えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ブルセと病気の局在化 & 近代における有限性の構造転換 フーコー (1963) [1969/2011]

臨床医学の誕生 (始まりの本)

臨床医学の誕生 (始まりの本)

  • フーコー, M. (1963) [1969/2011] 『臨床医学の誕生』 (神谷美恵子訳 みすず書房)

序論
第十章 熱病の問題 / 結論 ←いまここ

第十章 熱病の問題

  • ビシャとその後継者らの病理解剖学的方法は、二系列の問題を提起した。
    • 【第一の問い】疾患と器官の損傷にはどのような関係があるか
      • 器官の損傷は、疾患自体なのか、その最初の現れなのか、それとも疾患の直近の原因にすぎないのか
    • 【第二の問い】全ての疾患が対応する損傷をもつのか
      • ビシャは熱病と神経症を例外とし、ラエンネックやベールは、損傷を伴う疾患(=器質的)と神経的/生命的疾患を区別した。
      • ここで逆説的にも、分類学的なピネルの思想が再発見される。
  • 病理解剖学は、疾病分類に基礎をあたえるものだとされた。
  • ピネルに対する評価を覆し、「解剖」=臨床医学的経験のバランスを維持したのは、ブルセだった。
    • しかし人々の記憶には、彼のピネルに対する攻撃と、乱暴に一般的な生理学説しか残っていない……
  • 18世紀末から19世紀にかけて、病気の器質性に関連して問題となったのは熱病だった。
  • 18世紀(臨床医学以前)、発熱とは侵襲や病原性物質に対して自己防衛する合目的的反応とされた。この目的論をもとに、熱病の様々な症状は器質的現象に結びつけられた(悪寒→毛細血管における痙攣と血液の希薄化 etc.)。このことは三つの医学史的意味を持った。
    • (1)一般的な発熱のメカニズムをもとに、局所的な炎症のメカニズムも完全に記述された。
    • (2)一般的発熱と局所的炎症の間に、血液という共通の器質的支柱が見いだされた。
    • (3)熱さという現象ではなく、血液の運動や血液の不純物などが発熱の本性であるとされた。
      • 発熱は熱さ以外にもそれ固有の性質を持ち、それに応じて諸々の熱病が区別される。
  • 熱病の症候論的分析と解剖学が出会ったのはビシャよりずっと前であったが、熱病に対応する損傷は必ずしも見つからなかった。このため、局在化無しに、熱病の諸形態を症状によって分類することが必要となった。
  • このことは、ピネルにおいてもそのまま保存された。
    • 損傷が無い熱病は本態性であり、局所的損傷のある熱病は交感性である。そして熱病の様々な形態は、身体のどこに〔問題があるか〕によって分類された。
      • ところがこの分類法には矛盾がある。熱病は一般的には、どのような帰結を生み出すかで定義され、器質からは切り離されている。ところが個々の熱病の分類においては、器官の空間的布置によって分類されている。だとすると熱病の本態性には、もはや局在化可能性という内実しか残っていない。
        • ここから、ピネルが新しい解剖学的知見を取りこめると思ったこと、また彼が局在論の祖とみなされたことも理解できる。
  • 〔ピネルにとってこの矛盾が可能だったのは〕、彼が局在化していたのは疾患ではなく症候だったからだ。
    • 器官の損傷は病の結果にすぎず、その局所性は病が識別可能になる場所を示すにすぎない。ピネルにとって、病の本質的構造は局在化に先立つ問題だった。
  • ブルセの「一般に承認された学説の検討」(1816) は、この矛盾を告発した。局在化が成功するほど、本態性はなくなるのでなければおかしい。
    • ブルセは、発熱と炎症は同じ病理的プロセスだという以前の考えに回帰する。しかしこれは彼がビシャの組織原理に基づき、熱病の研究は器官の侵食表面を発見しなければならないと考えたからだ。
      • 熱病は、一定の器官表面における炎症が、組織の拡散の論理(交感)に従って他の器官へ広がっていく、という単純なものになる。
  • これこそ、ビシャの成し遂げた概念的転換だった。ある局所的疾患〔=炎症〕が、一般化〔広がって〕することで、各疾患の特殊症状が生まれる。ここにおいて、特殊症状はもはやある疾患の局所的症候ではない。局在化するのはある一般的な症状〔=炎症〕なのである。
    • 特殊-局在化/一般的-全体的変化といった旧来の概念対が分離する。
      • 〔炎症は局在化しているが、全ての熱病に共通な一般的疾患である。逆に、ある種の熱病の特殊症状は、それ自身どこかに局在化するような単位ではなく、炎症が広がったものにすぎない〕。
  • この時、「炎症」とは、器官の動きの局所的昂進による組織の解体の機能不全という生理学的な現実〔⇔症候〕となる。
    • この現象を捉えるため解剖が必要になるのだが、諸器官の役割や交感性が完全に知られていない以上、解剖には限界がある。そこで、症状から侵襲の位置を推論するために症候論が必要になる。
      • このまなざしは、ビシャよりも新しい。〔臨床医学の原理である〕可視性の原理の結果としてビシャは局在論に導かれた。しかしブルセの場合、局在論がまずあり、病気が可視的なのはそのことの二次的帰結にすぎない。医学的まなざしの絶対的な空間化が起こっている。
  • では、炎症はなぜおこるのか。局所的昂進が可能なのは、あらゆる組織の中にある種の運動能力、ハラーのいう「刺激性」があるからだとブルセは考えた。炎症はある局所での刺激状態の増加である。
    • このようにして病気の局所的空間が同時に原因の空間でもあることになる。その結果、〔症候論が想定したような〕固有の型を持つ病気の本体が消滅した。病気固有の型であったものは生体の中に空間的に位置づけられ、〔その進行は〕因果論的に理解された。病は、刺激的原因に反応する諸組織の複雑な動きにすぎなくなった。
  • かくして病気の存在論は解体された。しかしこれは、「器官の病に(解剖学的、とくに生理学的な)医学的方法を適用する」というポジティヴな観念の一部であった。
    • 「器官の病」概念によって医学的まなざしの空間は諸器官に満たされた。未だ抽象的な「刺激性」概念はやがて消え、病の空間は器官の空間そのものとなる。諸疾患の医学の時代が終わり、病理的反応の医学が始まる。
  • ブルセと追随者は本態性熱病を回避するために、交感や刺激状態といった古い概念を持ち出し、病理学的一元論にたち、瀉血をした。これらの点を同時代人達が批判したのは正当ではあったが、批判者の解剖=臨床医学的まなざし(少なくとも臨床に対する解剖のバランス)は、まさにブルセが打ち立てたものだったのだ。
  • ブルセによって、病める有機体への医学的まなざしが可能となり、現代の医学的まなざしの歴史的・具体的アプリオリが整った。

