えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

生理学的人間学とは関係ないカントの実用的人間学 Sturm (2008)

http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0039368108000836

  • Sturm, Thomas. (2008). Why did Kant reject physiological explanations in his anthropology? Studies in History and Philosophy of Science Part A, 39(4): 495−505.

 「実用的」な観点から『人間学』を書くカントのアプローチは、同時代の「生理学的」ないし「医学的」な人間学(プラトナー)に対抗するものになっている。カントはなぜ生理学的アプローチを退けたのだろうか。

 18世紀における生理学的な人間学は、身体ないし心の一方ではなく、心身の相互作用を研究するものであった。その研究には、生理学的な知識が導入され、記憶や表象などを神経の観点から説明したり、脳における「魂の座」にかんする検討が行われたりした。

 こうした人間学に対して同時代の批判者は、既存の経験的証拠があまりに断片的であるとか、説明が思弁的にすぎるといった批判を行っていた(ヘルツ、テーテンス)。しかしカントが生理学的人間学を退けたのはこのような理由からではない。カントは、実用的な人間学にとって生理学は「関係ない」と考えたのだ。この考えはおおむね以下のような考察に基づいていた。

 人間には、自分の表象を表象する能力がある。この能力によって人間は自らの振る舞いに対し反省的になり、社会生活の中で従うべき新しい行為の規則や役割を自ら創出し自らに課すことができる。このような規則はその人にとって「第二の自然」となる。社会生活のなかで合理的な反省により変化する「人間本性」を理解するのに適しているのは、信念や欲求や行為などの語彙であって、生理学的な語彙ではない。ところで「実用的」人間学は、まさにこうした社会に埋め込まれた行為者として人間を扱う。というのは、実用的人間学は個々人の幸福ではなく社会の一般的福祉に貢献する学だからだ。従って、実用的人間学にとって生理学的説明は無関係なものである。