えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

福利のハイブリッド理論 Woodard (2016)

  • Woodard, Christopher (2016). Hybrid Theories. In G. Fletcher (ed.), Routledge Handbook of Philosophy of Well-Being, pp. 161–74.

ハイブリッド理論とは

  • 福利(well-being)のハイブリッド理論とは、複数の福利理論の要素を組み合わせた理論である。
  • 通常この語は、「主観的要素」と「客観的要素」を組み合わせた(主観/客観ハイブリッド)、次のような説を意味することが多い。

【連帯必要説】......主観/客観ハイブリッドの代表例

  • 【連帯必要説】(joint necessity view): 福利は、(a)主観的条件と(b)客観的条件の両方が一緒に満たされていることに存する
    • Kagan 2009: (b)客観的に良いものをもち、(a)それを楽しむ
    • Adams 1999: (b)卓越したものを(a)享受(enjoy)する
    • Kraut 1994: (b)愛するに値するものを(a)愛する
    • Raz 1986: (b)追求する価値があるものを(a)成功裡に追求する
  • (a)と(b)の間にどのような関係が必要かによって、各説は更に複雑化しうる

その他のハイブリッド理論

  • しかし、主観/客観ハイブリッド以外のハイブリッド理論も色々ありうる。
    • 【主観/主観ハイブリッド】
      • Hawkins 2010: ポジティヴな情動状態と選好充足の両方が必要
    • 【客観/客観ハイブリッド】
      • 例:福利は、「有徳な」「友情」に存する

【連帯必要説】への反論

  • 反論:制約が強すぎる:一方の条件は不必要なのでは?
    • 価値のないものに向けられていても、快楽はやはり福利に影響するのでは?(Delanery 2018)
    • 当人が楽しんでいないとしても、客観的に良いものはやはり福利に影響するのでは?(Sarch 2012)
    • Launiger (2013), Hooker (2015)......
  • 【連帯必要説】の派生元となる親理論の側から見ると、【連帯必要説】の2条件のうち片方は必ず不必要に見えてしまう。
    • 個別に反論に対応することもできるが、【連帯必要説】以外の形式のハイブリッド理論に注目する価値もある。

全体論

  • ハイブリッド理論は、全体論的である点で、多元主義的理論(pluralist theory)とは区別される
    • 多元主義の場合、たとえば、価値あるものを持つこととその享受とは、互いに独立に福利に貢献する
    • 他方でハイブリッド理論では、一方がどれだけ福利に貢献するかは、他方がどの程度存在しているかに依存する(Kagan 2009)
      • =全体論(Parfit 1987, pp. 501–2)
  • ただし【連帯必要説】の場合、一方の要素が存在しなければ、他方の要素は福利に全く貢献しない
    • この特徴により、上で見た反論が出てきてしまう
    • だがこの特徴はあくまで【連帯必要説】のものであり、全体論から帰結するものではない。
全体論的なハイブリッド説の別例
  • 【増幅説】
    • 例:享受はそれ自体で福利に貢献する。その貢献分は、享受されるものに価値があるほど増幅する。
    • 例:友情はそれ自体で福利に貢献する。その貢献分は、友情が有徳なものであるほど増幅する。
  • こうした形式のハイブリッド説はより柔軟であり、【連帯必要説】への反論をかわせる(Sarch 2012)

今後の課題

  • 【連帯必要説】の課題
    • 主観的条件・客観的条件とは具体的に何なのか。またそれらの間の適切な関係は何か。
  • 様々な形態のハイブリッドの可能性
    • 主観/客観ハイブリッドだけでなく、主観/主観ハイブリッド、客観/客観ハイブリッド、また2条件以上のハイブリッドについて更に論じられるべき
  • 【連帯必要】構造を持たない理論の可能性
    • 多元主義からハイブリッド説を区別するのは全体論であり、複数の条件が【連帯で必要】という点ではない。複数条件間の別の関係も更に検討されるべき(Kagan 2009, pp. 264–70; Sarch 2012)。
  • 悪い生
    • 福利をめぐる議論では、悪い生は良い生の単なる鏡写しだと考えられがちである(Kagan 2014)。だがこの点についてもハイブリッドな視点からの検討は少ない(Kagan 2009)。

まとめ

  • ハイブリッド理論には、互いに非常に異なる様々な形式がありうる。
  • 今後は「ハイブリッド理論」全体としてではなく、個別の理論に注目して議論を進めたほうが良いかもしれない。

イタリア、ポルトガル、スペイン文学における自然描写 Humboldt (1847)[1849]

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※注はすべて要約者による

【目次】

初期イタリア詩人の自然描写

ダンテ

 [418-1] 古代世界が過ぎ去った後、新しい時代の偉大な創設者であるダンテ(1265–1321)のなかに、自然の魅力に対する感受性をときおり見出すことができる。

 『煉獄篇』には、朝の雰囲気や海にきらめく光の描写*1、わきたつ雲と川の増水の描写があり*2、また地上の楽園への入り口の木立は、ラヴェンナ近郊の松林を思い起こさせるものとして描かれる*3。この箇所の描写の現実への忠実さは、『天国篇』でのフィクショナルなきらめく川の描写と対照的である*4。[419-1] だがこの『天国篇』の光景も、輝く波しぶきが水面に広がって海をきらめく星の海に変える現象を念頭に書かれているように思われる。

ペトラルカ、ボイアルド、コロンナ、フラカストロ

 [419-2] イタリアでダンテについで挙げられるのは、ヴォクリューズの渓谷の印象を描写しているペトラルカ(1304–1374)のソネット、ボイアルド(1441–1494)の小さな詩、ヴィットリア・コロンナ(1492–1457)のスタンツァである。

 注:ボイアルドには「鬱蒼とした森よ、私の悲しみを聞いてくれ」とはじまるソネットがある*5。コロンナには、「千の花と香りに/飾られた地を見る時」とはじまる美しいスタンツァがある。またジローラモ・フラカストロ(1479–1553)は、ヴェローナ近郊の別荘の景色を素晴らしく描写し、また教訓詩の中でイタリアのレモン栽培についての心地よい節も残している。なおペトラルカは、ヴァントゥー山登攀のときも欧州各地への旅のときも、目の前の景色というよりはキケロやローマ詩人の作品の追憶の中に生きており、これは非常に残念である*6

ベンボ枢機卿

 [420-1] ギリシア人との交流によって古典文学は更に普及したが、その優れた精神の最も早いあらわれを、ピエトロ・ベンボ枢機卿(1470–1547)に見出すことができる。若いときに書かれた『エトナ対話』(1495)では、シチリアの豊かな穀物畑から雪に覆われたクレーターに至るまで、エトナ山の斜面の植生が生き生きと描写されている。壮年期の作品『ヴェネツィアの歴史』(1551)には、新大陸の気候や植生の更に絵画的な描写がある。

コロンブスの自然描写

熱帯世界の発見

  [420-2] この時期、人間の想像力は、突如広がった世界の境界と、それと同時に生じた人間の力の拡大という、偉大なイメージで満たされることになった。すなわちアメリカの発見が、十字軍に続く第二の、そしてより強力な影響をヨーロッパ諸民族に与えた。熱帯世界の平野の豊かな植物相、山脈の多種多様な生物、メキシコ、ヌエバ・グラナダ、キトなどの高地の北方を思わせる気候などが、ヨーロッパ人の目にはじめて映った。

 コロンブス(1451–1506)やヴェスプッチ(1454–1512)による自然描写のなかでは、二人の偉業を助けたであろう想像力が独特の魅力を放っている。オノリコ川はエデンの園から発していると信じたコロンブスには深く真摯な宗教感覚があった。[421-1]そしてそれは年を追うごとに、コロンブスが受けた仕打ちの影響もあって、憂鬱で病的な熱狂へと変わっていった。[420-2]またヴェスプッチのブラジルの描写は、古今の詩人への通暁を証ししている。

 [421-2] ポルトガルやカステリアを遠洋航海に駆り立てたのは黄金だけでなく、より一般的な冒険精神であった。遥か彼方の土地についての物語が若者の心を捉え、また近代文明が地球上のあらゆる箇所を接近可能にしたことも、遠洋航海へのあこがれを膨らませた。北方に発する自然研究への情熱はすべての人の胸に輝き、知識の増大をもたらす一方で、この時代特有の詩的・感傷的な感覚は、これまでにない形式の文学作品を生み出した。

コロンブスの自然描写

 [421-2] こうした現代的感覚を生み出した偉大な発見を振り返ってみると、コロンブスによる自然描写が特に注目される。コロンブスが自然に対して抱いた感覚、その描写、また[422-1]当時の言語に精通していないとわからない表現の美しさや簡潔さについては、すでに別の著作でも示そうとした(Examen Critique, iii)。

 [422-2] キューバ島の海岸でコロンブスの関心を引いたのは、 植物の相貌や形態、「どの葉、花がどの枝についているのかわからない」ほど入り組んだ茂み、バラ色のフラミンゴなどだった。先に進めば進むほど土地はどんどん美しくなっていくように感じられ、その甘美な印象を適切な言葉にできないとコロンブスはしばしば悔やんでいる。コロンブスは植物学には通じていなかったが、自然への愛に導かれ、未知の様々な形態を区別していった。たとえば、キューバ島だけで7〜8種類のヤシを区別している。

