えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

『創世記』から年代学、そして地質学へ Rudwick (2014)

【目次】

第12章 結論

太古の地球史:回顧

 [293-1] 21世紀初頭には地球の惑星史はかなり詳細に再構築され、それが驚くほど波乱に満ちていたことがわかった。地質時代やその他の時間軸は慣習と利便性の問題だと認識され、その定義は議論と説得によって解決されるようになった。累代(aeon)、代(era) 紀(period)、世(epoch)......という階層は、地球史の記述と説明に有用だと合意された。[293-2] 化石記録が豊富な「顕生(累)代」(Phanerozoic aeon)は、より広大で化石記録をほぼもたない時代(「原生(累)代」(Proterozoic)・「太古(累)代」(Archaean)・「冥王(累)代」(Hadean))に遡る歴史の、ごく最新部にすぎないとわかった。[294-1] 顕生代内部では、19世紀にフィリップスが名付けた「新生代」、「中生代」、「古生代」が、2つの大量絶滅で区切られていると20世紀後半にはわかった。フィリップスの「代」の内部では、19世紀の層序学が生み出した各種の「紀」の定義に合意がとられ、地球史をより詳細にたどるために重要なものになった。「世」についても同様である。[294-2] こうした区分けは未だオープンなものであり、21世紀初頭には「人新世」が提案された。

  • 図12-1: 21世紀までに科学者が再構築した地球史の要約。放射年代測定技術の発達により、膨大な量的なスケールを描くことが可能になった。

 [295-2] 20世紀初頭から、こうした質的な太古の「歴史」は、量的な太古の「時間」スケールに照らして測定され、ますます豊かになった。100年の技術改良を経て、[296-1] 鉱物や岩石の放射線年代測定はルーティンにまでなった。また堆積物や氷床コアの年層(varve)の分析なども、推定年代の正しさを(少なくとも最新の年代については)確証した。たとえば、明らかに超長期にわたる更新世の氷河期が終わってから現在までには、数千年が経過していることが証明された。だからこそ、地球誕生から現代まで流れた時間は、ケルビンの言う数千万年どころではなく、放射年代測定が示す数十億年のほうが適当でありまた整合的だと思われたのである。合理的な疑いを覆し、地球は文字通りほとんど想像もつかないほど古かったのだ。

 [296-2] この遠大な歴史の中でもっとも印象的なのは生命の歴史である。19世紀初頭にキュビエらが絶滅の存在を示すまで、生命に本当の歴史があるかどうかは不明だった。同世紀中には、その歴史がある意味で「進歩的」であることも確立された。つまり、生物学者が「高次」とみなす生物は、「低次」とみなす生物よりも後に出現した。19世紀中盤には人間の化石が [297-1] 「第四紀」にしかなく、人類は地球史の最後の瞬間に現れたにすぎないとわかった。

 [297-2] 化石記録の逆の端の話としては、カンブリア紀の岩石に、後の生物に匹敵するほど多様で複雑な生物の痕跡が含まれることが19世紀後半にわかった。先カンブリア時代の岩石には明確な化石がなく、生命の歴史の始まりは曖昧だった。だが20世紀後半になり、先カンブリア時代を通して生命はほぼ極小で比較的単純だったことや、「カンブリア爆発」がより大きく複雑な生命(後生動物(meta-zoan))を急増させたことがわかった。また太古代にも生命がいたこと、それらが大気に酸素を供給することで、より複雑な生命が可能になったことも驚きであった。

過去の出来事とその原因

 [297-3] 複雑な生命の歴史の背後には、様々な変化の原因は何かという別の問題があった。[298-1] 進化論と言えば「ダーウィン的」なものと同一視される傾向があったが、実際のところは議論のあらゆる段階で様々な形態の進化論が存在していた。進化の原因をめぐる議論に地質学者と古生物学者はほとんど貢献してこなかった。ただし、進化の経緯を歴史的現実に即して再構築するためには、化石が必要だと主張することはできたし、実際そう主張してきた。このことは、遺伝学やDNA配列によって進化の証拠が増強された20世紀後半でも変わらない。

 [298-2] 進化の歴史的証拠(「事実としての進化」)とその原因の説明(「理論としての進化」)の区別は、太古の地球史の発見の過程で何度も浮上してきた区別の一例にすぎない。太古の地球史のあらゆる出来事について、その歴史的実在性の確立は、その適切な因果的説明とは区別されてきた。[299-1] この区別は、歴史学のような科学と物理学のような科学の違いによって根拠付けられてきた。諸科学の多様性を認識すれば、あらゆる科学は単一の「科学的方法」を共有する、またすべきだという思いこみから来る拘束から自由になることができる。太古の地球史発見の歴史では、人間界の研究ですでに確立された歴史という次元を、自然界の研究に取り入れることが重要な役割を担ったのだ。自然界の過去の出来事は、人間の歴史と同じように、まったく偶然性に満ちていた。

