Moral Psychology: Free Will and Moral Responsibility (A Bradford Book)
- 作者: Walter Sinnott-Armstrong
- 出版社/メーカー: A Bradford Book
- 発売日: 2014/02/21
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログ (8件) を見る
- Sinnott-Armstrong, W. ed. (2014) Moral Psychology
- Ch.1 Nahmias, E. Is Free Will an Illusion? Confronting Challenges from the Modern Mind Sciences.
- Ch.5 Mele, A. Free Will and Substance Dualism: The Real Scientific Threat to Free Will?
- Ch.6.1. Holton, R. Hold off on the Definitions: Comments on Baumeister ←いまここ
- Ch. 7 Montague, R. The Freedom to Choose and Drug Addiction
- 〔標的論文である〕バウマイスター論文前半の懐疑論への対処は完全に成功とは言いがたい。とはいえ、それは後半の科学的理論の話とは独立のこと。ここでは、Bの実証的描像のための哲学的下働きをするが、懐疑論をよりよく退けようというのではない。搦め手から行く。
- 認識論の歴史から学ぶ: 知識の定義 → 懐疑論への応答
- 定義はついぞ見つかっていない
- 落ち着いて考えれば、ある概念が別の概念で定義できるとなぜ期待できるの……?
- 最近の認識論:日常的な知識の事例から出発し、そこで際立っているものは何かを明らかにしようとする
- 定義とか懐疑論への応答とかはしない
- 定義はついぞ見つかっていない
- 自由意志論も同じようにすべきでは?
- 自由意志の定義 → 両立問題 ……うまくいっていない
- 自由意志の定義から出発するのがいけないのではないか?
- Bが検討した懐疑論(1)自由意志は因果から解放されている必要がある。
-
- Bの言う通りこれは興味深くない。
-
- (2)共時的決定:科学によれば思考過程は神経の発火に過ぎない。神経が自由という事はあり得ない。従って自由意志はない
-
- Bは説明の非還元性に訴える標準的反論を行った。
- しかし、この応答が問題の核心を捉えているかどうかは定かではない。
- 机が原子からなるといって机が存在しないことにはならないように、還元主義の主張自体からは自由意志の非存在は出てこない。自由意志が脅かされるのは、(3)と結びついたときのみ。
-
- (3)通時的決定:「ある時点での事物のあり方は以前の在り方によって決定されている」
- そして(3)から脅威を出すには、還元主義よりも弱いSVで十分。
- SV:性質間の決定関係。(a)高次の性質が変化するなら必ず低次の性質も変化する。しかし、(b)低次の性質が変化するなら高次の性質が必ず変化する、という事はない。
- 例:タージ・マハルの形 −supervene on → 写真のピクセル
- (a)この形がタージ・マハルの形でない場合には必ずピクセルの配置が変わるが、(b)ピクセルの配置が変わるとそれが必ずタージ・マハルの形でなくなるわけではない。
- 例:タージ・マハルの形 −supervene on → 写真のピクセル
- Bが採用するような非還元主義は、「心的なものの物理的なものへのSV」というアイデアによって整理される。
- SV:性質間の決定関係。(a)高次の性質が変化するなら必ず低次の性質も変化する。しかし、(b)低次の性質が変化するなら高次の性質が必ず変化する、という事はない。
- 時点t1での物的状態がそれ以後のt2での物的状態を決定するとし、かつ心的なものの物的なものへのSVが成り立つなら、t2での心的状態はt1での物的状態によって決定されていることになる。
- そして(3)から脅威を出すには、還元主義よりも弱いSVで十分。
- Bがこのタイプの懐疑的挑戦にどう答えられるのかはよくわからない。
- 返答1:Bは物的なものは決定されているのではなく確率的なあり方をしていると考えている。
- この主張の是非は物理学および物理学の哲学でもまだ論争中
- また、確率論的説明が自由意志を救うことができるかはわからない。
- 返答2:決定論は「仮に真であってさえ、心理的理論にも日常生活にも役に立たないので」、誤りである。
- 意味が……
- 返答1:Bは物的なものは決定されているのではなく確率的なあり方をしていると考えている。
- とはいえ、懐疑論を避けようというBの嗅覚は正しい
- 決定論を否定するのではなく、そこから帰結すると考えられている懐疑論を排除せよ。これはもちろん両立論を採ることになるが、両立論的な自由意志の定義を探そうと言いたいのではない。
- 自由意志の定義に依拠しているのは懐疑論の側だ。
- 決定論は事物の別様の可能性を否定するが、この「可能性」が自由意志に必要な種のものだと何故考えなくてはいけないのか?
- (ありうる理由1)それが自由意志という概念の意味するところなのだという分析・根拠があるから
- (ありうる理由2)多くの人がそう考えているから
- 決定論は事物の別様の可能性を否定するが、この「可能性」が自由意志に必要な種のものだと何故考えなくてはいけないのか?
- このどちらかの道を進まなければならないと思われるかもしれないが、そうではない。定義から出発する必要はない。
- 物質の定義や生物学的種の定義から始める化学者や生物学者はいない。始めるにせよ、固執しつづけない。良い定義は後から発見される。
- 自由意志も同じように扱うべき。定義から始めると暗黙的な先行理論から始めることになる。そこに含まれる洞察は無視すべきではないが、特権視すべきでもない。なぜなら、そこには自分自身のありまほしき姿に関する見解も反映されがちだからだ。このため認識論では偶然に左右されず完全に保護された知識という構想を生み、デカルト的懐疑論が生じた。同じようにして因果的力に左右されない自由意志という構想、そして懐疑論が生み出されているのではないか。
- 化学者や生物学者と同じように、現象から出発しよう。
- 自由意志概念の複雑さゆえに、その現象は複雑なものとなる。というより、その複雑性を一手に担うものがあるのかどうかこそ発見しなければならないことの一つだ。例えば、道徳的責任、自律性、自由の経験、この3つの役割を同時に担う単一のものはあるか?
- Bの仕事は3つ目の点に直接かかわる。自由の経験を強調しつつも、それが結局何の経験なのかまで考える哲学者は少ない。Bは自由の経験の源泉の一つに「選択」があることを説得的に説明している。
- 選択肢のうち何が選ばれるかは、先行する意図、信念、欲求によって無媒介に決まるのではなく、選択という努力を必要とするリアルな過程がある。そして選択は後続の行為の決定に本当に影響する。
- これはHoltonが重要だと思った部分にすぎない。Bの言うようにこの現象は文化を持つ動物でのみ進化したのであり、選択は社会的意味と関わっているのかもしれない。この話は措いておく。
- 我々には自由意志に特徴的な特性がたくさんあり、それらはおそらく決定論と両立する。
- 決定論が正しくても選択の効果がなくなることはない
- 信念・欲求・意図が行為に影響を与えなくなるわけでもない
- もちろん決定論が正しければ、選択も信念欲求意図も以前の物的状態に決定されている。しかしそのことが自由の経験に影響するとは思えない。ただ、この点に関しては今後実験が必要だろう。
- 哲学者は失業か?
- 実験結果が集まるほど概念的作業が必要となる。つまり哲学は最初に除けられてしまうものではない。継続的で啓発的な共同作業が求められる。