えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

傾向性としての愛と、薬物使用によるその喪失 Arrell (2020) + Earp and Savulescu (2020)

https://images.fqpjournal.com/f/Archivio_rivista/FQ/FQP_2021_1

  • Arrell, R. (2020). No love drug today, Philosophy and Public Issues, 10(3): 45–60.
  • Earp, B. D., & Savulescu, J. (2020). What is love? Can it be chemically modified? Should it be? Reply to commentaries, Philosophy and Public Issues, 10(3): 93–151.

【要点】

  • アレルのコメント
    • SSRIのような薬はパートナーの感情をケアする能力を鈍らせるために、パートナーへの愛を変化させるものだとEarpとSavulescuは論じる。
    • たしかに、愛は相手をケアすることを要請する。そして、このケアは反実仮想的状況を通してロバストに要求される。ここに、「薄い」善である「ケア」と、「豊かな」善である「愛」の違いがある。
    • ただし、あらゆる状況を通じてロバストなケアが求められるわけではない。そのような状況の一つが、ケア能力が服薬により下がっている状況である。この場合、パートナーを「ケア」する能力はたしかに鈍るが、パートナーへの「愛」は変化しない。したがって、SSRIは「ラブ・ドラッグ」ではない。
    • 逆に、「ケア」に影響する薬はすべて「ラブ・ドラッグ」なのだとすると、およそあらゆる薬が「ラブ・ドラッグ」になってしまい、この概念の意義が失われる。


  • アープとサヴァレスキュの応答
    • 「ケア」とは、単なる利益供与行動ではなくて一種の傾向性であり、それが愛を構成するものだと我々は理解している。SSRIなどの薬物はこの傾向性に影響するので、愛がその「影響を受ける」というのは定義的に言える。問題は、愛がなくなることもあるというより強い主張ができるかどうかだ。
    • ここで、ケア傾向それ自体と、その傾向を実行する能力を区別する。SSRIが阻害しているのが後者だと考える場合、たしかに愛(ケア傾向)は損なわれないと言える。
    • だが、SSRIがケア傾向それ自体を阻害する場合、「薬がなければパートナーは私を愛していた」という反実仮想がいかに成立していても、この現実における「パートナーは私を愛していない」という信念は正当である。つまり、薬物の影響で愛がなくなることもある。
アレル「いま、ラブ・ドラックは存在しない」

[45][46] この論文では、EarpとSavulescuの『ラブ・ドラッグ』のうち、「愛を変化させる薬物はすでに利用可能であり、一部は広く使用されている」という主張を否定する(pp. 149–150)。人々が服用する処方薬の多くが様々な形で人間関係に影響を及ぼしていることは事実であり、その点の研究をすすめるべきだというEarpとSavulescuの主張には同意する。だが、そうした薬物が影響しているのは愛ではない。

  • I 愛の実際

 [47] 愛とは何なのかについて、EarpとSavulescuが明確な立場をとらないことは理解できる。しかし、最小限の特徴として次が認められている。「真の愛は少なくとも、相手の福利を真にケアすること(また、それを促進させるようとすること)を要請するものである」(p. 59)。ここでは、この主張の含意について検討したい。

 [48] ここでの「ケア」とは、一般にすべての人々に対するケアを超えた、特定の相手の福利に対する特別な配慮であるとする。この配慮は、偶然的理由によって動機づけられてはならない。たとえば、私があなたをケアするとしても、その理由があなたが超富裕層であるということしかなければ、あなたは私の愛を真に享受したことにはならないだろう。

 言い換えると、愛は、Pettit (2015) の言う「堅固に要求する」(robustly demanding)あるいは「豊かな」(rich)善の一種である。この善は、状況が多少変化した非現実的シナリオにおいても要求される。愛の場合、あなたが「豊かな」善としての愛を享受するためには、私が現実にあなたをケアする(これ自体は「薄い」(thin)善である)だけでは不十分であり、(i)私は状況が多少変化してもケアする、[49] かつ(ii)私がそうする理由のなかで、あなた自身に関連する考慮事項が唯一無二かつ不可欠な役割を果たしている、という条件が揃わなければならない。これは難解に思えるかもしれないが、ここで示唆されている直観は私たちの多くが持っているものだと思われ、そのことは様々な詩歌に反映されている。たとえば、ラナ・デル・レイはこう問うている。「若く綺麗でなくなっても/まだ愛してくれる? 痛む心だけになっても/まだ愛してくれる?」

 [51] 愛についての以上の説明は、EarpとSavulescuも大筋で受け容れてくれるのではないかと思う。EarpとSavulescuは、愛の定義よりも、それが自分や他者にどのような害をもたらすかに関心があると述べていた(p. 94)。だが、豊かな善としての愛というのは相手が享受する善を増加させるのである。[52] あなたの私への配慮が偶然的事情に動機づけられていた場合でも、私は薄い善(ケア)を享受することはできる。だが、あなたが適当な傾向性を持っている場合、私は愛という豊かな善(愛)をさらに享受することができるのだ。

  • II 「生物学上の変化は愛の変化。原理の証明」

 さて、EarpとSavulescuは、ある種の薬を服用するとパートナーの感情、まして福利をケアできなくなる、あるいはケアしてはいるが適切な動機や行動と結びつかなくなることがあると想定している(pp. 59-60)。[53] うつ病の治療に広く用いられる選択的セロトニン阻害剤(SSRI)がそれである。SSRIはまさに情動や不適応な悲しみを鈍らせるものなので、他人の感情をケアする能力を同時に低下させることがあるのは驚くべきことではない

 だが、パートナーの感情をケアすることが真の愛に不可欠な要素であるならば、SSRIは定義上パートナーへの愛を変えるものとなるだろう。「生物学的な変化は愛の変化。原理の証明である」(pp. 59–60)。[54] しかし、以下で見るように、そのような証明はできていない。

  • III 病に面して変化する愛は愛ではない

 [54] 気分や能力の改善のために昼寝をするとしよう。あなたが寝ている間、パートナーがあなたから受ける〔薄い善である〕ケアの質は低下する。このとき、あなたが寝ていることは〔豊かな善である〕愛を変えると言うべきなのだろうか。そうではない。理由は単純で、その状況で配慮を求めるのは理にかなっていないからだ。 [55] これとSSRIの事例はいずれも、生物学的効果によって引き起こされる「ケアの」変化から「愛の」変化を推論するという誤りを犯している。[56] 愛はケアが堅固であることを要請するが、あらゆる状況を通して堅固であることは求めていない。そしてケアが求められない事例の一つが、相手が病気でありケアする能力を妨げる薬を服用している場合である。

 シェイクスピアの「変化に面して変化する/愛は愛ではない」〔「ソネット116番」〕をもじった本節のタイトルが示すように、相手が病という変化を被っても、パートナーは相手に対するケアを堅固に与えるべきだと我々の多くは思っている。[57] 妻がSSRIを服用して私へのケアが普段通りできない場合でも、私が引き続きケアすることを妻が求めるのは理にかなっている。これに対して、私のほうがSSRIを服用している場合に、妻が私に堅固なケアを求めることはまったく理にかなっていない。ここで、私はもはや妻を愛していないと結論するのは明らかな誤りだと思われる。この場合、病という変化に面しても、私の愛は変化しないと言えると思う。

  • IV 誰がケアする/気にするのか?

 以上が単なる言葉遊びに見える人もいるだろう。EarpとSavulescuが「愛」に言及せず「ケア」に話を限定していたならば、私には不満の余地がないように思える。そしてそれはある意味で正しい。というのもその場合、私の主張は事実上認められることになるからだ。[58] つまり「いま、ラブ・ドラッグは存在しない」。

 逆にEarpとSavulescuがより主張を強め、パートナー間のケアの質に影響するというだけで薬を「ラブ・ドラッグ」だと認めるのであれば、適当な文脈のもとではすべての薬が「ラブ・ドラッグ」になってしまい、この概念は無意味になってしまうだろう。EarpとSavulescuには時折この包括的解釈を示唆するような部分があるが(p. 62)、そうだとすれば私としては拍子抜けである。

 パートナーや親、子供、友人が重篤な病気になり、その病気ないし治療の結果として[59]、自分が以前と同じようなケアを受けられなくなったとき、そこから「相手は以前と同じように自分を愛していない」と推論するのは実に不適切な自己愛の表れだ。それどころか、病気や薬のせいで愛する相手からのケアが永遠に戻らない状況になっても、何かしらの愛は残っていると私は考えたい。ただこれはもしかする、生物学の手の届かないところ、肉体の境界を超えたところに愛の残滓があるという、ロマン主義的思い込みなのかもしれない。

アープ&サヴァレスキュ「愛とはなにか、そして愛は(たとえ原理的にでも)化学物質の影響を受けるのか? アレルへの応答」

 ここではアレルによる愛の定義を我々も採用し、愛はケアを要請するという点をさらに掘り下げていこう。『ラブ・ドラッグ』は確かにこの点を認めており、[95] かつSSRIのような薬はケア能力を損ねると論じた。[97] しかしアレルは、SSRIが「愛」に影響するという点を否定している。

 アレルはこのことを論じるために、「堅固に要求する」あるいは「豊かな」善と「薄い」善というペティットの区別に依拠している。真の愛とはつかの間の感情ではなくて、もっと安定した何かに根ざした特性ないし構えなのだ。あなたが富や美しさを失った場合に私が関係を捨ててしまうようであれば、私はあなたを愛していたとは言えない。[97] 愛は、相手の変化にかかわらず持続するものなのだ。

 ただし、富や美といった表面的な事柄はさておき、相手が暴力を振るうようになったり、絶えず信頼を裏切るような場合には、ケアをやめることも正当化されうるだろう。すると問題は、どのような範囲の変化であればケアを続けるべきなのか、その範囲を特定することだ。

