えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

コメント:バイパス仮説と通り抜け仮説 Björnsson and Pereboom (2014)

Moral Psychology: Free Will and Moral Responsibility (A Bradford Book)

Moral Psychology: Free Will and Moral Responsibility (A Bradford Book)

  • Sinnott-Armstrong, W. ed. (2014) Moral Psychology
  • 最近の自由意志懐疑論には2種類ある

1.自由意志に必要な種の意志が因果的効力を持つことを否定(神経科学)
2.効力は否定しないが、意志は、ある種の道徳的責任、すなわち基本的な「功績」(desert)に必要なレベルの制御を達成できない(哲学)
※基本的な功績:帰結主義/契約主義的考慮ではなく、「ある行為を(その道徳的身分に可感的でありつつ)行った」ことのみにより、行為者が賞賛/非難を受けるに値するということ。(Pereboom 2001, 2012)

    • 基本的な功績を否定しても、非基本的な〔帰結主義・契約主義的な〕功績は残る。この「非基本的功績と決定論の両立」から「両立主義者」を名乗るものもいるが(Jackson, 1998)、それだと全ての哲学者が両立主義者になってしまう。真の両立主義は〔基本的功績に関するテーゼとして理解すべき〕。ナーミアスは真の両立主義者。
    • この意味での自由意志は一般的な決定論との両立を問題視されがちだった。しかしより適当な問題は、「自分の制御下にない要因による行為の決定」との両立可能性だ (cf. Sartorio, in press)。

操作論法(e.g. Pereboom, 1995,2001; Kane, 1996; Mele, 2006)
ある主体の行為が別の主体により因果的に決定されているとする(例えば神経科学者が脳を操作している)。この主体は両立主義的な自由意志の条件は満たすが、直観的に言って道徳的責任があるとは思われない。この例と決定されている普通の事例の間には何の差も無い。従って、決定されている普通の事例でも行為者に道徳的責任は無い。

    • さらに、非決定論との両立可能性を問題視するのが……

運論証
出来事因果的リバタリアンの描像によれば、行為者が関与する因果的条件によっては、後続の意思決定のどちらが選ばれるかはオープンになることがあり、行為者は決定に対して更なる役割を果たさない。このため、行為者は道徳的責任に必要な制御を欠く。(Pereboom, 2001)

  • ナーミアス論文は主に1.に焦点をあてた。まず高レベル因果は未だ係争中のトピックだが賛成できる。つづいて「モジュラー随伴現象説」に対する反論にも概ね賛成。
    • まず意識的現象の対応物を直接見つけることは難しい(リベットの実験の場合、RPは何の相関物なのか?)。
    • 次に、今日ほとんど全ての自由意志擁護者は、自由意志が出来事の無際限の連鎖によって引き起こされており、そのなかには無意識的な出来事もあるということを認める(非両立論者も; De Caro, 2011)。なので、行為の先行物として無意識出来事を発見したり、その予測力が高いことを示しただけでは、自由意志を否定できない。
    • また、リベットの実験状況が非日常的だという指摘も正しい。ふつうは、一般的な行為へ意識的意図を形成したら、その個々の実現に特定的な意識的意図は伴わない。そしてこの場合意識的意図は重要な因果的役割を持つ。

バイパス

  • ナーミアスは非両立主義に反対し、その直観は不当にも決定論が「バイパス」を含むと前提していると論じた。この論点はナーミアスの両立主義にとって重要であり、「バイパス」は丁寧に定式化する必要がある。例えばNahmias (2011b) によれば……

一般的に言って、行為者の心的状態や出来事(信念、欲求、決定等)がバイパスされているのは、その行為者の心的状態が結局何をするかに違いをもたらさないような形で行為が引き起こされる場合である。

  • しかしこの「違いの生産」というのは2つの読みが出来る。
    • (1)法則的読み

行為者の判断の生起が行為の生起を含意し、判断の不生起は行為の不生起を含意する(Hume, 1748; Lewis, 1973)

    • (2)「究極的」違い生産者読み

違い生産者は宇宙の因果体系における独立変項であり、その系における他の変項の値によって決定されることがない(cf. van Inwagen, 1983)

