つまり小宇宙であり、天の星がそうであるように、途方もなく小さく無数の自己増殖する有機体の群れから形成されている」。

 [82-3] ゴルトンは『遺伝的天才』を書き終わるころに『変異』を読み、パンゲネシスを支持する章を付け足した。とくに、ジェミュールは離散的な存在であって形質は混ざり合うことなく受け継がれるという点に感動した。肌の色のように明らかに混ざり合っていると思われる特性についても、実際は両親の別個の性質が非常に精緻なモザイクになっているだけなのだと主張した。だが、『変異』の多くの読者同様、[83-1] パンゲネシスには証拠がないことに不安を感じており、ジェミュールの存在を自ら証明しようと決意した。

血の中/親譲り

 [83-2] ジェミュールは「全身に行き渡っている」とされていたので、これは血液の中に見いだせるだろうとゴルトンは期待した。よく知られる通り、血(統)は品種改良と同義である。この喩えは文字通りに正しいのだろうか。ゴルトンは純血統のシルバーグレイのウサギに黒および白ウサギの血液を輸血し、その輸血を受けたウサギからまだら模様の子孫が生まれることを期待した。ダーウィンとも連絡を取りつつ様々な手法と輸血量を試したが、21回の妊娠から生まれた124匹の子孫の中に「雑種」は一匹もいなかった。[83-3] 失望したゴルトンは、少なくとも単純に解釈されたパンゲネシスは誤りに違いないと結論し、その結果を王立協会紀要に投稿した。ダーウィンはこれに珍しく怒り、自分は血液については何も述べていないと反論し、ゴルトンの結論は「やや早急である」とした。[83-4][84-1] 二人はさらに18ヶ月間ウサギの実験を続けたが、成果はあがらなかった。

 [84-2] しかしゴルトンはパンゲネシスをかなり信じており、独自の修正版を発表した。ジェミュールには休眠している「潜在的」なものと、発現している「明示的」なものの2種類がある。ゴルトンはこの2種の混交状態を、「様々な選挙区の代表からなる」議会になぞらえ、有機体の特徴群を「選挙結果」と捉えたが、これは多くの読者およびダーウィンには意味不明だった。[84-3] この理屈は、「この考察を人類の知的・道徳的才能に応用する」というゴルトンの目標を踏まえると多少理解可能になる。実のところゴルトンは、ジェミュールの議会がどこにあるかとか、ジェミュールが世代から世代へどう伝わるかにはあまり関心を持っていなかった。ゴルトンが気にしていたのは、才能の遺伝への反例としてしばしば指摘されていた、両親と子供の知性が極端に違うという事例だった。[85-1] ゴルトンが選挙区のアナロジーで言いたかったのは、家畜動物のように異系交配(interbreed)が激しい種・変種では、個体の特徴は様々な先祖から来たジェミュールの無作為選択によって決まるということだった。2匹の動物が交配するとき、その結果は「様々な印がつけられた無数のボールが入ったつぼ」から「無作為に引き出された」ボール群に似ている。「どの家畜よりも雑種化している」人間の場合でも同じで、たとえば両親が天才でないとしても、祖父が天才ならば、孫にその特徴が蘇ることがありうる。

 [85-2] 数学にうとかったダーウィンとは異なり、ゴルトンはある動植物を構成するジェミュールの混交状態を、偶然/確率の結果として理解していた。『変異』を最初に読んだときゴルトンは、パンゲネシスは「数学的定式化のための素晴らしい素材を与える」と書いている。またもう一つの違いとして、ゴルトンは器官の使用不使用や習慣は後代にほとんど伝わらないと断固として考えていた。[86-1] この信念は、後の生物学の中心教義を予感させる。1883年にヴァイスマンは、生殖細胞は体細胞に一方向的にしか遺伝的影響を与えないと主張し、この考えは20世紀の遺伝学の進展にとって決定的なものとなった(本書の後の章でに扱う)。当時ヴァイスマンはゴルトンのことを知らなかったが、のちにゴルトンが先駆者であることを認めた。しかしながら、ゴルトンの遺伝の理論が政治的確信以上のものに何ら依拠していなかったことは重要なことである。

 [86-2] ゴルトンは修正版パンゲネシスを証明するために、今度はスイートピー(Lathyrus)の種子の重さが遺伝の問題だと確かめようとした。最初の実験が失敗すると、ダーウィンを含む国内の友人や親戚に種子を送り、成長したら返却してもらって実験を続けた。だが結果は明確ではなかった。というのも、ゴルトンは最初の種子を重さ別に分類していたためにそこには多品種の種が混在しており、[87-1] 最終的な種子の重さの違いは生育環境の違いによる可能性があった。しかしこれをゴルトンは気に留めていなかった。「私が求めていたのは人類学的証拠であって、単に人間の遺伝を解明する手段としてしか種子には関心がなかった」のである。