 [422-3] 〔以下、第一回の航海日誌から引用。*7〕「この土地の美しさは、コルドバのカンピーニャとも比べ物にならない。辺りの木々は青々としていて、草は高く伸びて花咲き乱れ、果実が一杯になっている。空気はカスティリャの四月のように暖かく、うぐいすが、ことばにできないほど美しい旋律で歌っている。夜にはまた、小鳥がやさしくさえずり、コオロギやカエルの鳴き声が聞こえる」。「ある入り江に入っていったが、[423-1] そこは非常に深い湾で、山は見たこと無い高さにそびえ、そこからは清流がいく筋も流れ落ちていた。どの山も、松の木や美しい花を咲かせる幾多の種類の木々におおわれていた」。「湾に注ぐ川を遡上すると、すがすがしい木立、すきとおった水、数々の鳥の声に驚かされた。まことに立ち去り難い思いで、ここで見た全てを報告するには舌が千枚あっても十分ではなく、またこれをそのまま記述する腕も持ち合わせていない、全く魔法にでもかかっているようだ」。

 [423-2] この無教養な船乗りの日誌から、個別に様々な形態をとる自然の美しさが、感受性の強い心にいかに強く影響を及ぼすかを学ぶことができる。感情が言葉を高貴にするのだ。コロンブスの文体は、とくにヴェラグアの海岸で夢を語る時(4回目航海)、雄弁とは言えないまでも、同じ時期の様々な牧歌*8より興味深い。

牧歌の退屈さ

 残念ながら、スペインとイタリア文学では、哀愁を帯びた牧歌的要素があまりにも長い間支配的であった。いかに偉大な詩人に書かれようとも、牧歌的ロマンスは本質的につめたく退屈である。個別的な観察だけが、自然に忠実な表現を生み出せるのだ*9。だからたとえばタッソー(1544–1595)の『イェルサレム解放』(1581)で最も優れた描写は、詩人がかつて身をおいたソレントの美しい光景を思い出している部分にある。

カモンイスの『ルジアダス』における自然描写

 [424-2] 観察された個別のものを忠実に描写する力は、ポルトガルの偉大な国民的叙事詩、ルイス・デ・カモンイス(1524–1580)の『ウズ・ルジアダス』(1572)で最も豊かに発揮されている。ここで、フリードリヒ・シュレーゲルの大胆な言、「カモンイスの『ルジアダス』は色彩と空想の豊かさでアリオストを遥かにしのぐ」をあえて裏付けようなどとは思わない。だが自然観察者の一人として付け加えるならば、カモンイスの熱意、修辞、メランコリックな調子は、物理現象の精確な描写を妨げるどころか、むしろ活き活きした感覚や描写の真実性を高めていると言える。

 カモンイスはまさに「海の画家」というべきで、『ルジアダス』には海の様々な様子の描写が豊富にある。一方には穏やかな波間にきらめく水面が描かれ*10、他方で荒々しく恐ろしい嵐の描写もある*11

 [425-1] カモンイスは兵士として、モロッコ帝国、アトラス山脈の麓、紅海、ペルシャ湾で闘い、喜望峰を二度回って*12、自然への深い愛から、インドおよび中国の海岸で現象を観察し続けた。たとえば、「船乗りが/神聖なものとする生きた光」*13であるセントエルモの火*14や、水上竜巻(ウォータースパウト)など*15。詩人の次の言葉は、現代にも当てはまるだろう。「この世界の隠された秘密を、書物で学ぶ人に説明させてみよ。この手合は理性と科学のみを信じて、経験のみを導き手とする船乗りの口から聞いたことを、すぐに誤りだと断言するのだから」*16

 [425-2] 詩人は個別の現象の描写に優れているだけなく、大規模な事象を一目で理解させる点でも際立っている。例えば『ルジアダス』の第三巻では、わずか数連のうちに、酷寒の北方から[426-1] 「ルシタニアの地、そしてヘラクレスが最後の功業なす海峡」*17に至るヨーロッパ全体の姿を、そこに住む諸民族の習俗や文明に絶えず言及しつつ描き出している。

 第十巻ではさらに視野が広がり、女神テテュスの導きで山に登ったヴァスコ・ダ・ガマは、〔天地創造の際に用いられた「世界の雛形」を眼にし、〕世界の仕組みや(プトレマイオスに従った)惑星の運行について知る*18。さらに、ヨーロッパだけでなく地球上の全ての部分が眺められ、セントクロスの島(ブラジル)やマゼランが見つけた海岸なども言及されている*19

 カモンイスは陸上の生命にはあまり関心がなかったようで、熱帯の植物[427-1]についての言及はほとんどない。この点コロンブスとは対照的である。ただし、コロンブスの日誌がその日その日の鮮やかな印象を書き留めたものであるのに対して、『ルジアダス』はあくまでポルトガル人の偉大な功績を称えるために書かれたという点を忘れてはいけない。音の調和を重視する詩人は、原住民から奇妙な植物名を借用したり、それを風景描写に織り込むことには乗り気ではなかったのだろう。

エルシーリャの『アラウカーナ』における自然描写

 [427-2] カモンイスと並び称されるスペインの兵士にして詩人がドン・アロンソ・エルシーリャ(1533-–1594)だ。その叙事詩『ラ・アラウカーナ』では、たしかに永遠の雪に覆われる火山、灼熱の渓谷、陸地に深く切り込む湾などが描かれているのだが、それらの描写はあまり視覚的ではない。

 セルバンテスはエルシーリャをおおげさに賞賛しているが、これはスペインとイタリアの文学上の対立から生じたものにすぎず、ヴォルテールを含む現代の批評家はそれに騙されていると思われる。『アラウカーナ』はたしかに崇高な民族的感情に貫かれた作品ではあるものの、[428-1]文体はなめらかでも簡素でもなく、固有名が多すぎ、詩的情熱にかけている(注:たとえば27歌には、8行からなる1スタンツァのなかに27もの固有名が出現している箇所がある*20)。

カルデロン

スペイン文学における詩的情熱

 だが、エルシーリャに欠けている詩的情熱を、〔スペイン文学では〕たとえばアウグスティン・デュランの編纂による『18世紀以前の騎士道ロマンスと歴史ロマンス』や、ルイス・デ・レオン(1527–1591)の著作にみることができる。(注:前者には、「あざやかな鳥も/黙り、大地が/川の音聞くとき」と始まる素晴らしい節がある)。[429–1] 後者は、美しい一夜に星空の永遠の光をたたえている。

カルデロン

 またそうした情熱はカルデロン(1600–1681)の著作にも見いだせる。ティークも述べるように、「スペイン喜劇の最盛期、カルデロンと同時代人の叙情的でロマネスクな詩のなかには、海、山、庭、森、渓谷などの目もくらむような美しい描写がしばしばある」。

 たとえば『人生は夢』(1635)では、囚われの身となったセヒスムンド王子が、その不幸を有機的自然の自由さと対比させている。すなわち「広い空を素早く羽ばたきゆく」鳥たちや、「砂泥から生じるや大洋を求め、その大胆な航路には海の無辺すら足りないかのごとき」魚たち。小川でさえも、草原を自由に進むことができる。そして王子は嘆く。「これらより大きな生気と自由な精神をもつ私が、しかしより小さな自由に甘んじなければならないとは!」。文体では劣るが、『不屈の王子』(1636)にも同様の表現がある。

シェイクスピア、ミルトン、トムソン

 カルデロンの例が示すように、[430-1]主に出来事、感情、性格を扱う劇詩においては、自然描写は人物の特性や感情を反映するものに過ぎない。実際、シェイクスピアもこの例にもれない。『真夏の夜の夢』には森での生活が、『ヴェニスの商人』の最後には夏の夜を照らす月光があるが、それらは直接的に描写されているわけではないのだ。

 ただし、ティークは次のように言っている*21。「しかし『リア王』には真の自然描写がある。気が触れていると思われるエドガーが盲目の父に対して、平原にいながらも、「自分たちはドーバーの崖っぷちに登っている」と告げる場面だ*22。眼下にみえる谷の深さの描写は、実際めまいをおぼえさせる」。[430-2]シェイクスピアでは、感情の内なる動きと言葉の偉大な簡潔さにより、自然表現に活き活きした真実と個性があたえられたのかもしれない。

 またミルトンの『失楽園』では、自然描写は絵画的というよりも壮大だが、楽園の豊かな描写に多くの想像力が注ぎ込まれている。しかし一般的に言えば、たとえばジェームズ・トムソン(1700–1748)の教訓詩『四季』(1739)のように、植物はより一般的であいまい形でしか描かれていなかった。なお同じく四季を主題に1500年以上前に古代インドで書かれたカーリダーサの『リトゥサンハーラ』(『四季のめぐり』)では、熱帯地域の豊富な植生を個別的に、また鮮やかに描いている。ただしトムソンの作品に見れるような、北部地域特有の季節のはっきりした変化からくる魅力は欠けている。

*1:「先へと逃げる未明に/夜明けは打ち勝っていき、とうとう遠くに/海のきらめきが見えた」(i,115, 原訳)

*2:「君もよく知るように、/あの湿った水蒸気が待機中に集まって/寒気がそれを取り込む高みの昇るや、すぐ水に戻ります。」(v. 109–111, 原訳)

*3:天国篇 xxvi, 1–24

*4:「すると私には、川の姿をした光が/赤みがかった黄金に輝き、驚くべき春の情景に/彩られた両岸に挟まれているのが見えた。/この川から生命の火花が飛び散り、/そして両岸で花々の中に飛び込むと、/さながら黄金に囲まれた紅玉のようだった/その後で、まるで香りに酔わされてしまったかかのように、/驚嘆すべき渦の流れの中に再び沈み込んでいく。/しかも、あるものが中に入っていっては別のものが外へと飛び出していく。」(xxx, 61–69, 原訳)

*5:Amorum Libri Tres〔『愛について、三篇』〕, 1499, ii, 47.

