えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

予防原則およびデュアルユース「ジレンマ」というフレーミング自体が生みだすリスクの選択的受容という問題 Clarke (2013)

https://www.jstor.org/stable/j.ctt5hgz15

3つの予防原則

 予防原則(PP)には20以上の定式化がある。抽象的原理に様々なバージョンがあること自体は不思議ではないが、PPの場合に驚きなのは、各バージョンが一つの一般原則の異なる形だとは思えないことだ。それぞれのヴァージョンは、費用便益分析(CBA)との関係の観点から少なくとも3タイプのアプローチに分けられる。

 PPの登場まで、リスク管理のための支配的な概念ツールはCBAだった。しかし、CBAには不満の声もあった。第一の不満は、多くの適用事例において、「完全な科学的確実性」をもって確立されたコストしか考慮されなかったことに向けられた。この不満から展開されたタイプのPPは、潜在的コストも考慮するようCBAを誘導することを狙っている。リオ宣言原則15はこのタイプの好例である。
 
 第二の不満は、「コストの存在を証明する責任は活動を批判する側にある」という暗黙の想定に向けられた。この点への不満から展開されたタイプのPPは、挙証責任は活動を推進する側にあると明記することでCBAを補おうとする。ウィングスプレッド宣言がこのタイプの好例である。

 以上2つの不満はCBAに内在的なものではなく、予防原則もあくまでCBAを補うものだ。しかし「強い予防原則」(strong version of Precautionary Principle; sPP)と呼ばれるタイプのPPは、CBAに取って代わることを意図する。すなわちこのアプローチは、もっぱら潜在的コストにのみ基づいて政策を評価するものだ。1994年の第一回欧州"Seas at risk"会議の最終宣言がこのタイプの例である。


 これら3つのPPは明確に異なるタイプのものだが、PPの中にはあまりにも曖昧すぎて予防への熱意以外の何も伝わらないバージョンもある。以下で見るが、デュアルユースのために近年提唱されたPPにもこの問題がある。PPを抗議運動のための知的ツールだと考える Jordan and O'Rioran (1999) は、曖昧さは政治的効果を高める点でむしろ美徳だとしている。しかし、政策の舵取りのためにPPを使いたい場合、曖昧さは悪徳である。

 なお、上のようにCBAとPPを比較するのに否定的な見解もある(Sandin 1999)。その理由は、CBAとPPは適用可能な状況が異なる、というものだ。すなわちCBAはリスクに、PPは不確実性に対処するアプローチである。リスクと不確実性の違いは、可能的帰結に確率を割り当てられるかどうかの違いだ(Knight 1921)。しかし現実には、多くの事例でリスクと不確実性は混在している。つまり現実の事例を扱う場合には、同一事例にCBAとPPの両方が適用可能なのであり、したがって両者の比較は適切である。

予防、パラドックス、バイアス

 sPPは最も論争を呼び、致命的な批判を受けてきた。すなわち、ある活動を行うことにも行わないことにもそれなりの潜在的リスクがあるために、sPPは実行可能な行動すべてを排除してしまうのである(Manson 2001)。このパラドックスを避けるための一つの方法は、考慮すべきリスクの閾値を定めるというものだ(Sandin et al., 2002)。しかしこの方法には問題がある。閾値は低すぎても(批判を回避できない)高すぎても(排除したい選択肢を排除できない)いけないのだが、問題となっているのが不確実な帰結であるために、あらかじめこの閾値を適切に設定するための情報を得ることはできないのである。

 こうした問題がsPPを適用しようとする人にあまり気づかれないのには理由がある。sPPを適用する場面で人は、一つの政策候補の帰結しか考慮しておらず、〔その政策を行わないという選択肢も含め〕その他の選択肢を無視しがちなのである。この傾向を生み出す認知バイアスとして、サンスティーンはとくに利用可能性ヒューリスティクスを指摘している(Sunstein 2005)。特定のリスクが極端に利用可能になると、普通なら考えられていたであろうその他のリスクが頭から締め出されてしまう。例えば、アメリカでは9.11以降飛行機移動を避ける傾向が見られたが、これよって2011年中の交通事故死者は例年に比べ350人ほど増え、これは9.11で亡くなった飛行機の乗客乗員数(266人)を上回っている(Gigerenzer 2004)。

デュアルユースと、予防原則をめぐる議論からの教訓

 デュアルユースジレンマ状況で何を行うべきかを決定するための最も明白な方法は、CBAを使うことだ。しかし近年では、PPがデュアルユースの文脈でも有効だと示唆されるようになっており(Rappert 2008)、具体的な定式も提案されている(Kuhlau et al. 2011)。

 これまでの議論を踏まえると、PPをデュアルユースジレンマに適用しようとする場合には、ジレンマの解決においてPPがどのような役割を持つのかをできる限り明確にするべきである。上で述べた3タイプの予防原則のうち、どれが用いられるのだろうか。

 また、sPPに対する批判を踏まえると、デュアルユースの問題を「ジレンマ」としてフレーミングすること自体や、PPの適用それ自体が、リスクの選択的受容とどう繋がるかを反省すべきだ。まずジレンマというフレーミングについて。例えば新薬開発が問題になっている場合、問題をジレンマの形にすることで、開発と中止それぞれのコストとベネフィットへの注目を促すことができるかもしれない。しかし他方、複数の新薬開発が問題になっており、それらのリスクとベネフィットに重複がある場合、問題を独立した2つのジレンマとして捉えるのではなく、全体的な利益とコストを比較するほうが賢明かもしれない。この後者のような複雑な比較検討は、問題をジレンマとしてフレーミングすると見えにくくなる。というのもジレンマというフレーミングは「2つの」選択肢のあいだの選択への注目を促すからだ。

 加えて、PPも他の選択肢を無視する傾向を助長する。上述したように、sPPが適用可能になるのは代替的選択肢を無視する場合に限られる。その他2タイプのPPも、特定の活動のリスクを検討するようには促すが、その他の選択肢のリスクの検討を促すものではない。したがって、デュアルユースジレンマにPPを適用しようとすると、代替的選択肢排除傾向が互いに強化しあってしまう可能性があり、これにはとりわけ警戒が必要になる。

デュアルユース文脈のために考案された予防原則の一例

 生命科学のデュアルユース研究に適用するために、Kuhlau et al. (2011) は以下のような予防原則の定式化を提案した。

生命科学において、正統な意図で〔取得・開発等された〕生体物質、技術、知識が、人類の健康と安全を害する脅威をもたらす深刻かつ信憑性ある懸念が存在している場合、科学界はその懸念に対応するための予防的措置を策定、実施、遵守する義務がある。

 しかしこれは極めて曖昧な定式化であり、まずどのようなタイプのPPの適用を意図しているかを理解することが重要になる。

 最も率直な読みでは、この定式化は深刻なコストというリスクに対しては深刻な対処法が必要だと指摘していると言える。しかしこれはCBAでも当然言えることであり、PPの役割が不明である。
 
 第二の読みとして、この予防原則はリオ宣言と同じタイプだとも考えられる。すなわち、人類の健康や安全に対する脅威をCBAにおいて考慮すべきだと主張しているのある。しかし、リオ宣言を動機づけていたのは、科学的に不確実という誤った根拠により重要なリスクが無視されてきたという歴史的経緯である。これに対し、人類の健康や安全に対する脅威が科学界によって無視されるかもしれないと考える理由はあるのだろうか。ない場合、このPPは必要のない役割しか果たしていない。

注34:科学的知識がどう利用されるかについて科学者は責任を持てないとする伝統が科学界にはあるため、Kuhlauらはこれに対して責任の存在をリマインドしていると解釈することもできるかもしれない(Douglas (私信))。また Selgelid (2010) によると、生物科学者・生命倫理学者は遺伝学研究のデュアルユース性を無視してきた歴史がある。

 第三の読みとして、これはsPPなのかもしれない。この場合、次の2点についてどう応えられるかが重要になる。第一に、そもそもなぜsPPを採用すべきなのか。考えうるすべての重要なコストとベネフィットを考慮した結果として、ある研究のベネフィットがリスクを上回ると判断されたならば、そのリスクを受け入れるべきではないだろうか。第二に、上述したパラドックスの問題はどのように回避されるだろうか。

 PPは、使用法と文脈が特定されている場合にのみ有効である。残念ながら、Kuhlauらの提案はこうした特定性に欠けている。もしデュアルユースの文脈のためにPPの新しいバージョンを開発したい人が他にいるならば、精確な言葉によって、そのPPが何を達成することを意図しているのかを明示することが強く求められる。

デュアルユース研究と予防原則 Kuhlau, Höglund, Evers, and Eriksson (2011) 

onlinelibrary.wiley.com

  • Kuhlau, F., Höglund, A. T., Evers, K., and Eriksson, S. (2011), A Precautionary Principle for Dual Use Research in the Life Sciences, Bioethics, 25(1), pp. 1–8.

 予防原則は、非常に有害な結果が未知の確率で生じる場合に適用される意思決定原理である。この原理は環境や公衆衛生の問題という文脈ではよく取り上げられてきた。しかし、「生命科学者が自身の研究の誤用を防ぐ責任」という文脈ではほとんど論じらてこなかった。この論文は、こうした生命科学分野におけるデュアルユース研究に関しても予防原則を適用することができると、予防原則の4つの基本特徴の検討と予防原則に対する反論の検討を通じて示す。

予防原則とは

 予防原則が適用可能な問題は、人間の活動とその結果の関係の複雑性によって特徴付けられる問題や、ハザードおよびリスクに関して科学的不確実性がある問題である。生命科学研究にかんしても、善意でなされる研究とその兵器目的での悪用とのあいだには不確実性があり、因果関係を示す証拠が脆弱である。このことは、悪用が研究者のコントロールを超えていることや、悪用されうる生物学的物質は自然界にも存在していることなどによる。

 政策決定という観点から見ると、予防原則は「負担を減らす(burden-removing)原理」である(Manson 1999)。すなわち予防原則は、ある活動と危害の因果関係が科学的に確立されていない場合でも、その行為を規制することを支持する。

 しかし以下では、科学者の観点から見た予防原則をもっぱら問題にしよう。生命科学研究者は、望ましくない結果を避けるための道徳的責任をどのくらい持ちうるか。この問題に対して予防原則は、「負担を増やす(burden-adding)原理」としてはたらく(Manson 1999)。すなわち予防原則は、何らかの行動をしようとする人(この場合、科学者)に対して、その行動が害をもたらさないと示さなければならない、という負担をかける。

 「害をもたらさないとを示す」とはどういうことかを細かく見るために、「証拠の負担」(burden of proof)と「行為の負担」(burden of action)を区別しよう。この区別に基づけば、予防原則によって科学者に課される責任は、自身の研究は無害だという正当化された信念を確立する責任と、潜在的危害を回避するために積極的な対策をとる責任の、2種である。

4つの基本特徴

 予防原則の定式化には様々なバージョンがあるが、それらに共通する主要な特徴が4つある(Sandin 1999)。すなわち、「脅威」(threat)、「不確実性」(uncertainty)、「規範」(prescription)、「行動」(action)だ。この4つの要素は次のような形で結びついている。「もし不確実脅威があるならば、ある種の行為義務である」。