 [87-2] 結局、ゴルトンの優生思想の中心信念を証明するには人間からの証拠が必要だった。1874年、ゴルトンは王立人類学協会(Anthropological Institute)の評議会に、イギリスの学校を横断して身長と体重のデータをとることを提案し、承認された。この測定は精神的・道徳的能力とは関係ないように思えるかもしれないが、ゴルトンは「健全な精神は健全な肉体に宿る」の格言を固く信じており、両者は確実に結びついていると考えていた。この見解は広く受け入れられていたものでもあった。

 [87-3] だが、男子生徒を測定しても世代間の比較はできないため、遺伝についてはほとんど何も分からなかった。そこで1882年3月、ゴルトンは国家規模での人間の測定、つまり「人間測定」(anthropometric)研究所の設立を訴え始めた。この研究所で人は、自分と子供の様々な身体能力、および、記憶力や手と目の協調といった心的能力を評価される。[88-1] それらは病歴や写真、出身地の情報と共に記録される。人々が測定への意欲を持つように、研究所はキャリア相談センターとしても機能することが提案された。生まれは育ちより強いのだから、こうした測定によって「その人に何が本当に向いているか、何をすれば落胆するリスクが最小かを予測できる」のであった。また研究所は医師が患者を送る先としても歓迎されるだろうとゴルトンは論じた。医師にとっての研究所の便利さは、「物理学者にとって、精密機械を送って誤差を調整してもらえるキュー天文台が便利であるような」ものだとされた。ここで患者は精密機械と類比されており、ゴルトンが人々を手段としてしか見ていなかったことを伺わせる。

平均人の進化

 [88-2] ゴルトンの熱意にも関わらず、研究所に関心を持つ人はいなかった。そこでゴルトンは自ら測定を行うことにした。だが、人間を相手にする困難はウサギやスイートピーの比ではなかった。「多くの男女の愚かさと頭の悪さは、ほとんど信じがたいほどである」。たとえば、ゴルトンの研究所にあった力を測定する器具はできる限り単純につくられていた。底にバネのついた筒の中に木の棒が入っているもので、被験者は棒をパンチして筒のどこまで入るかを見るだけというものだった。[89-1] しかし、衛生博覧会開始数週間のうちに「ある男が棒を片側から殴りすぎて、折ってしまった」。より強い素材に変えたが「これも折られ、手首を捻挫する人も出た」。[89-2] その他にも、「老人は若者に負けるのを嫌い、何度も試したがる」という問題や、実演や説明に手間がかかってしまう問題が生じた。後者については、被験者を2人1組にすることで「頭の回転の早い方」が先にテストを受けて他方のお手本になる、という解決策を講じたがそれでも時間がかかり、一日で90人ほどしか測定できなかった。[89-3] また会場では様々なアルコール類が供されていたため、[90-1]「あきらかにしらふではない暴漢が研究所に闖入してきた」。

 [90-2] 様々な困難にもめげず、ゴルトンはいくつかの論文を公刊するのに十分な結果を得た。データを分析する過程では、パーセンタイルや相関係数など、今日でも使われる統計ツールを発明・改良した。だが大衆の想像力を捉えたのは、どう測定したかではなく何を測定したかだった。たとえばゴルトンは、男性と同じくらい力強い女性がいることを観察した。だが「そうした才能がある女性は稀であり」「英国の人口全体を考えても、有能なアマゾーンの連隊を数個もつくれない」と述べた。この発言は『パンチ』の目に止まり、屈強な乙女が夫を働きに出させるといった内容の風刺詩が作られた。

 [90-3] ゴルトンは結果の分析と研究所の宣伝に邁進した。精確性には限界があるものの、測定結果は[91-1] 様々な身体能力と職業や出生地の関連をテストする素材を提供するものであり、大きな重要性を持つとゴルトンは主張した。だが、ゴルトンの測定の最大の問題は、ゴルトン自身が最も関心を持っていたはずの、精神の特徴を評価する方法がないことだった。ゴルトンは様々な専門家になにか使える器具はないか助言を求めたが、有益な提案はなかった。頭部の測定は選択肢の一つだったが、帽子や髪量の問題で女性を対象にすることが困難だと予想された。[91-2] 視力、聴力、色彩弁別能力なども測定されていたが、これは人間より動物のほうが視覚や聴覚が鋭いという仮定のもと、人がどの程度原始的ないし野蛮かがわかるというものにすぎなかった。仮にこうした測定が本当に知能を解明するものだったとしても、遺伝のことは何も分からなかった。ゴルトンは簡単な血統書も収集しており、親子の身長の関係を分析して興味深い結果を得たものの、精神的能力の遺伝の決定的証拠は得られなかった。