 以上の一般的構図について我々はアレルに同意する。ただし、ケアとは何なのかについては見解の相違があるアレルは、ケアとは「薄い」善、すなわち誰かが誰かに提供する一種の利益だとしている。この意味でのケアを「ケア行動」と呼ぶことにする。[98] 他方、『ラブ・ドラッグ』におけるケアとは、パートナーのことを気にかけ、そのニーズや欲求に心を砕き、見返りを求めずに相手の福利を向上させようとする、ある種の傾向性である。これを「ケア傾向」とする。我々が「ケア」という言葉で言いたかったのは、まさにアリルの言う、「適切に動機づけられる」傾向だったのだ。

 我々が言いたかったことは、愛はケア傾向によって構成されているので、薬物がケア傾向を損ねる場合は、定義から言って愛も影響を受けうる(弱い主張)、さらには愛ではなくなりうる(強い主張)ということだ。SSRIがこの傾向を弱めるのであれば、愛にも影響するという弱い主張は十分裏付けられるだろう。問題は強い主張の方だ。

 [99] 以上の点を明確にすると、アレルが出した反例は説得的ではないように思われる。たしかに、昼寝している相手に「ケア行動」を期待するのは理にかなっておらず、それがないからと言ってその人の傾向が愛でなくなるわけではない。この理にかなわなさを説明するのに、「ケア傾向」の持つ三つの変数が役立つ。[100] ケア傾向を持つとは、(1)相手のニーズを、(2)自分の能力の限りをつくして(ただし見返りを期待することなく)、また(3)相手の全体的福利の促進に対して自分が負っている責任に応じて、追求する傾向をもつことだ。昼寝している人はそもそもの時点でケア行動をすることができないので、このケア傾向に反していることにはならない。ただし、パートナーが助けを求めると知りながら一日中昼寝しているような人は、相手に対する責任を果たしていないため(3)、[101] パートナーが不満を持つのも正統である。

 ではうつ病とSSRIの事例はどうか。アレルは、この場合にも、相手に質の高いケアを期待するのは理にかなっておらず、[102] ケア行動なしでも相手は自分を愛していると言えると論じた。この点は認めてもよいのだが、我々としてはこの状況が悲劇的なものであることを指摘したい。この事例では、パートナーはケア傾向を維持してはいるのだが、薬のせいでそれを実行に移すことができない。あなたはパートナーが最善を尽くしていると知っており感謝しているが、この状況に適応し、感情的な支えをパートナーに求めることはなくなっていく。[103] 繰り返すが、それでもパートナーのあなたへの愛(ケア傾向)は失われていないということに我々は同意してもよい。

 しかしここで、薬の作用がやや異なる場合を想定することができる。あるいは、同じ薬の効果について別の合理的な捉えかたがある。ここまでの見方だと、SSRIが阻害するのはケア傾向自体ではなくそれを実行する能力であった。だが、ケア傾向そのものを直接阻害していると考えることもできる。この場合、パートナーはあなたの感情を気にかける能力や、あなたの幸福を促進しようとする動機を失っている。この場合でも、「もし」薬がなければパートナーは依然としてケア傾向を持っていたはずだから、ここでも愛は影響を受けていないのだとアレルは言うだろう。

 そうなのかもしれない。[104] しかし、ある時点であなたが「薬のせいだとわかってはいるが、相手が自分を愛しているとは感じられなくなった」と思うようになったとしよう。薬がなければパートナーはあなたの感情を気にかけていたというのが反実仮想としては正しいとしても、そのことは、この現実世界におけるあなたの信念の妥当性を揺らがすものではないと我々は考える。あるいはパートナーの方が「薬のせいだとわかってはいるが、もうあなたのことは愛していないんだ」と言った場合、ここに概念的あるいは存在論的誤りがあると我々は考えない。

 [105] つまり、SSRIなどの薬が、ケア傾向自体を変容させうると判明した場合には、薬物が愛に影響を及ぼしうるという弱い主張だけでなく、愛はなくなりうるという強い主張も正当だと我々は考える。

親密関係への化学的介入:個人の判断にまかせてよいのか Buchanan (2020) + Earp and Savulescu (2020)

https://images.fqpjournal.com/f/Archivio_rivista/FQ/FQP_2021_1

【要点】

  • ブキャナンのコメント
    • 論点1:アープとサヴァレスキュは親密関係への化学的介入を伝統的療法と並行して行うよう推奨しているが、根拠が不明である。安全性・有効性・同意さえあれば薬物使用単独でも許容可能だという議論のほうがもっともらしい。問題となりうるのは自律の毀損だが、親密関係への化学的介入が特別に自律を蝕むとは考え難い。
    • 論点2:化学的介入はもっと広範囲の社会心理的問題解決にも使えるのではないか(例えば、民主主義を脅かす部族主義の改善)。


  • アープとサヴァレスキュの応答
    • 現状、カップルを対象としたMDMA/サイケデリック補助心理療法については実証的研究がほぼなく、安全性・有効性は確立されていない。カップルの場合、有効性をどう測定すればいいか不明という、個人使用にはない問題もある。セラピストの指導がない自由な環境下での安全性・有効性については、どう確立すればいいのかも不明である。
    • 完全にリベラルな道徳の観点から考えれば、そもそも同意さえあれば薬物単独での使用も許容可能ではあるだろう。だが、それが賢明であるかは未知である。社会全体で危害よりも利益が上回るようにするためにどのような規制を行うのが望ましいかを今後は考えなければならない。
    • 論点2については扱わないが共感する。
ブキャナン「最後まで突き進んでほしい」

 私は本書の内容のほぼ全てに同意している。だが2点指摘したい。

 第一の論点はやや批判点である。EarpとSavulescuは、親密関係への化学的介入には [62] より伝統的な療法を併用するべきだと言う。しかし『ラブ・ドラッグ』にはこの制約を正当化する根拠は示されていない。有効性と安全性が十分に確認されており、適切なインフォームドコンセントがある場合、伝統的療法なしに薬物を使用することも十分許容されるのではないか
 
 これに対する反論が一つだけありうる。すなわち、〔伝統的療法のように〕個人の意識的な推論や判断が直接関与するような補足介入がなければ、化学的介入はその人の自律性を損なったり、アイデンティティを傷つけてしまうというものだ。

 だがこの反論は明らかに成立しない。人々は望ましくない様々な状態を治療・緩和するための化学的介入を日常的に承認しているし、非化学的治療を伴わずに承認することもある。また、伝統的な治療を伴うとしても、化学的介入にはおそらく独立した効果があるはずで、もしそれが単独で自律性やアイデンティティを損なうとすれば、伝統的な療法がそれを防げるのかは不明である。また、化学的介入がその他の療法よりも自律やアイデンティティを脅かすとも考え難い

 [63] 実際のところ、 EarpとSavulescuは以上の点に同意しているのではないだろうか。私は、「非化学的療法を併用しない限り決して行わないこと」というのは戦略的譲歩なのではないかと邪推する。つまり、このスローガンによって拒絶を和らげることで、親密関係への化学的介入の潜在的利益が大きいと読者により納得させようとしているのではないか。

 第二の論点は、全く建設的なものである。EarpとSavulescuが化学的介入について示した議論を、他の心理社会的問題にも拡張してほしい。具体的に言えば、民主主義や道徳を破壊しうる「部族主義的」なメンタリティの緩和につながるかどうかを真剣に検討してほしい。[63][64][65] このようなメンタリティには人種差別が含まれることがよくあるが、最近の研究では、暗黙の人種差別的反応は化学的介入によって軽減できることが示されている。[66] 外集団に対する様々な形での敵意の根源に、より基本的な心理メカニズムがあるのか、またそれは化学的変化の影響を受けるのだろうか

アープ&サヴァレスキュ「ラブドラッグを規制する:ブキャナンへの応答」

 [116] 我々は、カップルを対象としたMDMAないしサイケデリック補助心理療法についてのさらなる研究を求めており、[117] また研究で有望な結果が出た場合でも、関係エンハンスメントのための薬物使用は適切な訓練を受けたセラピストの指導のもとで行うことが賢明だと考えている。ブキャナンはこれが保守的にすぎると論じている。

 [117] まずはエビデンスの状況について確認したい。本応答の執筆中、一方がPTSDだと診断されたカップルを対象としたMDMA補助療法に関する最初の研究が査読付き学術誌に掲載された(Monson et al., 2020)。結果は有望で、PTSD症状を含む患者の症状、さらに二人の関係についても有意な改善が見られた。[118] ただし、いずれにも精神疾患がないカップルを対象とした科学研究は一例も存在していない。つまり、親密関係への薬物的介入で、エンハンスメント目的のものについては、有効性と安全性はまだ確立されていない

 ここで次の反論がありうる。少なくとも個人に関しては、MDMAもサイケデリックスも、治療・エンハンスメント問わず安全で有効である。[119] なぜカップルに関してだけ事情が異なるのか? これに対しては二つの回答がある。第一に我々は、個人に関しても、安全性と有効性の基準をかなり厳格なものだと考えている。〔この基準をサイケデリックスやMDMAが本当に満たしているかは定かではない〕。 第二に、カップルの場合、一体何に対しての有効性が問題なのかを問う必要がある。「カップル満足度指数」という妥当性がかなり確立された指標があるが、これで薬物使用が評価された例は稀であるし、関係性の他の側面についても効果を評価を測定する必要があり、経験的・概念的療法の研究がさらに求められる(Arrrelへの応答も参照)。

 [120] では、高い安全性と有効性が確認され、しかも同意があると仮定した場合には、薬物使用単独も許容可能なのだろうか。おそらくそうだろう。だがここで議論は厄介になる。第一に、MDMAやサイケデリックの場合、どのような効果が出るかは使用者側の準備と環境に極めて大きく依存している。〔セラピストの指導なしで〕自由に用いるというのは、準備や環境のコントロールを放棄している状況であり、この場合でも安全かつ有効だというエビデンスをどう入手すればいいかまったく明らかではない

