えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

まとめ:文学としてのポピュラー科学書 O’Connor (2007)

The Earth on Show: Fossils and the Poetics of Popular Science, 1802-1856

The Earth on Show: Fossils and the Poetics of Popular Science, 1802-1856

科学の女王?

  • ミラー、バックランド、リチャードソン、ホーキンスらは1850年付近に死んだ。しかし本は読み継がれ、そのナラティヴとスタイルは後の書き手にも大きな影響を与えた。その影響力は、北アメリカにおける豊かな化石の発見や進化論の登場の後でさえ変わらず、当時と比べ図像の説明力が疑われにくくなった今日でもまだ続いている。
  • ヴェルヌらに代表される「科学小説」も、その新味は科学と人間の問題関心の結び付け方にあったのであり、地球の歴史の表象は当時のポピュラー科学書に依拠していた。また当時の地質学書にはモダニズムの手法との類似も見られる。サイエンス・ライターが様々な文学運動の中で果たしていた役割は、標準的な歴史が想定するよりずっと大きいのかもしれない。
  • さらに、中産階級の間でポピュラーになった結果、地質学は典型的な科学として見られるようになった。少し前まで諸科学はその道具や概念を哲学・歴史学から、神秘的な魅力を古物収集から、権威を天文学から借りていた。しかし数年のうちに、諸科学の科学としての厳密さやその想像力に訴えかける力は地質学を基準に測られることになった。地質学は後期ヴィクトリア朝時代の英国における「科学の女王」だと言える。
  • もちろんこれは地質学が科学として成功したからではある。しかし、地質学が過去を「見える」ようにする力を持てたのは、大衆化に貢献した人々のおかげだった。様々な競合理論が現れるなかで、急成長中だった中産階級の読書層という法廷に訴えるべく、全ての立場の人々がスペクタクルのレトリックを展開した。地質学は、イメージとテキスト、散文と韻文、歴史と予言、事実と創作のパッチワークの上に、自らの真理を主張することができたのだ。
  • しかし「完全に見える」という幻想の裏には、「こんなにわずかなことしかわからない」という意識もあった。この意味で、かえって過去は遠くのものとなってしまった。化石は永遠を凝縮した一片にすぎず、人をさらなる採掘へと駆り立てる。この意識はホーキンス『イクチオサウルスの思い出』の結語や口絵の気分に表れているようだ(図E.1)。この口絵に対しておぼえる疎外感は、不思議にもノスタルジーの感覚によっていや増される。空や海の様子が馴染み深いものだからかもしれない。途方もない「わからなさ」は崇高の概念に統合された。マーティンのような芸術家が成功したのは、無限の遠景に広がる神秘を示唆できたからだ。
  • 本書冒頭〔p. 5〕で引いたマンテルの一文は、過ぎ去った過去を辿り着く岸なく広がる大洋にたとえていたが、化石はその「海を開く」「魔法の窓」(キーツ)だった。そこから過去をみたいという切望の背後には、神はいつか私たちに全てを見せてくれるだろうという思いがあったようにもみえる。
  • 書き手たちは、かつての世界という見世物が理性ある目撃者無しに存在したという考え方には反対した。バーネットの『地球の神聖な歴史』の口絵では天使が見物人である〔p. 379〕。ミラーは人間以前の地球の歴史において神の叡智は無駄に公示されたわけではないと述べたが、ルシファーが古い地球を歩いたという彼の思弁はこの目撃者の必要性に答えたものだったのかもしれない。
  • 〔理性の目を通じた〕失われた過去との連続性は、恐竜たちが人間の時代にもいるという思弁を養う一助となったのかもしれない。1840年代には「巨大シーサーペント」ブームがあったし、聖書に現れる怪物名〔は古代生物を指すという理解もあった〕。新しい地質学者は人間と恐竜の共存を否定したが、それがまたこの手の話の神秘的魅力を高めた。ロバート・ハントは、人はかつての世界の真理のわずかな残影をうけとることができそれが創作に現れる、とほとんどユング的な論を展開した。しかし本書で見たように、現実と創作の関係はハントが考えるよりもずっと複雑だ。ジョン・ミルが気づいていたように、太古の光景を描くことは、「現実と理念の間をまたぎ越え」地球の歴史に「ロマンスの雰囲気をまぶすことなしには」「ほとんど不可能」であった。
  • 〔この事実と虚構の連続性により、〕ポピュラー著作家たちは妖精や竜の伝説を楽しむ人々により成熟した楽しみ〔つまり地質学〕を与えようと今日までしてきた。幼少のトールキンは、恐竜こそ「ドラゴン」なのだと言われたことに憤慨し、「おとぎ話を奪って欲しくない」と抗議している。しかし後年には「先史時代」という半科学的で新しく魅力ある神話の産物として翼手竜に熱を上げていたようだ。この神話もトールキンの神話と同様より古い神話の残骸の上に建てたのであり、推測を多分に含む「事実」が様々なレトリックと相まって、文芸的な形態において最も花開いたのだった。

