えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ベインと機能局在 Becquemont (2007)

https://shs.cairn.info/revue-d-histoire-des-sciences-2007-2-page-303

  • Becquemont, D. (2007). Les réticences de Bain face à la théorie des localisations cérébrales de Jackson et de Ferrier. Revue d'Histoire des Sciences, 60(2): 303-325. https://doi.org/10.3917/rhs.602.0303.

【要約】
心理学における生理学の重要性をいち早く主張したアレクサンダー・ベインだが、当時から大脳生理学で議論されていた局在説については主要著作でほとんど触れていない。ベインやその弟子が『マインド』に発表した論文は、フェリエの局在説に一貫して敵対的で、論争相手のゴルツを支持していた。この理由はなにか。局在説は唯物論的だという評判があったため、60年代初頭に教授となったベインの地位では大胆な発言が憚られたのが一つ。ベイン自身の問題関心が移ったというのが一つ。そして最も重要な理由として、ベインが心理学と生理学を上下関係にある対立項だと捉えた点がある。生理学は心理学に不当に介入する恐れがあるが、逆に心理学は生理学に意見することができるのだ。ベインが支持したゴルツの見解は、脳の大きな領域と「感情、意志、知性」という大まかな心理機能の間にのみ局在が成立するというもので、この心理分類はベインのものと合致していた。このような考えかたは、生理学を完全に無視する新ヘーゲル主義と極端な唯物論の両者を否定する心理学を可能にするものだった。

アレクサンダー・ベインは心理学における生理学データの重要性を強調した最初期の人物の一人だった。だが、1820年代から生理学で問題になっていた脳の機能局在については、主要著作の中ではほぼ触れていない。はじめて明確な言及があるのは1861年の『性格の研究』(On the Study of Character)で、ここでは骨相学へある程度の共感を示しつつ、局在は脳の広範な領域と精神の基本能力の間にだけ成立すると考えるのが合理的だと提案している。

その後40年にわたりベイン自身はこの問題をさらに追求することはせず、『性格の研究』の再版も拒否している。その理由は『自伝』を読んでも不明瞭なのだが、おそらくベインは、自分が骨相学に共感を示しすぎたと考えたのだろう。骨相学は唯物論的だという評判をとっており、これは当時の大英帝国の大学教授の職業倫理とは相容れなかった。1861年にベインは新制アバディーン大学の教授という公的地位を得ており、これは50年代の大胆さをやわらげただろう。1875年の『情動と意志』第三版では、ヒッツィヒ、フリッチュ、ジャクソン、フェリエらの生理学者による新発見がまったく言及されておらず、また94年の第四版に設けられた局在に関する章も、本人ではなくマッケンジー(W. Leslie Mackenzie)が書いたものである(Young 1970)*1。ただし、こうした留保の態度を単純に外的要因の影響とだけ見ることはできない。

新たな局在研究に対するベインの見解は、ベイン自身もしくは弟子による論文では表明されている。これらはベイン自身が創刊した雑誌『マインド』で主に発表されたものだ。その内容は局在説に敵対的であり、『性格の理論』の立場よりも後退したものだった。

1870年代、ドイツのゴルツとイギリスのフェリエは、いずれも動物脳への電気刺激や脳の部分切除をふくむ実験を行っていた。だが、両者が実験から導き出した結論は全く異なっていた。フェリエは1876年に『脳の諸機能』(The Functions of the Brain)を出版する。動物実験と人間の脳の解剖を元にしたこの著作は、今までで最も包括的に局在を支持する著作だった。

だがこの著作は、『マインド』1877年1月号の書評で反対に直面する。編集者であり評者のロバートソン(Croom Robertson)は、フェリエの実験を詳細に紹介したうえで、結論が「極端に単純」だと評した。たとえば、海馬の一定部分の切除が身体の触覚感度を抑制するとしても、触覚だけが影響を受けるわけではないし(フェリエは触覚しか扱っていなかった)、またすべての触覚表象が消えるわけでもない。このため、その領域が特別な感覚領域だったとしても、「中枢」までとは言い難い。むしろ、ゴルツが言うように、皮質はどこであっても、大きく除去すれば触覚、視覚、筋力を一様に弱化させると考えるほうがもっともらしい、というのがロバートソンの主張だった。

『マインド』の次号(1877年4月号)で、ロバートソンは逆にゴルツへの支持を表明している。ゴルツは、切除された半球の機能をもう片方の半球が補うようになる現象を観察しており、切除の影響はその場所ではなく切除容量に従って変動するというフルーランスの見解へ回帰した。また、ヒッツィヒやフェリエは切除の即時的な効果と持続的な効果を区別していないと批判した。