 第二に、もしMDMAやサイケデリックの使用が道徳的に許容されるかどうかがインフォームド・コンセント〔のみに〕かかっているとするのであれば、そもそも安全性や有効性を示すことは不要となる。リベラルな道徳体制のもとでは、誰でも他者に危害を加えない限り〔自分にとって〕危険な行為をする権利があるため、[121] 「薬物使用の自由」という主張をすることも可能だ。しかしブキャナンはこの立場は取っていないように見える。

 最近の論文でブキャナンを含む我々三人は、いわゆる「娯楽用」の薬物の即時的な非犯罪化と段階的な規制を求めた(Earp et al., 2021)。これは意見の分かれる問題で、『ラブ・ドラッグ』でも踏み込むことは避けた。が、仮に近い将来、カップルが違法性を心配せずにMDMAやサイケデリックを比較的簡単に入手できるようになったとしよう。この場合、カップル両名が十分な情報に基づき判断を下す能力のある成人であれば、[122] 薬物使用は「許容可能」であると我々も同意する。しかしそれが「賢明」(prudent)かどうかは未解決の問題であり、カップルの状況によるだろう。

 ブキャナンのコメントは、議論の次の段階への扉を開くものと我々は見ている。親密関係への化学的介入は、いずれは臨床試験の段階を終えて研究室の外に飛び出すだろう。そのとき、誰が、どのような制約のもとで薬物にアクセスできるべきなのか、また、個人やカップルだけでなく社会全体で危害よりも利益が上回るようにするために、公共政策や公衆衛生の観点からの管理をどのようにするべきかを、今後議論していかなければならない(注57)。

 注57:スペースの都合で部族主義については扱えなかったが、この提案には共感する。「サイケデリック・モラルエンハンスメント」の可能性については以下(Earp 2018; Earp, Douglas, and Savulescu 2017)。

正諜報論とその限界 Miller (2025)

https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/08850607.2024.2374227

 国家安全保障諜報(National Security Intelligence)の倫理に関する議論は少ない。とはいえ、米国ではいくつかの事件をきっかけに議論が進んできた。9・11同時多発テロでは捜査における拷問が問題になり、スノーデン事件では情報収集の倫理と責任の問題が浮上した。またコロナ禍では、これまで治安維持・法的執行機関に限られていた情報・監視技術が用いられたことで議論を呼んだ。
 
 国家安全保障諜報活動とは、主として、認識的、敵対的、組織的な活動だと特徴づけることができる。このような活動の規範に関する理論の主なものに、正戦論を応用した正諜報論(Just Intelligence Theory)がある。これは諜報活動が道徳的に許容される条件を、正戦論における許容条件との類比から、おおむね以下のように定める。

  • (A)[正当化原則] その目的が、知識の獲得を通じて、相手のもたらす国家安全保障上の脅威を排除することである。
  • (B)その他の目的では行われない。
  • (C)正統な政治的権威のもとでの活動である。
  • (D)[最終手段条件] より害が少ない代替手段が存在せず、最後の手段である。
  • (E)脅威を排除できると合理的に見込まれる。
  • (F)〔該当国家の事情のみならず〕すべての事情を考慮したうえでも、活動をしたほうが良い結果を生む。
  • (G)
    • (i)[区別原則] 道徳的に正統な対象の情報のみを扱う(無辜の人々を対象としない)。
    • (ii)[必要原則] 目的に必要な手段・範囲でのみ活動を行う。
    • (iii)[比例原則] 活動から生じる害は〔利益と〕不釣り合いではない。

このうち、(A)〜(F)は正戦論におけるjus ad bellumに、(G)はjus in belloに相当する。

 しかしながら、正戦論との類比で諜報の倫理を考えることは適切なのか、様々な点から疑問がある。まず、諜報に関しては平時と戦時のような区別は存在しておらず、jus ad intelligentiamとjus in intelligentiaを区別することはできない。

 つぎに、各理論が適用される対象には大きな違いがある。正戦論の対象となるのは、戦争行為、すなわち殺傷や破壊といった動的〔kinetic〕活動だが、正諜報論の対象は認識活動である。このことは、(D)[最終手段条件] に重要な含意をもつ。たしかに戦争は最終手段であるべきで、この条件は正戦論においてはもっともらしい。しかし諜報はむしろ最初の手段ではないだろうか。諜報活動がなければ戦争を遂行するべきか否かを判断することができない。

 両理論には確かに類似点もある。しかしそれはより一般的な原則が両方の事例に適用されているというだけで、戦争と諜報の重要な類似性を示すものではない。たとえば(C)活動に正統な政治的権威が必要というのは〔組織的活動の全てに当てはまるし〕、(E)目標達成の合理的な見込みが必要というのは一般的な合理性の制約である。

 (F)・(G)およびその正戦論上の対応物は、諜報や戦争は有害で権利侵害的でありうるという事実に関連している。一般論として、善なる目的のために遂行される有害な行為には一定の制約があるべきで、この点で正戦論と正諜報論に類似の制約があらわれるのは当然である。しかし、諜報活動はそれ自体としては戦争行為よりも明らかに害が小さい。このことは関連原則がどう運用されるべきかに大きな違いをもたらす。たとえば(G-i)[区別原則] について、テロリストの親族だが無辜な人物を意図的に殺害することは決して正当化できないが、その人物に対して欺瞞的な手段を用いてテロリスト当人の情報を入手することは、道徳的にも法的にも正当化されうるだろう。同様の論点は(ii)[必要原則] と(iii)[比例原則] にも当てはまる。

 ここで、諜報を純粋な認識活動として理解するのは狭すぎる見方であり、ある種の認識活動の有害性を覆い隠すという反論がありうる。たしかに、諜報機関はいわゆる情報戦、認知戦にも関与しており、そこには有害な点がありうる。しかしそれでも、その有害さは戦争行為とは比較にならない。また、認知戦の本質は戦闘員と非戦闘員の区別を曖昧化することであるが、これにより諜報に関して(G-i)[区別原則] を適用することはますます難しくなる。すなわち情報戦、認知戦を考慮すると、正戦論との類比で正諜報論を構想することの適切性はますます疑問に晒されるのである。

 また上で述べたように、「区別」「必要」「比例」といった諸原則は、善なる目的のために遂行される有害な行為一般に当てはまることにも注意したい。例えば、これらの原則は刑罰にも当てはまる。しかしだからといって、そこから〔刑罰と戦争の違いを十分考慮せず〕に「正刑罰論」を構築するというのは不自然なやりかただろう。〔同じことが正諜報論にも言えるのである〕。

 戦争行為と諜報活動には重要な違いが様々にある。このため、諜報の規範理論は、正戦論といくつかの一般原則を共有していることはたしかではあるものの、正戦論から切り離すべきであり、正諜報論は放棄すべきである。諜報の規範の理論化にとって、正戦論との類比が有用な出発点となったのは確かだが、その役割は終わったのだ。

ブールハーフェの化学とカルヴァン主義神学 Knoeff (2001)

www.tandfonline.com

【要約】

  • ブールハーフェは神学を学んだ非常に敬虔な人物であったことが知られているが、自然哲学に対する神学の影響は注目されていない。ここでは化学をとりあげる。
  • ブールハーフェの化学は基本的にはニュートン主義的なものだが、溶媒のはたらきによる異なる物質の粒子の結合については「愛ないし友情」という謎の原因を導入している。
  • この原因は「火」のはたらきに相当するものだと考えられる。火は自然界に遍在しており、神が自然界においてはたらくさいの手段だとされている。この見解は、神が神的な力により宇宙全体を統べているというカルヴァンの見解に基づくように思われる。
  • また、演繹を拒否し観察と実験を重視するブールハーフェの方法や、化学の限界の強調は、知性は堕落しており人が神を窮めることはできないというカルヴァン主義的信念の反映である。

 [101] ブールハーフェの生涯に関して、フォントネルによる記述のみが言及していることがある。ブールハーフェは神の名を口にするたびに帽子を脱いでいたらしい。当時のオランダの人々は、自由の象徴として、食事中や教会でも帽子をかぶっていた。この話の真偽はともかく、ブールハーフェは非常に敬虔な人物として知られており、ハラーは「真のキリスト教徒」と呼んでいたほどだ。ブールハーフェは一時間の瞑想から一日をはじめており、短気な性格を絶え間ない祈りと瞑想で克服していた。
 これまでの科学史家は、ブールハーフェの機械論や、化学の錬金術からの解放に注目する一方で、その宗教的見解が自然哲学に与えた影響にはあまり注目してこなかった。これに対して本論文では、カルヴァン主義神学がブールハーフェの研究手法に大きな影響を与えたと論じる。

 ブールハーフェの初期の経歴を確認しておく。ブールハーフェの祖父と父はカルヴァン派の牧師であり、ブールハーフェも同じ道を進むと期待されていた。[102] 哲学と神学を学ぶためにライデン大学に入学し、医学も学び始めた。だが、ハルデルウェイク大学で医学博士号を取得後にライデンに戻ると、スピノザ主義者、すなわち無神論者だという濡れ衣を着せられ、神学を断念して医師としての道を歩み始めた。
 ブールハーフェが化学を学び始めたのは神学を学んでいる最中だった。しかし、これはなぜなのだろうか。本論文では、化学への取り組みは神学からの逸脱ではなかったと捉える。カルヴァン主義の重要なテーマに、神の全能性と人間の瑣末さの対比がある。人間存在は完全に神に依存しており、あらゆる知識は創造主たる神についての知識から始まる(『綱要』, I, i, 1)。カルヴァンはこの意味で、化学ないし医学の研究をしながら神学の研究をしていたのだ。