*6:ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの思想』はこのペトラルカ評価を批判している

*7:引用は日誌の12/13、11/25、11/27の記述をかなり自由に組み合わせたものになっており、描写されている場所は実際には3箇所である。ここではそれぞれの日に対応するように引用を3つに分割し、基本的には林屋訳に従いつつ、フンボルトの記述が大きく異なる部分のみ新たに訳した

*8:ボッカチオ、ヤコポ・サンナツァロ(Sannazaro)の『アーケイディア』 、フィリップ・シドニーの『アーケイディア』、ガルシラソ・ラ・ベガ(Garcilasso)の『サリーチオとネモローソ』(Salicio y Nemoroso)、ホルヘ・デ・モンタマヨールの『ディアナ物語』が挙げられている。

*9:牧歌はたしかに田園の様子を描くが、その姿は高度に理想化されている場合が多く、この点にフンボルトは不満を感じているのだと考えられる。

*10:「すでにかれらは大洋を渡っていった。/たちさわぐ波濤を左右に分けながら、/風は穏やかに呼吸していた。/へこんだ船の帆を膨らませながら、/海は白い泡で覆われていた。/そこを神聖な海水をきりつつ/へさきが突きすすんでいく、水面を/プロテウスの海獣がきっている。」(i. 19、小林、池上、岡村訳)

*11:vi, 71–82

*12:1550年と1553年に出国を希望する公文書が残っていることからの記述だと思われる。しかし実際は1550年には出国しておらず、カモンイスが喜望峰を回ったのは一度のみである。

*13:v, 18、小林、池上、岡村訳。

*14:悪天候時にマストの先が発光する現象。コロナ放電によるもの。

*15:iii, 7–21

*16:この引用はv. 22とv. 17を合成したものであるため、フンボルト自身の言葉に従って翻訳した。

*17:「そして〜」以下は独訳者Donnerがiii, 18につけた注からの引用。なおこの海峡はジブラルタル海峡のこと。

*18:「なか空に、一個の球体が見られ、/明るい光がそれを貫いていた〔......〕一様で完全に自立していて、/創造なされた原型と同じだ。〔......〕女神はかれにいった:ーー「わたしはここで/世界の雛形をおんみの目の前に/示します。おんみが今と将来/行くところ、望むものを知るために。/これが世界の大きなからくりなのだ。/これはエーテルと四大でできており、/始めもなければ終わりもない高くて/深い「知恵」によって作られたものだ。」」(x, 77–80、小林、池上、岡村訳)

*19:「だがいちばん広いところにおんみらも/朱木で知られる国をもつだろう。/それにサンタ・クルスの名をつけるだろう。/おんみらの最初の船が見付けるのだ。/おんみらのものとなるこの海べぞいに/さらに遠国を探しにゆくだろう、/マゼランが、まことにポルトガル人だ、/事業では、忠義ではその名にそむくが。」(x, 140、小林、池上、岡村訳)。なおこの箇所はポルトガル人が達成する偉業についての女神の予言になっており、ポルトガル人のブラジルへの到達はこの詩で描かれるガマの第一回航海よりも後である。

*20:固有名詞数は26だが、おそらく次の箇所だと思われる。「見よボニア、プロシア、リトゥアニア、/サマゴシア、ポドリアそしてロシアを。/ポロニア、シレシアとエルマニア。/モラビア、ボヘミア、アウストリア、ハンガリー、/コルバシア、モルダビア、トランシルバニア、/バラキア、ブルガリア、エスクラボニア、/マケドニア、ギリシア、モレア、/カンディア、キプロス、ロダスとイウデア」(吉田秀太郎訳、p. 216)

*21:未公刊の書簡から引用

*22:4幕6場

ケアードのトレンデレンブルク批判 Caird (1889)

archive.org

  • Edward Caird (1889). The Critical Philosophy of Immanuel Kant. Vol. 1. Glasgow: James Maclehose & Sons
    • 第1巻 純粋理性批判
      • 第2章 感性論
        • カントのジレンマを抜け出そうとするトレンデレンブルクの試み(pp. 306-307)

 トレンデレンブルクは、空間と時間は精神のアプリオリな性質である(主観的であると同時に、それは(現象だけでなく)物自体についてもあてはまる(客観的である)と指摘し、カントがこの可能性を見逃していると論じている。

 だがカントは、この「第三の道」を見逃しているのではなく、むしろ議論の必然性によって排除しているである。

 カントの議論は次のように進んでいる

  • 仮定:個々の対象はそれがもたらす感官の変容を通して与えられる。
  • 議論1:時間や空間は、対象がもたらす感官の変容ではなくて、感官自体の本性に由来する。
  • 議論2:こうした時空のアプリオリな主観性によってのみ、対象への普遍的で必然的な法則の適用が可能になる。

 もし時空が物自体に属する(超越論的に実在的)場合、それについての知識は、実際に知覚されている個物にしか当てはまらないことになる。つまり、普遍的・必然的な知覚の原理ではなくなってしまう。時空の超越論的実在性は、時空の経験的観念性を含意してしまうのだ。

 トレンデレンブルクが主張するように、時空が超越論的に実在的であるだけでなく経験的にも実在的だとすると、物自体のありかたとそれが知覚される主観的形式に予定調和が成立していることになる。だが、この主張は意識の範囲を超えており無意味である(『プロレゴメナ』§13, 注2)。

フェルドマンの人生満足説批判 Feldman (2010)

  • Fred Feldman (2010). What is This Thing called Happiness? Oxford University Press.
    • 5 Whole Life Satisfaction concepts of Happiness


※要約者により大幅に再構成しています

様々な人生満足

 幸福(Happiness)を人生に対する全体的な満足(Whole Life Satisfaction: WLS)として捉える見方〔※以下「WLS説」〕は、様々な哲学者によって提案されてきた(Brandt, Kekes, Nozick, Sumner, Tatarkiewicz, Telfer, von Wright)。この説は現在、哲学者にも心理学者にも人気がある。

 WLS説は非常に多様な仕方で定式化されている。少なくとも6つの次元での区別が考えられる。

  • (a) 評価の本性

 WLSの評価は、様々な情報を考慮して下される判断でなければならないと考える人がいる。他方、人生全体に良い感情を抱いて(feel good)いればそれで十分だと言う人もいる(Telfer)。両方の要素を含むと言う人もいる(Brandt, Sumner)。

  • (b) 評価の局面

幸福であるためには、人生の全ての局面(aspects)について満足している必要があると考える人がいる(Tatarkiewicz)。他方で、人生の重要な局面に満足していれば十分(Brandt, Sumner, Telfer)、さらには人生の何らかの局面への満足でも十分だと考える人もいる(Sumner)。

  • (c) 評価は実際のものか、仮想的か

 幸福であるためには、人生に満足しているという判断を実際に下す必要があるという立場がありうる(現実主義)。これに対し、人生に満足しているという判断を下すだろうという仮想的状態にあればそれで十分だという考え方(仮想主義)もありうる(Tatarkiewicz)。

  • (d) 時間

 幸福であるためには、過去、現在、未来のすべてを含む人生の時間的全体について満足している必要があるとする人がいる(Tatarkiewicz)。これに対し、現在の時点の人生について満足していれば良いという考え方や、過去および現在の人生について満足していれば良いという考え方もありうる。

  • (e) 主観的か客観的か

 人生に現実に起ったことと、当人が起こったと思っていることを区別することができる(Tatarkiewicz)。幸福であるためには前者について満足している必要があるという立場(客観主義)と、後者に満足していればいいという立場がありうる(主観主義)。

  • (f) 認識的要求の強さ

 私たちは人生に生じた様々なことについて、詳細な理解を持っている場合と、ごく表層的な理解しかしていない場合がありうる。幸福であるためには前者のような詳細な理解のうえでの満足が必要だという立場と、後者のような表層的な理解の上での満足でも十分だという立場がありうる。

 これが6次元は互いに独立であり、組み合わせることで無数のWLS説を生むことができる。しかし、いずれの形式でもWLS説は誤りであることを以下で示す。

2つの予備的問題

 WLS説にはまずもって2つの問題がある。

【不安定性の問題】
 ある人が自分の人生は理想的だとある時点では判断するが、別の時点ではそう判断しない、ということがありうる。だが、ある人が幸福な人生を送っていたと同時に送っていなかった、というのは矛盾である。

※注12: Dienerらは、人生満足尺度が通時的安定性をもつことをこの尺度の望ましい性質だと言っている(Diener et al. 1985)。だが、幸福度が人生を通して安定していると考えられる独立の理由がないかぎり、この性質が望ましいとは考えがたい。

