- 作者: Carol Berkenkotter
- 出版社/メーカー: Univ of South Carolina Pr
- 発売日: 2009/01/15
- メディア: ハードカバー
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- Berkenkotter, C. (2008). Patient Tales. Colombia: University of South Columbia Press.
1. Case histories in the hospital and the medical journal in Enlightenment Scotland
1800年ごろスコットランドにおいて多数の医学雑誌が現れた。そこには様々な情報が含まれていたが、重要なのは新奇な疾患あるいは既存の疾患の詳細が提示された症例報告であった。患者の症状、検査結果、治療法、結果を書き記すこのジャンルにおいては、「読み手をベッドサイドにつれていくこと」を可能にする表現法が重要となった。これは、科学報告における「潜在的証言者」(Shapin 1994)を生み出す技法の対応物である。
そもそも患者を体系的に記録する習慣は、18世紀中盤にエディンバラ王立病院(RIE)ではじまった。当時のアサイラムの「症例本」は記述も簡略で書き方も場所ごとにバラバラであり、標準化が進むのは1845年の「精神病者法」によって議員の検査が入ってからだ。だがRIEでは症例記録が教育のなかに含まれていた。RIEでの医学教育は権威とされ、エディンバラ医学校で各国の若者が学んだ。このことにより、患者の記録・ジャーナル・入退院や死亡統計からなる一連の報告システムの整備が進んだのだ。
スコットランド啓蒙期には、聖職者および医者の教育における修辞の役割を強調した思想家がおり、ジャンルやスタイルごとの慣習を模倣する訓練が重視された。エディンバラ医学校での教育も、教授の症例と講義の模倣を重視した。症例の模倣は、症状や言語報告をもとに疾患の知識をえる方法も身につけさせた。この方法は帰納的であり、あらかじめの疾病分類があったわけではない。
この帰納的で観察に基づく知識の生産者かつ消費者であったのが、卒業後の開業医だ。彼らはジャーナルにより新しい知識を普及させるとともに、そこから最新の症例、治療法、統計や様々なニュースなどを学び、実践に取り入れた。既に18世紀後半の時点でこうした新しい知識生産の形は花開いていた。
だが全てのジャーナルが同じように成功した訳ではない。1757年ロンドンで創刊のMedical Observation and Inquiresは、創刊の辞にベーコンを引用するほどベーコン的経験主義に忠実であり、衒学趣味を戒めほとんど症例のみで占められた。しかしこれは結局3巻しか出版されなかった。一方1805年に編集方針を転換しEdinburgh Medical and Surgical Journal (EMSJ) と改名したジャーナルはは症例を中心としつつ、関連する様々な情報を載せる編集方針をとった。病の起源や治療法の比較研究、流行病の情報、動物との比較研究など多様な論点の論文を歓迎し、本のレビューやニュース、意見交換も載った。ここから、18世紀後半と19世紀前半の医学雑誌の違いが見える。前者では、重要な医学的知識生産の場はベッドサイドだという狭い見方がとられている。しかし後者は関連する様々な情報が知識生産にとって重要だという広い見方をとり、と同時に医師という共同体、専門家アイデンティティを形成させる場を提供したのだ。
Atkins (1992) はEMSJ掲載論文250年分(1731-1985)をデータベースとし、様々な特徴の変遷を明らかにした。重要な点として、症例はどんどん包括的なものになっている。一人の患者の詳しい症例報告が、互いに無関係な複数の患者のものになり、複数の症例が一つの疾患と治療にかんする一般的議論のために用いられるようになる。特に1945-85の期間では、一論文あたりの症例数は50から100にまで増加し、個別事例の詳細はほとんど消えた。
この研究は,医学一般の専門化の様子について俯瞰的な見通しを与える。だが、症例のジャンルごとにより詳細な分析が必要だろう。特に精神医学の症例の変遷は内科のものと異なると考えられる。まず初期のジャーナルの情報は病院経営や他国のアサイラムに関するもので、フロイトの影響が強くなるまで個別の患者の治療という問題はあまり出てこなかった。そして多くの精神疾患は身体的な症状が殆どない。精神医学における症例の発明者はやはりエディンバラ医学校で学んだハスラムである。次章ではまず彼の貢献を見ていく。