 [91-3] ゴルトンは諦めなかった。家族で発生する遺伝病のデータを収集するように医師を説得しようとし、優れた分析には500ポンド*6もの懸賞金をかけたが、応じる人はいなかった。1884年には同じデータを市民から集めようと50頁に及ぶアンケートを配る試みを二度行い、最も優れた回答にやはり500ポンドの賞金をかけたが、150人分の回答しか得られず[92-1] 小規模の賞金を出して終わった。また、親が子供の成長記録をつけ、その記録を子供に引き継いで完成させる「人生史アルバム」を考案し、出版を手配した。だが仮にこれが熱狂的に迎えられたとしても、十分なデータを蓄積するには数世代を要する。[92-2] ゴルトンが直面した解決不可能な課題は、精神能力測定の困難さよりもさらに、ホモ・サピエンスが極めてゆっくりとしか繁殖しないことだった。

 加えて、人間は極めて非協力的な実験動物であり、実験室につれてくるための説得だけでも大仕事であった。説得の一環として、1890年、ゴルトンは人間測定の利点をうたった安価なパンフレットを出版した。第一章で「なぜ人間を測定するのか?」と問いかけ、これまで見てきたような様々な利点が提示されるものである。だが、ゴルトンの強調する崇高な純粋科学に貢献したいと思った人さえ、人間の変異が論じられている部分を読むとやる気が削がれたかもしれない。ゴルトンは特別な個人にしか興味がなく、「平均人は道徳的にも知的にも面白みがなく」「我々のおぼろげな視野に全生命体の目的だと映ってくる進化に対して、直接的な助けにはならない」などと述べているからだ。ゴルトンの関心は特別素晴らしい[93-1] 人類の標本を支援し、特別劣ったものを排除することにあった。平均人にはなんの役割もない。ただ「精密機械」として、誰が例外かを定義する基準になるだけだ。同時代人の中に、自分が測定されることに興奮を覚える人がほとんどいなかったのも無理はない。

 [93-2] 平均人への軽蔑は、研究室を訪れた群衆の「愚かさと頭の悪さ」への苛立ちから育ったのかもしれない。泥酔してやってきて、単純なテストにも頭を悩ませて時間をとらせ、機械を破壊せず検査を終えることができない。こうした人を「文明の預言者、高級聖職者」に変化させることは不可能であり、ゴルトンに出来ることといえば、そうした無価値な標本を人口から取り除く手助けをすることだけだった。人間測定研究所開設の10年以上前、ゴルトンはこう書いている。「劣等人種が優等人種の前につねに滅び去っていったように」「才無き者が地上から消え始める」日を楽しみにしている、と。この過程は厳しいものではないとゴルトンは考えていた。才能あるものが劣後者を「優しく」扱ってやるからだ。「ただし、そうした人々が独身を貫く限り。これらの人々が道徳的、知的、身体的に劣った子供を作り続けるのであれば、国家の敵とみなされ、優しく扱われる権利をすべて失うときが来るだろう」。この予言は、ゴルトンの予言のなかで当たった数少ない一つである。後の章でも見るが、20世紀初頭にゴルトンの思想への関心が再び高まり、多くの国で「優生学の名のもとに」多くの強制不妊手術が行われ、最悪の事態がナチスドイツで起こった。

 [93-3] ゴルトンは1911年に死んだ。自分の理論が巻き起こした恐怖を見るには早すぎる死だった。死後、国立優生学研究所の設立と優生学の教授職へ寄付するために45,000ポンド(現在価格で300万ポンド以上)を残した。遺伝へのこだわりを踏まえると皮肉なことだが、これだけの遺産を残すことが出来たのはゴルトンが独身だったからだ。思想だけが唯一の子供だったのである。

*1:[要約者注]公式カタログ: https://archive.org/details/gri_33125008618163/page/n3/mode/2up

*2:[要約者注] 1872年6月8日付けの記事で、1873年から1880年までの博覧会の展示品を予告するという体でめちゃくちゃなリストが書かれている。 https://archive.org/details/punch62a63lemouoft/page/240/mode/1up

*3:[要約者注] イギリスでは成績優秀者には優等学位(Honours degree)が与えられることがある。

*4:[要約者注] "A devil, a born Devil, on whose nature nurture can never stick” (Act 4, scene 1, lines 188–192)

*5:[要約者注] 一度クアッガと交配させたことのある雌馬を雄馬と交配させたところ、クアッガのような色やたてがみをもつ仔馬が生まれたという事例

*6:[要約者注] 現在価格で約1,400万円

デジタル触覚技術による親密な関係と同意の問題 Ley & Rambukkana (2021)