 [104] 目に見える世界は目に見えない世界の像であって、世界の美しい構造は人間が神を仰ぎ見る鏡となるとカルヴァンは論じていた(I, v, 1)。人間自身もそうした構造の一つである。神は創造の後も絶えず世界に関与している(「摂理」)。これは自然の秩序全体を維持していると言うだけでなく、「被造物のひとつひとつに個別の配慮を抱き、また抱き続けている」(『神の隠された摂理の擁護』)。神は「神的な力」により宇宙を統べているとカルヴァンは繰り返し語るが(I, ix, 4; I, xvi, 1)、これは有機物無機物問わずあらゆるものの個別具体の運動を制御していることを意味する(I, xvi, 2)。神の御手の導きにより、「諸元素とその個々の粒子は定められた機能を果たすことを決してやめない」(『摂理』)。
 こうした、神が聖書だけでなく創造物においても自らを啓示するという考えに、ブールハーフェは幼い頃から馴染んでいた。したがって、神学から自然哲学への転向は、研究対象の変化ではなく、あくまで研究方法の変化だった。いずれにせよ究極的な目的は、神と人間自身についての知識を得ることだったのだ。このことは化学研究によく示されている。

 ブールハーフェの化学は主としてニュートンの物質論に基づいていた。その粒子(corpuscles)観はニュートンのものに似て*1、次のように定義される。「粒子は、これまで観察されたいかなる原因によっても変化を被らない。より小さな部分に分割されたり、あるいは形状を変えられたりすることがないような硬さを、自然の創造主により与えられているからである」。[105] こうした「自然の最小単位」における引力を最も正確に説明するものとして、ブールハーフェは化学を重要視した。またこれは神学的にも重要だった。そもそも自然哲学の目的とは、「事物の本性(あるいは神)が、物体に影響を及ぼす変化や変容において作用するさいの法則や規則」を知ることである。「自然の最小単位」を扱う化学は、創造物を通じて神を知るのに最も適したものだった。

 『化学要論』(Elementa Chemiae, 1732)は、同時代の化学書とは異なり、ノウハウ面ではなく理論と操作を広範に説明したものだった。カルヴァン主義的な側面は、特に溶媒および(元素としての)火に関する説明に見出すことができる。対象となる物体に溶媒(menstruums)を人為的に作用させると、対象の精妙さは分割され、溶媒と対象の粒子は完全に混ざり合う。この作用は、その前後で各粒子の大きさ、形状、硬度、重力の点で変化しないという意味では機械的なものである。だが、溶媒の粒子がなぜ互いに分離して対象の粒子と結合するのかを説明するのに、ブールハーフェは神秘的な原因を導入した。それは愛ないし友情による結合だというのである。この謎めいた原因についてブールハーフェはこれ以上説明していないが、[106] 「純粋な火」に関する考えを参照するとさらなる理解が得られる。
 火とは、「適切な割合で適用されれば、ほぼ全ての物体を液化させるほぼ万能の溶媒」である。火の粒子は微細であり、あらゆる物体の細孔に浸透してそれらと結合している。「火の元素はいたるところに存在する〔......〕あらゆる物体や空間に、等しくかつ同量で存在する」。この性質が、多くの化学者や医学者を誤りに導いた。すなわち、炎や煙、灰、あるいは熱として知られる「火」は〔他のものと結合したものであって〕、純粋な火ではない。純粋な火とは、万物を貫く霊である。ブールハーフェはこの万物を貫く火に神学的意味を与えている。「神は元々、火の創造にあたって……重力も、特定の点へ向かう方向性も持たせず、宇宙全体とそのすべての系に均等に分布させたのではないか」。「純粋な火には究極の静寂と絶対の静止があり、さらには神がそこに宿っておられる。神はそこから、物体を動かし活かす奉仕の火を送り出しておられる」。この見解を裏付けるために、多くの聖書箇所が引かれる。「あなたの神、主は焼き尽くす火」(ヘブ12:29)*2(ほか、出3:24, 19:18, 24:17など)。
 ブールハーフェの火はあくまで物質的なものである。ライデン大学の化学教授としての就任演説では、「火は物理現象ではなく」「物質と精神の中間的なもの」とする者たちや、「太陽とその子である火を神々にまで高めた」者たちを嘲笑している。だが同時に、火は独立してはたらくものではなく、神のはたらきの手段だとブールハーフェは捉えた。そのはたらきを探求することで、化学者は神について最も直接的に知ることができる。

 ただし、神が創造物に関与しているというのは特にカルヴァン主義に固有の見方ではない点には注意しなければならない。[107] ブールハーフェの化学に神的原因が組み込まれているというだけでは、その化学をカルヴァン主義的だとするのには不十分である。そこで重要になるのが、真理と知識に関するカルヴァンの思想である。

 カルヴァン主義に特徴的な見解として、人間の知性と意思は完全に堕落しているという考えがある。だが、人間には真理を見出そうとする一定の欲求がある。そこで、この欲求およびすべての知識は神から与えられたものだとされる(II, ii, 16)。カルヴァンはまた、自然哲学、医学、数学の成果は神が人間本性に多くの善を残してくださったことを示していると論じてもいる(II, ii 15)。しかし、人間が神から独立して自然哲学を発展させられるというわけではない。かえって、理性によって得られる知識は神についての知識に依存している(I, xv, 6)。 以上のような考えは、創造物の探究に重要な指針を与える。すなわち、自らの知性に頼ってはならない。カルヴァンも、知性は個別の事柄に降りていくほど誤りやすくなると論じている(II, ii, 23)。カルヴァン主義者が演繹に激しく反対し、[108] 感覚知覚に基づく帰納や実験をはるかに重視したことが、ここから説明できるかもしれない。

 ブールハーフェもまた、理性は堕落していると信じていた。だからこそ、知識の基礎は経験や観察でなければならない。物体の真の特徴は神によって被造物に刻印されているのだから、真理は人間の外にあるのだ。この点について、ブールハーフェは次のような議論も展開している。思考主体は常に同一だが観念は常に変化している。このことは、知性が観念を生み出しているわけではなく、むしろ観念は外部から刻印されていることを示す。そのように観念を生じさせる原因こそが神である。ただし、人が何を考えているかだけを見てその人について知ることができないのと同様に、被造物を見てその原因である神を完全に理解することはできない。
 植物学の場合、「創造主が植物に対してその起源において刻印した種と真の特徴は、決して変化しない」。これに対して、「人間が[植物に対して]与える効能や恣意的な特徴は[......]頻繁に変化し我々を惑わす」。ブールハーフェは、化学者があまりにも少ないデータから一般理論を構築していることを非難した。まずは正確な観察を基礎とし、そこから推論を行うべきなのだ。そして観察にあたっては、あらゆる推測、仮説、先入観を排除する必要がある。「精神は現象に何も加えず、それを知覚するにすぎない」。

 さらにカルヴァン主義は、人が謙虚な心で被造物を研究するべきだとも命じる。人間は神を完全に知ることは決してできないからだ。[109] 人間がすべてを知ることができると考えることは、人間を超越的な高みにひきあげ、神の全能を否定することになる。カルヴァンは被造物を創造主の衣服にたとえる。その布地は見えるが、身体は幾重もの布の下に隠されている(『詩篇注釈』IV)。
 ブールハーフェも、火があらゆる運動の原因であると思弁はしたものの、人間には第一原理を知ることは決してできないと強調している。あらゆる自然現象、さらには聖書までをも化学で説明しようとした先人の過信に対して、ブールハーフェは繰り返し警告を発している。とくに、金属を変化させようとする貪欲さは、モーセ五書、ソロモンの著作、ヨハネの黙示録を、金を作る技法の記述であると誤解させてしまった。化学は神と被造物を深く理解することを目的としているが、その結果は神の栄光の反映像にすぎないとブールハーフェは自覚していた。

 カルヴァン主義は、ブールハーフェの人生だけでなく、化学研究をも決定づける文化的枠組みを提供した。火とは万物を貫く霊でありあらゆる運動の原因だとする定義は、神が神的な力を拡散させて世界を保っているというカルヴァンの見解に基づいているように見える。また、ブールハーフェの方法や化学の限界の強調は、カルヴァン主義的信念を反映している。ブールハーフェは何よりもまずカルヴァン主義者であり、教会でのキャリアを断念し医学に向かったときも、神学を諦めたわけではなかったのだ。

*1:要約注:『光学」, III, 1, Q31。「初めに神は物質を、硬い、充実した、密な、堅い、不可入性の、可動の粒子に形作り、その大きさと形、その他の性質および空間に対する比率を、神がそれらを形作った目的に最もよくかなうようにした」(島尾訳、三五二頁)

*2:要約者注:この形で出ているのは申命記4:24)

心身問題の形而上学者としてのブールハーフェ Wright (1991)

muse.jhu.edu

【要約】

  • 心身問題に関して、ブールハーフェは完全に実体二元論者だった。実体間の関係についてはライプニッツ的な並行論を取った。
  • 医学の対象としては心身合一体としての「人間」が重視された。医師は身体を変化させることで、人間全体を変化させる。
  • また、精神の疾患に対して並行する身体的原因を直接割り当てられるようになり、それを治療すればよいとされた。つまり、医師は精神的原因を無視してよい。
  • 精神はあくまで思惟実体であり、身体的生命の原理ではない。このため、生命機能の正常・異常の説明に精神はまったく関係しないとされた。
  • こうした特徴のために、ブールハーフェは明らかな二元論者だったのにもかかわらず、唯物論を準備したと後に捉えられるようになった。

 ブールハーフェは、十八世紀初頭の最も重要な形而上学者の一人と見なすことができる。弟子のハラーが出版した医学理論に関する講義には、心身の本性および相互関係、内的感覚、生物学的過程の本性、科学方法論など、様々な哲学的主題に関する議論が含まれており、この講義は何度も再版され翻訳された。またブールハーフェの影響力は、その学生の多さからも推し量られる。この論文では、特に精神と物体の関係および精神病に関する見解を検討する。