 実はこうした4要素は、おそらくそれと認識されないままに、生命科学者の責任にかんする既存の議論の中ですでに表明されている。例えば世界医師会によるステートメントにはこうある(WMA 2002)。「生物医療研究に携わる全ての者は、自らの発見が悪意を持って利用 [脅威] される可能性 [不確実性] が持つ含意について考慮する [行動] 道徳的・倫理的義務 [規範] を持つ」。ここで言う「考慮する」を予防的な「行動」の意味で解釈することには異論があるかもしれない。というのも、含意を考慮することはあらゆる意思決定原則の特徴であり、特に予防原則に固有のことではないからだ。そこで、「行動」をより特定しているものとして、『サイエンス』掲載の記事が挙げられる(Somerville and Atlas 2005)。ここでは、生命科学に関わる人・組織は「デュアルユース性に関する情報や知識の拡散を制限する [行動]」べきだとしており、〔いま引用した文の外では〕その他の3要素も含んでいる。

脅威の複雑性

 4要素の中で「脅威」と「不確実性」は、予防原則が適用できるのはどのような場面かを示す役割を持つ。ただしこれらの要素は、生命科学のデュアルユース研究の場合には、とくに複雑で厄介なものになる。

脅威とは何で、誰によって防衛されるべきか

 広く言えば、脅威とは、知覚された脆弱性である。9.11以降、西洋世界が脆弱だという感覚は増し、それに伴って、バイオテロリズム対策に関与する責任が科学者にますます求められるようになっている。

 しかし、生体物質、技術、情報へのアクセスを守る責任を、信憑性のある脅威を根拠として、研究者自身に要求することはできるのだろうか。確かに一般的に言えば、これまでの事例から考えて、バイオテロの脅威には信憑性があるかもしれない。しかしそうだとしても、〔個々人が行う〕通常の科学研究と脅威との因果関係には不確性がある。言い換えれば、脅威は一般に信憑性が高いだけでなく、警戒を求められる当人にとっても信憑性が高いものでなくてはならない。

 このように明確な因果関係を要求する主張に対する一つの返答として、予防原則を用いることができるかもしれない。すなわち、まさに脅威の信憑性が不確実だからこそ、予防が必要なのだ、と。

信憑性ある脅威とそうでない脅威をどうやって区別するか

 しかしながら、こうした予防原則の使いかたには批判がある。すなわち、脅威に信憑性があることは、むしろ予防原則の適用条件の中に組みこまれなければならない、という批判だ。そうしなくては、脅威なるものは最悪のシナリオによって人を脅す口実以上のものではなくなってしまうだろう。

 したがって、研究の悪用の脅威に信憑性があるのはどのような場合なのかについて、一定の基準を立てる必要がある。このことは、生命科学分野におけるデュアルユース研究では特に必要だ。というのも、生命科学者自身は安全保障環境にかんする情報を欠いており、自前でリスクアセスメントをする能力に限界があるからだ。そこで、科学者に課せられる予防の責任は、安全保障コミュニティ当局によるリスクアセスメントを踏まえたものでなければならない。

予防(Precaution)と防止(Prevention)の区別

 現在の議論では、生命科学者には生物兵器の拡散や悪用を「防止する」責任があるともっぱら言われる。しかしながら、責任にかんする理解を科学者により深めてもらうためには、「防止」と「予防」を区別することが重要だ。

 「防止」は、予想される脅威についての情報や知識があり、それを回避する具体的なアプローチが可能であることを含意する。他方で「予防」は、脅威にかんする不確実性を許容するものであり、より一般的な対策を求める。生命科学者に求められているのは、より正確に言えば、「防止」ではなく「予防」である。

不確実性

 ハザードやリスクを同定し評価すること自体にも科学的不確実性がある。したがって、安全保障リスクを評価して合理的な選択をするいかなるシステムも、この科学的不確実性に対処する戦略を備えなければならない。まさにそうした戦略を予防原則は与えるものであり、広範な科学的証拠を必要とする伝統的なリスクマネジメント戦略を補完するものだと捉えられている。

 しかし、予防原則が科学的不確実性に対処する有効な戦略だという点に反対する人もいる。以下では、3つの主要な異議を検討しよう。

予防原則に対する異議

予防原則は科学の発展を抑え込む

 予防原則は過度にリスク回避的なアプローチにつながり、重要な公衆衛生研究の発展を妨げると言われてきた。特に予防原則を強く解釈する人は、この原則に従うと我々は何もできなくなってしまうと批判する。
 
 しかし予防原則の擁護者は、予防が必要なのはあくまで、具体的なハザードの可能性についてある程度の証拠がある場合に限ると認めている。こうした「より柔軟な」解釈は、生命科学分野の研究者の責任にかんする上の〔(信憑性に関する部分)〕指摘とも整合する。すなわち、研究者が知識・情報の拡散を制限する義務があるのは、その知識が悪用されると考えるのに合理的な根拠がある場合に限られる。
 
 また、予防的行動は必ずしも法や規制の樹立を意味しない。研究者の意識を高めるための自主的な行動規範を作ることもできる。さらに、予防原則は研究のスピードを緩めるかもしれないが、それは新しい展開や技術を必ずしも妨げない(Grandjean, 2004) 。加えて、仮に研究が妨げられるにしても、それは道徳的に正当化される、と論じることもできる。予防原則の強みは、科学の社会における役割は何か、科学の発展がどこへ向かうべきか、その発展は十分な情報に基づく選択によって正当化できるか、といった点に反省をもたらすところにある。

予防原則は実践的な応用可能性を欠く

 予防原則は予防のために何をすべきかなのかを具体的に指定しておらず、実際的に機能しないという批判もある。

 しかし、そもそも多くの道徳原理は具体的に何をすべきかを指定するものではない。

 さらに、具体性を欠くというのは、柔軟性という利点だとも考えられる。あまりに狭く解釈されている原理は固定的な命令に転化し、それさえ守っていれば良いと反省を放棄する態度を醸成する危険性がある。予防原則は、解釈、洗練、経験に基づいてより精密で実践的なものになっていくポテンシャルを持っていると言える。

予防原則は十分定義されておらず曖昧である

 予防原則は十分定義されて(well-defined)いないという批判がある。この指摘はその通りだ。しかしこのことは、デュアルユースという文脈における予防原則も曖昧であることを必ずしも意味しない。予防原則の曖昧さは、この原理を政策決定の基盤や法的原理として用いる場合にはやはり問題になりうるだろう。しかし本論のように、責任ある研究実践を導く道徳的手引きとして予防原則を考える場合、曖昧さはそれほど問題にならない。

 予防原則の曖昧さは、問題となる脅威の不確実性や未定義にも由来する。デュアルユースの場合も、脅威の信憑性や悪用が起こる確率を決定するのは難しい。ここで、こうしたリスクの評価は研究者には不可能なのだから、研究の想定されない応用に対して責任を持ちようがない、と論じる人がいるかもしれない。しかしこれに対して予防原則の観点からは、無知を減らす努力をしないことが非難に値すると言うことができる(「責められるべき無知」(culpable ignorance))。すなわち研究者には、安全保障に関する懸念を意識し、関連する知識を集める責任がある。

結論

 以上の議論を踏まえて、生命科学のデュアルユース研究について次のような予防原則の定式化を提案する。

 生命科学において、正統な意図で〔取得・開発等された〕生体物質、技術、知識が、人類の健康と安全を害する脅威をもたらす深刻かつ信憑性ある懸念が存在している場合、科学界はその懸念に対応するための予防的措置を策定、実施、遵守する義務がある。(p. 8)

 生命科学分野で予防原則が成功するかは、先に挙げた4つの基本特徴にかかっている。予防原則の適用条件となる「脅威」と「不確実性」については、脅威の信憑性や有害な帰結を予見可能にするための情報の入手可能性が重要になる。また「規範」と「行為」については、柔軟性と具体性のバランスを達成する必要がある。

 加えて、予防原則の成功は次のような構造的要因にも依存している。すなわち、懸念事項を報告するシステム、「内部告発者」の保護、ピアレビュー、安全保障その他の関連領域当局からの情報の入手しやすさ、などだ。また、責任の所在が研究者個人にあるのか科学コミュニティにあるかも重要な問題であり、これは状況によって異なるだろう。

 最後に、予防は必要に応じて様々な程度を許すことを確認したい。警戒度が低いほとんどの場合、予防原則は研究者の意識を向上させる働きをするにすぎない。警戒度が高い場合には、危険な生体物質や技術に携わる少数の科学者に、より慎重な行動が求められる。

 深刻な脅威やリスクに関する不確実性が存在し、他のアプローチでは懸念が現実化しないことを願うことしかできないときに、予防原則はそれに対処する、少なくとも対処しようとすることができる。








 

カール・フォークトの生涯と著作 Gregory (1977)

【目次】

誕生〜学生時代(1817–1839)

ギーセン

 カール・フォークトは1817年ギーセン生まれ。1833年にギーセン大学に進学して医学を志し、同大の医学部に属す父が私的に開いた解剖学講義の中でゲオルク・ビューヒナーと知り合う。1834年、リービヒの実験科学講義に参加し、化学の才能を現す。

 同34年、リベラル派だった父がフランクフルト議会占拠未遂事件(33年)への関与からギーセン大を解職、ベルン大医学部に請われたため家族はスイスへ移住する。フォークトは一人でギーセンに残って勉学を続けた。積極的に参加はしていなかったが急進的な学生団体にも加入しており、活動的な学生を警察から匿ったとして35年に大学から追放、各地を転々として逃亡したのち、ベルンで家族に合流した。

ベルン

 1834年に新設されたベルン大学は、国からの賛同を得られず州が独自に設立した大学で、多くの外国人教師が招かれて自由な雰囲気が支配していた。ただし実験器具や指導者の不足から、フォークトは化学を続けることはできなかった。その代わり、ブレスラウから来た生理学教授ヴァレンティン(G. Valentin)のもとで解剖学・生理学・動物学を学ぶことにし、39年には医学部の博士課程を無事取得する。

 その少し前、逃亡学生の避難所となっていたフォークト家に、ギーセンからエドゥアルト・デゾール(Eduard Desor)が来ていた。デゾールは以前はパリで翻訳の仕事をしており、地質学や古生物学に関心を持っていた。その折、ヌーシャテル大へ戻る途中だったルイ・アガシがベルンに立ち寄り、語学の堪能な助手が必要だとフォークト父に相談する。父はデゾールを推薦すると同時に、博士号を取ったらフォークトも一緒に働けるように取り計らっていた。

ヌーシャテル:アガシとの研究(1839–1844)

研究成果をめぐる軋轢

 こうして1839年からの5年間、フォークトはヌーシャテル大のアガシのもとで研究を行なった。2人の間には、研究成果の出版の仕方をめぐって軋轢があったようだ。リービヒのもとでフォークトが学んだやりかたは、学生が書いたものは学生の単著として印刷するというものだった。他方でアガシは、学生の研究成果を自分のもののように扱うことをいとわなかった。具体的には、アガシの『魚類化石の研究』(1833-44)において、自分の仕事がアガシの名前で出版されていることがフォークトには不満だった。同様の不満はデゾールにもあり、これはのちに訴訟に発展した。

