えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

共犯関係の問題:iPS細胞研究の場合 Devolder (2010)

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【要約】
ヒトES細胞研究は胚破壊と共犯関係にあり道徳的に問題があると考える人の多くが、iPS細胞研究を歓迎してきた。しかし、ES細胞研究に対する共犯論法はiPS細胞研究にも当てはまる。両者を区別する方法を見つけるか、そうでないならばどちらの研究にも等しく反対もしくは賛成、というのが整合的な態度である。

1. ES細胞研究における共犯関係

 ヒトES細胞研究の倫理にかんする議論では、主にヒト胚の道徳的地位に焦点があてられてきた。しかし、たとえ胚を研究目的で破壊するべきではないとしても、すべてのES細胞研究を非難する必然性はない。ES細胞研究者自身が胚を破壊する必要はないからだ。
 しかし、「ES細胞研究者やその支持者は胚破壊とつねに共犯関係にあり、このことがES細胞研究を非倫理的なものにする」という共犯論法(Complicity arguments)が展開されている。

2. 共犯

 「共犯」という概念は、「他者の不正行為にある特定の方法で関与することによって、みずからも過ちを犯しうる」という考えを捉えている。問題は、どういう種類の「関与」が実際に共犯にあたるかだ。

  • 不正行為への因果的寄与
    • 他人の不正行為に特定の形で因果的に寄与をすることが共犯になるという点は、多くの人が同意している(Gardner 2007)。
      • 例)殺人の教唆や補助
  • 不正行為の発生確率の上昇
    • 特定の方法で不正行為(または将来の同様の事例)が発生する可能性を高めることが共犯になると考える人も多い(Kutz 2007)。
      • 例)ベジタリアン・メニューの代わりに鶏肉を注文する
  • 影響なしの共犯
    • 不正行為の可能性にまったく影響を与えなくても共犯関係が成立すると考える人もいる。
      • 例)ナチスの「医学」実験に基づくデータの利用(Rosenbaum 1989)、銀行強盗の収益などによって賄われたパーティーへの参加(Robertson 2004)

 もちろん、不正行為との関わりの多くは共犯関係ではない。たとえば、以下の事例の外科医が不正行為と共犯関係にあるとはおおよそみなされないだろう。

【殺人被害者の事例】
ある少年がギャングの暴力によって殺害された。少年の両親の同意を得たあと、外科医はドナー臓器を必要としている患者へ移植するために、少年の臓器を使用した。

3. ヒトES細胞研究に対する共犯論法

 ヒトES細胞研究者に対して展開されてきた共犯論法には以下のようなものがある(なお、胚破壊に倫理的問題を認めないならば、共犯関係の有無はまったく問題とならない)。

3.1 ES細胞株の需要増加による不正の助長
  • ES細胞を利用する研究者はES細胞に対する需要を生み出し、胚の破壊を助長する(Doerflinger 1999; Devolder & Harris 2005; Mertes & Pennings 2009)。
    • こうした懸念から、ドイツなどでは基準日(cut-off date)を設けてそれ以降の新規のES細胞株樹立を制限した。しかし、基準日の後ろ倒し(ドイツ)や撤廃(米国)が生じるなど、あまりはうまくいっていない(Guenin 2004)。
    • そもそも、ES細胞研究によって胚の破壊の可能性や頻度が高まるという点を否定する人もいる(Green 2002)。この場合、ES細胞研究は上の「殺人被害者の事例」に似ていることになる。そうであれば、胚からのES細胞の樹立を殺人だと考える場合でも、ES細胞研究を受けいれることができる。
3.2 胚の破壊に対する態度を変化させることによる不正の助長
  • ES細胞の利用は、胚の破壊に対するわれわれの態度を改変するという仕方で、胚の破壊を助長する。
    • ギラム(Gillam 1997)によれば、中絶においては「殺人被害者」事例とは異なり以下のようなことが懸念される。
      • (i)中絶にかんする社会の道徳的信念が変化する
      • (ii)国家による中絶抑止の努力が減少する
      • (iii)中絶をおこなうインセンティヴが強化される
    • 同様の推論がES細胞研究にもあてはまる(Takala & Haeyry 2007)。ES細胞研究から得られる利益は、IVFで廃棄される胚の数を減少させようとする努力を弱めるかもしれない。
    • ギラムは中絶と中絶胎児研究を念頭において議論しているが、初期胚の道徳的地位は胎児よりも議論が分かれるものであり、ES細胞研究にはより大きな潜在的利益があるため、ES細胞研究・応用への規制はより緩和されやすいかもしれない。
3.3 不正を暗黙のうちに容認し、犠牲者を軽視する
  • 「殺人被害者」事例の外科医とは異なり、ES細胞の利用者はES細胞株を供給・樹立する人と協力関係にあり、場合によっては目的を共有している。利用者は、自分に利益を与える不正から自身を切り離すことができない。
  • この点で利用者は、胚の破壊を暗黙の内に容認し、胚への軽視(disrespect)を示している、と論じられている(Doerflinger 1999; Moraczewski 2002)。
3.4 ES細胞研究の助長と容認

