えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

「我々モードの社会的認知」 Gallotti and Frith (2013)

http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1364661313000417

  • Gallotti, M. and Frith, C. (2013), Social cognition in the we-mode, Trends in Cognitive Science, 17, 160-165

 人間の他者理解は単に状況から切り離された観察によるのではない。その状況その状況におけるリアルタイムの相互作用によって、さらなる情報が利用可能に可能になる。しかし、相互作用において具体的に「どのように」他者理解が増すのかは論争中だ。

 エナクティヴな立場である「相互作用主義」(Michael 2011)によると、認知は物理的・社会的環境とのダイナミックな出会いによって統制される。ここで環境は、社会的認知の単なるコンテキストを提供するのではなく、むしろ社会的認知のリソースを「構成」する(Jegher et al. 2010)。

 しかし相互作用主義者がうまく分けていない重要な区別がある。それは「他人とともに、世界を理解(make sense)すること」と「自分の生きる世界の一部として、他人を理解すること」の区別だ(Gallagher 2009)。社会的認知研究における「相互作用的転回」のポイントは、後者のような他者理解はその他の対象の理解とは異なるという点に着目するところにある。したがって著者らはあくまで後者の点に注目したい。すなわち、個人が他人の心の知識を手に入れるためのユニークな方途は、相互作用によっていかに可能になるのか。

 社会的な活動に参与する行為者は、パートナーの意図や理由や感情に関するアクセスを持っており、それによって、切り離された観察者には利用できないような新しい行為可能性が開かれる。こうした新しい集団行動を可能にする認知過程を説明するにあって、心的態度には還元不可能な意味で集団的な「モード」があるとする哲学理論(Searle 1990; Tuomella 2007)を参照しよう。この独特なモードを伴った心的過程は、「我々モード」の過程と呼ばれる。


 「我々モード」という概念の根本思想は次のようなものです。「相互作用する行為者たちは、共同行為に対する自分の寄与を、<自分たちが一緒に(「我々」として)追究しているものに対する寄与>として表象することで、自分たちの心を共有する」。たとえば、集団の一員としての私の行動は、私が持つ<われわれが何をしているのかの表象(「我々表象」)>によって、ガイドされる。実際、自分が行う課題を集団全体の達成への寄与として表象するか、それとも自分一人で行われているものと表象するかによって、課題のパフォーマンスが変動することが知られている(Tsai et al. 2011)。

 自分の行動を全体への寄与として理解するためには、パートナーの視点を取得することで相手の潜在的/現実的行為の共表象を形成する〔=つまり、相手の行動を表象によってトラッキングできる〕ことが必要だ。共表象は、協調状況のモニタリングの役割を果たし、それに応じた自分の行為の制御を可能にする。また我々は、実際のパートナーだけでなく、相互作用する可能性のある人に関しても共表象する傾向があることが知られている(Ohbi & Sebanz 2011)。つまり、我々モードは自動的・暗黙的なメンタライジングメカニズムとして働くことが示唆されている(Frith 2012)。

 では、相互作用によって豊かな他者理解が生じるというのは結局どういうことなのか。次のように考えることができる。我々モードで思考する集団によって行為が行われるとき、社会的環境は、行為者たちの社会的認知を調整し、それにより新しい行為の可能性を提供するのだ、と。共同行為を可能にするための条件としてパートナーの視点が共表象され、それによって各々の行為者は、単に観察としての視点では手に入らないような記述や概念へアクセスできするようになる。そしてこのことによって、社会的認知と行動の空間が調整される。