氷河

 ともあれ、摩擦が限界に達するまでには時間があった。1840年にはアガシの代弁者として氷河説を擁護する講演を行い、その後フォン・ブーフとの論争を戦った。アガシは自ら氷河説を擁護することでフンボルトら高名な科学者と正面衝突することを避けたかったのだ。また1842年には『山の中、氷河の上』(Im Gebirg und auf den Gletschern)を初めての単著として出版した。これはヌーシャテル大のグループがスイスの氷河を探検した時の記録である。

 こうした探検には大きな費用がかかるためにアガシは常に困窮しており、金銭面での魅力もあって、1846年にハーバードに渡ることになった。渡米にあたってアガシはフォークトを同行させなかったが、これは上述の出版の問題に加え、アガシの信仰心が増してきたことで、二人の関係が悪化していたからだとフォークトは述べている。

パリ時代(1844–47)〜ギーセン大着任(1847)

 アガシがすでに渡米を決めていたので、フォークトは1844年にはヌーシャテルを離れてパリに向かった。パリ到着ほどなく、コレラにかかったとされるバクーニンを助ける(消化不良だった)という一幕があり、友情を結ぶ。パリでは科学記者として働き、アカデミーへの出席、講義の聴講(特に、高等鉱業学校でのエリー・ド・ボーモンの講義)、友人たちとの調査旅行などを行なった。この時期に得たAllgemeine Zeitung紙との知遇は『生理学書簡』(Physiologische Briefe, 1847)に、聴講経験は『地質学・岩石学教科書』(Lehrbuch der Geologie und Petrefactenkunde, 1846)に、研究旅行は『大洋と地中海』(Ocean und Mittelmeer, 1848)にそれぞれ結実する。

 パリ時代のフォークトを研究したヘルマン・ミステリは、パリ到着時のフォークトは政治的革新派でも科学的唯物論者でもなく、パリでの経験によって徐々に急進化していったと主張した(Misteli 1938)。以下ではこの時代のフォークトの著作を検討し、最後にミステリの主張を評価しよう。

『地質学・岩石学教科書』(1846)

 本書は基本的にはド・ボーモンの見解を踏襲したものだが、氷河の問題についてはヌーシャテル大の見解を取っている。当時のパリの地質学サークルの大きな関心は激変説の当否にあり、フォークトもこの論争をAllgemeine Zeitung紙への寄稿で伝えるとともに、自身では激変説を擁護していた。フォークトの激変説にはアガシの影響が色濃い〔つまり、急激な気温低下に訴えるものだ〕が、アガシが激変説に付していた宗教的意味合いはフォークトにはまったく伝わらなかった。『教科書』に曰く、「有機体の漸次的な完全化、すなわち不完全なタイプが次々と破滅してより完全なタイプが現れてくるというのは、人格的な創造主の存在にむしろ反対する最大の証拠のように思われる」。ただし、信仰者に対する態度は後に比べればはるかに寛容で、創造主の仮定を認めたい人は認めれば良いとも述べている。

『生理学書簡』(1845–47)

 本書は45年・46年・47年に書かれた3セットの書簡群から構成される。ヘルマン・ミステリの解釈では、この3年の過程の中でフォークトは徐々に唯物論へ傾倒していったが、47年時点でもまだ唯物論的世界観を完全には受容していない(Misteli 1938)。この解釈は、以下のような論理によっている。唯物論的世界観の完全な受容は、決定論的枠組みの採用を意味するはずだ。しかし決定論的枠組みは、政治的な急進主義を正当化する根拠を掘り崩してしまう(これこそ、マルクスが弁証法的唯物論によって乗り越えようとしたジレンマだった)。フォークトはたしかに一方で、フランスの唯物論の影響を受け唯物論に傾倒していった(『生理学書簡』)。しかし同時に、パリや研究旅行先でバクーニン、ヘルゼン、ヘルヴェークらの影響を受け、政治的左派にも関与していった〔。そしてこの後者の側面が残っている限り、唯物論的世界観の完全な受容には至っていない、というのがミステリの議論である〕。この相反する2側面は、しかし既成の規範に激しく反対するという点で共通している。この革命のレトリックによって、フォークトはあたかも一つの統一的立場を取っているように自らを欺くことができた。

 では書簡の内容に立ち入って、唯物論がどのように現れているかを見てみよう。45年の書簡群では、唯物論的な部分は2箇所しかない。第一の箇所では、有機体は無機物の中にある力を特殊な形で使用するものに過ぎず、別種の特殊な力を展開するものではないとされている。第二の箇所ではよりはっきりと、生気を信じている人を非難している。46年の書簡群はより大胆になっており、カバニスの主張を修正した有名な喩えが出てくるのもここだ。曰く、「わずかでも一貫した思考をする自然科学者なら、精神活動という言葉で理解されるすべての能力は、脳という物質の機能に過ぎないという見解に達すると思う。あるいは少し乱暴に言えば、思考と脳の関係は、胆汁と肝臓の関係、尿と腎臓の関係に等しい」。この乱暴な発言は、唯物論の反対者はもちろん、ビューヒナーからさえ批判された。最後の47年に書簡群では唯物論的主張はさらに多くなっている。

 これらの書簡はあくまで生理学の普及のために書かれたもので、哲学な分析を行うものではなかった。フォークトはむしろ哲学を毛嫌いしていた。フォークトはあくまで自然科学の世界の住人であり、その聴衆は民衆だった。実際、フォークトはこの本(の悪評)によって民衆に知られるようになっていった。

『大洋と地中海』(1848)とギーセン大学就任演説(1847)

 パリ時代、フォークトは2回の研究旅行を行っている。一回目は1845年の8〜9月、バクーニンとヘルヴェークと共にブルターニュとノルマンディーの海岸を訪れ、海辺の下等動物の研究を行った。二回目は1846年12月〜47年3月、ヘルヴェークとともに今度は地中海を目的としてニースまで行った。道中ジェノヴァでは民主主義の指導者ジェームズ・ファジ(James Fazy)とも出会っている。帰路、リービヒからの手紙によりギーセン大に新設された動物学のポストに招かれたため、同年4月には12年ぶりに故郷に戻ることになる。

 2回の研究旅行から生まれた著作が『大洋と地中海』(1848)だ。この著作は特に唯物論的なものではなく、その強調点はむしろ「新しい科学」にあった。生理学はいま転換点にあるとフォークトは考えており、化学と物理学を生理学に合流させることが必要だと説く。そして、そうした改革への情熱を科学界の老害たちは邪魔していると怒りの声を上げる。フォークトは、自身がプロの研究の世界、とくにフランスの科学界の中に入り込めないことに憤っていた。曰く、自然の中では老いたものは当然動けなくなるが、人間について同じことを指摘するとなぜか反対の声が上がるのである。

 こうした、人間にかんする推論のために自然を利用するという手法は、政治的目的のためにはさらに大々的に使われた。フォークトがこうした手法を徐々に発展させていったことは、45年に書かれた『大洋と地中海』一巻と、47年に書かれた二巻を比べればはっきりわかる。第一巻では、共産主義は自然の秩序に基づくとするバクーニンの説がアイロニカルに紹介されていたが、二巻では、自然を支配階級になぞらえ、自らを「科学の自由なプロレタリアン」と称するに至っている。

 1847年春、ギーセン大に着任したフォークトは就任演説を行ったが、そこではよりはっきりと、革命的イデオロギーを正当化するために自然が持ち出されている。すなわちその結論部は、ビュフォン、キュビエ、フォン・ブーフ、ド・ボーモンといった激変説の支持者を引き合いに出しながら、一つの段階から次の段階への移行は革命によって生じるとしている。曰く「革命の原理は、無機的自然においても有機的自然においても、あらゆる発展に共通である」。

 同年秋、フォークトは『大洋と地中海』の序文を書いた。その中でフォークトは、自らが唯物論者であると明言し、唯物論は生理学の不可避の、そして不幸な結果だと述べている。このように、フォークトはパリ時代の終わり、つまり1848年以前の段階で唯物論を確立している。後の科学的唯物論の批判者は、科学的唯物論の運動は1848年以降の反動の時代の産物と評したが、フォークトに関してはこの見方は一面的である。フォークトは唯物論に傾くのと同時に革命的な政治変革にも向かい、かつ、そうした革命は科学によっても支持されうると考えるようになっていった。

 上述したように、ヘルマン・ミステリの解釈では、唯物論と政治的急進主義は互いに矛盾する。したがって、このあとフォークトが最終的に大学に落ち着く1852年までは、フォークトは唯物論を完全には受容していないとミステリは主張している。しかしこうした主張は、唯物論に、そしてフォークトに多くのものを求めすぎている。唯物論はもっとルーズなものだったし、フォークトは哲学者ではなかった。フォークトはやはり『生理学書簡』最終巻の時点ではすでに唯物論者だったのである。

48年革命とニース滞在(1850–51)

革命と挫折

 政治的に急進的なフォークトはギーセン大当局には不評だったが、学生の人気は高かった。48年革命時には、ギーセンの代表としてフランクフルト国民議会の選挙に出馬し当選、活発に活動した。しかし議会の頓挫を受けてシュトゥットガルトに逃亡、今度は当地のランプ議会のリーダーの一人となったが、これも結局は崩壊した。

ニースへ

 こうして再びドイツを追われ職を失ったフォークトは、一旦ベルンの実家に戻って左派の活動に関与したのち、50年秋には研究のために2度目のニース滞在を行う。この時期に書かれた『動物国家の研究』(Untersuchungen uber die Thierstaaten, 1851)はアナーキズム擁護の著作で、特にドイツの大学システムに厳しい。革命鎮圧後の本書では、唯物論的な決定論は公然と主張されている。またベルンに戻ったときから取り組んでいた、チェンバーズ『創造の自然史の痕跡』(Vestiges of the Natural History of Creation, 1844) の独訳が出版された (1851)。本の内容というよりは、英国で大きな反感と騒動をもたらした点に共感したようだ。さらに科学研究にも戻り、イカの交尾の仕組みを解明している。

 加えて、Gegenwart紙へ生理学に関する長編の記事を寄稿した。この記事では生理学が、物理科学の助けを借りながら、迷信的視点からいかに解放されてきたかが語られている。また、生理学の応用としての栄養科学にも注目しており、その議論は、影響関係は不明だが、モレショットのそれと酷似している。ジャガイモを単体で食べると気力が衰えるので豆を食べろというアドバイスも共通だ。

『動物学書簡』(1851)

 さらに同時期には、唯物論的な一般向け生物科学本を2冊公刊している。一冊目は、2巻1359ページの大著『動物学書簡』(Zoologische Briefe, 1851)。フォークトは本書で比較解剖学、比較生理学、自然史、古生物学、動物地理学などの新知識を相互に関連づけることを狙っており、内容の9割以上が様々な動物の純粋な記述にあてられている。ただし、ドイツの大学への批判や、革命が科学に与える影響に触れることも忘れてはいない。すなわちフランス革命がキュヴィエを助けたように、48年革命は新しい動物学を加速させるだろう。

『図解動物誌』(1852)