 まとめると、ヒトES細胞研究は、(i)需要の創出および胚の破壊に対する社会的態度を軟化させることによって胚の破壊を助長し、また、(ii)ES細胞の樹立プロセスを暗黙のうちに容認し、胚への軽視を示す、と主張されてきた。
 これらの「関与」と、胚の破壊自体が不正であるという前提を踏まえ、ES細胞研究者は不正行為の共犯であり、ES細胞研究も不正である、と論じられている。

4. iPSC研究における共犯

 iPS細胞は遺伝子操作を用いて体細胞を直接初期化することによって作製される、ES細胞に似た細胞である。その手法は卵子の提供に依存せず、ヒト胚の作製や破壊にも依存していない。
 多くの人々は、多能性幹細胞を得るための「倫理的な」手法としてiPS技術を歓迎してきた。ヒトES細胞研究が禁止または厳しく制限されている国々においても、iPS細胞研究は倫理的に問題がないとされたり、規制対象外とされたりしている。
 しかしながら、iPS細胞研究にも、ヒトES細胞研究と同様の共犯にかんする懸念が生じうる。

4.1 需要増大による不正の助長
  • iPS細胞もES細胞研究への需要を生みだし、さらなるES細胞株の需要を生みだす可能性が大きい。
    • iPS技術の発展、完成のためには、ゴールドスタンダードとなるES技術との比較がもっとも効率的であり(Baker 2009; Daley et al. 2009; Hu et al. 2010)、ES細胞研究じたいの継続が重要になる。
    • また、iPS細胞研究を進めるうちに、iPS細胞の限界とES細胞であればそれを克服できるという可能性が見つかるかもしれない。
    • iPS細胞研究とES細胞研究は並行して進歩し、互いに支えあっている。既存のES細胞の利用が、ES細胞の樹立が許可されている規制の緩い国々でのES細胞研究を鼓舞し刺激する可能性があるのと同様、iPS細胞研究もまたES細胞研究を鼓舞し刺激する可能性がある。
4.2 不正を暗黙のうちに容認
  • iPS細胞研究への支持も、ヒトES細胞研究を暗黙のうちに容認しうる。iPS細胞研究者はヒトES細胞研究から様々な利益を得ており、そこから距離を取ることができない。
  • たとえば、iPS細胞研究者がES細胞研究を引用するさいに不承認の意を示すことはないし(その他の分野では、非倫理的な研究の引用時にはこのような注記がよく行われる)、ES細胞研究者と密接に協力するのがつねである。
  • ES細胞研究者が胚の破壊を暗黙のうちに容認していると考えるのであれば、iPS細胞研究者についてもおなじことが少なくとも同程度には言えるだろう。
4.3 ES細胞研究の助長と容認

 以上のように、ヒトES細胞研究が胚の破壊と共犯関係にあるという考えを支持する二つの理由(需要の増大による不正の助長、不正の暗黙的な容認)は、iPS細胞研究がES細胞研究と共犯関係にあることをも示唆している。
 次の仮想的事例を考えよ。