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  • 触覚技術の発達により、遠隔地にいる人に「触れる」ことが可能になる。
  • 単身世帯の増加、「エピデミック」としての孤独、コロナ禍により、デジタル触覚市場は大きくなってきている。
  • 触覚技術は様々な倫理的検討を要するが、ここでは物理的/デジタル上での同意に注目する。

デジタル親密性とプラットフォーム研究

  • これまで、デジタル文化研究では親密さが、親密性研究ではデジタルプラットフォームが見すごされがちだった。
  • デジタル親密性研究(Rambukkana, 2015)は両者を接続させ、人と人とが、プラットフォームに媒介されながら、デジタル世界で親密になる様々な仕方を明らかにするものである。
  • 既存のプラットフォーム研究は、視覚・聴覚・言語を通じたつながりに注目してきた。これに対し本論文は、技術が可能にする触覚的な親密性に注目する。

親密性を育むプラットフォームとしての触覚技術

  • 親密さを育む触覚的プラットフォームの例として、次のようなものがある。
テレディルドニクス(Teledildonics)
  • 「テレディルドニクス」という言葉は、ハワード・ラインゴールド(Howard Rheingold)によって1990年代に作られた。性玩具を用いてオンラインで他人と性行為するというハワードの未来予測は当たっている。
  • 例えばKiiroo社では、オンラインで同期するオナホールとバイブレータを販売している。その宣伝文句では、快感を共有することと距離を縮めることが強調されている。
  • だがこうした技術は新たな危険も生じさせる。たとえばデバイスの使用者に関する欺瞞、ハッキング、記録の非合法の配布などの懸念があり、「欺瞞による強姦」に繋がる恐れがある(Sparrow & Karas, 2020)。
キッセンジャー(Kissenger)
  • Lovotics社のキッセンジャーは唇形デバイスで、一方のデバイスに加えられた圧力を他方のデバイスにリアルタイムで再現することによって、他人とデジタル的にキスすることを可能にする。
  • 技術の目的としては、やはり物理的な距離を取り除くことが挙げられている。
アップルウォッチ
  • アップル製品は、常に心地よい触覚経験を念頭に作られてきた。
  • 特にアップルウォッチは複数の触覚技術を利用した常時接触型UIを備えている。受動的な触覚経験とタッチメッセージの送信機能を併せ持つアップルウォッチは、最も幅広いユーザーを持つ新世代触覚技術である。
ヘイ(Hey)ブレスレット、ヘイタッチ
  • Hey社は、性的ではない親密な触覚を可能にするコミュニケーションデバイスの作製に注力している。
  • 宣伝では、デジタルコミュニケーション触覚というギャップを取り除くこと、また触覚がサポートや愛情を伝える点を強調している。
  • ヘイタッチは箱型デバイスで、200種以上の触覚を他ユーザーに送信できる。メッセージや画像と組み合わせることで、既存のデジタルコミュニケーションを強化することもできる。

触覚の曖昧さ

  • デジタル触覚プラットフォームの宣伝では、触覚の感情的な性質が利用されている。
  • 触覚はしばしばメタファー的に使われて感情的経験を表現する(”I was touched”, “it hit me”, “I feel that”, “I grasp it”) 。宣伝でもこのメタファーが意図的に用いられ、購入者の情動に訴えるものになっている。
  • 製品が与える感覚も身体的であると共に情動的なものであり、後者はユーザーたち自身の関係や歴史と、メーカーが商品に与える意味や言説によって形成される。
  • また、デジタル触覚技術にも、直接的触覚のもつ曖昧な性格が残っている。
  • 触られることは単に受動的なことはでなく、それが喚起する情動は能動的要素がある。また触ることは自発的に見えるが、触られる側からの影響をも受けており、自他の境界が曖昧になっている(Al-Saji, 2010; Maclaren, 2014)。
  • ただしデジタル触覚の場合、ユーザーは相手自身ではなく相手の表象に、またテクノロジーに同調する。宣伝とは裏腹に、技術に媒介された触覚経験は直接的な触覚経験とはかなり異なる。とはいえ使い込むなかで、デバイスは単に触覚の再現というよりは、(本物と精確に同種ではないにせよ)より本物のような経験を指せるようになるだろう。
  • 自他の相互性、技術による媒介、経験がより本物になっていく、といった要素は、次節で扱う同意の問題を重要なものにする。