【はかなさ(lability)の問題】
 経験的研究によれば、WLSに関する人の判断は、判断時の一見どうでもいい(trivial)事柄や文脈に影響される。例えば、天気、部屋の内装、質問者の魅力、小銭を拾ったことなどである。だがこれらの影響を受けた判断は間違っているように見える。直前に小銭を拾っただけで人が本当に人生全体により満足するようになるとは考えがたい。

 しかしこれらの問題は真の問題ではない。理論を十分明確化してやれば防げるからだ。ここでは、「時点人生満足」(WLS at a moment)と「期間人生満足」(WLS during an interval)を区別しよう。ある時点でのWLSである「時点人生満足」を、一定期間で(何らかの形で)集計したものが、その期間の「期間人生満足」だと考えることができる。

 このとき、時点によって異なるWLS判断が下されるという【不安定性の問題】は問題ではなくなる。異なる時点において「時点人生満足」が異なることは矛盾ではないからだ。また【はかなさの問題】についても、どうでもいい事柄に影響を受けたWLS判断を「間違っている」とする必要はない。人はその瞬間には確かに多少幸福になったのだと考えてもとくに問題はないからだ。

現実主義か仮想主義か

 より重要な問題は、「時点人生満足」をどうやって決定するかだ。この点について、異なるバージョンのWLS説は異なる回答を持っているが、ここでは次のように議論する。

  • いかなるバージョンのLWS説も、「現実主義」か「仮想主義」かのいずれかである(前提)
  • そして、どちらの場合でも、幸福をWLSとして捉えるのはもっともらしくない。
  • したがって、WLS説は全体としてもっともらしくない。
現実主義の問題

 まず、WLSの評価は実際の(a)判断だという見解を考えよう。もしこの判断が人生の(d)すべての時間にかんして、(b)あらゆる局面について、(f)非常に詳細な理解のうえで、下されるべきものであるならば(Tatarkiewiczはこの見解をとっている)、そうした判断が現実的に不可能なことは明らかである。この場合、いかなる人も幸福ではないことになってしまう。
 
 もちろん、判断への要求は緩めることが出来る。例えば、WLSの判断は人生の(d)全ての時間にかんして、(b)重要な局面について、(f)曖昧な理解のうえで、下されるべきものだとしよう。しかしこのように制約を緩めても、幸福であるために実際の判断が求められていることには変わりない。人間関係も仕事もうまく行っており、財産も十分ある人がパーティで楽しく歌っているとする(このような「浅薄な」例が気に入らない場合は適当な例に変えてよい)。この人は自分の人生について判断などしていない。しかしまさにこのために、現実主義的なWLS説によれば、この人は幸福ではないということになってしまう。だがこれは明らかに直観に反している。人は、自分の人生全体について何も判断していなくても、幸せな人生を送れるはずである。

 WLSに必要な実際の評価は判断ではなく、より(a)情動的なものだとする見解ではどうか。たとえば、人は(ある時点で)これまでの人生に喜びを感じている程度だけ(その時点で)幸福であるという見解(Telfer)を考えよう。しかしこの見解でもまだ要求過多である。何かに喜びを感じるには、少なくともそれについて考えていなければならない。だが、たとえば何かに没頭している人は人生について考えていない。人は人生全体について考えたり喜んだりしていなくても、幸福な人生を送れるはずである。

仮想主義の問題

 では仮想主義ならばどうか。これはつまり、ある人のある時点での幸福度は、その時点で人生全体について下されるであろう判断に応じて決まる、という見解になる。ここでは、人生満足をどのように尋ねるかという問題は脇におき、ある人の時点人生満足の真値が得られると仮定しておこう。だがこの値は幸福とどのような関係にあるのだろうか。

 自分の人生や理想について反省することは、人の情動状態にネガティヴ・ポジティヴ両面で影響を与えうる。上述のパーティ参加者は、もし人生満足について反省すれば、おそらく落ちこんだ状態になるだろう。したがって、この人の仮想的判断が与える時点人生満足度は、第三者の観察者が与える人生満足度よりも低く出るだろう。逆に、常に陰鬱な状態にある人が、人生や理想について聞かれた場合、自分の人生はそう悪いものではないと判断することもありうる。このように、仮想的な人生満足判断から得られる値というのは、私たちが通常「幸福」と呼ぶものにあまりうまく対応していない。

 哲学者の中には、人が最善の認識的理想状態において判断する人生満足度が幸福を定義すると考える人がいる。ここで、自分の人生が置かれた状況について無知であるがゆえに(言葉の普通の意味において)非常に幸福であるような人がいるとしよう(「無知は幸福である」("Ignorance is biliss"))。認識的理想状況からの判断では、この人は「不幸」だということになるだろう。しかしこの結論は、私たちが問題としたいこと〔(言葉の通常の意味における)幸福とは何か〕とは関係がない。この人が幸福なのは事実であり、そしてそれは無知に部分的に依存している。従って、仮想主義的なLMSが生み出す幸福度は的はずれなのである。

古代ギリシア・ローマ文学における自然描写(および『コスモス』第2巻の概要) Humboldt (1847)[1849]

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※注はすべて要約者による

【目次】

第2巻の全体像

  • 第1部 自然研究への誘因
    • 外界が想像力に映し出すイメージ
    • I. 自然描写
      • 異なる時代・人種において自然の観照は異なる感覚を引き出したこと
    • II. 風景画
      • 風景画の自然研究への影響
      • 植物観相学のグラフ的表現
      • 異なる地域における植物の植生の特徴
    • III. 熱帯植物栽培
      • 植物の諸形態の対比と類似
      • 植生の観相学と特徴から喚起される印象
  • 第2部 宇宙の自然的観照の歴史
    • 自然の全体としてのコスモス概念の漸次的発展と拡張の主要原因
    • 宇宙の自然的観照に影響を与えた重要な瞬間
      • 1. 始まりとしての地中海沿岸
      • 2. アレクサンダー大王下のマケドニア人による遠征
      • 3. プトレマイオス朝における宇宙の観照の拡張
      • 4. ローマ人の世界統治
      • 5. アラブ人の侵入
      • 6. 大洋発見の時代
      • 7. 天に関する偉大な発見
      • 8. ここまでの振り返り

第1部 自然研究への誘因

外界が想像力に映しだすイメージ、自然の詩的描写、風景画、地球表面の様々な部分の植物観相学を特徴づけるような異国の植物の栽培

 [370-1] 我々は今や、対象の領域から感覚の領域に進む。この内面世界の探求にあたっては、自然的対象の観照 [contemplation] を、自然への純粋な愛を喚起する手段として捉え、自然研究や遠方旅行を強く動機づける原因について探求する。自然の観照への誘因には3種類のものがある。すなわち、動植物を生き生きと描写する(1) 文学および [371-1] (2) 風景画、そして、(3) 熱帯植物の栽培と地元の植物との比較、である。

 [371-2] 偶然に喚起された自然の印象が、その強力な力によって、子供の人生全体を決めてしまうこともある。例えば北半球では見えない南十字星*1を見たいという欲望や、絵入りの聖書に描かれるヤシやレバノンスギなどは、旅行への最初の衝動を与える。フンボルト個人のことを言えば、南国に行きたいという最初の、そしてずっと変わらない欲望を喚起したのは、[372] (1) ゲオルク・フォルスターの『南洋諸島の記述』(Schilderungen der Südsee Inseln)、(2) ガンジス側のほとりを描いたウィリアム・ホッジの絵画、(3) ベルリン近郊の植物園にあるドラゴンツリーであった。ただし、(1)–(3)のような誘因が力を発揮するのは、近代的な文化のなかにおいて、かつ、精神が一定方向に発達しこうした印象を受け入れやすくなっている個々人に対してのみに限られる。

I. 自然描写:異なる時代・人種において、自然の観照は異なる感覚を引き出したこと

古代人による自然描写

 古代人は自然の観照からくる喜びを知っていたはずなのに、その感覚をあざやかに表現することは現代と比べて少なかった、とよく言われる(シラーの引用。またGervinus, Adolph Becker, Eduard Müller)。[373-2] これは確かに一理あるが、ギリシアとローマにしかあてはまらない。自然の感覚は古代のヘブライ人やインド人の多くの詩にあらわれている。つまりこの感覚は、異なる出自(セム系とインドゲルマン系)の民族の中に存在していた。

ギリシア人の場合

古代ギリシア詩の一般的傾向

 [373-3] たしかにヘレニズム期には、個別具体的な自然描写はおまけ程度にしか現れない。ギリシアの芸術においては、すべてが人間の生活の領域に集中しているからだ。[374-2] デルフォイでは、おそらく冬が終わった喜びを表現するために、春の歌が歌われた。冬の自然の記述はヘシオドス『仕事と日』にもある(おそらく後代の加筆)。『神統記』では、ポセイドンの領土の自然描写があるが、[375-1] それは擬人化されている。こうした擬人化の傾向はあらゆる古代の詩人に見られる。