 翌1852年の『図解動物誌』(Bilder aus dem Thierleben, 1852)は、ニースでの自身の研究・経験に基づいたよりインフォーマルな著作だ。本書は科学の大衆化だけでなく、科学界から教会や国家といった権威への服従を取り除くことをも目的としている。マグロの習性や海洋生物の生殖、海の絶滅動物などの紹介の中に、無からの創造への批判が組み込まれているという具合だ。フォークトは、創造主を信じている科学者の代表例としてゲッティンゲン大学のルドルフ・ヴァーグナー(Rudolph Wagner)の名を挙げた。本書の一部の節は、ワーグナーが以前にAllgemeine Zeitung紙に書いていた記事への応答であり、これは2人の論争の第一ラウンドを締めくくりつつ今後の展開を暗示するものになっている。

ジュネーヴ大着任と唯物論論争(1852–1858)

 1852年、ジュネーブ大から植物学の教授ポストを打診され、専門外だとして断ったが、大学側の粘りもあって、結局同大の地質学・古生物学の教授に着任した。フォークトはこの先ジュネーヴで一生を過ごすことになる。

 『図解』出版後、ヴァーグナーがAllgemeine Zeitung紙に書く反唯物論的な記事は、その矛先をフォークトに集中させてきた。ヴァーグナーはフォークトの誤りをその政治的見解に求め、フォークト自身の『生理学書簡』やロッツェの『医学的生理学』を参照しながらフォークトの唯物論的意識理解を攻撃し、さらにはこれ以上反論する価値がないと宣言した。フォークトの側もAllgemeine Zeitung紙に反論を送ったが、一部しか紙面に掲載されなかったこともあり、事態は一旦沈静化した。

ヴァーグナーの講演

 しかし1854年秋、ゲッティンゲンで開催されたドイツ科学者・医学者協会の大会で、ヴァーグナーは「人類の起源と霊的実体」と題する公演を行う。ここでヴァーグナーは、全人類が単一の祖先に由来することや、人間の霊魂が不死であることを主張し、一方でこれらの主張は自然科学では証明も反証もできないとしつつも、他方でこれらの主張は自然科学とは整合的だとした。フォークトによると、ヴァーグナーは仮病を使って、フォークトがいない時間と場所を狙って講演を行なったらしい(ヴァーグナーは否定している)。

 大会直前、フォークトはAllgemeine Zeitung紙への通信の中でヴァーグナーの『神経学研究』(Neurologische Untersuchungen, 1854)の一節を引用し、その箇所は自滅的だと指摘していた。すなわちそこでヴァーグナーは、生理学では霊魂を仮定する必要はなく、霊魂が必要なのは道徳的世界秩序の中だと述べていたのだ。こうした「二重帳簿」的なアプローチには、フォークトのようなリベラル派だけでなく保守派からも批判があった。これに対して自説を擁護するためにヴァーグナーはパンフレット『知と信』(Ueber Wissen und Glauben, 1854)をすぐさま公刊した。

『盲信と学問』(1855)

 こうしたヴァーグナーの動きに堪忍袋の尾が切れたフォークトは、1855年1月に『盲信と学問』(Köhlerglaube und Wissenschaft)を出版、第一部の大半でヴァーグナーの能力に対する悪意ある個人攻撃を公然と展開した。人類の単一起源と霊魂不滅にも当然反対したが、自然的手段で知りえないものをことごとく否定したために、意識に関する認識論的難問を完全に無視することになってしまった。

論争の重要性

 フォークトとヴァーグナーとの論争はいくつかの点で非常に重要だった。第一に、フォークトはヴァーグナーという権威ある相手を引き出したことで、大きな注目を集めることができた。第二に、『盲信と学問』はその他の科学的唯物論者の著作と出版時期が重なっており、科学的唯物論勢力による正面攻撃の一環として機能した。第三に、心と身体の関係という古い問題が、もはや無視も独断的回答も許されないかたちで噴出した。

60年代の活動(1859–1869)

マルクスとの論争

 1859年、Allgemeine Zeitung紙は、フォークトがフランスから資金を得て反オーストリア活動を支援しているというロンドンからの情報を報じた。フォークトはこの情報は亡命中のマルクスの党によるものだと指摘、この疑惑をめぐってマルクスと論争になった(本書の第9章200頁以下参照)。

ダーウィンと『人間についての講義』(1863)

 1860年代初頭はフォークトにとって充実した時期だった。61年にはノルウェーを経由して北極圏を訪れることができた。科学方面では、ダーウィンの影響もあって古生物学や人類学に注力し、多くの論文のほか、ヌーシャテルでの公開講義を元にした最後の一般向け著作『人間についての講義』(Vorlesungen über den Menschen, 1863)を著した。この講義でフォークトは、ダーウィンの影響により、種の固定性と激変の重要性に関する見解を完全に変えた。この点で本書は、最初期の親ダーウィン的ドイツ語テキストの一つであり、さらに、ダーウィンのアイデアを人間に応用している点でもごく初期の試みである。

反軍国主義

 政治方面ではプロイセンの軍国主義に徹底的に反対し、大ドイツ主義者からの反感を買った。曰く、「前代未聞の野蛮の時代である」。フォークトはとにかく戦争嫌いで、70年にビスマルクがフランスに勝利した時にもその姿勢を崩さず、アルザスの併合にも反対、フランスは侵略国ではなかったと公言し、ドイツ軍を嘲笑する詩を書くなどして、ドイツ人の激しい怒りを買うことになった。

フィルヒョウ・マイヤーとの衝突

 60年代にも他の科学者との論争はなくならず、ドイツの著名な科学者であったフィルヒョウやマイヤーと小競り合いをすることになる。フィルヒョウとのあいだで問題となったのは、小頭症の扱いだった。フォークトは、胚の発達が途中で妨げられることで、猿と人間の以降的状態に留まったものが小頭症だというアイデアを、『講義』で述べていた。これに対しフィルヒョウは、小頭症はそうした先祖返り的状態ではなくて、病理的なものだと反論した。この反論およびチュービンゲンの解剖学者ルシュカ(Hubert Luschka)の研究を受けて、フォークトは1872年には自説を撤回した。

 マイヤーとの衝突はやはり科学と宗教を巡るものだった。1869年秋にインスブルックで開催されたドイツ科学者・医学者協会の大会で、マイヤーは脳と心を同一視する見解に反対し、精神は物理学者や解剖学者の研究対象ではないとした。そして、主観的世界と客観的世界の間には神が打ち立てた永遠の調和があるという言葉で公演を締めくくった。大会に参加していたフォークトは後日その様子を新聞記事にまとめたが、マイヤーの講演には明晰さと論理性が欠けるなどと厳しく批判した。

晩年(1870–1895)

リベラル・人道主義者として

 1870年ごろから、フォークトは元来のドイツ的なリベラル、人道主義者としての側面をあからさまにしていった。スイスではすでに50年代から政治家として活動を始め、60年代初頭に中断していたが、70年代には再びジュネーヴ州の大会議や全州議会(上院)に参加、70年代後半から80年代にかけては国民議会(下院)にも参加した。無政府主義者として政治的には独自の立場にあったが、ドイツ自由党にもっとも馴染んでいた。

 前述した反軍国主義に加え、晩年にはトライチュケおよび反ユダヤ主義に対しても声高に反対した。人道主義者としては、科学界の視点から社会を批判した。国家的紛争に対する科学の中立性を擁護し、1871年にボローニャで行われた国際会議では各国の調整役を果たした。英国での反生体解剖法の復活に反対し、ロマン主義に傾くドイツの大学生に対して科学教育の重要性を訴えた。また個人的なレベルでは、信仰を持つよう促す手紙も丁重に断っていた。

80年代の活動

 1880年代にもフォークトは旅をし、論文を発表し、翻訳をし、他の人と協力して科学書を書き続けた。82年にはレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエに叙せられた。87年に70歳になってからは小説でドイツ社会を批判するようになり、3つの作品を残した。

 最晩年には再び科学研究に戻った。「私は魚ではじめ、魚で終わるでしょう」。

 1895年5月5日、カール・フォークトはジュネーヴに77歳で没した。多くの科学者と文通した生涯だったが、その中には意外にも家族についての言及がほとんどない。エンゲルスがマルクスに宛てた手紙によれば、労働者の友・貴族の敵だったフォークトも、農民の女中だった妻との階級差を克服できなかった、とされている。玄関先まで困難に取り巻かれた人生であった。

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人種について(フンボルト『コスモス』から) Humboldt (1846)[1849]

https://archive.org/details/cosmossketchofph01humbuoft/page/n5/mode/2up

  • Alexander von Humboldt (1849) Cosmos: A Sketch of a Physical Description of the Universe, vol. 1. Translated by E. C. Otté. London: Henry G. Bohn.

※小見出しおよび注はすべて要約者による

導入:人間の自然への依存

 [360-3] 自然の全体像は、人種の際立った特徴に触れないままでは不完全だ。すなわち、人種の身体的差異、その地理的分布、自然の力が人間に与える影響、その逆の影響、などを考察しなければならない。

 人間には精神活動、知的文化、高度な気候適応能力があるので、自然の諸力の支配から逃れやすい。しかしそれでも、人間は自らを取り囲む土壌や気象に依存し、地上生活と結び付けられている。このように人間は自然に依存しているために、[361-1] 自然的宇宙誌の範疇の中に人間の単一起源の問題が入ってくる。

 [361-2] また、言語の様々な構造には民族の運命が神秘的にも反映しており、従ってそれは諸人種の類縁関係とも密接に関連する。人種のわずかな違いが知的文化にも影響することは、ヘレニズム諸民族の歴史を見れば明らかである。

人種の単一性

極端な差異への注目

 [361-3] 人間の肌の色や形態の差異の極端な部分にのみ目を向ければ、諸人種(Racen/races)は単なる変種(Abarten/varieties)ではなく、そもそも異なる種(Menschenstämme/spiecies)なのだと考えたくなる。また、気候などが過酷な条件に置かれても人には変化しない特徴があり、それは元々そういう種だからだ、とも考えられる。

原注:タキトゥスは、ブリテン島の住人たちの特徴について、当地の気候に起因するものと遺伝に由来する不変なものを区別した(『アグリコラ』、11)*1。また、温暖地帯、寒冷地帯、新大陸の山岳地帯のそれぞれにおいて、人々の体型が変化しない点については、フンボルト自身のRelation Historique (1825) を参照 。

近年の研究:諸形態のグラデーション

 しかしながら、人種の単一説を支持するより強力な理由があると考えられる。例えば肌の色や頭蓋骨の形態について、数多くの中間的なグラデーションがあることが、[362-1] 近年の地理学的知識の急拡大や、雑種の生殖能力に関するより正確な観察からわかってきている(脳についてはFriedrich Tiedemann、骨盤についてはWillem Vrolikと〔Rudolf〕Wagnerの研究を参照)。

 例えば、肌の暗いアフリカの民族〔を特徴づけると思われていた〕黒い肌・ドレッドヘア・固有の相貌といった諸特徴は、南インド諸島や西オーストラリア諸島の民族やパプア族・アルフォルス族との比較によって、必ずしも互いに結びついた諸特徴ではないことがわかった。熱帯の暑さと黒い肌が切り離せないと思われていたのは、西洋が地球のごくわずかな部分しか知らなかったからなのだ。

 古代ギリシアの悲劇詩人ファセリスのテオデクテスは、エチオピア人は太陽神によって肌を黒くされ髪も乾燥していると述べていた。気候が人種に本当に影響するのかが初めて議論されるようになったのは、アレクサンダー大王の遠征によって自然地理学に関する様々なアイデアが生まれてからであった。