1. ブールハーフェの二元論

 ブールハーフェは厳格な心身二元論を支持していた。このことは博士論文『精神と物体の区別』(1690)から明らかである。精神は単純で部分を持たないが、物体は部分を持つというのが、心身の区別の根拠であった。また、Gerard de Viriesの次のような議論を称賛している。すなわち、精神には自己意識があるが、物体にはありえない。物体は自分とは別の何かに働きかける(たとえば、運動させる)ことしかできないからだ。

 精神と身体は全く異なる本質をもつという主張は、『医学教程』でも重要なテーマになっている(命題27)。物体の本性は延長と不可侵入性であるが、精神の本性は意識あるいは思考であり、両者のもつ属性にはまったく共通点がない。また、精神と物体にはまったく異なる「生命、能動/作用、感情」がある。「物体の作用とは他の物体に運動を伝えること」だが、精神の作用とは意志であり、「この作用は誰でも知っているが誰にも説明できない」。以上の見解にはデカルト主義の多大な影響があるが、ブールハーフェは「物体の生命」の記述にあたり引力と重力に関するニュートン的原理を取り入れており、デカルトを超えることをも意図していた。

 デカルトの場合と同様、ブールハーフェも人間における精神と身体の密接なつながりを否定しない。「人間は、互いに結合した身体と精神から成る」。精神と身体の本性を考察しても相互作用のありかたを説明することはできないが、相互作用があること自体は「観察によって」知ることができる。「相互作用」とは言うものの、両実体の関係について、ブールハーフェはライプニッツの予定調和説を支持していた。ただし、それぞれを支配する法則はまったく異なっており、哲学者ならぬ医師の仕事は身体のほうを説明することである。

 だが、この二元論は医学体系のなかで有益な役割を果たしていたのだろうか? 神学論争に巻き込まれないという役割は確かに果たした。すなわちこれによりブールハーフェはスピノザとは一線を画した。実際、ブールハーフェは様々にスピノザを批判している。たとえば、思考実体に運動など存在しないという観点から、感覚を「身体の運動から生じる精神の運動」とするスピノザの定義に反論している。また、身体の生命がなくても精神の生命は継続することの証拠として、数学者François Vièteの逸話を挙げている。ヴィエトは数学の問題に没頭しすぎ、外界どころか自身の身体の状態さえも意識しなかったという。

2. 心身合一体

 心身の区別は純粋に医学的な観点からはどうでもいいことなのだろうか。〔そうかもしれない。というのも〕たしかに、ブールハーフェが具体的な心的過程について説明する際の鍵概念は、「心身合一体」としての「人間」である。「もし我々の人間性が、デカルトの言う通り思考にのみあるのならば」、我々はほんの一瞬しか存続しない「形而上学的な点ないし原子」になってしまうだろう。だが「人間」とは、時間を通じて存続する、すなわち記憶を持つ存在である。ただし、記憶は「身体に依存している」。また知性も、記憶に依存するために身体に依存している。推論のためには観念の連鎖を想起する必要があるが、この連鎖は「共有感覚の機械的傾向から生じる」ものであり、そして共通感覚は延髄基部に位置する。愚者が推論できないのは共通感覚において観念の印象が保持できないからで、つまり以前の思考を想起する身体的資源を欠いているからである。

 またブールハーフェは、判断は精神の自由な行為であるというデカルトの見解に反対している。すなわち、我々は脳内で印象が形成される仕方に従って判断せざるをえない。感覚に提示された対象の外的実在性について判断を保留することなど不可能である。また、内的な要因によって過去の対象に関する鮮明な印象が生じた場合、我々はこれを信頼して判断を下さざるをえない(「妄想」)。それどころか、意志も共通感覚における鮮明な印象から〔否応なく〕生じるものなので、観念の真実性を判断するためにこれを使うことはできない。

 妄想を理性によって取り除くことは不可能なので、何らかの「力」が必要になる。ブールハーフェ自身の症例がいくつか紹介されている。自分の足が藁だと信じており歩けない人がいた。自分の脚に触るよう促すなどして理屈で信念を覆すのは不可能だった。結局、その人が乗っていた駅馬車に偽強盗をけしかけることで、徒歩で逃げざるをえなくなり治療が成功した。別の例として、自分の排尿が洪水を引き起こすことを恐れていた人物に対しては、火災を消すためにむしろ排尿が必要だと信じ込ませることで治療が成功した。この事例は現代では心理的な治療に見えるが、ブールハーフェはこれは妄想よりも「より強い観念」が共通感覚で生じたことで治ったとしており、あくまで脳の物理的な変化に関係していると主張している。ブールハーフェは、医学に「人体の知識以上のものが必要」だと考える同時代人を批判し、あらゆる疾病の治療は、身体に変化をもたらすことで達成されると論じた。精神障害の治療も、観念が結びついている身体部位に何らかの物理的変化をもたらすことによってのみ可能だった。〔これが実体二元論の医学上の役割である。〕

3. 疾患および精神病について

 疾患に関する議論では、ブールハーフェはその直接的原因の特定を重視した。疾患を「自然的実体」と呼ぶのも、疾患には〔結果として〕機能喪失が伴うだけでなく、〔原因として〕特定の身体部位の変化が伴うことを強調した言い方である。それどころか、かなり逆説的だが、ブールハーフェは疾患の原因と結果とを同一視してもいる。たとえば脳卒中を例とすると、これは結果として精神活動の完全な停止をもたらすが、直接的原因は脳幹を圧迫する血液であり、血液の除去が治療につながる。ここで、我々人間にとっては、直接的原因と結果は別個のものであって、両者のつながりは経験によってのみ発見可能なのだが、しかし事物の本性を理解する創造主にとっては、この原因と結果は同一なのだという。〔この点はともかく、〕この理屈により、病気は〔原因としては〕自然的実体であると同時に、人間全体がその影響を受けるという主張が可能になる。

 ブールハーフェによると、疾患とは健康を構成する作用の障害であり、また臓器の健全な作用からは快楽が、その作用への干渉からは苦痛が生じる。したがってある意味では、すべての疾病には精神(快苦)が関係している。だが、特定の疾患はより具体的な意味で精神に関連する。人間の本来的機能には生命/自然/動物という三つのカテゴリーがあり、このうち動物的機能が精神(アニマ)に関わる。具体的には、五感や想像力、記憶、判断、情動、随意運動などがそうした機能であり、一般的に言えば、知性ないし意志が関連するものである。したがってブールハーフェにとっての精神疾患とは、身体的変化のうち、知性もしくは意志の本来の作用の遂行を損なう結果をもつものである。

 今日では、どの機能が障害されると疾患になるのかを特定することの難しさが強調されている。だが、ブールハーフェはこの点にまったく問題を感じていないようだ。その理由の一つは、どの本来的な機能の障害にも苦痛や不快感が伴うと考えていたからだろう。また、ブールハーフェによる妄想の説明は、精神異常にも機能があるとするあらゆる見解を不要なものにする。ブールハーフェはフロイト派とは異なり妄想の目的を問わない。それは、妄想的判断は共通感覚において身体的観念と直接結びついており、〔そちらに介入すればよい〕と考えたからである。〔繰り返しになるが、これが実体二元論の医学上の役割である。〕

4. 生命的な霊魂という概念に対する反対

 だが、ブールハーフェの議論を二十世紀の議論に照らして解釈するのは危険である。ブールハーフェの論敵たちは、フロイト派のような人々とはまったく異なる形で疾患の機能や目的に関心を持っていからだ。すなわち、すべての疾患が精神的なものだと考えていたのだ。たとえばファン・ヘルモントは、すべての疾患は非物質的な生命原理の特殊な機能(なんらかの毒を排出する機能)だと考えていた。ブールハーフェはこのような原理の導入に反対していた。

 より一般的に言ってブールハーフェは、霊魂や精神を生命の原理とする考えかたを否定しており、霊魂や精神をあくまで「人間の思惟する部分」とするデカルトの生理学的原理に忠実だった。「生命作用は精神の思考や観念を変えないし、そうした作用が精神に依存したり精神によって決定されることもない。心臓は眠っていようが起きていようがはたらき続けるし、食物を乳糜に変える自然能力のはたらきによって精神の観念が変化することもない」。思考が生命に影響しないというのはデカルト自身よりも踏み込んだ見解である。ブールハーフェは、情念が身体の病気の主原因になるという伝統的な教義も軽視している。

 物体と精神の本性を絶対的に区別する実体二元論の医学体系における役割という話題に戻ろう。ここまで見たように、実体二元論によって、あらゆる精神作用に機械的原因を割り当てることが可能になった。これにより、精神的原因を完全に無視することができるようになった。

 しかし本節の検討は実体二元論とは異なる二元論を提起している。すなわち、精神的機能は身体の生命機能にまったく関係がないとする、デカルト的生理学説の拡張版である。著者はこれを「機能二元論」と呼んできた。この二元論は、十八世紀後半の精神と身体をめぐる医学上の議論において、実体二元論よりもさらに重要なものとなっていった。たとえばWilliam CullenやJerome Gaubらは、機能二元論を受けいれた一方で、医学において精神のはたらきを考慮に入れる必要はないというブールハーフェの主張には反対した。というのもこの主張は、精神が内臓の病気を生じさせたり、あるいはそうした病気の治療に精神が直接関わる可能性を否定していると思われたからである。

結論

 心身問題に関するブールハーフェの議論に後の思想家は多くの点で同意しなかった。しかしブールハーフェは議論の枠組みを提示した。また、ブールハーフェは明確に実体二元論者であったのにもかかわらず、後に唯物論を準備したとみなされる理由も明らかになったと思われる。まず、脳の変化によって心身合一体としての人間全体が変化すると考えられたこと。そして、精神機能と身体の生命機能を切り離したことにより、精神なしで生命器官の正常・病理を完全に説明できると示唆されたことである。