 [299-2] 完全な偶然という要素は、学者たちが太古の地球史を徐々に明らかにしてきたその過程にも浸透していた。本書で繰り返し見てきたように、新たな証拠の発見や解釈の提示は、[293-1] 関係者を何度も驚かせてきた。太古にかんする歴史的推論は、常に必然的に、多少なりとも推測的な部分を含む。だがそれはまた常に、新たな証拠に照らした訂正と改善に開かれてもいる。

  • 図12-2: フランツ・ウンガー(Franz Unger)が『原始世界』(Die Urwelt, 1851)で示した復元された太古の光景。この光景は、17世紀以降の地球史に関する発見を要約するものになっている。その時点で利用可能なあらゆる証拠を利用して復元された歴史は、必然的に推測的だが、さらなる証拠によって訂正と改善が常に可能である。この例の場合、19世紀以降にイグアノドンのより完全な化石が発見されたことで、鼻の角は爪であり、またその全身もまったく違う姿をしていたことがわかった。
太古の歴史の知識はどのくらい信頼できるのか?

 [301-2] 地球史の発見にかんする〔本書の描く〕簡潔な歴史は、いまや21世紀初頭まで来ている。だがこの物語は未完結だと示すために、時制は一貫して過去形を用いてきた。物語終盤で要約してきた解釈はまさに「作業中」(work in progress)であり、科学者たちがどのように、いつ、またそもそも合意に達するかはまだわからない。

 [301-3] しかし、本書がざっと語ってきた歴史物語を踏まえれば、太古の地球史の主要な特徴が、新しい発見やアイデアによって根本的に覆されることはありそうにないと考えられる。なぜなら、それは過去数世紀にもわたって徐々に再構成されてきたものだからだ。近年、科学的知識の歴史を、一連のラディカルな革命や通約不可能な「パラダイム」として描くことが流行している。このモデルは他の分野には適切なのかもしれないが、[302-1] 地球史の発見に関して言えば、再構成や解釈は、利用可能な証拠の観点からますます十分な方向に向かっていることは間違いない。20世紀のプレートテクトニクスや19世紀の「激変」否定などは、「革命的」とされることも多かった。だがこうした場合ですら、自称勝者が同時代人に吹聴するよりはるかに大きな実質的連続性があることが、歴史学者の厳密な研究によりわかる。

 [302-2] 地質学のような科学に全体的な進歩がある明確な一つの理由として、証拠が顕著に累積する性格を持つことが挙げられる。17世紀にアゴスティーノ・シッラ(Agostino Scilla)が収集し記述したサメの歯の化石は、18世紀にはジョン・ウッドワード(John Woodward)のコレクション(と洪水説)に加えられ、19世紀と20世紀の古生物学者により進化の観点から再記述・再解釈を受けた。そしてこうした再解釈は、同等の標本がより豊かに保管された状況で行われた。また、新たな場所でのフィールドワークや技術の改善も、利用可能な証拠を増加させている。

 [303-2] 19世紀末に現れた「地質年代学」の名が、17世紀の「年代学」から来ているのは些細な偶然ではない。ステノやフックは、岩石や化石の解釈方法をスカリゲルやアッシャーから借用したのであり、17世紀の年代学者と21世紀初頭の地質年代学者のあいだには、途切れることない知的・概念的連続性があった。概念や方法を文化から自然へと意識的に転用することは、岩石、化石、山、火山などを太古の地球史の理解可能な痕跡とみなす推論習慣の形成に不可欠だった。17世紀のフックや18世紀のジャン-ルイ・ジロー・スラヴィー(Jean-Louis Giraud Soulavie)らも、同時代の歴史家から方法と洞察を意図的に借用している。したがってこうした歴史家は、後の地質学者による地球史の復元にとって決定的に重要だったのだ。

地質学と創世記、再評価

 [303-3] 初期の年代学者は、「宗教」が「科学」を歪めたものとして、今日不当に誹謗されている。[304-1] だが年代学者の狙いは、利用可能なすべての歴史記録から、世界の全歴史をできるだけ精確にプロットすることにあった。確かにその文化的背景から、人類史は啓示の観点から解釈されてはいた。しかしそのことは、年代学の歴史という性格に影響を与えるものではない。初期の年代学者が聖書からはじめたのは、それが最初の出来事を記録した唯一の歴史的資料だと信じられていたからであり、後に世俗的な記録が利用可能になれば、重要な資料として年代学に持ちこまれた。