ミュラーの『人間生理学ハンドブック』から

 [363-1] 今日もっとも偉大な解剖学者であるミュラーは次のように述べている。

 動物や植物の集団(Geschlechter/families)は、その種(Art/race)や類(Gattung/spiecies)の固有の制約の中ではあるが、分布に応じて様々な変化を遂げ、種(Art/species)のなかの変種(Variation/variations)として、有機体の世代を超えて伝播していく[*]*2。現在の動物種(Racen/races)は、 [364-1] 内的および外的条件両方の影響によって生じたものであり、最も広く分布するものが最も多様な形態を持っている。諸人種(Menschenracen/races)もまた、単一の種(Art/species)の諸形態(Formen/forms)であって、一つの属(Genus/genus)における異なる種なのではない。なぜなら、異なる人種の交配による子孫は繁殖可能だからだ(第2巻 p. 768, 772–774)。

[*] 訳者注:実際、イギリスにおける現在の植物相は、気候変化に伴って徐々に形成されたものである。

兄フンボルト『人間の言語構造の相違について』から

 [364-2] また、諸人種のいわゆる「揺籃の地」に関する地理学的探求は、未だ純粋に神話的な性格を脱していない。兄フンボルトは次のように述べている。

 諸民族集団(Völkerhaufen/social groups)が元々あったのか後から形成されたのかを示す歴史的証拠はない。確かに、地球上の異なる場所における神話には関係が見られる。このことは、全人類はもともと一つだったと示唆するように思える。[365-1] しかし逆に、そうした神話は伝承や歴史に基づくのではなく、単に人間の表象様式の同一性に由来すると考えることもできる。また〔仮定される共通の〕神話は、人類の出現という出来事を、現在の人間の経験に沿うように説明しており、この点でもやはりこれは純粋な〔事実ではない〕神話にすぎないと思われる。すなわち人類の誕生は、無人島や人里離れた谷への植民のように語られているのだ。人は自らの種族(Geschlecht/race)および時代(Zeit)にあまりにも深く結びついているので、先行する世代や時代をもたない個人なるものを思考する(fassen/conceive)ことができない。したがって、人類の出現という問題について考えることは無駄である。

民族に依拠した人種分類

 [365-2] したがって、今日「人種」(Racen/race)という曖昧な言葉で呼ばれているものは変種(Abarten/varieties)であり、人類の分布は変種の分布にすぎない。

 動植物界に関しては、細かい集団への分類の方がその基盤がしっかりしている。そこで人類についても、小さな民族集団(Völkerfamilien/families of nations)の確立を根拠とした人種の決定が行われるべきだと考える。ブルーメンバッハの5分類*3やプリチャードの7分類*4は、各人種の定義がはっきりしておらず、確立された原理に基づいたものではない。確かに極端な形態や色は区別されているが、どこにも当てはまらない人種も存在している。また、地名や国名を分類名として使うと大きな曖昧さが生じてしまう。例えば、トゥーラーン(マー・ワラー・アンナフル)は、プリチャードの言うトゥーラーン族の語源となった地域だが、時代によってインド・ゲルマン族やフィン族が住んでいた。

原注:〔トゥーラーン地域について。〕ニーブールは、ヘロドトスやヒポクラテスの言う「スキタイ人」はモンゴル人だという仮説を立てた。しかし当時からスキタイにモンゴル人がいたのだとすると、トルコやモンゴルの部族たちがオクサス川〔=アムダリヤ川。トゥーラーンの南限〕やキルギス草原に到着したのは遅かったという事実との整合性がとりにくい。むしろ「スキタイ人」はインド=ヨーロッパ系のマッサゲタイを指している可能性が高い。当時モンゴル人(タタール人)はもっとアジアの東の方にいた。〔後略:同地域にフィン族が住んでいたことの説明〕

言語

 [366-2] 諸言語は、人間の精神的創造物であり、その精神の発展と密接に結びついている。諸言語は特定の民族的形態をとるので、[367-1] 民族の類似性や相違性を認識するために非常に重要である*5。この半世紀のドイツにおける哲学的言語学の進展によって、言語の民族的性格*6の研究は大きく促進された。しかし、すべての理念的思弁の領域同様、ここでもまた、豊かな収穫と欺瞞の危険は隣り合わせである。

 [367-2] 実証的な民族学研究が教えるように、諸民族やその言語の比較には細心の注意が必要である。[367-3] というのは、隷属、長期の交流、異国の宗教の影響、混血などが、ごく少数の影響力と教養のある移民のあいだで生じただけでも、両大陸において一様な新現象を生み出してしまうからだ(ある民族の中にまったく異なる種類の諸言語が導入されたり、異なる起源を持つ諸民族のなかに共通のルーツを持つ諸語彙が導入されたりする)。この種の現象は、アジアの征服者達によって頻繁に生じてきた。

 [367-3] それでも、言語はやはり精神の発展の歴史の一部分である。精神は自然的条件の影響から自らを解放しようとするが、完全に逃れることはできない。したがって、心の自然な能力には、なにがしか人種や気候の痕跡が残るものだ。そこで我々は、人種と言語の関係にかんする考察(現時点ではほのめかすだけだが)から生じるだろう明るい色彩を、この自然の全体像から奪うことはしなかった。自然世界と知性および感情の領域を密接につなぐ絆を無視したくはなかったからである。

人種に本性的な優劣はない

 [368-2] さて、我々は人間の種類の統一性を主張してきたが、同時に、本性的に高等/下等な人種があるという不愉快な想定に反対する。

原注:自由に対する人間の権利は平等ではなく奴隷制は自然な制度だという非常に軽薄かつ今日でもあまりに頻繁に聴かれる見解を最も体系的に展開したのは、大変残念ながら、アリストテレス『政治学』である(第一巻三、五、六章)。

 確かに、精神的な文化を通じてより高貴になった(veredelte)民族はある。しかし、高貴な民族(edleren Volksstämme)なるものは存在しない。すべての民族は等しく自由へと運命付けられて(bestimmt)いるのだ。〔この点について、兄フンボルトは次のように述べている〕。

 全歴史を通じて、その妥当性がますます明白になってきている観念が、人間性(Menschenlichkeit)だ。これはすなわち、あらゆる偏見や視野狭窄が人々のあいだに築いてしまった障壁を取り除き、宗教、国家、肌の色に関係なく、全人類を一つの共同体として、精神的な力を自由に発展させるという一つの目的をもった全体として扱おうとする努力である。これは社会の究極的・最高の目的であると共に、人間の心に自然が植え付けた方向性、すなわち自らの存在を無限に拡張しようとする方向性とも合致する。[369-1] 人間性という絆の承認は、人間の内なる本性に深く根ざし、人間の最高の努力によって自らに課せられることで、人類の歴史のもっとも高貴な指導原理の一つとなる。(カヴィ語研究第3巻426頁)

原注:同書からさらに引用:アレクサンダー大王、ローマ、メキシコ人、インカ人などによる征服は、諸民族の国際的合併をより拡大させた。こうした偉大で強力な人物や国家は〔人間性という〕一つの観念の影響下で行動していたのだが、その観念の純粋な形は理解されていなかった。〔その純粋な形、すなわち〕高貴な慈悲という真理を初めて広めたのはキリスト教だった。今日では文明化という考えはますます活気付いており、民族の交流や知的涵養を広げていこうという機運が高まっている。全人種を結びつけるのは、何よりも言語である。一見、諸言語はそれぞれに特異な性質によって諸民族を分離するかと思われるかもしれない。しかし、異言語を互いに理解し合うことこそ、個々の民族の特色を傷つけることなく、人々を結びつけるものなのである〔p. 427〕。

結び

 [369-2] 以上で、宇宙の自然現象の一般的記述の結びとしたい。ここまで我々は、一部の既知の法則にしたがって自然現象を整理してきた。しかし、より神秘的な別の法則が、有機的世界のより高次の領域を支配している。そこには、様々な人種、その創造的な知的能力、そして諸言語が含まれる。知性の領域が始まるところで自然画は終わり、そして我々の目には新たな精神の世界が飛び込んでくる。自然画はここに境界線を引き、それをまたがない。

*1:「それはさておき、ブリンタニアに始めから住んでいた人が、はたして、生え抜きの人であったか、あるいは、よそからやってきた人であるかは、このような蕃族にあっては、当然予想されるように、はっきりわからない。住民の体つきはさまざまである。そこからして、いろいろの結論が引き出せるだろう。/つまり、カレドニアに住む人たちは、燃えるがごとき金髪と、大柄な四肢を持っているが、これは、彼らの起源がゲルマーニアであることを、強く主張している。シルレス族は、黒ずんだ顔をして、たいてい髪は捲毛であり、しかも、その対岸にヒスパーニアが位していることなどから判断すれば、その昔、ヒスパーニア人が、海峡を渡って行き、現在のシルレス族の居住地を占領したのではないかと、信じられる。また、ブリタンニアでガッリアにいちばん接近している地方の住民たちは、やはりガッリア人に似ている。これは、遺伝の因子が、ずっと続いているためであろうか。あるいは、おそらく、土地が向き合って突き出ているため、気候が似ていて、両者の体質にこうした特徴が賦与されたものであろう。」(国原訳(『世界古典文学全集 22』)、三二九頁)

*2:ドイツ語原文によった

*3:Caucasian、Mongolian、American、Ethiopian、Malayan

*4:Iranian、Turanian、American、Hottentots〔南アフリカの民族、現在のコイコイ人〕、Bushmen〔南アフリカの民族、現在のサン人〕、Negroes、Papuas、Alfourous〔オーストラリア先住民〕

*5:ドイツ語原文によった

*6:兄フンボルトの「人間の言語構造の相違と、人類の精神的展開に及ぼすその影響について」(「カヴィ語研究序説」)への参照がある。亀山訳の該当ページは、pp. 23–24、p. 60、pp. 269–70。

動物の権利と避妊・去勢手術の整合性 Boonin (2003)

digitalcommons.calpoly.edu

  • Boonin, David (2011). Robbing PETA to Spay Paul: Do Animal Rights Include Reproductive Rights?, Between the Species, 13(3), Article 1.