保守反動の中でのオランダの新哲学者、そしてブールハーフェ Cook (2007)

yalebooks.yale.edu

【要約】
 仏蘭戦争と第三次英蘭戦争が勃発した1672年以降、ネーデルラントは保守反動の時代に突入し、保守派と自由主義者のあいだで深刻な分断が生じた。
 デカルト主義・スピノザ主義・コッケイウス主義などの思想は、私的には論じられていたが、公的な場面では激しい非難を浴びた。職を追われたカルヴァン派の聖職者バルタザール・ベッカーがその例である。主張を後退させるデカルト主義者も現れた。たとえばベルナルト・ニューウェンタイトは、若い頃はデカルト主義者であったが、後には体験知を重視しつつもデカルト主義を放棄し、自然神学を展開するに至った。
 逆に、もともとは宗教的な自然観を持っていたが、後に体験知を重視する自然研究へ向かった者もいた。ヘルマン・ブールハーフェがその例である。牧師を志していた若きブールハーフェは新哲学に接近しすぎたとされて道を閉ざされ、医学に向かった。善悪の観点から自然を判断するかつての思考は消え、事実を単純に記述することが重視された。

【目次】

第十章 思弁の拒否:単純なものへの固執

でも、どうやら哲学者のお歴々が異を唱える声が聞こえるようです。痴愚に囚われ、過ちを犯し、幻想を抱き、無知の闇に沈んでいることこそが、悲惨そのものである、とおっしゃっているようですね。とんでもない、それが人間であるってことですよ [……] 人間がその種族本来のなすがままの姿〔nature〕でいることは、少しもみじめなことではありません。――エラスムス『痴愚神礼讃』*1

 [378-1] 「災厄の年」1672年以降、ネーデルラントの経済、そして自信は一変し、十八世紀の半ばまで保守反動の時代が生じた。フランス嫌悪から、それまでの統治者であった自由主義的な(州)議会派が非難された。改革派の敬虔な活動家は、ルイ十四世率いるカトリック帝国主義や、国内に広がる過度な知性主義や無神論に対する防波堤を自任した。その中で若きオラニエ公ウィレム三世が総督となる。全体としては宗教的教義よりも政治を優先させたものの、自身の支持者である宗教的保守派を怒らせないよう細心の注意を払っていた。こうしてネーデルラントでは、一方では保守派、他方では多くが自由主義だったアムステルダムの「統治者」およびその同盟者たちのあいだで、深刻な分断が生じた。
 この新秩序の中で、自然哲学者や医師たちは、[379-1] 様々な種類の物質主義思想の持ち主だと(正しくも)見なされ、また道徳や公的秩序を損なうとして激しく非難されることもあった。

新哲学の苦境

ライデン大学*2

 [379-2] スピノザ主義、デカルト主義、コッケイウス主義といった立場は一見難解だが、新秩序が与える影響は明確だった。ライデン大学にはウィレム三世が越権的に介入し、すべての教授の任命はウィレムの承認を必要とするに至った。1676年、ウィレムによって四度も学長として選ばれた保守的な神学者フレデリック・スパンヘイム(Frederik Spanheim)が、まったくの誤りだとされる命題のリストをウィレムに持ち込むと、ウィレムは当該命題の講義や出版における公表禁止を大学運営陣に命じた。対象となった教授たちの反対運動のすえ大学運営陣も対応し、結局80歳近い神学者アブラハム・ハイダヌス(Abraham Heidanus)が全員の身代わりとして免職処分となった。
 その後1689年まで神学部は、ユトレヒトにおける最も有名な反デカルト主義者ヴォエティウス(Gisbertus Voetius)の派閥の手におちた*3 当初こそ、学生たちや一部教授(ボンテコなど)がスパンヘイムらの講義を妨害し、またデカルト主義なども個人指導や医学部においては論じられていたが、公的な言論をめぐる争いでは保守派が勝利した。

非難されるデカルト主義者:バルタザール・ベッカー

 [379-3] 国全体でも、デカルト主義などの支持者は公的な場に現れるとすぐに攻撃された。[380-1] その一例が、1690年代初頭に職を追われたカルヴァン派の聖職者、バルタザール・ベッカー(Balthasar Bekker)である。
 1650年代にデカルト主義に傾倒したベッカーは、哲学と神学の基盤は異なるのだからデカルト主義は宗教を脅かさないという標準的なデカルト主義的立場をとっていた。しかし、1670年に出版した成人向け教理問答書〔『成熟した者の硬い糧』(De Vaste Spyse der Volmaakten)〕は、ライデン大学の神学教授ヨハネス・コッケイウスの立場に接近したために論争を引き起こした(コッケイウスの神学の根底には神と人との契約という概念があり、また聖書解釈において新しい批判的方法をとっていた。コッケイウス主義者はアリストテレス的用語法を拒否したため、デカルト主義のような新哲学の見解を自由に支持することができた)。1680年代前半には彗星の出現を巡る論争に参加し、ピエール・ベールなどの新哲学支持者と同様、彗星は何かの前兆でも超自然的な事象のしるしでもないと主張した。
 1680年代後半には、魔女は迷信だと示す仕事に取り組んだ。デカルト主義によれば、物質と精神は人間においてしか混ざり合わないので、肉体を持たない悪魔が自然界に介入することはできない。もちろん悪魔の存在自体は聖書から明らかだが、悪魔は神によって地獄に閉じ込められているとされる。あるいは、悪魔や悪霊への言及は比喩であるとされる。[380-2] こうした自然主義的な世界観を公にした『魔法にかけられた世界』(Betoverde Weereld, 4 vols., 1691–1693)は、無神論につながるとして最初の二巻が出た時点で大騒動を引き起こした。アムステルダムの長老会(ボエティウス派とデカルト-コッケイウス派で分断していた)は、議論の末、ベッカーの立場を「明確化」(事実上は「修正」)する文書を作成し、ベッカー自身もこれに署名した。だが北ホラント州教会会議は、ベッカーは説教職にふさわしくないとし、[381-1] さらには聖餐執行停止処分とした。ベッカーは屈せず残りの二巻を出版し、『魔法にかけられた世界』は啓蒙時代初期の古典的著作となった。
 1694年、教会実務においてボエティウス派とコッケイウス派を平等にあつかうようウィレム三世がホラント州議会に働きかけ、事態は沈静化した。十八世紀初頭までに、改革派内部での対立は激しさと重要性を失っていった。

スピノザ主義

 [381-2] とはいえ、あくまで十七世紀後半から十八世紀初頭においては、新哲学諸派は脅威だと感じられていた。「デカルト主義」よりさらに悪者扱いされたのが「スピノザ主義」である。スピノザは神と自然と同一視したことで、一般的な宗教的信念を揺るがせた。1670年代中盤からスピノザ自身はハーグで教会会議による監視状態にあったが、友人たちが1678年に『エチカ』を密かに出版すると大きな反響を呼んだ。1680年代には、多くのオランダの哲学者や神学者が、スピノザに影響を受けた非公式の地下活動を懸念するに至っていた。

後退するデカルト主義者:ベルナルト・ニューウェンタイト

 [381-3] このようななか、一部のデカルト主義者は立場を後退させた。その好例が医師ベルナルト・ニューウェンタイト(Bernard Nieuwentijt)である。
 ニューウェンタイトは1654年生まれ、75年にライデン大学に入学したが、まもなく退学処分となった。デカルト主義を支持したためと思われる。代わりにユトレヒト大学で法学と医学を学び、[382-1] プルメレントで医師および政治家として活躍した。優れた数学者でもあり、無限小の計算方法を発展させ、ライプニッツの微積分解釈をめぐる論争に加わった。
 しかしある時点でニューウェンタイトは、デカルト主義によって自身が無神論に近い見解に陥っていると判断し、宗教の擁護へと立ち返った。事実の調査への関心は維持しつつもデカルト主義は放棄し、自然神学的な著作『無神論者および不信仰者を説得するための世界の観察の正しい活用法』(Het regt gebruik der wereltbeschouwingen ter overtuiginge van ongodisten en ongelovingen aangetoont, 1714)を著すと、大きな人気を得た。[382-2] 神の存在は創造物の中に示されるという自然神学の基本的な議論は古代からあり、当時もジョン・レイを筆頭に新たな装いを与えられていた。ニューウェンタイトも、自身が好む新科学の証拠によってデカルト主義やスピノザ主義の形而上学的思弁を論駁できると考えたのだった。
 ニューウェンタイトは、様々な著者が示す実例や、空気ポンプやレンズを用いた自身の実験から、次のような〔認識論上の〕立場に至った。自然に関する確実な知識を得るには、基礎的な経験から得られた一般化を、実験によって確証する必要がある(数学もこのように経験的に導出される)。演繹は、せいぜい人間の側の創意工夫を示すものにすぎない。また、聖書はニューウェンタイトの時代の〔自然学上の〕発見を先取りしていることから、その構成過程には超自然的知識(啓示)が寄与していたと考えられるため、聖書を文字通り解釈することは妥当である(コッケイウス派との対立点)。[383-1] さらに、知識の発展には〔証言を〕信じることが不可欠であり、他人の実験報告と聖書の記述は〔いずれも証言として〕同じように信頼できる。ニューウェンタイトは、創造物を百科事典レベルの詳細さで示すことで、それが計画と目的を持った創造の証拠であることを証明できると考えていた。

ヘルマン・ブールハーフェの教育

 もともとは自然について宗教的な見解をもっていたが、後に〔価値を帯びていない〕自然理性による自然研究を強調する見解へ向かった者もいた。ヘルマン・ブールハーフェがその例である。哲学と神学の学生だったころは、自然哲学の成否をその道徳的含意によって判断していた。しかし徐々に、事物のありかたを知るために形而上学ではなく経験と観察に頼るようになり、原因についての思弁は不要どころか人を誤らせると多くの生徒に教えた。