倫理、同意、触覚プラットフォーム

  • デジタル触覚技術においては、プライベートだと思われる事柄に多くの未知の人が関わる(プラットフォーム、企業、開発者、製造元、クラウド、データの保存と使用、研究、人工衛星、インターネット)。
  • そこで、プライバシーポリシーやデータ収集に関して、同意が重要な事項となる。
  • 触覚技術が収集する情報は親密な実践や欲望にとどまらず、体型、体温、触感、心音などにおよび、人のアイデンティティと身体の包括的な記録を構成しうる。
  • 2017年には、ワイヤレスの性玩具がユーザー情報を秘密裏に収集していたことに集団訴訟が提起され、500万ドルの和解に至っている(Perkel, 2017)。
  • 近年では性的同意にかんする議論が進んでおり、デジタル触覚技術にどう落とし込むかを慎重に検討する必要がある。
  • 現状の未熟な触覚技術でも、ミスコニュニケーションや境界線超えの可能性は多い。身体全体を考慮しなければわからない身体感覚(例えば緊張)の意味は、デジタル技術の中では失われてしまうとかもしれない。

仮想現実(VR)・セックスロボット

  • VRやセックスロボットにおいては、同意の概念が歪められてしまっている。
  • VR上では不同意の痴漢行為が行われており、「現実と同じくらいリアルだと感じられて」いる(Belamire, 2016)。
  • より日常的な場面でも、身体を通じた微妙なニーズや欲望を伝達することができないために、継続的で真摯な同意を確保するには強い言語コミュニケーションが必要になる。
  • 同意をより完全にするためには、より繊細な触覚を伝達可能なボディスーツなどの技術的進歩が必要である。
  • またセックスロボットの批判者は、ロボットが同意できないことを重視している(Richardson, 2022)。
  • これと並行する問題として、ロボットのほうは人間が性交を望んでいる、あるいは同意していることをどう判断するのかというものがある(Levy, 2020)。
  • 自律型ロボットによる性的暴行は事故であり、法的手続きではなく保険などで保証されるべきという考えもあるが(Levy, 2020)、これはかなり不安にさせる見解である。
  • なお同意に関する別の論点として、虐待や支配がデジタル空間でも続く可能性がある。
  • デジタル技術はスイッチを切ったり外したりできるものの、権力関係のなかでこうした選択をするのは不可能に思われるだろう。

結論

  • デジタルな触覚には、単に2人の人間だけでなく、それを設計し分配するインフラ全体が関わる。
  • 義j痛に関する意思決定ではプライバシーや安全性、効率性などが優先されることが多いが、デジタル触覚技術では身体的同意がそこに付け加えられるべきである。
  • とくに触覚技術が親密性と関わる場合には、倫理的考慮を積極的に行うべきなのは明らかである。
  • こうした倫理を展開し取り入れるためには、ユーザー間(もしくはユーザー-ロボット間)相互の同意を促すようなデバイスが必要になる。同意の問題に取り組む人文学者と開発者の協働が求められる。
  • また同意が技術に順応していくこともありうる。例えば自動切断ボタンや、触覚情報を受け取る相手・時間・場所に関する個人設定などは、〔同意に関連する機能として捉えられうる〕。
  • デジタル親密性に関する経験的調査をもとに、倫理学者、デザイナー、法律家、ユーザーなどの多角的視点をさらに取り込むことで、実際の触覚の弊害を拡大させない形でデジタル触覚技術を展開することができるだろう。

胎児の痛みに関するミシシッピ州の主張は経験的に支持されていない Salomons & Iannetti (2022)

www.nature.com

  • 2022年6月24日、米国最高裁は15週を超える妊娠の中絶を禁止するミシシッピ州法を支持し、ロー対ウェイド判決を覆した。
  • ミシシッピ州法を弁護する中で「12週以降の胎児は痛みを感じられる」と論じられた。これは次の2つの主張からなる。
    • (1) 12週以降の胎児は侵害受容刺激に反応する
    • (2) 大脳皮質(通常24週に発達)は痛みに必要ない
  • 国際疼痛学会は侵害受容と痛みを別物としており、 (1)だけでは痛みの指標としては十分ではない。そこで(2)が重要になる。
    • たとえばショウジョウバエは侵害受容刺激に反応するが、痛みに必要な神経構造を持たないため、痛みを感じないと考えられる。
  • (2)を主張するさいの証拠の多くは、Derbyshire & Brockmann (2020) から取られている。
    • さらに同論文は、本コメントの著者らの行った実験に依拠している。
      • そこで著者らは、ミシシッピ州の弁護に用いられた証拠を吟味する義務があると感じる。