 犬や猫は頭数過剰によって大きな苦しみを経験している。この問題を解決する方策の一つが、避妊・去勢手術だ。この対策は、厳密に功利主義的な視点からはまったく正当だ。しかし権利論的な観点ではどうだろうか。避妊・去勢手術は手術を受ける動物自身の利益になるわけではなく、あくまで他の動物の苦痛を減じるにすぎない。だが、「他の動物の利益のためにある動物にコストを課す」というのは、権利論が拒否する典型的な理屈ではないか? 少なくともリーガンが『動物の権利』で展開した権利論によれば、犬や猫に対する避妊・去勢手術は正当化できないと、本論文では結論する。なお著者はこの結論を歓迎するものではなく、この問題がさらに議論されることを望んでいる。

問題

 リーガンは、「生命の主体」である個体は全て「敬意ある処遇」(respectful teratment)を受ける権利を持つと主張している。「生命の主体」である個体とは、一定の心理物理的同一性を通時的に持つ個体であり、1歳以上の哺乳類はおおむねこの種の同一性を持つと考えられている。ある個体が「敬意ある処遇」を受ける権利を持つ場合、その個体を害することで全体としてより良い結果が得られる可能性が高いとしても、その個体を害することは正当化されない。

 では、避妊・去勢手術について考えてみよう。こうした手術が動物、例えば猫のフラッフィー(メス)に与える苦痛は決して瑣末なものではない。フラッフィーは獣医に連れて行かれ慣れない恐ろしい環境に晒され、手術中には痛みがあるか、死のリスクもある全身麻酔をかけられる。手術には感染症や大量出血による合併症のリスクがあり、術後には意識障害、吐き気、身体的不快感が長ければ数日続く。これと同等の質および量の苦痛が、仮にシャンプーやヘアスプレー開発のために動物に課せられるのであれば、それは権利の侵害であるとリーガンは間違いなく考えるだろう。たしかに手術は利益をもたらすが、それはフラッフィー自身を益するものではなく、全体的な苦痛が減るということでしかない。したがって、これはフラッフィーへの避妊手術を正当化する理由にはならない。以上の議論にどう反論すれば良いだろうか。

反論と欠点

パターナリズムによる反論

 一つの反論方法は、避妊手術はコストを上回る利益をフラッフィー自身へ与えると主張することだ。もしそうであれば、狂犬病の予防接種を正当化するのと同じように、避妊・去勢手術もパターナリズムの観点から正当化できるだろう。しかしこの反論には2種類の問題がある。

 最初の問題は、避妊・去勢手術に本当にそのような利益があるのかという点だ。避妊手術が当動物にあたえる利益の候補が二つある。最初の候補として、避妊手術によってメスの乳がんのリスクが低減する。しかしこの利益に訴えることには3点の問題がある。第一に、そもそも乳がんになるリスクは高くない。第二に、最初の発情前に手術を行わないとリスク削減効果は小さい。第三に、去勢手術にはこれに相当する利益がない。利益の第二の候補は、妊娠に伴う負担を取り除けるというものだ。しかしこれにも2点の問題がある。第一に、これもオスには相当する利益がない。第二に、限られた品種を除き、犬や猫が妊娠において大きな外傷を負うことを示す証拠はほぼない。以上を考慮すると、避妊・去勢手術のコストを利益が上回るのはごく限られた場合のみで、典型的な事例では避妊・去勢手術は正当化できないだろう。

 第二の問題はより理論的なものだ。この反論はあくまで「当動物への利益が危害を上回らない限り避妊・去勢手術は許されない」という主張に立脚している。しかしながらこの主張は、犬や猫の頭数過剰という状況を踏まえた時、「避妊・去勢手術は許されない」という単純な主張と同じくらい反直観的ではないだろうか。つまり、こうした状況で避妊・去勢手術を正当化する根拠は「他の多数の個体への危害を防げる」ことだというのが直観的主張なのであって、〔以上の反論はこの直観をうまくとりこめていない〕。

養育の限界による反論

 あなたはフラッフィー1匹を世話することはできるが、子供までは面倒を見きれないとする。かといって、生まれてしまった子猫に対して無責任な態度も取れないとする。この場合の選択は、(A)避妊手術をした上でフラッフィーを飼うか、(B)避妊手術をせずフラッフィーを路上に放置/保護施設に入れるか、になる。(A)のほうがフラッフィーにとって良いのは明らかなので、避妊手術をすることは許容される。このような反論が考えられる。

 この反論の第一の問題は、野生の犬・猫に対する避妊・去勢手術を全く正当化できない点にある。そして第二の問題として、この反論は次のような前提に基づいている。すなわち、「あなたの一連の行為((A))が、それをしない場合((B))よりも個体の状況を改善する場合、その一連の行為はその個体の権利を侵害していない」。しかしこの前提は誤りである。もしこれが正しければ、例えば野良犬を保護した人は、その犬の状況が路上生活時より悪化しない限りで、その犬に対して何をしても良いことになってしまう。

早期手術による反論

 リーガンは、敬意ある処遇を受ける権利を持つのは1歳以上の哺乳類だとしている。この点に注目し、次のように論じることができる。犬や猫は1歳より早期に安全な避妊・去勢手術をすることができる。したがってこうした早期手術であれば権利論の立場と整合的である、と。

 この反論にもいくつかの問題がある。まず、この理屈だと1歳以降の避妊・去勢手術は許されないことになるが、これは元の主張同様やはり反直観的である。またリーガンは、カエルを例に挙げながら、「生命の主体」であるか否か確信が持てない場合には「疑わしきは罰せず」の方針で行くべきだとも述べている。実際、例えば生後3ヶ月のフラッフィーに敬意ある処遇を受ける権利を認めないとすると、多くの人がとても認めないような〔ひどい〕ことも許容可能になってしまうだろう。

安楽死との類推からの反論

 重度の苦痛状態にあり治療不可能な一部の動物について、リーガンは安楽死を許容している。こうした状態に置かれた動物には「苦痛を取り除きたい」という選好があると考えられ、この選好を満たす唯一の方法がその動物を殺すことである場合、安楽死は敬意の原則に適っている、というのだ。これは「選好尊重安楽死」と呼ばれる。同じ理屈で、「選好尊重避妊手術」を考えることができるかもしれない。すなわち、頭数過剰という現状を仮にフラッフィーが理解していたら避妊手術を望むだろう、という前提のもと、その選好を満たすために避妊手術をすることは正当だ、とするのだ。

 しかしこの議論は受け入れがたい。まず、頭数過剰状況を知ったフラッフィーが何を望むかは明らかではない。また仮にフラッフィーが「自分を犠牲にして他者の苦痛を取り除きたい」と望んでいたとしても、この理屈ではあらゆる「選好尊重」行動が正当化されてしまう〔その中には、とても許容できないものもあるだろう〕。

不正に宿されない権利からの反論

 仮に、自分(人間)の産む子供は重度で治療不可な苦痛に常にさらされ数ヶ月しか生きられないとわかっている場合に、それでもなおあえて妊娠・出産する人がいた場合、これは不道徳的だと多くの人が考えるだろう。この点に注目し次のような反論を構成できる。まず、今あげた妊娠・出産の悪さを説明するのに、〔可能的な子供が持つ権利として〕「不正に宿されない権利」(right not to be wronglly conceived)を想定することができるかもしれない。仮にこの権利があるとすると、フラッフィーの事例は権利侵害が不可避な事例になるかもしれない。すなわち、避妊手術をすればフラッフィーの権利が侵害され、避妊手術をしなければ子猫の権利が侵害される。ところで、リーガンはこうした権利衝突時における行動の方針として、2つの原則を提示している。第一の原則「権利拒否最小化原則」は、権利侵害によって受ける不利益は全ての関係者で等しいという仮定のもとで、権利を拒否される個体を最小限にせよというもの。第二の原則「悪化原則」は、権利が侵害された場合の小集団Xの状態と権利が侵害された場合の大集団Yの状況を比較し、前者が後者よりも悪い状態に置かれてしまう場合には、大集団Yの方の権利を拒否せよ、というものだ。ここで避妊・去勢手術の事例に戻ろう。不正な妊娠による子への危害は避妊去勢手術による親への危害より大きいと仮定し、また犬や猫は1匹以上の子を産むと仮定しよう。この時、避妊・去勢手術を行わないという選択は2つの原則を両方とも破ることになっている。したがってこの場合、リーガンの権利論の元でも、避妊・去勢手術を行うことは正当化される。

 この議論にどう応じるべきか。もちろん「不正に宿されない権利」なるものを否定する道もあるが、これを認めたとしても、この反論には多くの問題がある。第一に、フラッフィーの子猫たちの生が、生まれない方が良いほどに悲惨だというのはありそうにない。第二に、仮に子猫の生がそこまで悲惨だと仮定しても、フラッフィーの権利を侵害せず問題を解決する方法がある。すなわち、子猫を生まれてすぐ/離乳してすぐに殺すという方法だ(この殺害は、「選好尊重安楽死」として正当化できるだろう)。第三に、避妊手術を行う場合にフラッフィーの権利を侵害するのは我々だが、避妊手術をしなかった場合に子猫の権利を侵害するのは我々ではない。なぜなら、我々が子猫を妊娠するわけではないからだ。したがって我々としては、避妊手術を行うべきではない。なお、子猫の権利を侵害するのはフラッフィーでもない。なぜならフラッフィーは道徳的主体(moral agent)ではないため、「権利侵害」に相当する行動はできないのだ(リーガンはこの点について、我々は羊を狼から守る義務はないと強調している)。したがって、「権利侵害者の手助けをしてはならない」という根拠から避妊手術を正当化することもできない。

獲得義務からの反論

 Evelyn Pluharは次のように論じている。確かに避妊・去勢手術は、動物の生に干渉してはならないという義務論的理念に抵触しているように見える。しかしながら、私たちは家畜化/飼いならし(domestication)への関与という形で、すでに動物に干渉してしまっている。この事実に加え、さらに動物を引き受けようという意思があるのであれば、それによって我々は相応の義務を獲得することになる。この観点からは、猫・犬やその子供を危険に晒したり、路上に置き去りにしたり、安楽死施設に捨てるなどということは「不干渉」では全くなく、無責任な態度なのだ。

 この議論は、伴侶動物に関してであれば、その安全・健康などを維持する義務の存在を説得的に支持している。しかし、避妊・去勢手術の義務に関してはうまくいかない。というのもこの議論は、「もともと「許容可能だが義務ではない」行為がどのように義務的行為になるのか」を示すものであって、「もともと許容不可能な行為がどのように許容可能になるのか」を示すものではないからだ。第三世界の子供のために薬を買うことは許容可能だが義務ではない。しかしその子供を養子として迎え入れたのであれば、薬を買うことは義務である。これは確かに説得的だ。しかし、第三世界の子供に避妊手術することが許されないのであれば、その子供を養子として迎え入れたとしても、その行為はやはり許されないだろう。またPluharは、「人間の親が12歳の娘の妊娠を阻止する」という事例と、「飼い主が猫の避妊手術をする」という事例を類比的に論じている。しかし、前者が正当なのは当人に危害が及ぶというパターナリスティックな根拠によるのであり、後者にはすでに論じたようにそうしたパターナリスティックな正当化はできない。

まとめと今後の方向性

 リーガンの立場は、少なくとも典型的な事例では、犬や猫に対する避妊・去勢手術を正当化しない。この主張に対する反論を検討したが、そのどれもうまくいっていなかった。では、ここで我々はどうするべきなのか。3つの選択肢がある。

 第一は、この結論を受け入れるというものだ。この時、リーガンのようなタイプの権利論の支持者は、動物の権利論に避妊・去勢手術に反対するべきである。第二は、以上の議論を義務論的アプローチに対する帰謬法として受け取るというものだ。功利主義的アプローチであれば避妊・去勢手術は簡単に正当化できる。このことは、義務論的アプローチより功利主義的アプローチの方が優れていると考える理由となりうる。第三は、権利ベースのアプローチを修正すべきだと考えるものだ。著者としてはこの方向性を最も望んでいる。

修正の方向性を簡単に述べる。次の事例を考えよ。悪気のない(innocent)赤子が知らず爆弾のボタンを踏みそうになっており、それが爆発するとあなたは必ず死ぬ、止める方法は赤子を殺すしかない。この時、赤子には悪気はないとしても、それでもあなたが赤子を殺すことを多くの人は許容可能だとするだろう。同じことは赤子が犬であった場合にも言える。このことを説明するのに、次の要因に訴えることができるかもしれない。「この赤子/犬は、仮にボタンを踏むことの結果を理解できる道徳的主体であったならば許されないような行為をしている」。この要因が成立している場合、赤子/動物の(悪意ない)行為が他者に生じさせる危害と、それを防ぐために赤子/動物自身に課される危害が釣り合っている限りで、赤子/動物に危害を加えて他者への危害を阻止することは許される。このことからの類推で、我々には動物を避妊・去勢する権利があると言えるかもしれない。こうした議論の方向性は避妊去勢手術以外の事例に関する考察に動機づけられており、リーガンの立場を場当たり的に制限したものではない。

 以上の修正案はまだまだ暫定的だが、その他の選択肢より尤もらしいことを示せていればと思う。もし示せていない場合、本論文の議論が間違っていることを願う他ない。

二重過程理論と単一過程理論の論争の不毛さについて De Neys (2021)

journals.sagepub.com

  • De Neys W. (2021), On Dual- and Single-Process Models of Thinking. Perspectives on Psychological Science.