初期の教育

 [383-3] ブールハーフェはもともと牧師を志しており、牧師であった父ヤコブスと、知人でライデン大学の正統派神学者ヤコブス・トリグランディウス(Jacobus Triglandius)のはからいにより、[384-1] ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、アラム語の教育を受けた。*4
 1683年、14歳でライデン大学に哲学および神学の学部生として入学し、ヴォルフェルト・センゲルト(Wolferd Senguerd)に「論理学、形而上学、地球儀の使用法、政治学」を学ぶ。
 センゲルトは形而上学に反対する議論を展開し、同僚のデカルト主義者ブルハルト・デ・フォルダー(Burchard de Volder)が導入した実験的な自然哲学を支持していた。1679年には技術者ヨハン・ヨーステン・ファン・ムッセンブルーク(Johan Joosten van Musschenbroek)と組んで新型の空気ポンプを制作し、これはのちの多くの空気ポンプのモデルとなった。ブールハーフェがライデンに来たころには、ガッサンディの真空説と原子論の擁護や、様々な実験的調査に関する論争の集成を行っていた。

反ガッサンディ演説

 [384-2] だが1689年、古典語の教授ヤコブス・グロノヴィウス(Jacobus Gronovius)は、ブールハーフェにガッサンディを攻撃する公開演説を行うよう命じ、この演説は金メダルを得た。これはエピクロスについての新たな理解を真剣に検討せず、よくある敬虔的な観点から批判する演説だった。エピクロスの物質主義的な教義は、ガッサンディが言うような高潔なものではなく、あらゆる放蕩や罪へとつながるものだとされる。次に、この倫理観の基礎となる自然哲学が検討される。[385-1] すなわちガッサンディによれば「精神とは原子の多様な構造から成るかたまり」である。最近この学説を復活させている人々(ホッブズやスピノザをほのめかしている)は不滅の魂の存在を否定し、欲求を次々に満たすことが永続的な幸福なのだと教えている。だがこうした見解は「忌まわしく罪深い」。最後に、ライデンでは幸いにも真の宗教が守られているという愛国的な調子で演説は終わる。[385-2] ここで重要なのは、物質主義という自然哲学が道徳的生活に対する帰結によって測られている点である。ここでは、悪は偽でもあるという古典的な「正しい理性」の原理が用いられている。
 [385-3] ブールハーフェはなぜ恩師センゲルトを裏切りガッサンディ批判を行ったのだろうか。自伝的記録によると演説の二年前(1687年)には数学に魅了されていたらしく、演説時にはすでにデカルト主義に傾いていたのかもしれない。[386-1] また、演説翌年(1690年)の哲学博士論文『精神と身体の区別』(De distinctione mentis a corpore)はエピクロス、ホッブズ、スピノザの一元論を繰り返し批判しており、演説時点でもデカルト的な二元論によって物質一元論を論駁することを考えていたように思われる。ただし〔さらなる可能性もある〕。博士論文の指導教員となったデ・フォルダーは控えめだがスピノザの擁護者でもあった。また、ブールハーフェが尊敬していた医学部教授リューカス・スハフト(Lucas Schacht)にもスピノザ的なところがあった。すると、演説前の時点でブールハーフェは〔スピノザ主義に接近していた可能性がある〕。演説を依頼したグロノヴィウスは、ブールハーフェに反物質一元論を公言させることで私的にも正道に戻したかったのかもしれない。
 [386-2] いずれにせよ、この演説はブールハーフェが「正しい理性」に訴えて自然哲学を判断した最後の機会となり、その後は感覚と自然理性のみで判断するデカルト自身の立場に移行した。これにはデ・フォルダーらの影響があったのかもしれないが、回想は別の要因もあげている。すなわち、次に神学博士の取得を目指していたブールハーフェは、教父の著作をローマのクレメンスから年代順に読みはじめ、その「単純さ」に感動し、形而上学的な論争のすべてに嫌気がさしたという。

医学研究と神学の挫折

 [386-3] さらに別の研究も形而上学からの離反を促した。卒業後の生活のために、ブールハーフェは90年夏から91年まで大学図書館ではたらき、自由主義者イサーク・フォッシウス(Isaac Vossius)が遺した書籍や写本の目録作成を行った。同時に、[387-1] 医学を学んだり数学を教えたりもした。医学書もヒポクラテスから年代順に読んでいき、シデナムには特に感銘を受けた(フォッシウスのコレクションがこれを可能にした)。解剖学・植物学・薬物学の著作も読んだが、大学の講義にはほぼ出席せず、自前で動物の解剖や植物採集、化学研究に没頭した。自信をつけたブールハーフェは1693年夏にハルデルウェイク大学に赴き医学博士号を得たが、ライデンでの神学博士取得の計画は持ち続けていた。
 [387-2] しかしライデンに帰ると事件が起きた。自伝によれば「ある人物が彼〔ブールハーフェ〕について誤った意見を形成しており、彼は無実のうちに破滅した」。〔この事件の背景を説明しよう。〕医師として帰ってきたブールハーフェは当然、自然哲学への共感を会話で示していたはずだ。医師は物質主義の最前線にいる存在だった。また当時はライデンの医師がニュートン主義を導入しはじめた時期で、ブールハーフェも一時期これに引き付けられていた。1691年には [388-1] スコットランド人アーチボルド・ピトケアン(Archibald Pitcairne)がライデン大学医学部に招かれ、学生にニュートン主義を奨励した。
 しかしながら1693年夏、ピトケアンは休暇のために帰郷したあとライデンに戻らず、大学運営陣を激怒させた。ピトケアンは政治的にも宗教的にも総督ウィレム三世とは反対の立場におり、ライデンを気に入らなかったのだろう。*5 また、ニュートン主義には宗教的保守派の懸念を招く部分があった〔ので、教え続けたくなかったのだろう〕。すなわち、数学の重視、コペルニクス主義、原子論と真空、機械論の自然界に対する全面適用、そして形而上学的思弁の拒否と実験の重視である。デカルト主義やエピクロス主義とは異なり、創造主である神は自然の体系とは区別されつつもその中に存在するという立場だったが*6、これは自然以外は研究するに値しないという立場だと誤解されやすかった。
 [388-2] このような時期にブールハーフェはライデンに戻ってきた。後になって、ブールハーフェの同僚は次の逸話を語っている。ライデンへ向かう船の中、同乗者たちと会話していたブールハーフェは、スピノザへの非難を耳にした。そこでブールハーフェは言った。「実際にスピノザを読んだことはあるのかね?」。会話はそこで途絶えたが、同乗者のひとりがブールハーフェに名前を尋ね、それをノートに書き留めた。そしてライデンについた後、ブールハーフェは隠れスピノザ主義者だという噂が広まった――これが、ブールハーフェの神学の道を閉ざしたとされる事件である。[389-1]
 [389-2] その後の10年間、ブールハーフェの活動はライデンにいたこと以外ほとんど何も知られていない。この期間は医師としてはたらき、患者の診察、数学の指導、化学実験、そして医学書や宗教書の読書に没頭していた。

ライデン大学医学部へ

 1690年代、ライデン大学医学部は人事を巡ってウィレム三世としばしば対立した。ピトケアンが去ったあと教授は2名しかおらず、なんとか新たに3名を雇用したがいずれも魅力的な人物ではなかった。1697年までに古株の2名も死去してしまい、学生数は減少し財政危機が生じた。
 [389-3] 1701年、学生数増を目指して講師として雇用されたのがブールハーフェだった。講師は古典を教示する役割で、この時点ではブールハーフェはあくまで文献と哲学の知識を買われた形だった。ブールハーフェは今回は哲学や神学上の論争を慎重に避け、就任演説ではヒポクラテスの研究を推奨した。ブールハーフェは今や、究極原因に関する思弁よりも事実の追求を支持し、[390-1] また善悪の観点から自然を判断することに断固として反対する。自然の一般原理から治療法へ進む者たちは「想像の産物」のうえに医学を置いており、患者に害をもたらすだけである。むしろヒポクラテスに倣って「事実の探求のための唯一の指針」として自然に従うべきであり、そのためには「あらゆる党派性から自由」になり、「実際に見たものを純粋に学び、受け容れ、相互に関連付け」なければならない。事実の報告にあたっては記述的な詳細に集中し、「主題を簡潔かつ明晰に提示する単純な文体」によってそれを強化しなければならない。事実のみが「議論を決するのであって、その逆ではない」。

  • [図 p.391:講義するブールハーフェ(省略)]

 まずは事実から出発し、その後にはじめて自然理性を用いるという方法を、ブールハーフェの残りのキャリアを通じて一貫して支持した。ブールハーフェの教育はかなり成功し、ライデン大学当局はポストが空き次第医学部教授へ昇進させることを約束した。この約束を記念した演説「医学における機械論的方法の有用性」(1703)も、上述の方法を支持するものである。この演説ではまず力学(機械学)が称賛される。しかし力学と言えども、まずは物体の作用の観察からはじめなければならなかった。その後、幾何学的議論によって「感覚のみでは不可能だった数多の発見がなされた」。この両方の方法から、人体と宇宙の本性は [391-1] 同じだと明らかになった。続いて人体にかんする多くの事実が述べられる。〔観察や実験により〕マルピーギらは、人体は単純な管と「機械的部品」(腺や筋肉)により成り立つと示した。ヒポクラテスも同じ発見をしていた。 [392-1] 必要な事柄を説明するのに、生得的力や超自然的力を持ち出す必要はなかった。
 [392-2] だが、精神が身体に影響を及ぼす能力についてはどう考えればいいのか。このような反論をする者は、精神が身体とは別のものだと想定している。しかしながら、両者の関係について十分な説明ができたものはいまだ誰もいない。そうした関係は感覚で捉えられず、したがって我々の理解を超えているからだ。また、仮に精神が身体を制御できるのだとしても、「思考能力が身体に影響を及ぼすやいなや、そこで生じるあらゆる効果は完全に物体的なものとなる」のだから、第一原因が物体的なものであるかどうかはどうでもよい。医師に必要なのは形而上学ではなく、身体に生じている作用を知ることなのである。1708年に出版された『医学教程』の冒頭でも同じ論点が繰り返されている。