 [375-2] 文学としての自然描写がないからといって、古代人には自然美への感受性が欠けていたとか、創造的能力が古代ギリシア人にはなかった、などと考えるべきではない。むしろ、自然の魅力によって呼び覚まされた感情を言葉で表現したいという切迫した衝動がなかったのである。最初期の詩的精神は、むしろ活動的生や内的情動に向けられており、その最も高貴な方向性は叙事詩と抒情詩だった。その後、教訓的な詩(エンペドクレスの『自然について』など)を通じて修辞的要素が広がっていき、それに伴い教訓詩のほうの単純さや高貴さも徐々に失われていった。[375-3] 以上の流れを説明するために以下では個々の例を見ていこう。

叙事詩・抒情詩の場合

 ホメロスの場合、叙事詩という性格上、自然の最も魅力的な描写でさえ、単に二次的に描かれるに過ぎない。『イリアス』には、羊飼いが星の輝く夜の静けさのなかで遠く山流の音を聞くという描写がある(viii, 555–559)。『オデュッセイア』では、岩だらけのパルナッソスの寂しさを描く崇高な描写と、キュクロプスの土地にあるポプラの楽しげな描写が対称的である(xix, 431–445)。

 またピンダロスは、春を祝うディテュランボスのなかで、「花のほころびが地を覆うとき、アルゴス・ネメアでは、ヤシの新芽がさわやかな春を告げる」などと歌い、また「天の柱、不朽の雪を養う」エトナ火山について歌う。だが、すぐに自然の話から離れ、英雄や戦争勝利の賛美に移ってしまう。

 [376-2] ギリシアでは、他の国とは異なって、陸と海が密接に結びついているために、独特の魅力をたたえた風景があることをわすれてはならない。[377] 古代ギリシア人のように知的で高度な才能を持った人々が、たとえば地中海の入り組んだ海岸に見られる森で覆われた崖であるとか、時間や季節に応じて変わる地表と大気の相互作用、また植物相などについて、無関心だったとは考えられない。実際、ギリシアでは植物の世界は英雄や神々などと神話的関係にあると考えられていた。神々は、自分と結びつきの深い植物に傷を与えた人に復讐すると考えられていた。このように、古代ギリシアにおいて想像力は植物に命を吹き込んだ。だが、古代ギリシア人の精神活動が持っていた方向性は、自然の景色の描写の発展にはあまり寄与しなかった。

悲劇

 ただし時として、悲劇作家の中にさえも、激しい怒りや悲しみのただなかにおいて、自然美に対する深い感覚が生まれている。たとえば例えばソフォクレス(c. 496 – c. 405)の『オイディプス王』でオイディプスが〔真実を知り放浪したすえに〕コロノスの森に近づくシーンでは、安らかな自然の様子(ナイチンゲール、青々としたツタ、スイレン、クロッカス、オリーブ)が描かれ、オイディプスの苦痛のイメージが高められている(682–706)。[378-1] またエウリピデス(c. 480 – c. 406)の『クレスポンテス』(断片)には、「メセニア*2とラコニア*3の牧草地は、穏やかな空の下で、千の泉と美しきパミソス河*4の水で潤う」といった記述もある。

牧歌から記述優位の時代へ

 [378-2] シチリアに発する牧歌は移行的形式の詩で、風景よりはむしろ小規模な人間の営みを描いている。しかしそこには独特の哀愁があり、あたかも人間の胸中では、風景に喚起された深い感情とある種のメランコリーが常に結びついていたかのようだ。

 [378-3] 本来のヘレニズム詩はギリシア人の自由とともに失われ、詩は徐々に記述的、教訓的、教育的になっていった。アレクサンダー大王(356 – 323)の時代には、天文学、地理学、狩猟、漁業なども詩の主題となり、生物などは現代のナチュラリストが同定可能なほど精確に記述されていることも少なくない。だがそこには、自然に霊感を受けた内面が欠けている。こうした記述優位の傾向は、ノンノス(前5世紀)の『ディオニュソス譚』に見られる。ノンノスは自然の動乱を喜んで描き、ヒュダスペス川岸*5の森が雷で焼かれ川底の魚まで燃えたとか、[379-1] 蒸気の上昇によって嵐や雷雨が生じる過程を描いている。

詞華集

 [379-2] 『ギリシア詞華集』の一部には、自然に対するより深い感情と繊細な感覚が見られる。小アジアのディオニュシウス一世(c. 432 – 367)の時代にシチリアに伝わったプラタナスが多すぎるほど登場するものの、全体として言えば、植物よりも動物に心が傾けられている例が多い。ガダラのメレアグロス(c. 130 – c. 80)による春の牧歌は重要な作品である。

その後の展開

 [379-3] また古代からの名所であるテンペ峡谷*6について、[380-1] おそらくディカイアルコス(c. 370/350 – c. post 323)を真似て、アイリアノス(c. 175 – c. 235)が残した記述は見逃せない。アイリアノスの記述は、これまでで最も詳細であるだけでなく、絵画的である。「聖なる月桂樹から贖罪の枝を折る」ピューティアの行列*7を通して、木陰の谷の様子が生き生きと描かれている。

 4世紀も終わりに近づくと、散文作家のロマンスの中に風景描写が織り込まれるようになってくる。その好例がロンゴス(不詳)の『ダフニスとクロエ』だ。ただしこの作品では、愛情の描写のほうが圧倒的に優れている。

偽アリストテレス『コスモス』とアリストテレス

 [380-2] 著者の記憶を超えてこれ以上文献を列挙することは本書の意図ではない。最後に、偽アリストテレス『コスモス』(『宇宙論』)の自然描写に触れよう。曰く「〔大地と海の〕領域は、数限りない山々や草木、緑深い森林、さらには知恵ある動物、つまり人間が建設した街、さらには海にある島や大陸などによって彩られている」(392b12–20, 野澤訳)。この修辞的描写はアリストテレスの簡潔・科学的スタイルとは異なっており、本書が偽作だとされる根拠の一つである。

 [381-1] ただし、キケロの『神々の本性について』に保存されている後期アリストテレスの真作の断片には、非常に雄弁に大地を描写したものが存在する。そこでは、創造の作品の美しさと偉大さという観点から神々の力の存在が認められており、こうした言説は古代では類を見ないものである。

ローマ人の場合

全体的傾向

 [382-1]ギリシア人に欠けていた自然描写はローマ人にはますます見られない。古代ローマは農業をはじめ田園での活動に力を入れていたものの、ローマ人は冷静厳格で現実的な知性をもち、自然にかんする理念的な詩作よりも日々の活動に注力する傾向がギリシア人以上に強かった。

 また、ギリシア語とラテン語の構造の違いにも注目すべきだ。古代ラティウムの言語は柔軟性に欠け、語彙の借用も少なく、様々なアイデアを表現することよりもむしろ強い実用的傾向を持っていた。さらに、すでにアウグストゥスの時代(27–14)から見られたギリシアを真似る傾向も、民族感情の自由な表現の妨げとなった。しかし何人かの強靭な精神は、こうした障害を乗り越えることができた。

ルクレティウス

 ルクレティウス(c. 99 – 55)の『事物の本性について』は、天才的詩才に豊かに彩られ、コスモス全体を歌いあげている。ここでは詩と哲学が密接に絡み合っているが、文体の硬直化は免れている。兄フンボルトは、[383] 古代ギリシア、古代ローマ、そして古代インドで起こった形而上学的抽象と詩の融合について論じているが、詩、哲学、科学、歴史に、必然的・本質的な区別は存在しないという*8

キケロ

 多忙な政治生活のなかでも自然美へ鋭い感受性が残っている人物がいるとしたら、それは偉大で高貴な人物に違いない。キケロ(106 – 43)がそのことを証明している。『法律について』や『弁論家について』は多くの点で『パイドロス』の引き写しだが、自然描写の個性は失われていない。すなわち、[384-1] プラトンは自然を一般的な言葉でたたえているが*9、キケロは短いスケッチのなかで、自然を現実の風景の中にあるかのように描写している。キケロの故郷であるアルピーノ*10の古塔が背負う険しい山を下ると、フィブレーノ川のほとりにオークの木立が見え、そして支流によって形成された「カルネッロの島」がある。ここでキケロは瞑想、読書、執筆に没頭したという。故郷の高貴な風景は無意識のうちに魂に印象を与え、当人の生来の気質と密接に結びついたのだ。[384-2] またキケロは、建国紀元708年〔= 前48年〕のローマ内戦のさなかにあって、各地に立てた別荘での生活に慰めを見出し、[385-1]友人にあてた手紙で景色の魅力について語っている。

ウェルギリウス、オウィディウス、ティブルス、ルカン

 [385-2] ウェルギリウス、ホラティウス、ティブルスらはよく知られているので、幾つかの作品に見られる自然に対する繊細な感性について、個別例をあげるまでもないだろう。ウェルギリウス(70–19)の『アエネイス』は、叙事詩という性質上自然描写は副次的であるものの、穏やかな波や夜の静けさが柔和に描かれている。

 [385-3] オウィディウス(43 – 17)は、モエシアのトミス*11に追放されていたが、残念ながらこの湿地帯の描写は伝わっていない。[386-1] だが詩人は自然を鮮やかに歌う詩才を持っており、洞窟、泉、夜については食傷気味だが、メトニ*12の火山噴火について非常に特徴的で地球構造学的にも重要な描写を残している。以前にも引用したが、染み込んだ蒸気の力により、大地は空気の入った袋ないしヤギの皮のように膨張するとされる〔第1巻英訳p, 239)。