 明らかな事実として、思考には簡単なものと難しいものがある。このことを説明するのに、人間の心には二種類の質的に異なる心理過程(直観・熟慮)があるとするのが「二重過程モデル」だ。このモデルは極めて人気が高いが、批判もある。批判者は、二つの思考過程の違いは単なる程度の違いだとする「単一過程モデル」を支持する。2つのモデルの争いは長年続けられてきた。

 この状況に対し、本論文は2つのことを主張する。第一に、目下のところ、論争を決着させるような経験的データや理論的原理は存在しない。第二に、仮にこの論争が決着したとしても、それは思考の基盤となる心理処理メカニズムの理解に寄与しない。結論として、経験科学者がこの論争をこれ以上続けることは不毛である。

事前の注意

  • 【二重と多重】

 本論文では「二重過程」という語を使うが、議論は2つ以上の思考過程をおくモデル(多重過程モデル)全てに当てはまる。

  • 【プロセスとシステム】

 二重「プロセス(過程)」と二重「システム」という語を、モデルのスコープの広さ(特殊/一般)に応じて使い分ける人がいる。しかし本論文の議論はどちらのスコープのモデルにも当てはまるので、ここでは両表現を互換的に用いる。

 なお、「二重システム」と呼ばれる見解の中には、直観/熟慮のもつ様々な特徴(早い・楽..../遅い・努力を要する....)は全て共起すると考えるものがある。これは特に「完全連携型」(parfect-alignment)二重過程モデルと呼ぶことにする。

  • 【モデル、理論、フレームワーク、説(view)】

 全て互換的に用いる

  • 【一般的モデル】

 二重過程モデルの具体的な形は主唱者によってかなり異なる。しかし論争の際には、二重過程モデルの支持者も批判者も、なんらかの一般的モデルを想定して話をする傾向があり、これは藁人形論法になっている可能性がある。本論文における「二重過程モデル」は、そうした一般的モデルを指すのではなく、直観的思考と熟慮的思考に質的違いを認めるあらゆるモデルを指す。話がより細かくなる場合は、誰のモデルを念頭にしているか明示する。 

  • 【検討範囲】

 この論文では、思考に関する二重過程モデルのみを扱う。記憶や学習などは直接には取り扱わない。

第1部 両モデルに関する議論

1. 特徴の連携

 二重過程理論は、各過程が持つとされる様々な特徴を列挙した表と共に導入されがちである。実際、そこで提示される特徴の多くが相関しているというのは確かだ。しかしより極端に、これらの特徴は必ず共起すると主張される場合がある。そしてこうした特徴間の完全な連携が、2つの過程に質的な違いがあることの証拠として用いられる(完全連携型二重過程モデル)。

 しかし、完全連携型二重過程モデルには多くの点で問題がある。第一に、特徴の連携は、両過程の質的相違を必ずしも意味しない。逆に、特徴が連携していないからといって、両過程が質的に同じだとも限らない。二重過程モデルは2つの過程が質的に違うと言えればいいのだから、何らかの一次元での質的違いがあればそれで十分である(Evans & Stanovich, 2013; Pennycook et al., 2018)。つまり、連携の問題は過程数の問題とは独立である。

 第二に、特徴間の完全連携は多くの経験的証拠に反している。例えば孵化効果(Wallas 1926)は楽だが時間がかかる思考過程であり、努力と速さが必ずしも相関しないことを示す。また、合理化(Evans & Wason 1976)が示すように、熟慮と正確性は必ずしも相関しない。こうした非連携はこれまでも数多く指摘されてきた。

 ただし特徴の非連携は、二重過程モデルそのものを否定する材料にはならない。二重過程モデルの批判者はしばしばそのように論じてきたが(Keren & Schul 2009; Melnikoff & Bargh 2018; Osman 2004, 2018)、そこでは極端な完全連携型モデルと二重過程モデルそのものが同一視されてしまっている。上述したように、二重過程モデルに特徴の連携は必要ないのだから、連携のありかたを経験的に観察しても論争に決着はつかない。

2. 定義的特徴

 近年の二重過程理論家は完全連携を明確に否定し、二重過程理論はあくまで一つの特徴にかんする質的相違しか主張していないと強調している(Evans & Stanovich 2013; Stanovich & Toplak 2012)。この特徴は「定義的特徴」と呼ばれる。では、定義的特徴とは具体的には何なのか。近年の議論では、特に「ワーキングメモリの関与」、「認知的分離・心的シミュレーション」、「自律性」の3つが候補としてあげられてきた。ここで次に問題となるのは、こうした定義的特徴はその本性上二分法的なものではなく、連続的なものだという点だ。そこで、直観的過程と熟慮的過程を分かつ閾値をどこかに設定する必要がある。しかし現在提起されている定義的特徴はあまりにも曖昧であり、閾値設定は非常に困難なものになっている。具体的に見ていこう。

a. ワーキングメモリ

 記念碑的論文であるEvans & Stanovich (2013) は、熟慮過程の第一の定義的特徴をワーキングメモリへの負荷だとした。この提案の問題は、ワーキングメモリの本性や特徴については非常に様々な見解があるため、さらなる明確化が必要だということだ。また近年、ワーキングメモリ、特にそれを支える制御的注意は、無意識的にも働くことが明らかになってきている(Desender et al. 2013; Jiang et al. 2015, 2018; Linzarini et al. 2017)。つまり、ワーキングメモリや制御的注意の関与は連続的なものだ。この時もちろん、熟慮的思考は直観的思考より広範な注意制御を必要とするという複雑性の違いはある。しかし、両過程を分ける閾値をどう決定すればよいのか。

 ここで、認知的制約をかけた状態でのパフォーマンスの変化に訴えることで、推論過程が熟慮的か否かを操作的に定義することはできる。しかしこのことは、熟慮過程と直観過程が質的に異なることを意味しない。なぜなら、両過程の違いは量的だという単一過程モデルでも、熟慮過程は直観過程より多くの注意制御(ワーキングメモリ)資源を必要とすると仮定できるからだ(Keren & Schul 2009)。認知的制約パラダイムでは、過程の差異が量的か質的かについては何も結論できない。

b. 認知的分離・心的シミュレーション

 Evans & Stanovich (2013) は、熟慮過程の第二の定義的特徴を認知的分離(現実の表象と想定上の表象の切り離し)および心的シミュレーションだとした。確かに一般的な特徴づけとしては、熟慮的思考に仮説的思考が含まれることは多いだろう。しかしこの特徴を、熟慮的・直観的過程を質的に分ける基準とするには、認知的分離・心的シミュレーションをより特定化する必要がある。Stanovich (2011) はその特徴づけと記述に力を費やしているが、現在のところ心的シミュレーションの発生を操作的に測定する方法は明確にされておらず、認知的負荷が大きいなどの相関的特徴が測定されているにすぎない。

 ところで、Evans & Stanovich (2013) はワーキングメモリと心的シミュレーションの2つを定義的特徴としている。つまり、この場合2つは必ず共起しなければならない。しかし、心的シミュレーションを用いるがワーキングメモリが関与しない過程があるかもしれない。例えば後悔はそうかもしれない(Osman 2013)。

c. 自律性

 二重過程理論支持者のなかには、直観過程の定義的特徴として自律性を挙げるものがいる(Pennycook 2017; Thompson 2013)。この場合の自律的過程とは、トリガー刺激に対して実行が強制される過程である。ここでも、一般的な記述としてならこの提案は理にかなっているが、より正確で検証・操作可能な形に落としこもうとするとすぐに問題が生じる。

 ここで重要なのは、ある刺激Xが反応Yを強制的にもたらすかどうかは、現在の課題や目標の文脈に依存していることだ。例えば、「| + | = ?」という刺激に対し、大抵の大人は「2」と考えざるを得ない。しかし例えば、「与えられた複数の縦棒を横にして連結した場合の長さを求める課題」に習熟していれば、「| + | = ?」には「____」が浮かぶだろう。したがって、自律性の存在を主張するためには、目標文脈を確定するための独立したテストが必要になる。しかしこのような特定化はこれまで全くなされていない。
 
 なおEvans (2017, 2019) は、自律性は直観的思考の定義的特徴としては広すぎると見解を改め(多くの低次の知覚過程までもが直観的思考になってしまうため)、次の追加基準を提案している。典型的な直観的思考において、主体はその出力を意識する(例えば簡単な計算の場合、その答えが正しいと感じる(Thompson et al. 2011))。つまり、直観的思考過程はその動作においてはワーキングメモリを必要としないが、アウトプットをワーキングメモリにポストするという点で、知覚過程などとは異なる。この提案は様々なタイプの直観過程を区別できる点で興味深いが、過程の数をめぐる目下の論争には役に立たない。自律性とワーキングメモリという2つの曖昧な概念をどう測定するのかという問題が引き続き残っているからだ。

小括

 以上のように、これまで提案されてきた定義的特徴は十分に定義されていないため、質的に異なる処理をもたらす正確な閾値を設定することができていないという一般的な問題がある。

3. 基準S

 Sloman (1996) は、人が矛盾した信念を同時に持ちうることが二重過程モデルを支持すると主張した(「基準S」)。というのも、質的に等しい推論システムは、一度に一つの応答しか出すことができないと考えたからだ。この議論は繰り返し批判されてきたが(Gigerenzer & Regier 1996; Keren & Schul 2009; Osman 2004)、現在でも二重過程モデルの正当化に用いられ続けている(Hoerl & McCormack 2019)。しかしこの議論の問題点は、「相矛盾する同時的反応は質的に異なる推論過程から生じているはずだ」という仮定を支持する経験的証拠がない点だ(Keren & Schul, 2009)。

4. 倹約

 ここまでで、単一過程モデルと二重過程モデルの論争を経験的に決着することが難しいと述べてきた。そこで一部の研究者は、より理論的考察に訴えて決着をつけようとしている。例えば、理論的倹約の観点から単一過程モデルが支持されるという議論がある(Hammond 1996; Hayes et al. 2018)。しかしこれは誤りである。単一過程モデルは、過程数こそ少ないが、それ以外の点で多くの理論的過程を必要とする(Gawronski & Creighton 2013, Kruglanski & Gigerenzer 2011)。倹約性はすべての理論的仮定の観点から評価されなければならないため、単に過程数が少ないという理由だけで単一過程モデルが支持されるわけではない。

