Egalitarianism (New Problems of Philosophy)
- 作者: Iwao Hirose
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2014/06/22
- メディア: ペーパーバック
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- 作者: 広瀬巌,齊藤拓
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2016/08/18
- メディア: 単行本
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- Iwao Hirose (2015). Egalitarianism. New York, NY: Routledge. (2016, 斎藤拓訳, 『平等主義の哲学:ロールズから健康の分配まで』, 勁草書房)
- Chapter 6. Equality and Time (未邦訳)(後半)
6.3 ハイブリッド説
幸福の分配に当たって、人生全体の幸福をその単位とする立場にも、特定時点の幸福を単位とする立場にも問題があった。では、両方を重視してはどうだろうか(「ハイブリッド説」)(Hirose 2005; McKerlie 2001a)。
優先主義のほうから考える。[144]ハイブリッド優先主義は、まずは人生説と時間切片説が出す分配の良さを足したうえで、二重カウントを防ぐために2で割る。ここでは優先主義関数として平方根を採用しよう。
するとalternative 1の場合、時間切片説の評定は 2(√16 + √4)=12、人生説の評定は√20+√20=2√20である。したがってハイブリッド説の評定は1/2*(12+2√20)=6+√20=10.47になる。同様にして、alternernative 3は10.24となるから、alternative 1のほうがalternative 3より優れていることが説明される。これは、時間切片説では説明できないものであった。同じように、alternative 1はalternative 2よりも優れている。これは、人生説では説明できないものであった。
ハイブリッド優先説にはしかし2つの問題がある。第一は二重割引の問題である。いま、人生全体の幸福は、一時的幸福の総和にすぎない。しかしハイブリッド説は、一時的幸福について一度割引を行なったのに、全体の割引をもう一度行っている。これは正当化が必要である。第二に、一時的幸福の割引と人生全体の幸福の割引に同じ関数(平方根)を用いている。だが二つの幸福の良さが同じように逓減すると考えることには、正当化が必要である。
ハイブリッド平等主義に移ろう。ここでは、まず価値論的平等主義のやり方で各時点での分配の良さを算出、また人生全体の分配の良さを算出し、両者を加え、[145]二重カウントを防ぐために2で割る。例えば、alternative 1の場合、時点での分配の良さは16*1/4 + 4*3/4 + 4*3/4 + 16*1/4、人生全体の分配の良さは20*1/4 + 20*3/4、2で割って17になる。同様にして、alternative 3 の良さは14.5になるから、alternative 1のほうがalternative 3より優れていることが説明される。これは、時間切片説では説明できないものであった。同じように、alternative 1はalternative 2よりも優れている。これは、人生説では説明できないものであった。
だがハイブリッド平等主義には奇妙な点がある。次のalternative1 とalternative 6を比較せよ。ハイブリッド優先主義によれば、両者は等しく良い。他方で、ハイブリッド平等主義によると、Alternative 6のほうがAlternative 1より良いことになる。これは、alternative 1では各時点において不平等があることに由来する。だが、人々が同時に同じレベルの幸福を持つ方が良いというのは本当か? この点を支持する良い議論はなさそうであり、[146]ハイブリッド優先主義や人生全体説の支持者を説得することはできないだろう。
6.4 未来の人々の幸福に関する分配判断
未来の人々の幸福に関する分配という別の話題に移ろう。ここでは、関連する人間の数という変数が増える。未来の人々は存在しない。[147]このため、問題となる未来の人々の集合が複数ある時、両者が全く重複しないという事態が生じる。これは「(完全)非同一性事例」と呼ばれる。非同一性事例は分配判断を難しいものにする。なによりも、誰かが幸福を得た/失ったと言うのが意味をなさなくなる。次の二つの未来を考えよう。
