えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

説明的客観的リスト説 Rice (2013)

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/rati.12007

  • Christopher, M. Rice (2013). Defending the objective list theory of well-being. Ratio, 26(2): 196-211.

 Crisp (2006) は、幸福の理論にかんして「列挙的/説明的」(Enumerative/explanatoey)の区別を導入した(pp. 102-103)。幸福を構成する事態を列挙するにとどまるのが列挙的幸福理論であり、さらに一定の事態がなぜ良いのかを説明するのが説明的幸福理論である。この区別を使うと、客観的リスト説は列挙的だと批判されることがある(Scanlon 1998: 123-126)。しかしそれは、説明的な形態をとることもできる。

  • 列挙的客観的リスト説

複数の基本的な客観的善のあらゆる実例が、そしてそれらのみが、非道具的なかたちで人々を益する

  • 説明的客観的リスト説

ある事態が非道具的なかたちで人々を益するのは、まさに次の場合である。すなわちその事態が、複数の基本的な客観的善のうち少なくとも一つの本質的特徴を例化している  

ところで、人々の熟慮的判断はまさに説明的客観的リスト説的であり、反省的均衡によりこの説が支持される

多くの人の判断はこうだ。一定の事態が幸福に貢献するのは、その客観的な特徴によるものであり、自分たちがその事態に対して肯定的な反応的態度を向けているからではない (p. 202)

さて、「説明的客観的リスト説」は、説明的でありながらも、多元主義を維持している。というのは、ある事態が良いことの説明にあたって、幸福を構成する全ての事態に共通の特徴に訴えかけていないからだ。まさにこの点でこの説は「説明的」でないという批判がありうるが、それは論点先取である。
 また一部の哲学者は、事態が客観的に善であることはありえないと考えているが(Railton 1986)、さきほども述べたように人々の熟慮的判断は客観主義的である。
 ところで、具体的に何が基本的客観的善なのかについて、「説明的客観的リスト説」は中立である。しかしこの点がうまらなければ、客観的リスト説は完全なものにはならない。また、統一的特徴がないなら基本的客観的善を見つける原理的方法がないという批判もある。しかし、人々の熟慮的判断を検討すれば、かなり特定された基本的善のリストを得ることができる。たしかに、何が基本的善とされるかは一定程度文化に依存するが、むしろかなりの一致があるという点を強調すべきである。