 [304-2] したがって、初期年代学者の人類史に対する視点は、後の自然界の研究への歴史的思考法の転用を促したのだと考える十分な根拠がある。創造の「六日間」は、地球史の物語が発展するさいのテンプレートを与えた。その真価は、地球史が年代学者の想定より遥かに長いことがナチュラリストの目に明らかとなった18世紀に発揮された。「日」は不定の期間に延長されたが、地球と生命が一定方向に発展するという意味合いは維持できたのである。「日」の延長は当時の聖書学者も認めていたものであり、この点で聖書学と地質学の最新動向を知っている者のあいだに根本的な対立はなかった。聖書の「直解」にこだわる人々は [305-1] 知的・文化的周辺に追いやられたが、それも当然であった。

 [305-2] 地質学と『創世記』 のあいだに歴史的に大きな対立があったという神話は目眩ましである。真の対立点は別にあったし、今もある。19世紀、地球の遠大な歴史という地質学上の新たな描像に対する宗教的懸念は、あらゆる生物の進化的起源にかんする生物学上の新たな描像に対する懸念を根拠としていた。両懸念の焦点は、人間の本性と地位なのである。この懸念は理解できるし、不当とも言い難い。なぜなら、人間がそれ以前の霊長類から進化したという科学的推論は、無神論推進者に乗っ取られていったからだ。特にダーウィンの進化論は、すべてを包括する「世界観」であるダーウィン主義に変造された。それが反宗教となる可能性は19世紀後半には見えはじめ、ダーウィン主義者がますます攻撃的で教条的になった20世紀にはさらに明白になった。21世紀初頭の科学者は宗教的原理主義者にうろたえたが、自分たちの集団的な失敗、つまり進化という科学理論を無神論的世界観に拡張するという同様に悪質な原理主義者の奢りをくじけなかったことを、よく認識すべきであった。

 [305-3] 本書の話に戻せば、[306-1] 多くの人々にとって、21世紀の科学的な「古代の地球」と、17世紀の伝統的な「若い地球」の最も明らかな違いは、タイムスケールの違いではなく、歴史における人間の地位の違いなのである。人間はドラマ全体に登場し続ける存在から、最後のシーンにしか登場しない存在になってしまったようだ。19世紀の人々の言う「自然における人間の地位」にかんする、このラディカルな視点の変化が文化に与えた影響を十分に探求するには、まったく別の本が必要である。ここでは、こうした変化に先例がないわけではないことを指摘しておきたい。かつて、宇宙にかんする考え方には「閉じた世界から無限宇宙へ」の変化があった。これは人類を大きさの点で切り詰め、本書が描いてきた発見はそれを時間の点で切り詰めた。だがどちらの変化も、人間存在の目的や正義と哀れみに基づく社会構築にまつわる永遠の問いを変えはしなかった。こうした問いに宗教的文脈の中で取り組む多くの人にとって、地球史が大きく広がったことなど、宗教的にはたいしたことではない。ユダヤ教やキリスト教といった有神論的伝統で生きることを選んだ人々は、太陽系外惑星やブラックホールを冷静に受け止めるのと同じように、恐竜や大量絶滅を受け止めることができるし、そうするべきなのだ。

 [305-3] 太古の地球史の発見が「宗教」によって妨げられたという主張は、いかなるものでも決して支持できない。[306-1] 「科学」と「宗教」の絶え間ない内的な「対立」という観念は、その他の科学の多くの側面同様、地球史発見の歴史においては歴史学的吟味に耐えられない。

 [306-2] 太古の地球史にかんする新しい見解は、最も重要なところでは、既存の考え方を覆すことはできていないようだ。たとえば現代の権力者は、過去10年とか20年の気候変動の傾向について議論している。だがこうした短期的トレンドは、太古とおそらく将来の、遥かに大きい変化の観点から見れば無意味であることに気づいていない。また、現在の政策と実践が第六の大量絶滅を生じさせつつあることの意味に気づいていない。そして、数百万年、数十億年前に蓄積され再生不可能な自然資源をわずか数十年で利用することの影響に気づいていない。本書で要約した科学的発見の歴史に照らせば、このような無知と将来世代のニーズの軽視は許しがたいものである。

 [306-3] だが、最後はポジティブに終わろう。過去3–4世紀にわたり、学者、ナチュラリストあるいは科学者と自称した人々、多くは敬虔な人々の、想像力豊かで同時に細心な仕事によって、地球とその生命の波乱万丈の歴史が再構築され、自然界における人間の位置にかんする我々の見方は転換した。これは確かに、史上最も印象深い科学的達成の一つである。