『医学教程』と『箴言』

 [392-3] 『医学教程』の内容はそれ以前の医学教科書とは大きく異なっている。医学を五つの部分、すなわち生理学、病理学、徴候論、健康論、治療論に分類するという基本構成は引き継がれた。しかし生理学はかなり独特である。[393-1] 四元素や四体液、形相因や目的因、自然・動物・精神精気などにはまったく言及せず、理性や情動についても触れない。その代わり、知るべきことをすべて観察可能な固体と液体の観点のみから説明している。この実験的生理学部分が本書の中心であり、残りは簡潔に、しかし物質主義的に扱われている。*7  序論でも医学の歴史を振り返ったあと、医学は観察された事実の集積によって確立されたものでありこれは確実だが、原因は理性の助けによって後から割り当てられたもので不確実だと語られている。この観点からヒポクラテスとハーヴェイが高く評価され、ガレノスは手の込んだ推論によって古代医学を歪めたとされる。
 [393-2] この見解は、臨床医にとっては治療を単純化するものだった。ブールハーフェは、個々の症状はそれぞれ個々の生理学的原因を指し示すと考えており、同じ症状を示す人は同じ原因で同じ病気にかかっていると考えた。従って、同じ症状を示す人には誰であれ同じ治療(身体的な病因の是正)をするべきである。[394-1] これは、気質と環境の違いにより病因は多様であり治療も異なりうるとする古典的見解と対立していた。治療に関して後に出版された教科書は『箴言』(Aphorisms)と題された。これはタイトルだけでなく内容もヒポクラテスに倣ったもので、病因や治療の仕組みなどの説明はなく、成功した治療例を記述するものだった。
 [394-2] ブールハーフェの思想には霊魂不滅や自然のデザインの余地がないわけではなかったが、1700年以降こうしたことは公には語られなかった。感覚を通じて神に関する証拠を集めることはできないので、こうした事柄について知ることはできない。これは、学生時代の保守的な神学的・哲学的立場からはかけ離れたものであった。

植物学教授への就任と努力

 [394-3] 1709年、約束にしたがってブールハーフェは最初に空いた植物学教授の職を継いだ。だがブールハーフェは植物学に通じていたわけではなかったので、この人事は学会を驚かせた。おそらく本人にとっても予想外で、就任演説では上述の事実重視のアプローチを再び強調してはいるものの、植物学に関する深い理解はほとんど見られない。実際、この職にはもっと適任な人物が多くおり、後任人事は様々に噂されていた。[395-1] しかし、長年ブールハーフェと親交のあったライデンの有力者ヤン・ファン・デン・ベルク(Jan van den Berg)の働きかけにより、僅差でブールハーフェが選ばれた。外から見れば、明らかに地元の利害が優先されていた。
 [396-1] ブールハーフェはライデンの評判をこれ以上悪化させまいと決意し、植物学において自分の支持する方法に従って懸命に働いた。まずは植物園の目録作成に力を入れ、着任翌年にはこれを刊行した。植物学上の意義は平凡だが、これまで専門的な訓練を受けていない人物の成果としては優れている。また前任者たちの関心を引き継いで花への関心を高めていった。前前任者であったパウル・ヘルマン(Paul Hermann)の著作『オランダの植物園』(Paradisus Batavus, 1689)は花のみで植物を分類していたが、この著作の編者であったウィリアム・シェラード(William Sherard)は、ブールハーフェとセバスチャン・ヴァイヤン(Sébastian Valliant)を引き合わせた。その結果、花の各部位は動物の生殖器に比するというヴァイヤンの見解をブールハーフェも支持するようになった。この見解は、のちにブールハーフェに師事したリンネによって大きな影響力を持つようになる。さらに、回廊の標本コレクション充実のために、VOC、WIC、海軍に協力を要請し、自分のコレクションも寄託した。そして最も重要なことに、ヨーロッパ中の植物学者たちに種子や標本を送ってもらえるよう書簡を送り、巨大なネットワークを築き上げた。

  • [図 p.395:18世紀初頭のライデン大学植物園(省略)]

*1:要約者注:32(訳文は沓掛訳、八二頁(中央公論新社))。思弁的な哲学者と自然の探求を重視する態度の対比を示す。

*2:要約者注:以下、節内の小見出しは要約者による

*3:要約者注:[蘭] Gjsbert Voet。1634年よりユトレヒト大学教授。アリストテレス-スコラ的な正統主義神学と教会規律に則った敬虔な生活を重視し、コッケイウス主義やデカルト主義を批判した。

*4:要約者注:以下、著者は、Lindeboom (1968) に収録されたブールハーフェの自伝的記述を適宜利用している。これには部分的に邦訳があり、阿知波五郎 (1969) 『Herman Boerhaave 1668–1738: その生涯、思想、わが蘭医学への影響』(緒形書店)の第六章として翻訳されたAn Account of the Life and Writings of Herman Boerhaaveの第一部が、この自伝的記述をかなり多く引用したものになっている。

*5:要約者注:当時は名誉革命の結果ウィレム三世がスコットランドをも統治していた。政治的には、ピトケアンはこれに反対するジャコバイトに傾いていた。また宗教的にも、スコットランド長老派(ウィレム三世の支持基盤である改革派と同じカルヴァン派系統)に批判的で、のちに神学者と激しい論争を繰り広げた。

*6:要約者注:デカルト主義では神は自然世界を超越しているが、ニュートン主義では神は自然世界とは異なりつつも自然世界に内在(遍在)している。これはそもそも神と自然世界が同一(汎神論)だとするスピノザ主義とは異なるが、両者の距離は近いと捉えられよく論争を呼んだ

*7:要約者注:坂井建雄・澤井直 (2012). 「ブールハーフェ(1668〜1738)の『医学教程』」, 『日本医史学雑誌』, 58(3): 365–372. に目次および主要命題の日本語訳があり、本書の雰囲気を知ることができる(p. 365)。

愛の還元主義/反還元主義はエンハンスメントに関する議論にはあまり関係がない Earp & Savulescu (2016)

muse.jhu.edu

  • Earp, B. D., & Savulescu, J. (2016). Is there such a thing as a love drug?: Reply to McGee. Philosophy, Psychiatry, & Psychology, 23(2), 93–96. https://doi.org/10.1353/ppp.2016.0007

【要点】

  • 「愛」を広く使いすぎだという批判には共感する。だが、愛の本性についてあえて踏み込まなかったのには理由がある。
  • まず、真の愛と不健全な依存という区別は自明でも普遍的でもない。
  • またこうした区別には、非標準的な形の愛を病理化するという道徳的リスクがある。
  • また、愛を関係的に考えても、神経伝達物質に注目することには意味がある。個人の脳への介入は関係的に捉えた愛にも重要な影響を及ぼすからだ。

 [93l] McGee (2016) は、我々の「愛」という言葉の使いからは包括的にすぎ、これをやめるだけで愛の医療化や真正性に関する懸念は減ると論じている。McGeeの提案では、「愛」は次の条件を満たす関係にのみ用いるべきである。

  • a) 特定の人物に結びついている
  • b) 主として相手自身によって引き起こされている
  • c) 相手に対する真摯な配慮と関心を特徴とする[93r]
  • d) 虐待的ではない
  • e) 報われる可能性がある

 Jenkins (2017) も同様の反論を提起しており、我々はこうした批判には共感する。各人が自身の好む愛の定義の観点から議論に貢献することは歓迎である。我々自身は、愛の本性にはあえて踏み込まず、最大限広義に取ることで、[94r] 様々な技術の正当性の問題に注意を集中してきた。

 だが、McGeeの想定する「真の」愛と「不健全な執着」という区別は、(本人も認めているように)自明でもなければ、普遍的に受け入れられているわけでもないことには注意するべきだ。たとえば、今では少数派だが、西洋には愛を利己的なものと捉えたり(May, 2011)、狂気と捉える伝統もある。愛は「健全」でなければならないという考えかたは比較的最近の発明であり、これは愛の「医療化」の過程を反映しているのかもしれない(May, 2011; Illouz, 2012)。

 また、治療の対象となるべき「不健全な執着」と「真の」愛との間に「客観的」な区別を立てようとすることには道徳的なリスクもある。様々な非標準的なかたちの愛やセクシュアリティが、まさにこの方法で有害かつ不適切なかたちで病理化されてきたからだ(Gupta, 2012)。「健全/不健全」のような区分のほとんどは実際には価値判断を伴っている。我々としては、「愛」というラベルをはることが害をもたらしているかどうか、それを科学技術により予防・軽減できるかのほうに関心を持っている。

 [94r] 我々の立場が愛の還元主義について曖昧だとMcGeeが指摘しているのは正しい。これは愛の概念次第の事柄であり、我々は特定の概念を支持していないからだ。だが、高次の愛について具体的に説明せず〔低次の〕神経化学的操作の話ばかりしていては、還元主義を支持しないと言っても口だけだとMcGeeは言う(Ferarro 2016も同じ指摘をしている)。
 
 [95l] だが還元主義は我々の立場ではない。この点を明確にするために、ここでは上掲のMcGeeの基準を採用し、愛とは関係的な状態なのだと仮定したい。だがこのとき、この関係的状態に対して、単一個人の脳に作用する神経化学物質がどう影響するかを問うことには依然として意味がある。たとえば、選択的セロトニン再取り込み阻害薬は、単に「低次」の性欲を鈍らせるだけでなく、パートナーの感情を気遣うという「高次」の能力をも損なう(Earp, Wudarczyk, Sandberg, & Savulescu, 2013)。つまり、愛を「単一の個人の脳内に位置づけ」なかったとしても、個人の脳への介入は(より関係的に捉えた)愛に対して依然として重要な影響を及ぼしうる。[95r] McGeeの論文タイトルは「ラブドラッグなるものは存在するか」という問いを投げかけているが、我々の答えはこうである。(1)それは愛の捉え方次第である。(2)が、少なくともMcGee自身の捉え方に基づけば確かに存在すると思われる。