  • 「(2)大脳皮質は痛みには必要ない」という主張は、経験的証拠によって支持されていない。
  • 引用された諸論文はそもそも、大脳皮質が痛みに必要かどうかを検討したものではない。
    • むしろ、「ペインマトリックス」(一過性の痛み刺激に応答して一般に観察される、皮質及び皮質下の神経活動の広範なパターン)が痛みに必要または十分かを検討したものである。
      • Mouraux et al. (2011) は、ペインマトリックスが無痛の視覚刺激や聴覚刺激に対しても活動することを示した。
        • ここでは次のようにはっきりと書いている。「重要なことだが、侵害受容刺激に対してfMRIで見られる脳反応を支える神経活動が、痛みの経験にとって重要ではないということを、我々の知見は意味しない」。
      • Salmons et al. (2016) は、遺伝子的に痛みを感じられない人でもペインマトリックスの活動があることを示した。
  • 痛みにペインマトリックスが必要かどうか、より直接検討した研究もある。
    • Feinstein et al. (2016) は、ペインマトリックスに関連する皮質及び皮質下の重要な領域に広範な損傷がある患者が、痛み反応を問題なく示すことを観察している。
      • この論文は、痛みにどこか特定の皮質領域が必要だという考えかたに疑問を投げかけてはいる。しかしながら、痛みに大脳皮質が不要だというより広い結論、つまりミシシッピ州側の主張を支持するものではない。
        • 実際、同患者の大脳皮質の大部分は無傷である。また実験は損傷から30年後に行われているため、機能回復の可能性もある。
  • 結論として、ミシシッピ州弁護側が提示した証拠は、大脳皮質が痛みに必要だという長年のコンセンサスを覆すには不十分である。
    • この結論は、米国疼痛学会や、ミシシッピ州の主張に反対する法廷助言書にサインした25名の疼痛科学者とも共通のものである。


  • 痛みの神経解剖学的基盤をめぐる議論は、単に解剖学や生理学だけでなく、痛みの定義にも依存している。
    • ミシシッピ州側の証拠は、胎児に侵害受容の能力があることをたしかに示している。ミシシッピ地裁のように、痛みを「有害刺激に対する嫌悪反応」と定義するのならば、胎児には痛みがあることになる。だが大多数の科学者が採用する国際疼痛学会の定義によればそうではない。
  • また胎児の侵害受容反応を「痛み」と呼ぶべきかどうかは別にしても、それが完全に発達した人間の感じるものと別物だということは確かである。
    • 胎児が「痛み」を感じないよう女性に出産を強制したい人は、「痛み」という言葉で何を意味するかを明確にする必要がある。
      • 魚やショウジョウバエに「痛み」があると言う時の基準で胎児に「痛み」があると言った上で、私達の痛みの経験を胎児に投影するように求めることはできない。
  • 中絶政策は重要な道徳的・倫理的帰結をもたらすものであるから、最も精確な科学的議論に基づく必要がある。

良心的ワクチン拒否 Clarke, Giubilini, & Walker (2017)

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/bioe.12326

1. 序

  • 本論文は次の2つの問いのみを扱う。
    • (1) 人は、伝染病に対するワクチン接種について、良心的に拒否する権利を持つべきかどうか
    • (2) もし持つべきである場合、良心的拒否にはどのような制約や要件があるか
  • 良心的ワクチン拒否は、良心的兵役拒否に比べてほとんど議論されていない。
    • そこで本論文では、良心的兵役拒否と良心的ワクチン拒否のアナロジーを検討する。
  • 本論の主張:
    • 良心的ワクチン拒否者は、社会に対する適切な貢献をするべきである。
    • 求められる貢献の大きさは、問題となる疾病の深刻さ、罹患率、ワクチン拒否が危害につながる可能性、に応じて決まる。
    • 良心的ワクチン拒否者の割合が、集団免疫獲得を脅かすほど大きい場合、良心的ワクチン拒否者への要求は膨大になり、実質的に拒否不可能になる場合がありうる。

2. 良心的兵役拒否の権利と義務の土台となる倫理的論拠

  • オーストラリア、イギリス、アメリカにおいて、良心的兵役拒否者には代替業務が割り当てられる。
    • 軍務内の非戦闘業務か、もしくは、軍務には直接関係しないが社会福祉へ貢献するような業務のどちらかである。
  • また良心的兵役拒否者は、通常、その拒否が誠実(sincere)なものであることを証明する必要がある。
    • これは通常は法定で評価される。法定が調べるのは誠実性(申請者が従軍と整合しない信念を本当に持っているか)であり、妥当性(申請者による説明が理にかなっているか)ではない。
  • 代替業務賦課を正当化する方法は、少なくとも2種類ある。
    • (1) 自身の社会の維持・保全に貢献する一般的な義務が存在するのだから、その社会が危機に瀕している場合には、特別な貢献をする義務がある。
      • 良心的兵役拒否者は、徴兵を免除されるとしても、社会の維持・保全に貢献する義務がなくなるわけではない。このために、代替業務賦課は正当である。
    • (2) 社会は、タダ乗りを防止する必要がある。
      • 社会は多数の便乗者には耐えられない。兵役は負担の大きい義務だと考えられがちで、タダ乗りの誘惑が大きい。代替業務賦課によって、便乗者が誠実な良心的兵役拒否者を偽装することを抑制できる。
      • このことは、良心的兵役拒否者がその誠実性を示す義務の根拠にもなる。