1880年、ゴルツが研究のすべての結果を公表したのち、その報告記事をロバートソンは書いている。ゴルツは、両半球をほぼ完全に切除した犬でも、微弱だが触覚があり、視力も盲目状態からは回復し、運動能力は残存していることを観察した。この場合、局在について語ることはできない。また、局在説の支持者も、同じ脳領域に異なる能力を割り当てるに至っている。また、電気刺激が灰白質を実際に刺激しているかどうかは確認できていない。局在論者が観察した、脳切除に伴う機能抑制効果は、フルーランスの言っていた通り、一時的なものにすぎない。ゴルツ自身は、皮質の主要領域が、感情、意志、知性に対応するという結論に至った。

フェリエの場合とは異なり、ゴルツへの批判は『マインド』には表れなかった。ゴルツの結論にある「感情、意志、知性」という分類は、ベインが『感覚と知性』および『情動と意志』で展開した分類と完全に一致しており、ベインとその弟子たちはゴルツの理論に無条件に賛同していた。

1881年ロンドンで開かれた国際医学会議(International Medical Congress)で、フェリエとゴルツの争いは頂点に達した。両者とも、脳を切除した動物の実例(ゴルツは犬、フェリエは二匹の猿)を会場に連れてきた。それぞれが切除の効果を実演したのち、犬と一匹の猿は殺され、独立した人物が解剖して結論を出すことになった。ゴルツは、皮質の特定部位を破壊しても筋肉に永続的麻痺を生じさせることはできないと主張した。他方、フェリエは切除後に長期間(六ヶ月)生存したサルでも、特定機能の喪失が見られるとして、自身の主張を強化した。両者の実験と結果は根本的に矛盾していた。

1882年の記事でロバートソンはこの会議の経過を報告し、やはりゴルツを支持する立場を打ち出した。フェリエは、自身とゴルツの結果の違いを犬と猿の脳の組織化の程度の違いに求めていたが、犬と猿程度の知能の差で脳の組織化にそこまで大きな差があるとは考え難いとロバートソンは判断した。

1880年代になると、ジャクソンやフェリエの研究に刺激を受けて、人間の脳に介入する試みが始まり、90年代には局在論が広く受け入れられるようになっていった。だがベインは、フェリエの理論に一貫して敵対的で、ジャクソンの理論の採用にも消極的だった。

1891年、ベインは『マインド』に論文を発表し、これまでのロバートソンの批判を理論的なレベルでとりあげて、自身の立場を明確化している。ベインには、当時の新ヘーゲル主義的心理学のように生理学を排除するつもりはなかった。50年代と同様、ベインは生理学と心理学には一定の結び付きがあると考える。意欲と情動の決定要因である快楽と苦痛は、その生理的原因・条件とは切り離せないからだ。しかし、生理学はまだあまりに不確実であるから、生理的なものと心理的なものの結びつきの探求は時期尚早だとベインは考えた。

そこで、心理学における生理学の正当な利用と不正な利用を明確に区別する必要がある。知覚の法則について語る場合に生理学実験を無視することはできないし、触覚について論じるなら触覚器官に言及する必要がある。しかし局在は、心的現象の基本状態(感覚、感情、知性、意志)にのみになら当てはまるが、より複雑な現象には役立たない。「我々の心的構成のほとんどの部分は内観に委ねられることになる」。「内観だけでも〔観念の継起の法則の研究という〕任務には十分である。今日の生理学に介入の余地はなく、またおそらく今後もないだろう」。心理学を生理学に開いた最初の一人であったベインは、最終的には、両分野の明確な分離を主張するに至った。生理学者は心理的相関物に過度に注目すべきではないし、心理学者は生理学的相関物に過度に注目すべきではない。

60年代以降のベインが生理学をあまり重要視しなかったのはなぜだろうか。一つには、ベインの職業上の転換や関心の変化をあげることができる。しかし主要な理由は、ベインがあくまでも心理学に主要な関心をもっていた点にある。ベインは心理学と生理学を上下関係にある対立項だと捉えていた。生理学の発見は心理学者にとって必ずしも興味深いものではなく、また心理学への不適切な介入となる場合もある。他方で、ベインは心理学者として、生理学実験に意見できると考えていた。フェリエの主張に公然と反対し、自身の心理学とより合致するゴルツの見解を支持した。局在を大まかな機能のみに限定する見解は、ブラッドリーやワードの観念論を否定しつつも、過激な唯物論に陥ることも避けられる心理学だった。

アバディーン大学で、フェリエはベインの学生だった。だが1876年に『マインド』を創刊したとき、ベインは元学生の著作を丹念に検討するよりことも、ジェームズ・ミルの著作目録の編纂のほうが重要だと考えていた。ベインは、自身の教育によってフェリエがここまで自分の道を外れるとは予想していなかっただろう。20世紀初頭、ベインの著作に代わり、ジェームズの『心理学原理』が学生の標準的教科書になる。そこではジャクソンへの深い敬意が表明されている。

*1:Mind, Brain, and Adaptation in the Nineteenth Century : Cerebral Localization and its Biological Context from Gall to Ferrier, Clarendon Press