5. 科学的誤情報論法

 二重過程モデルに対し、次のような実践的な反論がよくなされる。過程の二重性に明確な証拠はないが、しかし二重過程モデルは単純なので人の心に入りこみやすく、科学者の思考をゆがめたり大衆に誤情報を与えてしまう、というものだ(Cokely 2009; Melnikoff & Bargh 2018; Osman 2004, 2018)。

 この議論には様々な反論がありうる。第一に、過程が一つだという主張にも決定的な証拠はないのだから、誤情報を与える点では単一過程モデルも同罪である。第二に、どのような科学的主張も誤って解釈される可能性がある(Chater 2018)。単一過程モデルは、熟慮も直観も大して変わらないという推測を生み、熟慮を避ける口実に使われるかもしれない。単一過程モデルと二重過程モデルのどちらが誤解されやすいかに関する実証的データはなく、科学者は強い主張を控えるべきだ。第三に、二重過程という概念が科学の進歩を妨げるという一般的な主張はすぐに反証できる。実際、例えば推論中の葛藤検出にかんする多くの発見が、二重過程的なフレームワークの中でなされてきた。もちろん、こうした知見は単一過程モデルでも容易に説明できるので、二重過程モデルが一方的に支持されるというわけではない。しかし二重過程的フレームワークは、いわば便利なコミュニケーションツールとしての役割を果たしてきたと言えるだろう。

第2部 論争の不毛さについて

 第1部では、これまで30年に及ぶ議論の中で、単一過程モデルか二重過程モデルかを決する良い証拠は提出されていないことを明確にした。では、これからはより良い実証的証拠をさらに探すべきなのだろうか。そうではなく、この論争はもう終わらせるべきだ。それには二つの理由がある。第一に、この論争が解決可能なのか疑問である。第二により重要なことに、この論争はたとえ解決したとしても、人間の思考に関する心理学的理解を深化させない。

1. この論争は非経験的である

 これまで強調してきたように、定義的特徴の特定や閾値の設定、閾値の上下での過程が質的に異なることの確認、などは非常に複雑で、どのような実験をすれば問題を解決できるのか全く明らかではない。しかしより一般的に、そもそもこの論争は経験的データでは決着がつかないと論じることができる。Gawronski et al. (2014) が指摘しているように、何が「本当に」存在しているのかに関する主張は、経験的にテストできない形而上学的なものだと考える長い哲学的伝統がある(Popper 1959, Quine 1960, Whitehead 1978)。つまり、量的変化なのか質的変化なのかという議論には、〔その状況をどのような言葉で表現すべきかという〕意味論的な議論と結びついており、後者において経験的データはほとんど役に立たないのだ。

2. この論争はどうでもよい

 仮に論争が決着したとしても、心理学はそこから何かを得られるのだろうか。2過程の差異が質的か量的かが分かっただけでは、それら過程の働きや相互作用についての何も予測も得られない。具体例で考えよう。この分野において重要な問題に、どうすれば人の推論を最適化できるかという問題がある。仮に、ある課題において、熟慮が最適なパフォーマンスに繋がることが分かっているとする。ここで、熟慮と直観の間には質的な差異があり、熟慮は直観とは違ってワーキングメモリに負荷をかけるものだとしよう。この時、推論を最適化するためには、ワーキングメモリを鍛える介入が有効だろう。他方で、熟慮と直観の間には量的な差異があり、熟慮は直観よりもワーキングメモリに大きく負荷をかけるとしよう。この時も、推論を最適化するためには、ワーキングメモリを鍛える介入が有効である。つまり、二過程の差異が量的か質的かという問題は、介入方法の選択には全く関係がない。この意味で、質対量の議論はどうでもよいのだ。

 思考の心理学に関する他の重要問題として、例えば次のようなものがある。第一に、直観/熟慮はどのような帰結を生むか。例えば、論理的推論、道徳的決定、利他的行動、フェイクニュースへの敏感さなどのありかたは、先立つ思考が直観的か熟慮的かによって(どう)変わるのか。第二に、人はどのような場合に熟慮するのか。第三に、直観的思考と論理的思考の時間的関係はどうなっているのか。同時に遂行可能か、一方が増えればその分他方が減るのか、全く独立なのか、云々。両過程の差異が質的か量的かが分かっても、こうした問題に対する答えへは一歩も近づけないことは明らかである。

結論:先に進むとき

 二重過程モデルと単一過程モデルの論争は解決されておらず、解決できるかどうかもわからないし、解決されたとしても人間の思考を支える処理メカニズムについての理論構築には役に立たない。この論争は思考についての実証的研究にとってはどうでもいいものである。研究者の時間と資源は限られているのであり、もっと重要な問題に力を傾けるべきだ。

最小意識状態患者の延命治療停止に対する違法判決について Sheather (2012)

jme.bmj.com

  • Julian C Sheather, 2012, "Withdrawing and withholding artificial nutrition and hydration from patients in a minimally conscious state: Re: M and its repercussions", Journal of Medical Ethics, 39(9), pp. 543–546.

 2011年、イギリスの保護裁判所は、8年間最小意識状態(MCS)にあったM氏について、人工水分・栄養補給を停止するのは違法だと判決を下した。これは、MCS患者の人工水分・栄養補給停止にかんするイギリス初の法的事例だとされている。以下ではこの判決の法的特徴を概説する。なお家族によると、M氏は完全な依存状態で生きたくはないと述べていたが、しかし治療を拒否する正式な事前決定は行っておらず、また代理人も指名していなかった。

背景1: 「代理判断」と「最善の利害」

 M氏のように自己決定能力のない成人にかんする判断にかかわる法律として、英国では2005年に意思能力法が施行されている。しかしこの法律以前から、コモンローとして、財産などにかんする決定と福祉にかんする決定が区別されてきた。すなわち一方で財産にかんする決定では、裁判官は「代理判断」テストを採用し、「当人に決定能力があれば何を望んだか」を判断しようとする。このアプローチでは、当人の事前の自律性が比較的尊重される。他方で福祉にかんする決定の場合、利害と負担のバランスを見る「最善の利害」テストが採用されてきた。このアプローチでは、事前の希望も加味されるが、現在の福祉がより重視される傾向がある。

 意思能力法2005では、判断は「当人の最善の利害においてなされなければならない」としている。最善の利害の決定にあたって考慮すべき事項の一つは、当人の過去の希望や感情だ。ただしその他の考慮すべき事項として、当人の現在の希望や感情、当人の信念や価値観、当人が助言者として指名した人の見解、当人のケアに従事している人の見解、が挙げられている。M氏のように過去の希望・感情について証拠が不十分な場合には、現在の福祉とのバランスをとることが求められる。

背景2: 延命治療の撤回

 延命治療の撤回について、意思能力法2005には意思決定者の動機にかんする制約がある。すなわち意思決定者は、「その処置が当人の最善の利害であるかを考慮する際に、その人に死をもたらそうという欲求に動機づけられていてはならない」。またM氏の場合、裁判官は意思能力法2005の行動指針も参照した。そこでは、「延命治療に効果がない、患者にとって極端な負担である、あるいは回復の見込みがないといった、ごく限られた場合」には、延命治療の撤回が当人の最善の利害であるかもしれないとされている。さらに裁判官は、遷延性植物状態(PVS)患者の延命治療停止を合法とした判例(Tony Bland事件)からも指針を得た。すなわち強力な大前提として、治療上の目的を達成する見込みが合理的であるかぎり延命治療はなされなければならない(「生命の神聖さ」の原理)。場合によっては、この原理の力は利害と負担のバランスの影響を受ける。ただし、PVS患者のように治療が「不毛」であるごく例外的な場合には、神聖さの原理は適用されない。

M氏の最善の利害にかんする判断

 以上から分かるように、M氏にかんする判断は当人の最善の利害に基づいて下される法的義務があった。では、最善の利害の評価にあたって裁判官はどのような要因を考慮したか。

MCSの診断

 裁判官はMCSとPVSの違いに言及した。すなわち「M氏は、感覚をもち、臨床的に安定しており、自身と環境に気づき、人や音楽に反応し、また極めて限定的ではあるが自身のニーズを伝達することもできる。つまりM氏は、植物状態の患者にはない仕方で、認知的に活発である(recognisably alive)」。「認知的に活発」なMCS患者とそうではないPVS患者という区別は、最善の利害を評価する際に極めて重要な区別である。

親族・介護者の見解

 意思能力法2005に従い、M氏をケアする人々の証言が集められた。これにより、M氏の現在の状態が評価された。

M氏の希望と感情

 意思能力法2005に従い、M氏の希望・感情は当人の最善の利害を決定する一要因である。前述のようにM氏は法的拘束力のある事前決定をしていなかったが、弁護側と親族は、M氏の過去の希望と感情が決定的要因になるべきだと主張した。ここで弁護側は、過去の希望・感情と現在のそれが異なるかもしれないという重要な問題について次のような見解を示した。すなわち、確かにM氏の現在の利害は過去のそれと異なっているかもしれないが、そうだとしても、MCSになった現在のM氏の利害は極めて些細な(marginal)ものに過ぎず、事前に表明していた利害に優越することはない、と。これに対し裁判官側の見解では、M氏の過去の発言が十分考え抜かれたものであることを示す明確な記録がない以上は、M氏の自律の尊重は決定的な要因にはなりえず、現在の福祉を強調しなければらない。

尊厳

 尊厳は、意思能力法2005では論点として定められていない。しかし弁護側は、M氏の現在の状況は尊厳を欠いており、延命治療の停止によって尊厳が促進されると論じた。これに対し裁判官は、十分ケアされ快適で可能な限り苦痛のない障害者の生には尊厳があるとした。

快と苦のバランス

 過去と現在の利害にまつわる問題に続き、M氏の現在の経験における快と苦のバランスが評価された。専門家の証言に基づき、M氏は定期的に痛みを感じるが、常にではなく、その強さが極度のものだと考える証拠はないとされた。他方で楽しみについて、専門家はM氏の生は楽しみの面ではせいぜい中立的なものにすぎないと意見したが、裁判官はこの見解を退け、障害者の生における快は時として小さいが軽視すべきではないと主張した。

判決

 最終的に、裁判官はM氏の事前の希望には決定的重要性を与えなかった。M氏の生にはいくらかのポジティヴな快が含まれ、それはさらなるケアによって増える可能性が高いとされた。裁判官の見解では、生命の神聖さが決定的要因であり、人工水分・栄養補給を中止することはM氏の最善の利益にはならない。

展望

 最後に、今後の類似事例について裁判官は以下の勧告を行った。まず、VSまたはMCS患者に対する人工水分・栄養補給停止の申請は全て、高等法院の裁判官に対して行わなければならない(保護裁判所実務指示書9E第5項)。次に、以下の(1)と(2)を満たさない場合、VSまたはMCS患者に対する人工水分・栄養補給停止の申請を行ってはならない。すなわち、(1) 意識障害の診断のために、"Sensory Modality Assessment and Rehabilitation Technique"(SMART)か、その相当物が実施されていること。(2) MCSと診断された患者の場合、 "Wessex Head Injury Matrix"(WHIM)による評価が長期間実施されていること。