えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

心理学史におけるカント Boring (1950)

 心理学史の古典からカントにかんする部分を翻訳しました(生涯はのぞく)。要点は二つです。

  • (1)カントはイギリス経験主義によって殺されかけていた二元論的発想を復活させ、この影響からドイツの心理学者達は心を神経活動以上のものとみなし続けた。他の地域ではこの傾向は薄かった。
  • (2)感性と悟性の形式に関する議論は、特に空間知覚について生得主義に支持を与えた。カントからミュラー、ヘリング、マッハ、シュトゥンプという生得主義の伝統はゲシュタルト心理学にまで続いている。

   ◇   ◇   ◇

 カントが心理学に、つまり新しい実験心理学にあたえた影響は二つある。(1)「主観主義」に賛同し、脳や身体過程に還元できない心的現象が重要だという信念を存続させた。(2)空間の理論における「生得主義」に支持を与えた。というのは、空間と時間は客観的な外的世界ではなくなり、アプリオリな直観という形で主観化されたからだ。

 ロックの経験主義がヒュームの懐疑論につながった理由は、その主観主義にあった。ロックによれば「心の直接的対象は、どのような思考や推論の場合であっても、そこにある観念である。心が観想する、できるものはこれしかない。私たちが知識を持てるのは観念についてだけだということは明らかである」。しかしロックは、自分の結論がもつ全ての力を受け止めきらなかった。というのも二次性質の理論は、いくつかの感覚質はそれを生み出した対象の性質と種において対応しないと主張しつつ、しかしながら対象それ自体は知られうる、心が対象それ自体を知ることが可能だとも主張していたのだ。バークリはさらに進んで、物体の知識が心の気づきからどう生み出されるのかを示そうとした。ヒュームの懐疑論はさらに極端なことに、原因と結果という概念をも主観化してしまった。継起が繰り返し観察されることで、因果の概念が生まれるのだ。また、自我という独立した何ものかの存在に疑念が呈された。ただしヒュームでさえ一貫して主観主義的な訳ではなかった。というのは、観念とは印象のぼんやりした写しにすぎないという説は、印象が観念を引き起こしていることを含意しており、したがって印象は何らかの種の外的世界とより直接的に関係しているということを含意しているからである。彼らが主張したような極端な主観主義は、結局のところは不条理につながる他ないようにみえる。

 この主観主義的懐疑論と宗教上の要請のあいだで妥協を求めたのがカントだった。カントは心の担当部分を適切な領域のなかに定め、これを物自体と対置した。物自体はこの領域の「外の」対象であり、心が直接的に知ることは出来ない。ロックは「あらかじめ感覚のうちになかったものは、知性の中にはない」と言い、ライプニッツはここに「ただし知性自身を除く」と付け足した。モナドには予定された調和があるという考えを退けたカントは、経験に先立つ知性の本性とは何かを見定めようとしたのだった。

 知性の本性を理解するためには、知性が担当しているものの本性を探求すればいい。まず、悟性の「カテゴリー」というものがある。これは、単一性、全体性、現実性、実在性、必然性、相互性、因果性などの属性のことで、全部で12個ある。このカテゴリーは心に備え付けられているもので、これにそって経験というデータが配列される。これらの属性は外から来るのではなく内から来るのだ。カテゴリーに加え、時間と空間がある。これらはアプリオリな直観、提示、現れかたである。直観 [Anschauung] という言葉はIntuitionと翻訳されるのが常だが、ドイツ語をそのまま使った方が良い。というのもこの語は、対象の空間的配列が知覚において与えられることを含意しているからだ。物自体は、「それ自体で」空間と関係しているようなものではない。そうではなく、物自体は直観によって空間的関係の中に引き入れられる。心においては、空間という知覚的秩序が必然のものだからだ。

 同じように、出来事には時間が刻まれる。ある意味では、空間は時間よりも客観的な直観だと言える。なぜなら、空間が対象同士を結びつけるものである一方で、時間は出来事を知覚者と結びつけるものだからだ。〔とはいえ、〕「本当の」世界には時間も空間も無い。本当の世界を理解しようとするときにのみ、時間と空間が与えられるのだ。

 カントは、「二律背反」を論じることで心の担当部分がどこなのかを強調した。二律背反とは互いに矛盾する命題の特定のペアのことで、2つの命題はどちらも同じくらい正しく必然的であるようにみえるのに、互いに両立しない。3つの二律背反を挙げてみよう。(1)空間と時間は有限でなければならないが、しかし空間と時間は無限でなければならない。(2)全ての実体はその部分へと分解可能でなければならないが、究極的で部分へ分解できない実体がなければならない。(3)原因のある行為の他に自由な行為がおこるのでなければならないが、全ての行為には原因があるのでなければならない。これらの矛盾は、〔そこで問題となっているものが〕直観の付随物、経験の把握され方と関連づけられることで消え去る。空間は、その中で知覚されるものとの関連でのみ存在するのであり、そして知覚が実際に無限であることは決してないのだ。

 カントは主観的世界と客観的世界の関係を再肯定したが、これは難解であり本書で十分な理解に至ることはできない。カントが心理学に与えた影響について理解することで満足せねばなるまい。

 カントはドイツ観念論を打ち立てる中で、心理学におけるデカルト的「二元論」を再建した。これはイギリス経験主義によって脅かされていた立場であった。従ってカントの後、ヘルバルトやフェヒナー、ヴントが、心が神経活動以上の何かであることを当然視したのも自然なことであった。彼らの時代に始まった新しい実験心理学は、意識の科学として自らを組織立てていったが、これはほとんど運命付けられたことだったのだ。一方でフランス、イングランド、ロシア、アメリカでは、心理学は客観的なものになりやすかった。ドイツは意識に対して、あるいはゲシュタルト心理学者の言い方を借りれば現象的経験に対して、忠実であり続けたのだった。

 もう一つ別のカントの影響は「生得主義」だった。この点で、ヨハネス・ミュラーは空間知覚の理論においてカントに従った。ミュラーにおいてはそう目立ったことではなかったが、しかし後にロッツェが指摘したように、生得主義的な理論というのはほとんど理論の体をなしていない。なぜなら、空間性は所与のものだと主張するだけでそれがどう生み出されるのかを示さないからだ。ヘルムホルツが空間知覚について経験的な見解を最初に擁護した時、彼はまずカントへの攻撃から始めなければならないと感じていた。だが後に見るようにヘリングはカントに従いヘルムホルツと争った。そこへいくと今日のゲシュタルト心理学は、カント・ミュラー・ヘリング・マッハ・シュトゥンプの嫡流に忠実であり、心理的場における出来事を説明するのにその場がもつ所与の性質に訴える点で生得主義である。

 ドイツにおけるカントの直接的継承者は、フィヒテ(1762-1814)、ヘーゲル(1770-1831)、そしてシェリング(1775-1831)であった。継承者というのは時代と思想両方の面でそう言うのだが、ただ彼らの重要性は哲学史上のものであるから、本書では扱わない。この三人は互いに同時代人であったが、別の同時代人にヘルバルト(1776-1841)がいた。彼こそ、経験主義に回帰することで、当時の伝統に自らを対置した人物であった。実際、ドイツの思想の中で見れば、ヘルバルトの心理学はライプニッツから直接きている部分が多く、その間にいた人々の影響は少ない。また彼の心理学は、カント主義よりもイギリスでの思想の展開のほうと親和性が高いのである。