えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ヘルバルトの形而上学と空間論 Hatfield (1990)

The Natural and the Normative: Theories of Spatial Perception from Kant to Helmholtz (Bradford Books)

The Natural and the Normative: Theories of Spatial Perception from Kant to Helmholtz (Bradford Books)

  • Hatfield, G. (1990). The natural and the normative: Theories of spatial perception from Kant to Helmholtz. Cambridge, MA: MIT Press.

Ch. 2 Mind, Perception, and Psychology from Descartes to Hume

Ch. 4 Spatial Realism and Idealism: Kant read, revised, and rebuffed

 ヘルバルトは哲学の目的を概念の改造[Bearbeiten]だと理解する。これはつまり、日常的な諸概念の矛盾を発見し、整合的な描像に作り替えるということだ。ここでいう「概念」は、心理学の対象ではない。これは心的活動ではなく、その活動の対象のことなのだ。ヘルバルトは、カント同様、経験的心理学が哲学の基礎となることを否定している。ただし、カントが演繹にあたって超越論的な「能力」に訴える点をヘルバルトは批判する。能力学説は哲学に不正に持ち込まれた心理学的仮定だと考えたのである。

 ヘルバルトは「実在」の概念を分析することで、世界を構成しているのは、本来的には単一の質しか持たない原子的存在者だという結論を得た。これが「実在者」と呼ばれる。実在者はライプニッツのモナドに近いが、因果的に相互作用することでその状態を変化させる。

 ここで、実在者と空間の関係を見てみよう。ヘルバルトは、空間は実在者に内在する性質だとは考えない(時間も)。実在者同士は空間的関係でなく因果関係で結びついている。この結びつきは「知的空間」と呼ばれる。この形而上学的な空間は、心理学的な空間である「感覚的空間」とは区別される。知性的空間を記述するためには連続的関数が必要であるため、感覚的空間は連続的なものになっているのでなければならない。だがこの連続的空間は、直観のアプリオリな形式ではありえない。というのは、魂は実在者であるからに、ある時点に単一の質しか直観できない。従って本来魂は空間的関係の表象にかかわるものではなく、その直観のアプリオリな形式が空間であるとは考えられないのである。そこで、直観の形式としての空間は、魂とその他の実在者が知性的空間内で因果的に相互作用した結果として獲得される知性的構築物なのだとヘルバルトは考える。この獲得の過程を記述するのは心理学の課題である。

 魂は単純なので、ある時点で一つの表象しか十分に意識することができない。だが私たちの神経系は、一度に多数の表象を魂に喚起する。こうした表象はどれも、意識にのぼろうと努力し、その中で互いに抑圧しあうことになる。ここでヘルバルトは、各表象を力として理解し、表象間の相互作用を心的力学として描き出す。その相互作用を支配する支配する法則が、様々な「再生産の法則」である。空間の獲得にとって重要な法則は、融合[Verschmelzung]である。類似した質を持つ二つの表象が、時間的に近接して呈示されるとき、それらは融合する。これによりある次元にそった表象の系列が可能になる。この系列をもとに、二次元、そしてついに三次元の多様体を展開することができる。
 
 ヘルバルトは以上の過程をより心理学的に現実的なかたちで描いてもいる。視覚を例にすると、網膜の像には左右・上下といった空間的特徴があるが、これらの特徴は魂の単一性の中では失われるので、本来の視知覚は空間的なものではない。だが私たちは眼を動かすことができ、これによって融合が生じるのである。

 かくして、魂とその他の実在者との因果的相互作用によって、知性的空間と感覚的空間の一致が確立される。だがこの心理学的説明は、感覚的空間が知性的空間を表象していることを正当化するものではない。知性的空間が存在しそれを感覚的空間が表象していることは形而上学によって既に正当化されているのである。このように、ヘルバルトは決して心理学によって哲学を基礎づけようとはしていない(心理学主義的ではない)のだが、この点はヘルバルトの後継者達には受け継がれなかった。