3. 良心的兵役拒否と良心的ワクチン拒否の異同:自由、リスク、効用

  • 感染症は、軍事侵略と同様に、社会の維持・保全を脅かす可能性を持つ。
    • そこで、戦時おける軍隊に貢献する義務とのアナロジーで、感染症の蔓延を防ぐ義務の存在を主張することができる。
      • 実際、公衆衛生倫理分野では、感染症と戦争のアナロジーは広く用いられている。
  • 徴兵でもワクチン接種でも、個人に義務が課され、それが公共善によって正当化される。
    • このとき、個人には3種類のコストがある
      • (1) 自由:
        • 個人が自発的に行わないことを要求される点で、ワクチン接種でも軍隊でもほぼ変わらない。
      • (2) リスク:
        • 戦闘には生命のリスクがあるため、徴兵のほうがワクチン接種よりもリスクが高い。
      • (3) 効用(個人に要求される時間やエネルギー):
        • 徴兵者の訓練には相当の時間がかるため、徴兵のほうがワクチン接種よりも効用コストは圧倒的に高い。
  • 良心的拒否が認められなかった場合の負担の厳しさを評価するためには、こうしたコストと、個人的利益とのバランスを考える必要がある。
    • ワクチン接種には免疫獲得という利益があるが、兵役にはこれに対応する利益はない。
      • ただし徴兵には、給与、後の市民生活で役立つかもしれない訓練、軍人としての成功、といった利益はある。
  • 自由・リスク・効用の異同を踏まえると、良心的ワクチン拒否者には、感染症を防いだり社会全体の福祉に貢献する努力をすることが、良心的兵役拒否者と少なくとも同じ程度の強さで求められると思われる。
    • 〔ワクチン接種よりも兵役のコストのほうがおおむね高いと考えられるため、〕良心的兵役拒否者よりも強く努力が求められることはないだろう。

4. アナロジーが良心的ワクチン拒否にもつ含意

  • 以上のアナロジーは、2つの大きな政策的含意をもつ。
    • (1) 良心的ワクチン拒否者に、その誠実性を証明する証拠の提出を求めることは正当である
    • (2) 良心的ワクチン拒否者には、社会の維持に貢献する義務がある
  • ワクチン拒否者は多いので、誠実性の評価には多大な非常にコストがかかる。そこで、教育的カウンセリングや社会貢献活動を要求することで、誠実性を間接的にテストするほうが良いかもしれない。
  • また、ワクチン拒否が社会に与えるコストを制限するために、良心的ワクチン拒否者にはいくらかの要請を課しうる(渡航制限、隔離、検疫など)。
  • しかしこれらの要求は、社会の維持に貢献する義務とは別物である。
    • 上記の要求の他に、良心的ワクチン拒否者には罰金、公的補助停止、社会奉仕活動等が別途要求されうる。
  • ただし、具体的にどんな社会貢献を補償として課すべきかは難しい問題である。
    • 戦時下では戦闘業務と並んで非戦闘業務も必要なため、良心的兵役拒否者も後者の手段で全体的な目標に貢献できる。
    • 他方で、良心的ワクチン拒否者に、集団免疫や公衆衛生を促進させる貢献が可能かどうかは明らかではない。
  • 候補としては課税がありうる。
    • 公平な補償額は、問題となる病気の深刻さや、ワクチン拒否がアウトブレイクにつながる危険性等によって決まる。
    • こうしたシステムでは、ワクチン未接種率が高まるほど、ワクチン拒否者に求められる財政的貢献は大きくなる。
      • 病気が深刻で感染リスクも高い場合、ほぼすべての人が支払えないレベルまで金銭的補償額が高まることもありうる。

種差別とヒト培養肉 Milburn (2016)

link.springer.com

  • 培養肉は、畜産による動物の死と苦痛の問題を解決するように見える。
  • しかし、こうした動物の問題を考慮する立場からも、培養肉への懸念が表明される場合がある。
  • このタイプの反論のうち以下のものは、動物の利害にかんする十分な理解や、動物の十分な保護があれば、克服可能である(pp, 252–256)。
    • (1) 培養肉は、人間にとって肉を食べることは自然・必要・普通であるといった誤った信念を強化してしまう
    • (2) 培養肉の作製過程で必要なドナー動物の取り扱いに懸念がある


  • しかし次の反論は、畜産における動物の問題を考慮すると、簡単には克服できない。
    • (3) 培養肉は、動物と人間(もしくは食用動物とそうでない動物)とのあいだに、誤った種差別的な階層関係をつくることを肯定してしまう
  • 培養肉のもたらす技術的恩恵と、種差別的な階層関係の肯定のあいだには、ジレンマがある


