えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

「俗流社会生物学者」の語る「哲学」 キッチャー (1992)

  • キッチャー, Ph. (1985) [1992] 「野望の跳梁:社会生物学は人間の本性に迫れるか」(三中信宏訳), 『現代思想』 20, (5) : 62-92

  なんとこんなところにフィリップ・キッチャーの翻訳があったんですね。キッチャーは戸田山科学哲学入門で説明の統合モデルの人として紹介されたのが有名でしょうか。

  『現代思想』のこの号はドーキンス特集で、他にもハルやレスリー・ロジャーズ&ギゼラ・カプランの翻訳もあります(ロジャーズ&カプランのコンビは最近サンスティン&ヌスバウム 2004 (2013) 『動物の権利』(尚学社)でも翻訳されてましたね)。目次は古本屋さんのサイトになりますがこちらに掲載されています。

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  この論稿は次の本の抄訳です。

  ここでキッチャーは「動物行動の進化についての最近の理論を根拠にして人間の本性と人間社会の制度に関する一般的主張をする」人たる「俗流社会生物学者」を批判していきます(実際の的は殆どE.O.ウィルソンです)。トピックとなるのは「利他主義への懐疑」、「自由意志への懐疑」、そして「倫理の自然化」の3点です。

  各トピックとも主張内容は標準的なものです。利己主義に関しては概念的不備を指摘し、自由意志に関しては価値に従った行為を重視するタイプの両立論が擁護され、倫理の自然化に関しては、ウィルソンの議論の荒っぽさをいちいち突きつつ、規範的主張に事実に関する情報を与えてやる以上の役割は科学にはないと論じます。ウィルソンが自分の主張の根拠として社会生物学の知見をいかに使って「いないか」を暴く手つきが鮮やかで、マザーテレサさえも利己主義者だとする論に「それ社会生物学関係ないただの下種の勘繰りやん(大意)」と返しています。