文芸批評と科学史

  • 科学の大衆化に文学が重要な役割を持ったのなら、文芸批評や文学史のツールが科学史にとっても重要だと思われることだろう。90年以降の科学史ではこうした関心が2つの(重なり合う)形態で現れている。一つは、科学的なテキストを分析して、科学者が自らの慣習を操作して真理や客観性の主張をおこなうさまを示すもの。もう一つは権威ある科学者以外の人が知識の生産にどうかかわったかを分析するものだ。
  • しかしこうした研究では、科学的テキストは単体で取り出されることが多く、同ジャンルの他のテキストとの関連が無視されていたり、あるいは対話以外のジャンルにはほとんど焦点が当たっていないなどの弱点がある。この傾向は、「科学」と「文学」を分ける今日の人工的な慣習をやはり反映していると思われるが、当時の読者にこのような区別は通用しない。
  • 他方で文学研究者も同じ関心を持ってきたが、そこでは大文字の文学に焦点を当てた「詩人xと科学y」なる研究が多く、ここでは科学は詩の素材としてしか捉えられていない。「科学と文学」をテーマにした(主に哲学的な)論考でも、その「文学」の中に科学テキストが入ることは殆どない。従って、未だ基礎的で実りあるグラウンド・ワークはないのが現状である。
  • 「科学と文学」研究では、両者が異なる文化を代表しているのか否かが争われてきた。本書では、少なくとも19世紀初めの2/3においては、「科学」と「文学」の区別を仮定してかかることはできないということを示した。今日でさえ、多くのポピュラー科学書は文芸文化の一角を担っている。
  • また本書では、地質学が文芸的形態をとったとき、それが政治・社会・商業・宗教などの影響を受けてどのような形になったかを示した。そしてその分析を、文学史に基礎づけようと試みた。すなわちポピュラー科学書を文学として真剣にとりあげ、そのテキストをジャンル枠組みの中で扱い、特定の語り方の発展や発明に着目し、著者の文学上の目的を説明し、そして見世物の文化とそこに付随するテキストをこうした分析に活用する新しい方法を開いた。
  • 17世紀後半以降、科学的思考は「創作的なもの」から離れるべきとされ、敵対理論を「詩」「創作」「小説」「夢」「想像」などと誹謗するのは啓蒙期の科学の標準的レトリックだった。しかし逆説的にも、こうした言葉は地質学の公的な地位をあげ文化的な権威を主張する際に用いられた。地質学の公に訴える力は実験ではなく想像力が重要になる復元にあったため、地質学者は物語の描写力に鋭く目を向ける必要があった。
  • 結果として、詩的想像力への敵対とその洗練の間の緊張を地質学史の中に追うことができる。例えば、以前の理論を「雄弁」から出たものと退けつつ、自説を大スペクタクルで展開するバーネットの『神聖な歴史』は、今度はプレイフェアによって「想像の産物」と罵られるが、彼は彼で地質学の心躍らす娯楽としての力を宣伝していたのだ。この二重のレトリックは今日の進化生物学と古生物学でも使われている。
  • 科学的知識生産における語りの技法と文学的形式の使用を分析すること、そして、ポピュラー科学著作は「文学」だと認識することは、歴史家、科学者、文学研究者にそれぞれに新しい視点を与えてくれるだろう。