 [386-2] ティブルス(c55 – 19)はアウグストゥス時代の詩人には珍しく田園で隠遁生活を送っており、心情を素朴に歌うタイプだった。それだけに、自然の具体的特徴を描写した作品がないのが悔やまれる。

 [367-2] ルカヌス(39 – 65)は、祖父で修辞学者の大セネカに似て、その詩はあまりにも装飾的であった。だが、マルセイユの現在ではまっさらな海岸にあった、ドルイドの聖なる森の崩壊について、鮮やかに真に迫るすばらしい描写を残している。曰く、オークの樹は真っ二つにされ、よろめきながら互いに支え合い束の間立っていたが、葉をむしり取られ、神聖な森の暗がりに初めて差し込んだ光に苦しんでいたという。新大陸の森の中で生活したことがある人ならば、ここで詩人が僅かな言葉でもって鬱蒼とした木々をいかに生き生きと描いているかを感じ取れるだろう。

 なお、小セネカの友人である小ルキリウス(1世紀)の『エトナ』は火山の噴火に伴う諸現象を忠実に描写しているが、第1巻で我々が称賛したピエトロ・ベンボ(1470 – 1547)の『エトナ対話』のほうが遥かに個性的である〔第1巻英訳p. 242〕。

実りなき時代

 [367-3] 4世紀末期、偉大で高貴な形式の詩が消えていき、詩的精神の発露は科学や記述という裸の現実に向かった。詩的要素が単に思考のそえものでしかなかったこの実りなき時代の作品として、アウソニウス(310 – 393)の『モーゼル』がある。アクイタニア*13のガリア人として[388-1]ウァレンティアヌスのアレマン人討伐に同行したアウソニウスは、当時からブドウに覆われていたモーゼル川*14の丘陵地帯をなかなか優雅に描写している。

歴史家の場合

 [388-2] 散文作家の作品では自然風景の描写は稀だが、カエサル、リウィウス、タキトゥスら歴史家の作品では風景描写がしばしば見られる。これは戦場や渡渉、山越え、自然の障害に対する格闘などを記述しようとする際に出てくるものだ。タキトゥス(c 55 – c. 120)では、ゲルマニクスがアミシア河*15を渡るシーン(『年代記』)や、シリアとパレスチナの山脈の壮大な地理的描写(『同時代史』)が魅力的だ。クルティウス〔・ルフス〕(1世紀)の『アレクサンダー大王』は、ヘカトンピュロス*16[389-1]の木の多い砂漠地帯を美しく描写している。

プリニウス

 [389-2] プリニウス(23 – 79)の『博物誌』については後に詳細に検討したい(p. 564–568)。事実を包括的に捉えようとする一方、スタイルの点では不揃いで、個別の自然現象の記述には欠ける著作だが、秩序だったコスモス(naturæ majestas)における活動的諸力の結びつきを検討しようとする部分では、真の詩的霊感があらわれている。

別荘地

 [389-3] 華やかさや見かけ重視の建物が乱立していた点を除けば、ローマ市内や近郊に多数作られた別荘を、ローマ人の自然への愛を証明するものとして挙げることができたかもしれない。[390-1] 小プリニウス(c. 61 – c. 113)は自身の別荘についてなかなか魅力的な記述を残してもいる。ただし、剪定された木に囲まれ、建物が密集したその別荘は、今日の感覚からは趣味が良いとはいい難い。とはいえこうした記述や、ティヴォリのヴィッラ・アドリアーナ*17にテンペの谷を再現する試みなどからは、ローマ人もやはり自然を自由に享受することへの愛を失ってはいなかったことがわかるだろう。なお、せっかくの自然享受もそれが奴隷によって成り立つのであれば台無しだが、小プリニウスの領地では比較的マシだったと付け加えられるのは喜ばしいことである。小プリニウスは[391-1]奴隷に対する人道的な共感を持っており、奴隷は拘束されず、自分の労働で得たものを自由にすることができた。

見逃されたもの(スイス、柱状節理)

 [391-2] 政治家や軍人がガリアに向かう際にヘルヴェティアを通過することはよくあり、そこには文人もついていったが、アルプスや氷河その他スイスの自然風景について古代から伝わる記述はない。道の悪さについて考えるのが精一杯だったのだろう(カエサルに至ってはアルプスを越えながら文法書(『類推論』)の準備をしていた)。スイスがかなり文明化した後、シリウス・イタリクス(c. 26 – 101)は、アルプスを退屈でむき出しの荒野だとして、これと対比しイタリアの渓谷やリーリ川(ガリリャーノ川)*18の木に囲まれた岸を称賛している。

 また、フランス中央部、ライン川沿い、ロンバルディアなどでは、玄武岩の柱状節理という驚くべき光景がよく見られるのだが、ローマ人作家でこれに言及しているものはいない。

*1:南十字星の素晴らしさを示すために『神曲』から引用が行われている(煉獄篇ii, 25–28)「 私は右手を向いた。そして意識を/南の天極に向けると、原初の人々の他には/これまで目にされたことのなかった四つ星を見た。/空はその炎を楽しんでいるようだった。/哀れ、寡婦となった北半球の大地よ、/あの輝きを仰ぎ見ることができないとは。(原訳)

*2:メソニとも。ペロポネソス半島の南西部の地域

*3:ペロポネソス半島南部の地域

*4:メセニアとラコニアの中間を流れる川

*5:現ジェルム川。ヒマラヤに発し、パキスタン東部とインド北西部を流れる。

*6:テッサリアの渓谷。オリュンポス山とオッサ山に挟まれ、ピニオス川が流れてエーゲ海に注ぐ

*7:ピューティアとはアポロンの神託を伝えるデルフォイ神殿の神官のこと。神託を受ける者は、月桂樹を携え、行列をなして神殿を訪れるという慣行があった。

*8:Humboldt “Ueber die unter dem Namen Bhagavad-Gita bekannte Episode des Maha-bharata” (「バガヴァット・ギーター」の名で知られるマハーバーラタのエピソードについて), GW, i, s. 98-102.

*9:「プラタナスはこんなにも鬱蒼と枝を広げて亭々とそびえ、またこの丈高いアグノスの期の、濃い陰のすばらしさ。しかも今を盛りのその花が、なんとこよなく心地よい香りをこの土地にみたしていることだろう。こちらでは泉が、世にも優しい様子でプラタナスの下を水となって流れ、身にしみ透るその冷たさが、ひたした足に感じられるではないか。[......] それにまた、ここを吹いている風はどうだ。なんとうれしい。気持の良いそよぎではないか。それが蝉たちのうた声にこだまして、夏らしく、するどく、ひびきわたっている。だが、なかでもいちばんうまくできているのは、この草の具合だ。ゆるやかな坂にゆたかに生えて家、横になってみると、じつに気持ちよく頭をささえてくれるようになっているのだから。」(229B–230C, 藤沢訳)

*10:ローマから南東100kmほどに位置する地域

*11:現ルーマニア、コンスタンツァ。黒海に面した港町

*12:ペロポネソス半島北東部の都市。エピダウロスとトロイゼーンの間に位置

*13:アキテーヌとも。現フランス南西部の地域。主府はボルドー

*14:フランスのヴォージュ山脈に発し、北へ流れる川。ルクセンブルクを通り、ドイツに入ってライン川に合流する

*15:現エムス川。ドイツ北西部オランダ国境付近を流れる

*16:現イラン、クミス。パルティアの旧首都で、カスピ海のやや南方に位置

*17:ローマ近郊にある別荘地。世界遺産

*18:イタリア中部を流れる川。アドリア海側のモンテ・カミチアに発して南西に流れる。上流がリーリ川、下流がガリリャーノ川と呼ばれ、ティレニア海に注ぐ

予防原則およびデュアルユース「ジレンマ」というフレーミング自体が生みだすリスクの選択的受容という問題 Clarke (2013)

https://www.jstor.org/stable/j.ctt5hgz15

3つの予防原則

 予防原則(PP)には20以上の定式化がある。抽象的原理に様々なバージョンがあること自体は不思議ではないが、PPの場合に驚きなのは、各バージョンが一つの一般原則の異なる形だとは思えないことだ。それぞれのヴァージョンは、費用便益分析(CBA)との関係の観点から少なくとも3タイプのアプローチに分けられる。

 PPの登場まで、リスク管理のための支配的な概念ツールはCBAだった。しかし、CBAには不満の声もあった。第一の不満は、多くの適用事例において、「完全な科学的確実性」をもって確立されたコストしか考慮されなかったことに向けられた。この不満から展開されたタイプのPPは、潜在的コストも考慮するようCBAを誘導することを狙っている。リオ宣言原則15はこのタイプの好例である。
 
 第二の不満は、「コストの存在を証明する責任は活動を批判する側にある」という暗黙の想定に向けられた。この点への不満から展開されたタイプのPPは、挙証責任は活動を推進する側にあると明記することでCBAを補おうとする。ウィングスプレッド宣言がこのタイプの好例である。

 以上2つの不満はCBAに内在的なものではなく、予防原則もあくまでCBAを補うものだ。しかし「強い予防原則」(strong version of Precautionary Principle; sPP)と呼ばれるタイプのPPは、CBAに取って代わることを意図する。すなわちこのアプローチは、もっぱら潜在的コストにのみ基づいて政策を評価するものだ。1994年の第一回欧州"Seas at risk"会議の最終宣言がこのタイプの例である。