結論

  • 本書が扱ったのはわずか半世紀だが、しかし重要な期間だった。患者に対する個別的認識が構造化されたのみならず、病院や社会的関係のあり方、そして言語が変わった。すなわち、「見えるものを言うことによって人に見せる」という慣用で科学的言説が再定義された。この言語は、真理がそこで生まれ現れる空間としての屍体空間をあらわにするのだ。
  • 空間・言語・死が分節化されるこの解剖=臨床医学的方法という構造こそが、実証医学の歴史的条件である。自然ではなく死と関連づけられることで、病はどこにあるかわからないものから、分析に対して完全に開かれたもの、個人の生きた身体の中で具体化するものとなった。
  • 死の経験から個人の科学たる医学が誕生し、非理性の経験から心理学が誕生した。一般的に言えば、現代においては、〔本人の〕死に結びつけられることによって、言語の普遍性に個別性の相貌があたえられ、各人の言葉には力が宿る。逆説的にも、個人は己の有限性を通じてその個別性を普遍的に語ることが可能になる。
  • 〔医学や心理学にも見える〕個人が主体であると同時に客体でもあるという可能性は、有限性の構造にかんする逆転を意味する。古典時代以降、有限であることは単に無限でないことを意味するのではなく、ポジティヴな意味合いを持つようになった。〔近代の〕人間学的構造は、限界を設けるとともに起源を作る。この哲学的条件が実証医学を可能にしたと同時に、経験的に言うと、実証医学が人間を有限性と結びつける突破口となった。諸人間科学における医学の特権的地位はここから生じる。
  • この実証医学の思考は、客観性のなかで隠されつつも己をあらわにする個別性を言語化しようとする叙情主義と等しい。〔むしろ、〕臨床医学の形成とは、〔近代における〕経験の根本的な構造変化がもっとも目に見える形で現れたものなのだ。
  • 18世紀末期以来、西洋文化はある構造を生み出した。しかし、それはまだ完全には解きほぐされてはいない。