  • 決定論が(1)を排除する(バイパスが生じる)と被験者が考えているなら確かに誤りだ。しかし(2)を排除すると考えるのは全く誤りではない。(2)の理解のもとで非両立論的直観が出てきているなら、この直観を決定論の誤解に基づくとして一蹴するのは正当でない。これをふまえナーミアスの実験を再考しよう。
  • ナーミアスは自由意志&責任信念とバイパス信念の高い相関を発見したが、その際バイパス信念は、〔決定論的宇宙Aの記述を読んだ上での、〕以下の言明に対する賛成の度合いで測定される。(Nahmias & Murray, 2010)

1.制御無し:宇宙Aでは、人は自分の行うことを制御できない
2.決定:宇宙Aでは、人の決定はその人が結局何を引き起こすことになるのかに何の影響も及ぼさない
3.欲求:宇宙Aでは、人の欲していることはその人が結局何を引き起こすことになるのかに何の影響も及ぼさない
4.信念:宇宙Aでは、人の信じていることはその人が結局何を引き起こすことになるのかに何の影響も及ぼさない
5.過去の違い:宇宙Aでは、起こる全てのことは起こるべくして起こるのであり、過去に起こったことが異なっていたとしてもそうなる。

  • 1. 制御無し:これはおそらく(1)法則的読みで読まれることが意図されている。しかし、(2)に対応する「制御」理解もあり得る。例えば、操り人形は操作者に完全に依存しているので、人形を制御している訳ではない。
  • 2. 決定、3.欲求 4.信念:にも、同様の2つの読みがあり得る。 被験者は、こうした状態/出来事は決定論的世界では究極的な違い生産者にならないと考えたのかもしれず、その場合は別に混乱していない。
  • 5. 過去の違い:意図されている読み方は多分こう

普遍的バイパス
宇宙Aの実際の出来事全てに関して、先行する出来事が異なっていてもその出来事は起こっただろう。

しかし、「起こるべくして起こる」というのは次のようなバイパスを含意しない読みをも許す。

反事実的でロバストな決定論
たとえ過去が違っていたとしても、宇宙Aにおける各々の出来事はその過去と因果律に従って生起する。

  • 以上のようにこれらの言明は、心的状態が「バイパスされる」のではなく「通り抜けられる」という理解を許容している。
  • さらに、Björnsson (in press) は決定論記述に関して直接次の言明をテストし、高い賛成、および低い反対(=バイパス信念の不所持)を見いだした。

通り抜け
宇宙Aでは、ある先行する出来事が行為者の行為を引き起こした場合、その先行する出来事は行為者の信念や欲求に影響を与え、この信念や欲求が原因となって行為者は行為を行う、という風になっている。

  • またこの通り抜けスコアは自由意志スコアと相関せず、非両立主義的直観は誤ったバイパス解釈から生じている訳ではないことが示唆されている。
  • また、通り抜け解釈が自由意志の低スコアと相関することを期待できる一般的理由がある。
    • (1)究極的違い生産者の欠如が自由意志を脅かすと考える人(=通り抜け解釈を持つ人)は、シナリオを実際に自由意志を脅かすものとして解釈しやすい
    • (2)「影響する」「制御する」「違いをもたらす」は説明概念だが、素朴な道徳的責任概念も説明概念である。すなわち、〔決定論的説明視角を採用する人は素朴心理学的な説明視角を採用しない〕(Björnsson & Persson, 2012b)。
  • どちらの説明によっても、非両立論的直観の所持者(自由意志信念低スコア)が、「違い生産者」の法則論的読みを決定論に誤って読み込んでいると言う必要は無い。

自由意志と科学

  • ナーミアスは「自然主義が正しければ自由意志はない」と単に仮定することはできないと正しく指摘した。しかし上記の〔哲学的〕懐疑論が健全なら、この仮定は真かもしれない。操作論法が正しいなら自然主義的な自由意志の説明はおそらく排除される。
  • またナーミアスは、我々はどのくらい自由意志を持つかを科学が明らかにできると言ったが、それは論争含みな両立論的仮定をおいているからの話である。
  • 科学は、我々に「前向きな」意味での道徳的責任〔=非基本的な功績〕がどのくらいあるかは明らかにしてくれるかもしれない。しかし、基本的な功績の方はそう簡単ではなく、我々がこの意味で責任を持つという信念なら説明できるかもしれないが、この意味での責任を実際に持つことを自然主義的に説明する見通しはよりヤバい。