世界中の外科医が、多くの命を救い、罹患率を大幅に下げることができる新しい手術技法(NT)の開発に取り組んでいる。しかし、NTを開発するためのもっとも有望な方法は、無作為に選ばれた無実の人々に苦痛を伴う致命的な手術を施して得られた臓器を用いて研究することである。拷問が臓器に与える生理学的影響が、研究に不可欠な情報を提供するためだ。多くの人々がこの方法でパートナーや友人、家族を失っており、だれもが次にだれが選ばれるのかと絶えず不安に陥っている。 利益が害を上回ると考える者もいるが、多くの人々はこの手術を「悪」と考え、NTをテストするためにその臓器を利用する者たちは、この悪と共犯関係にあると考えている。幸いなことに、ある外科医グループが恐ろしい手術を必要としないNTの新しいテスト方法を開発した。代わりに、コンピュータ・シミュレーションを使用するのである。コンピュータ・シミュレーションを用いる外科医たちは、臓器を摘出し利用している外科医たちと密接に協力している。なぜなら、後者の方法は依然としてNTをさらに発展させるためのもっとも効率的な方法と考えられているからだ。さらに、臓器を用いる方法とコンピュータ・シミュレーションの方法は相互補完的であるという合意が広まっており、そのことが外科医たちに、互いに協力し、互いの仕事を促進しあうさらなる理由を与えている。両方の方法は相互に支えあっている。政府や、問題の手術を重大な悪であると考える人々は、NTを完成させるためのコンピュータ・シミュレーション技術の開発をよろこんでいる。あまりのよろこびに、その技術が現在進行中の邪悪な手術と密接に関連している事実を無視するか、黙殺している。

 この事例では、シミュレーション研究をしている人々は臓器研究と共犯関係にあり、臓器研究は邪悪な手術と共犯関係にある、と考えたくなるだろう。胚の破壊はこの手術と同じくらい邪悪だと考える人々にとっては、ES細胞研究はこの事例の臓器研究に相当し、iPS細胞研究はコンピュータ・シミュレーション研究に相当している。

5. 共犯論法の一貫した適用

 iPS細胞研究とヒトES細胞研究とのつながりは、ヒトES細胞研究と胚破壊とのつながりに類似している。そうすると、ES細胞研究は胚破壊との共犯関係によって不正だと考える人は、iPS細胞研究もまた不正なES細胞研究との共犯関係ゆえに不正だと結論せざるをえない。
 この場合、整合的に考えようとすれば以下の四つの選択肢があるように思われる。

  • (1)共犯を根拠に、ヒトES細胞研究とiPS細胞研究の両方を拒絶する
    • ただし、どちらの研究も非常に有望なものなので、この選択肢は魅力的でない。
  • (2)iPS細胞研究から共犯関係を取り除くよう、研究方法を変更する
    • ただし、iPS細胞研究を大幅に遅らせるだけでなく、研究目標の達成可能性もはるかに小さくしてしまうので、この選択肢は魅力的でない。
  • (3)ヒトES細胞研究に対する共犯論法が、ヒトiPS細胞研究に対する共犯論法よりも強力であると考えられる根拠を見つける
    • たとえば、態度の変化や犠牲者への軽視を通じた共犯関係が最も重要だと主張できればよい。この問題はiPS細胞研究の場合ヒトES細胞研究ほどには強く懸念されないからだ。
    • あるいは、不正の共犯になることは、その不正を犯すこと自体よりも問題が少ないと主張できればよい。この場合、胚の破壊~ヒトES細胞研究~iPS細胞研究というふうに元の不正から遠ざかるごとに、不正への共犯関係の問題は減ると論じられるかもしれない。
  • (4)ヒトES細胞研究とiPS細胞研究の両方について、共犯論法を拒絶する
    • たとえば、共犯概念をより限定的なものにすることで、一部のヒトES細胞研究(およびiPS細胞研究)に対する共犯論法を拒絶できるかもしれない。
      • 実際、ある研究者が他人が樹立したES細胞を利用する場合で、その樹立が研究者当人の要求によるものではなく、すでに胚が破壊された後に研究に従事するのであれば、胚破壊への共犯関係はないという考えが、胚に高い価値を認める人のなかにも多くみられる(Prieur et al. 2006; Outka 2009)。
    • ただし、このアプローチは知的に不誠実な立場であると疑義を呈されるかもしれない。

 なお、そもそも、重要な科学研究のために初期胚を殺すことは不正ではないと主張する選択肢をとれば、共犯となるべき不正は存在しない。この場合、ヒトES細胞研究もiPS細胞研究も倫理的に許容される。

6. 結論

 共犯論法からヒトES細胞研究に反対する人々にとって、一貫した態度は次のいずれかである。

  • (i)iPS細胞研究にも反対する
  • (ii)iPS細胞研究の進め方の根本的な変更を提唱する
  • (iii)iPS細胞研究に対する共犯論法がヒトES細胞研究に対するものよりも弱いことを示す
  • (iv)一部のヒトES細胞研究の容認を可能にするような、より限定的な共犯概念を採用する
  • そもそも、重要な科学的研究のために胚を破壊することは不正でないとする