・X = (8 [Annie], 5 [Betty])
・Y = (5 [Cathy], 5 [Diane])
この場合、Xを選んだことで3単位の幸福を「得ている」人は誰もいない。
ここには一般的な哲学的問題がある。極めて高いレベルで幸福な少人数(A)と、非常に低いレベルで幸福な圧倒的多数(B)のうち、どちらかを選択しなければならないとする。古典的功利主義者なら、 Bの人口が十分大きければBを選ぶべきだとする(「いとわしい結論」repugnant conclusion)(Parfit 1984)。
だがBを選ぶのは反直観的だと多くの哲学者は考える。たとえば、平均功利主義ならこの結論が避けられる。だが、人口が変動する別の事例で問題が生じる。例えば、極めて高いレベルで幸福な少人数(C)と、それよりわずかに高いレベルで幸福な2人(D)を比べた時、平均功利主義は後者が良いと判断してしまう。これは反直観的である。この他にも「いとわしい結論」を避けるための方略はあるが、ここでは立ち入らない。その代わり、分配原理の本性を理解するために重要な点を2つ指摘したい。
[148]第一に、レキシミン原理に対する主要な反論は非同一性事例の前で力を失う。レキシミン原理によれば、最低の境遇にある人にどんなに小さくとも利得を与えるためならば、それ以上の境遇にある人はどんなに大きくとも損失を被らなければならない。
・レキシミンは、まず最も境遇の悪い者の水準を最大化する。つぎに、最も悪い境遇の者の水準がどの分配においても同じである場合には二番目に境遇の悪いものの水準を最大化し、ということを最後のケースまで続ける。
・レキシミンは〔マキシミンとは異なり〕パレート原理を満たす。
・最も境遇の悪い集団にとってのあらゆる利得一一それがいかに小さくともーーは、最も境遇の悪い集団以外にとってのあらゆる損失一一それがいかに大きくともーーより常に優先される。X=(10.50.50.50.50) と Y=(11.20.20.20.20) を比較しよう。 マキシミン・ルールとレキシミンのいずれもが、 YはXより厳密に善いと判断する。Yを選択することで、この最も境遇の悪い集団は僅かばかりの改善をみるだろうが、それ以外の集団は甚大な損失を受け容れなければならない。(p. 25/邦訳29頁)
これは異論の余地があると多くの人は考える。だがこの異論は、非同一性事例にレキシミンを適用する場合には通用しなくなる。例えば、未来の2人に対する配分として次を比較せよ。
・X = (10, 20)
・Y = (11, 13)
レキシミンによればXよりYの方が良い。これが同一性事例の場合、人2の損失が大きすぎるという点で異論があるとされる。だが非同一性事例であればこの反論は有効ではない。なぜなら、Yにおいて人2は存在しないからだ。この場合、選択肢の正しい表しかたはこうなる。
・X = (10, 20, Ω, Ω)
・Y = (Ω, Ω, 11, 13)
Ω(人の不在)に数値尺度を割り当てられない限り、誰かが幸福を得た/失ったと言うのは意味をなさない。
第二に、優先主義には望みがないかもしれない(Arrhenius 2009)。100幸福なn人(E)と1幸福な20n人(F)を考えよ。優先主義関数として平方根を用いるとすると、Eの良さはn√100=10n、Fの良さは20n√1=20nとなる。つまり、EよりFの方が良い。この結果は、増加する厳密に凹な関数全てについて当てはまる。したがって、優先主義は平均でも総和でも低い水準で幸福な人々の方を良しとする。これは受け入れがたいため、優先主義は人数が固定している場合の分配に関連するものだとArrheniusは結論している。
他方で、価値論的平等主義ならEの方がより良いと結論できる。幸福が等しく分配されている場合、価値論的平等主義は平均功利主義と一致する。[149]そして、Eの平均幸福はFよりも明らかに高いからだ。だが、人口が変動する別の事例では問題が生じる。前述のCとDについて、価値論的平等主義は平均功利主義と同じ判断を下し、そしてDの方が良いという反直観的判断を下してしまう。こうして平等主義は人口が変動する事例での尤もらしさを失う。そしてこれは「いとわしい結論」問題に由来している。
「いとわしい結論」問題に対する合意の取れた解決は目下存在せず、人口が変動する事例において尤もらしい原理は存在しない。