 これら3つのPPは明確に異なるタイプのものだが、PPの中にはあまりにも曖昧すぎて予防への熱意以外の何も伝わらないバージョンもある。以下で見るが、デュアルユースのために近年提唱されたPPにもこの問題がある。PPを抗議運動のための知的ツールだと考える Jordan and O'Rioran (1999) は、曖昧さは政治的効果を高める点でむしろ美徳だとしている。しかし、政策の舵取りのためにPPを使いたい場合、曖昧さは悪徳である。

 なお、上のようにCBAとPPを比較するのに否定的な見解もある(Sandin 1999)。その理由は、CBAとPPは適用可能な状況が異なる、というものだ。すなわちCBAはリスクに、PPは不確実性に対処するアプローチである。リスクと不確実性の違いは、可能的帰結に確率を割り当てられるかどうかの違いだ(Knight 1921)。しかし現実には、多くの事例でリスクと不確実性は混在している。つまり現実の事例を扱う場合には、同一事例にCBAとPPの両方が適用可能なのであり、したがって両者の比較は適切である。

予防、パラドックス、バイアス

 sPPは最も論争を呼び、致命的な批判を受けてきた。すなわち、ある活動を行うことにも行わないことにもそれなりの潜在的リスクがあるために、sPPは実行可能な行動すべてを排除してしまうのである(Manson 2001)。このパラドックスを避けるための一つの方法は、考慮すべきリスクの閾値を定めるというものだ(Sandin et al., 2002)。しかしこの方法には問題がある。閾値は低すぎても(批判を回避できない)高すぎても(排除したい選択肢を排除できない)いけないのだが、問題となっているのが不確実な帰結であるために、あらかじめこの閾値を適切に設定するための情報を得ることはできないのである。

 こうした問題がsPPを適用しようとする人にあまり気づかれないのには理由がある。sPPを適用する場面で人は、一つの政策候補の帰結しか考慮しておらず、〔その政策を行わないという選択肢も含め〕その他の選択肢を無視しがちなのである。この傾向を生み出す認知バイアスとして、サンスティーンはとくに利用可能性ヒューリスティクスを指摘している(Sunstein 2005)。特定のリスクが極端に利用可能になると、普通なら考えられていたであろうその他のリスクが頭から締め出されてしまう。例えば、アメリカでは9.11以降飛行機移動を避ける傾向が見られたが、これよって2011年中の交通事故死者は例年に比べ350人ほど増え、これは9.11で亡くなった飛行機の乗客乗員数(266人)を上回っている(Gigerenzer 2004)。

デュアルユースと、予防原則をめぐる議論からの教訓

 デュアルユースジレンマ状況で何を行うべきかを決定するための最も明白な方法は、CBAを使うことだ。しかし近年では、PPがデュアルユースの文脈でも有効だと示唆されるようになっており(Rappert 2008)、具体的な定式も提案されている(Kuhlau et al. 2011)。

 これまでの議論を踏まえると、PPをデュアルユースジレンマに適用しようとする場合には、ジレンマの解決においてPPがどのような役割を持つのかをできる限り明確にするべきである。上で述べた3タイプの予防原則のうち、どれが用いられるのだろうか。

 また、sPPに対する批判を踏まえると、デュアルユースの問題を「ジレンマ」としてフレーミングすること自体や、PPの適用それ自体が、リスクの選択的受容とどう繋がるかを反省すべきだ。まずジレンマというフレーミングについて。例えば新薬開発が問題になっている場合、問題をジレンマの形にすることで、開発と中止それぞれのコストとベネフィットへの注目を促すことができるかもしれない。しかし他方、複数の新薬開発が問題になっており、それらのリスクとベネフィットに重複がある場合、問題を独立した2つのジレンマとして捉えるのではなく、全体的な利益とコストを比較するほうが賢明かもしれない。この後者のような複雑な比較検討は、問題をジレンマとしてフレーミングすると見えにくくなる。というのもジレンマというフレーミングは「2つの」選択肢のあいだの選択への注目を促すからだ。

 加えて、PPも他の選択肢を無視する傾向を助長する。上述したように、sPPが適用可能になるのは代替的選択肢を無視する場合に限られる。その他2タイプのPPも、特定の活動のリスクを検討するようには促すが、その他の選択肢のリスクの検討を促すものではない。したがって、デュアルユースジレンマにPPを適用しようとすると、代替的選択肢排除傾向が互いに強化しあってしまう可能性があり、これにはとりわけ警戒が必要になる。

デュアルユース文脈のために考案された予防原則の一例

 生命科学のデュアルユース研究に適用するために、Kuhlau et al. (2011) は以下のような予防原則の定式化を提案した。

生命科学において、正統な意図で〔取得・開発等された〕生体物質、技術、知識が、人類の健康と安全を害する脅威をもたらす深刻かつ信憑性ある懸念が存在している場合、科学界はその懸念に対応するための予防的措置を策定、実施、遵守する義務がある。

 しかしこれは極めて曖昧な定式化であり、まずどのようなタイプのPPの適用を意図しているかを理解することが重要になる。

 最も率直な読みでは、この定式化は深刻なコストというリスクに対しては深刻な対処法が必要だと指摘していると言える。しかしこれはCBAでも当然言えることであり、PPの役割が不明である。
 
 第二の読みとして、この予防原則はリオ宣言と同じタイプだとも考えられる。すなわち、人類の健康や安全に対する脅威をCBAにおいて考慮すべきだと主張しているのある。しかし、リオ宣言を動機づけていたのは、科学的に不確実という誤った根拠により重要なリスクが無視されてきたという歴史的経緯である。これに対し、人類の健康や安全に対する脅威が科学界によって無視されるかもしれないと考える理由はあるのだろうか。ない場合、このPPは必要のない役割しか果たしていない。

注34:科学的知識がどう利用されるかについて科学者は責任を持てないとする伝統が科学界にはあるため、Kuhlauらはこれに対して責任の存在をリマインドしていると解釈することもできるかもしれない(Douglas (私信))。また Selgelid (2010) によると、生物科学者・生命倫理学者は遺伝学研究のデュアルユース性を無視してきた歴史がある。

 第三の読みとして、これはsPPなのかもしれない。この場合、次の2点についてどう応えられるかが重要になる。第一に、そもそもなぜsPPを採用すべきなのか。考えうるすべての重要なコストとベネフィットを考慮した結果として、ある研究のベネフィットがリスクを上回ると判断されたならば、そのリスクを受け入れるべきではないだろうか。第二に、上述したパラドックスの問題はどのように回避されるだろうか。

 PPは、使用法と文脈が特定されている場合にのみ有効である。残念ながら、Kuhlauらの提案はこうした特定性に欠けている。もしデュアルユースの文脈のためにPPの新しいバージョンを開発したい人が他にいるならば、精確な言葉によって、そのPPが何を達成することを意図しているのかを明示することが強く求められる。

デュアルユース研究と予防原則 Kuhlau, Höglund, Evers, and Eriksson (2011) 

onlinelibrary.wiley.com

  • Kuhlau, F., Höglund, A. T., Evers, K., and Eriksson, S. (2011), A Precautionary Principle for Dual Use Research in the Life Sciences, Bioethics, 25(1), pp. 1–8.

 予防原則は、非常に有害な結果が未知の確率で生じる場合に適用される意思決定原理である。この原理は環境や公衆衛生の問題という文脈ではよく取り上げられてきた。しかし、「生命科学者が自身の研究の誤用を防ぐ責任」という文脈ではほとんど論じらてこなかった。この論文は、こうした生命科学分野におけるデュアルユース研究に関しても予防原則を適用することができると、予防原則の4つの基本特徴の検討と予防原則に対する反論の検討を通じて示す。

予防原則とは

 予防原則が適用可能な問題は、人間の活動とその結果の関係の複雑性によって特徴付けられる問題や、ハザードおよびリスクに関して科学的不確実性がある問題である。生命科学研究にかんしても、善意でなされる研究とその兵器目的での悪用とのあいだには不確実性があり、因果関係を示す証拠が脆弱である。このことは、悪用が研究者のコントロールを超えていることや、悪用されうる生物学的物質は自然界にも存在していることなどによる。

 政策決定という観点から見ると、予防原則は「負担を減らす(burden-removing)原理」である(Manson 1999)。すなわち予防原則は、ある活動と危害の因果関係が科学的に確立されていない場合でも、その行為を規制することを支持する。

 しかし以下では、科学者の観点から見た予防原則をもっぱら問題にしよう。生命科学研究者は、望ましくない結果を避けるための道徳的責任をどのくらい持ちうるか。この問題に対して予防原則は、「負担を増やす(burden-adding)原理」としてはたらく(Manson 1999)。すなわち予防原則は、何らかの行動をしようとする人(この場合、科学者)に対して、その行動が害をもたらさないと示さなければならない、という負担をかける。

 「害をもたらさないとを示す」とはどういうことかを細かく見るために、「証拠の負担」(burden of proof)と「行為の負担」(burden of action)を区別しよう。この区別に基づけば、予防原則によって科学者に課される責任は、自身の研究は無害だという正当化された信念を確立する責任と、潜在的危害を回避するために積極的な対策をとる責任の、2種である。