  • このジレンマを解決できる第三の選択肢が、ヒト培養肉である(Hopkins and Dacey 2008; Schaefer and Savulescu 2014; Schneider 2013)。
  • ヒト培養肉は一種の(犠牲者のいない)カニバリズムであり、社会から強く抵抗されることが予想される(Donaldson and Kymlicka 2013)。
  • だが、ヒト培養肉という形でのカニバリズムは、その他の培養肉と並んで、許容されるべきである。


  • カニバリズムに明示的に反対する議論を見つけることは驚くほど難しい。多くの場合、カニバリズムは悪いと単純に前提されている。
    • どの主流の倫理的伝統にもカニバリズムに反対する議論があるが、どれもうまく行っていない(Wisnewski 2014)。
    • また、カニバリズムが許容可能な場合がある(Wisnewski 2004)。


  • ただし、カニバリズムに反対する非合理的・感情的な良い根拠があるかもしれない(Wisnewski 2004; Diamond 2005)。
  • その一例が、Kass (1997) の言う「嫌悪感の叡智」(wisdom of repugnance)である。
    • 強力な嫌悪反応を無視することは愚かである、とする。
  • しかし、Kassが嫌悪感を喚起するものとして挙げる行為(レイプ、殺人、近親相姦、獣姦、カニバリズム)には、明らかな危害が含まれる(Nussbaum 2004)。
    • したがって、これらの行為の道徳的問題は合理的に議論可能である。単なる嫌悪反応に訴えることは、こうした行為に対する非難の根拠としては薄弱である。


  • カニバリズムの倫理的評価にあたっては、ヒト肉の由来に応じて以下の3形態を区別してみることが有用である。
    • (A) 暴力
      • カニバリズムのために意図的に殺された人から、ヒト肉が来る場合
    • (B) 死体干渉
      • 死体から、ヒト肉が来る場合
    • (C) 廃棄
      • カニバリズムとは無関係な理由で人体から分離された部分から、ヒト肉が来る場合
  • それぞれの形態はさらに、当人の同意/不同意と合わせて、6つの類型を形成する


  • いずれの類型も、食べた人の健康を根拠として非難・禁止されうる。だがこれはあまりにもパターナリスティックである。
  • 不同意-暴力事例は、まさに暴力ゆえに非難されうる。
    • ただしその悪さは、状況に応じて緩和されるかもしれない。
  • 多くの暴力もしくは死体干渉事例には、死体干渉の悪さという問題がつきまとう。廃棄事例についても、廃棄物はある意味では死体(=人体: corpse)の一部だと言えるかもしれない。
    • だがヒト培養肉について言えば、それは、道徳的に関連する意味では、「死体」ではないと思われる。
      • ヒト培養肉は生きている人間と重要な歴史的関係を持たない。また死者との関係に感情的もしくはスピリチュアルな価値を見出す人もいるが、それはヒト培養肉の場合にはない。
  • 同意についての問題もヒト培養肉では生じないと思われる。
    • 「人は自分が殺されることに自ら同意することはできない」と論じることはできるかもしれない。だがそこから、「人は肉に培養するための細胞提供に同意することはできない」と言うのは拡大解釈である。
  • したがって、ヒト培養肉は上記の6類型にうまく当てはまらない。かつ、それらに向けられる倫理的反論も当てはまらない。


  • ここで、そもそもこうした合理的な議論自体に問題がある、という応答が考えられる。
    • Kass (1997)は、合理的議論に反対する根拠として嫌悪感を持ち出していた。
  • たしかにカニバリズムに多くの人が嫌悪感を抱くのは事実である。この対立に対して、いくつかの解決策が考えられる。
    • 嫌悪感は、より大きな利益に道を譲るべきだと言う
    • 嫌悪感は、よりよい議論に道を譲るべきだと言う
    • 嫌悪感は、最優先の道徳的直観ではないと言う
  • 加えて、カニバリズムに対する嫌悪感は、進化的暴露論法にとくに脆弱である。
    • 典型的なカニバリズムには、健康へのリスクや社会的排斥のリスクがある。このことがカニバリズム対する嫌悪を生じさせてきたと考えるのはかなりもっともらしい。
  • たしかに典型的なカニバリズムに反対する十分な道徳的理由はあるため、この嫌悪感は部分的には暴露論法を逃れうる。
    • しかしそうした理由はヒト培養肉のカニバリズムには適用できない。
    • 加えて、動物倫理の観点からはヒト培養肉を支持する良い理由がある。
  • 以上を考慮すると、カニバリズムへの嫌悪感は、合理的な倫理的推論に道を譲るべきである。


  • 結論:動物の苦痛や殺害が悪いと考える場合、動物の培養肉が許容可能だと考える十分な理由があるのみならず、ヒト培養肉も許容可能だと考える十分な理由がある。