えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

動物実験が実験者側に与える危害 King & Zohny (2022)

はじめに

 コロナ禍において、多くの実験室が一時閉鎖を余儀なくされた。このために、実験動物を大量に殺処分せざるを得ない状況が生じた。一日で数百匹の殺処分を行った研究者もおり、非常に大きな心理的負荷が生じた。

 この事例は、動物実験が––動物自身はもちろん––実験者側にも負荷を課すという問題を浮き彫りにしている。実験者は研究のなかで、動物に意図的に疾病や損傷を生じさせたり、通常の世話をあえて差し控えたり、苦痛緩和以外の目的での安楽死を行ったりする場合がある。これが実験者の福利を損なうのであれば、倫理委員会はその点を倫理審査にあたって考慮すべきである、というのが本論文の主張である。

研究で動物を害することが人間の福利に与える影響

 多くの実験者は実験動物の世話に関与しており、動物に愛着を抱いている。しかし同時に、研究のためにその動物に自ら危害を加えたり、殺処分を行う、あるいはそうした場面を目撃することも多い。

 こうした状況は「世話-殺害パラドクス」とも呼ばれ(Reeve et al., 2005)、実験者に身体・精神の両面で危害を生じさせる。ここでは、この危害が特に深刻な場合––苦痛が大きく、長期間にわたる/反復的で、実験者が実験を最適に遂行できなくなるほどのもの––に特に注目する。以下、これを「利用負荷」と呼ぶことにする。また、実験動物としてはげっ歯類(とくにマウスとラット)に焦点を当てる。2019年のイギリスでは、げっ歯類に深刻な危害を与える研究事例が7万件以上あった。

 動物が被る痛みやストレスが大きいほど、実験者側の利用負荷も高くなることが知られている(LaFollette et al., 2020)。安楽死の頻度と利用負荷との関係は証拠がまちまちだが(Parry, 2020)、安楽死の実施タイミング、実施者、方法などに関する管理不足が強い利用負荷につながっているようだ(LaFollette et al., 2020)。また間接的な証拠として、動物看護師の間で高い情動的消耗、脱人格化、達成感の欠如、認知的不協和などが観察されている(Hayes et al., 2020; Engel et al., 2020)。また殺処分を行う人は業務上のストレスが高い一方で職場満足度が低く(Scotney et al., 2015; Overhulse, 2002)、利用負荷は高い欠勤率や離職率とも関連しており、動物の世話の質の低下や安全上の問題を生じさせる可能性もある(Newsome et al., 2019)。

 利用負荷を緩和する方法は研究途上だが、いくつかの提案がなされている。研修、対話の推奨、カウンセリング、感情労働の分担、安楽死方法の改善、環境エンリッチメントなどである。

倫理委員会の役割

 動物実験を規制する倫理委員会には、動物実験が福利に与える影響を評価する役割がある。だが、ここで言う福利は動物のものにほぼ限られてきた。しかし利用負荷が福利上のコストであるからには、倫理委員会がこれに関心を持たないのは不自然である。また、実際に利用負荷を課せられる人の多くは、研究主導者や施設管理者に対して従属的で脆弱な立場にある(大学院生など)。このような事態は正当化を必要とするし、また緩和が可能であればそれは実験の倫理的改善だと言える。

 たしかに、倫理委員会の評価は、〔個別事例に即した〕倫理的推論との整合性を重視するよりも、確立され明文化された基準に則って行われる方が望ましい。実験者の福利の扱いに関する規範が現行基準に含まれていない法域も多い。だが、現行基準は動物福祉への考慮を確かに求めている。そして、利用負荷が高い実験者は、動物福祉を高い水準で維持できない可能性がある。そうである以上、現行基準でも利用負荷を考慮すべき理由がある。また、動物福祉の改善手段と利用負荷の緩和手段が同一である場合もある(環境エンリッチメントなど)。

 とはいえこれではまだ不十分であり、倫理委員会の用いる基準の中に利用負荷への考慮を明示的に含めるべきである。そしてこれは不可能なことではない。すでに倫理委員会は、実験が人間に与える利益という点では人間の福利への影響を考慮しているのだから、コストの検討にはまったく力不足だなどとは言えないだろう。また、すでに倫理委員会が用いている考え方を利用負荷に応用することもできる。例えば、3Rの実施は明らかに利用負荷を緩和する。また、動物への危害に人間が極力関わらないよう技術を改良することも可能である。

反論と応答
  • 反論1:利用負荷は職場の安全衛生管理上の問題であり、倫理委員会の扱うべき問題ではないのではないか?
    • 応答:安全衛生管理部局がこの問題に寄与しうることは確かだ。実際、研究者へ向けて提案された安全衛生上のガイドラインが、動物実験者のメンタルヘルスへの考慮を求めている例もある。しかし、同じ考慮が倫理委員会に義務付けられている場合もある(米国)。この問題を安全衛生管理上の問題として捉える場合でも、倫理委員会は各プロジェクトを詳細に評価でき、また実施を阻止する権限を持っているため、依然として重要な役割を果たすべき理由がある。
  • 反論2:実験者が自らの精神的健康を危険に晒すとしても、それは本人の自由である。自己危害からの保護を理由としてこの自由を制限するのはパターナリスティックであり正当ではない。
    • 応答:ある業務が従事者の福利に影響を与えるという事実は、正当な公共的関心事である。しかも、利用負荷は実験者当人だけでなく、同僚や組織、また動物にも影響を与える。したがって、倫理委員会の介入は個人の選択に対する純粋にパターナリスティックな介入とは言えない。
  • 反論3:ある種の義務論や徳倫理の観点から言えば、動物に危害を加え殺害する人には有害な感情が生じてしかるべきなのであって、これを緩和することのほうが不正である。
    • 応答:倫理審査を通過した「正当な」危害や殺害に対して、有害な感情をもつことが本当に適切な態度なのかは明らかではない。感謝のほうが相応しいかもしれない。また、実験者が「何らかの」負の感情を抱くべきだ、ということであれば今回の議論とも整合的である。今回緩和を求めているのは、あくまで危害が深刻な利用負荷のみである。
  • 反論4:利用負荷を緩和すると、動物を人道的に扱う動機が弱まるのではないか?
    • 応答:この反論に説得力を持たせるには実証的裏付けが必要である。現状では、むしろ逆の結果を示す研究がある(利用負荷があると動物の世話も悪化しうる(Newsome et al., 2019)/利用負荷を緩和すると動物福祉も向上しうる(LaFollette et al., 2020))。また仮にこの反論が正しいとしても、動物への危害軽減を達成するために実験者への危害を許容するというのは望ましい選択肢ではない。どちらの危害も軽減させるほうがより望ましい。
結論

〔省略〕