4つの基本特徴

 予防原則の定式化には様々なバージョンがあるが、それらに共通する主要な特徴が4つある(Sandin 1999)。すなわち、「脅威」(threat)、「不確実性」(uncertainty)、「規範」(prescription)、「行動」(action)だ。この4つの要素は次のような形で結びついている。「もし不確実脅威があるならば、ある種の行為義務である」。

 実はこうした4要素は、おそらくそれと認識されないままに、生命科学者の責任にかんする既存の議論の中ですでに表明されている。例えば世界医師会によるステートメントにはこうある(WMA 2002)。「生物医療研究に携わる全ての者は、自らの発見が悪意を持って利用 [脅威] される可能性 [不確実性] が持つ含意について考慮する [行動] 道徳的・倫理的義務 [規範] を持つ」。ここで言う「考慮する」を予防的な「行動」の意味で解釈することには異論があるかもしれない。というのも、含意を考慮することはあらゆる意思決定原則の特徴であり、特に予防原則に固有のことではないからだ。そこで、「行動」をより特定しているものとして、『サイエンス』掲載の記事が挙げられる(Somerville and Atlas 2005)。ここでは、生命科学に関わる人・組織は「デュアルユース性に関する情報や知識の拡散を制限する [行動]」べきだとしており、〔いま引用した文の外では〕その他の3要素も含んでいる。

脅威の複雑性

 4要素の中で「脅威」と「不確実性」は、予防原則が適用できるのはどのような場面かを示す役割を持つ。ただしこれらの要素は、生命科学のデュアルユース研究の場合には、とくに複雑で厄介なものになる。

脅威とは何で、誰によって防衛されるべきか

 広く言えば、脅威とは、知覚された脆弱性である。9.11以降、西洋世界が脆弱だという感覚は増し、それに伴って、バイオテロリズム対策に関与する責任が科学者にますます求められるようになっている。

 しかし、生体物質、技術、情報へのアクセスを守る責任を、信憑性のある脅威を根拠として、研究者自身に要求することはできるのだろうか。確かに一般的に言えば、これまでの事例から考えて、バイオテロの脅威には信憑性があるかもしれない。しかしそうだとしても、〔個々人が行う〕通常の科学研究と脅威との因果関係には不確性がある。言い換えれば、脅威は一般に信憑性が高いだけでなく、警戒を求められる当人にとっても信憑性が高いものでなくてはならない。

 このように明確な因果関係を要求する主張に対する一つの返答として、予防原則を用いることができるかもしれない。すなわち、まさに脅威の信憑性が不確実だからこそ、予防が必要なのだ、と。

信憑性ある脅威とそうでない脅威をどうやって区別するか

 しかしながら、こうした予防原則の使いかたには批判がある。すなわち、脅威に信憑性があることは、むしろ予防原則の適用条件の中に組みこまれなければならない、という批判だ。そうしなくては、脅威なるものは最悪のシナリオによって人を脅す口実以上のものではなくなってしまうだろう。

 したがって、研究の悪用の脅威に信憑性があるのはどのような場合なのかについて、一定の基準を立てる必要がある。このことは、生命科学分野におけるデュアルユース研究では特に必要だ。というのも、生命科学者自身は安全保障環境にかんする情報を欠いており、自前でリスクアセスメントをする能力に限界があるからだ。そこで、科学者に課せられる予防の責任は、安全保障コミュニティ当局によるリスクアセスメントを踏まえたものでなければならない。

予防(Precaution)と防止(Prevention)の区別

 現在の議論では、生命科学者には生物兵器の拡散や悪用を「防止する」責任があるともっぱら言われる。しかしながら、責任にかんする理解を科学者により深めてもらうためには、「防止」と「予防」を区別することが重要だ。

 「防止」は、予想される脅威についての情報や知識があり、それを回避する具体的なアプローチが可能であることを含意する。他方で「予防」は、脅威にかんする不確実性を許容するものであり、より一般的な対策を求める。生命科学者に求められているのは、より正確に言えば、「防止」ではなく「予防」である。

不確実性

 ハザードやリスクを同定し評価すること自体にも科学的不確実性がある。したがって、安全保障リスクを評価して合理的な選択をするいかなるシステムも、この科学的不確実性に対処する戦略を備えなければならない。まさにそうした戦略を予防原則は与えるものであり、広範な科学的証拠を必要とする伝統的なリスクマネジメント戦略を補完するものだと捉えられている。

 しかし、予防原則が科学的不確実性に対処する有効な戦略だという点に反対する人もいる。以下では、3つの主要な異議を検討しよう。

予防原則に対する異議

予防原則は科学の発展を抑え込む

 予防原則は過度にリスク回避的なアプローチにつながり、重要な公衆衛生研究の発展を妨げると言われてきた。特に予防原則を強く解釈する人は、この原則に従うと我々は何もできなくなってしまうと批判する。
 
 しかし予防原則の擁護者は、予防が必要なのはあくまで、具体的なハザードの可能性についてある程度の証拠がある場合に限ると認めている。こうした「より柔軟な」解釈は、生命科学分野の研究者の責任にかんする上の〔(信憑性に関する部分)〕指摘とも整合する。すなわち、研究者が知識・情報の拡散を制限する義務があるのは、その知識が悪用されると考えるのに合理的な根拠がある場合に限られる。
 
 また、予防的行動は必ずしも法や規制の樹立を意味しない。研究者の意識を高めるための自主的な行動規範を作ることもできる。さらに、予防原則は研究のスピードを緩めるかもしれないが、それは新しい展開や技術を必ずしも妨げない(Grandjean, 2004) 。加えて、仮に研究が妨げられるにしても、それは道徳的に正当化される、と論じることもできる。予防原則の強みは、科学の社会における役割は何か、科学の発展がどこへ向かうべきか、その発展は十分な情報に基づく選択によって正当化できるか、といった点に反省をもたらすところにある。

予防原則は実践的な応用可能性を欠く

 予防原則は予防のために何をすべきかなのかを具体的に指定しておらず、実際的に機能しないという批判もある。

 しかし、そもそも多くの道徳原理は具体的に何をすべきかを指定するものではない。

 さらに、具体性を欠くというのは、柔軟性という利点だとも考えられる。あまりに狭く解釈されている原理は固定的な命令に転化し、それさえ守っていれば良いと反省を放棄する態度を醸成する危険性がある。予防原則は、解釈、洗練、経験に基づいてより精密で実践的なものになっていくポテンシャルを持っていると言える。

予防原則は十分定義されておらず曖昧である

 予防原則は十分定義されて(well-defined)いないという批判がある。この指摘はその通りだ。しかしこのことは、デュアルユースという文脈における予防原則も曖昧であることを必ずしも意味しない。予防原則の曖昧さは、この原理を政策決定の基盤や法的原理として用いる場合にはやはり問題になりうるだろう。しかし本論のように、責任ある研究実践を導く道徳的手引きとして予防原則を考える場合、曖昧さはそれほど問題にならない。

 予防原則の曖昧さは、問題となる脅威の不確実性や未定義にも由来する。デュアルユースの場合も、脅威の信憑性や悪用が起こる確率を決定するのは難しい。ここで、こうしたリスクの評価は研究者には不可能なのだから、研究の想定されない応用に対して責任を持ちようがない、と論じる人がいるかもしれない。しかしこれに対して予防原則の観点からは、無知を減らす努力をしないことが非難に値すると言うことができる(「責められるべき無知」(culpable ignorance))。すなわち研究者には、安全保障に関する懸念を意識し、関連する知識を集める責任がある。

結論

 以上の議論を踏まえて、生命科学のデュアルユース研究について次のような予防原則の定式化を提案する。

 生命科学において、正統な意図で〔取得・開発等された〕生体物質、技術、知識が、人類の健康と安全を害する脅威をもたらす深刻かつ信憑性ある懸念が存在している場合、科学界はその懸念に対応するための予防的措置を策定、実施、遵守する義務がある。(p. 8)

 生命科学分野で予防原則が成功するかは、先に挙げた4つの基本特徴にかかっている。予防原則の適用条件となる「脅威」と「不確実性」については、脅威の信憑性や有害な帰結を予見可能にするための情報の入手可能性が重要になる。また「規範」と「行為」については、柔軟性と具体性のバランスを達成する必要がある。

 加えて、予防原則の成功は次のような構造的要因にも依存している。すなわち、懸念事項を報告するシステム、「内部告発者」の保護、ピアレビュー、安全保障その他の関連領域当局からの情報の入手しやすさ、などだ。また、責任の所在が研究者個人にあるのか科学コミュニティにあるかも重要な問題であり、これは状況によって異なるだろう。

 最後に、予防は必要に応じて様々な程度を許すことを確認したい。警戒度が低いほとんどの場合、予防原則は研究者の意識を向上させる働きをするにすぎない。警戒度が高い場合には、危険な生体物質や技術に携わる少数の科学者に、より慎重な行動が求められる。

 深刻な脅威やリスクに関する不確実性が存在し、他のアプローチでは懸念が現実化しないことを願うことしかできないときに、予防原則はそれに対処する、少なくとも対処しようとすることができる。