えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

19世紀の道徳的状況 テイラー (1989) [2010]

自我の源泉 ?近代的アイデンティティの形成?

自我の源泉 ?近代的アイデンティティの形成?

  • テイラー・C (1989=2010) 『自我の源泉』 (下川他訳 名古屋大学出版会) 

第三章 不明確な倫理 
第八章 デカルトの距離を置いた自我
第九章 ロックの点的自我
第十四章 合理化されたキリスト教
第十五章 道徳感情
第十八章 砕かれた地平
第十九章 ラディカルな啓蒙
第二二章 ヴィクトリア朝に生きたわれらが同時代人 ←いまここ
第二五章 結論ーー近代の対立軸

・[-439:6] 啓蒙と表現主義的なロマン主義から今日の我々に至るには、王権神授説や理神論といった分水嶺が越えられる必要がある。この点で19世紀のヴィクトリア朝の人々はより我々に近い。
・[-442:3] 啓蒙の遺産には、「苦痛を減らすべし」という道徳的命令がある。また「自由で自立的な主体」の観念は、「普遍的仁愛」の観念と共に「普遍的正義」という道徳的命令を生み出した(この観念は20世紀には様々な普遍的権利宣言を生み、日常生活の肯定と共にあらゆる平等の促進へ繋がる)。これらの観念が力を存分に発揮するのは20世紀だが、1807年に奴隷貿易禁止、1833年に奴隷制廃止を求める運動がイングランドでおきた時、既に力を持っていた。こうした運動は1960年代のアメリカ公民権運動まで脈々と続くが、このことは、「普遍的正義と仁愛を承認する事が我々の文明には欠かせない」という感覚を反映している。
・[-445:2] こうした新しい道徳意識には、「歴史的例外主義」すなわち「自分達は過去において支配的であったものよりも強い道徳的要求を自身に課すことが出来るし、すべきである」という信念が結び付いている。歴史的例外主義は排外主義に至りがちだがこの点は訂正できる。西ヨーロッパ文明は他の文明が明示化しなかった多くの善を明示化しており、過激な要求を行うことも認められる。
・[-448:1] しかし、日常的限界を超えて普遍的配慮を要求する歴史的例外主義の動機となっているものは何か。答えは歴史的に様々である。【1】例えばフランスでは進歩の意識は「俗人」のものであったが、イングランドとアメリカではキリスト教に結び付いていた(功利主義的社会改革はピューリタニズムに重要な起源を持つ)。奴隷解放運動はウィルバーフォースとクラパム派による信仰復興運動に端を発する。奴隷制度反対がキリスト教信仰に本質的なものだとされると、かえって保守的で正統的なキリスト教から離れざるをえないという現象が生じた(ヘンリー・クラーク・ライト牧師「聖書が自明な真理に反するならば、聖書の虚偽は自明である」)。初期の奴隷解放運動の根底的動機は宗教的だったし、はるかに世俗的な後続の運動にも宗教的指導者がたびたび出現している。

・[-450:4] 【2】アングロサクソン社会でも19世紀後半から不信仰が高まり、「不可知論」が選択肢になった。この変化は科学の勃興や近代経済の発展の不可避の帰結として語られるが、そこには「宗教が科学的理性の前に衰退する」という科学主義的前提がある。確かにこの前提は当時の現実から力を得ている。ダーウィンに結合する地質学と生物学の理解の発展は、設計による証明を弱体化させたし、プロテスタント諸教会の聖書直解主義やロックその他による「奇跡」の強調も、科学と信仰の不両立を確信させる一因になった。
・[-455:2] しかし「科学主義」を加速したのは一種の道徳観であり、話は「科学ではないもの vs 科学」ではなく「古い道徳観 vs 新しい道徳観」だった。新しい道徳の中核には、「不十分な根拠しかない事は信じないべき」という「信念の倫理」がある。この原理は「自己責任を負う理性的な自由」の理念と、厳しい真理と向かい合うことを重要視する「不信仰英雄主義」の理念に支えられている。信念の倫理は、科学主義のような「信じるに足るものの基準」を要求する。更に信念の倫理は、ベーコン的な科学を通じて「仁愛の要求」とも結び付く。神なき宇宙を直視することで、人々を援助する仁愛の心が解放されると考えられた。結局ヴィクトリア朝の人々が信仰を捨てたのは、科学と宗教の論理的不整合からではなく、強い道徳的要求があったからなのである。こうして信仰以外の道徳的地平が初めて利用可能になり、以後信仰と不信仰は拮抗しあいつつ存続する事になる。
・[-457:1] 【3】なおロマン主義者は、科学に批判的かつ不信仰へ繋がる別の道を開拓した。ゲーテは異教的見解を強調したし、マシュー・アーノルドも、「人間本性の美と価値を作り出す全ての力が調和に満ちて拡大する」こととしての「完成」という観念を提出する「ヘレニズム」の必要性を説き、「個性の全体を包み込んだ理性」としての「教養」に新しい道徳的源泉を見出した。

・話を戻すと、「問題は普遍的配慮への動機づけは何なのか」だった。これは、3つの道徳的源泉の地図(信仰・啓蒙・ロマン主義)とだいたい対応する。つまり、【1】まず普遍的配慮(アガペー)を可能にするものとしては恩寵がある。【2】つづいて、距離を置いた理性により茫漠たる宇宙と男らしく対峙すること自体が、私たちをエゴイズムから解き放ち、普遍的配慮へ向かわせるという観念がある。【3】そして、ルソーの仁愛にあふれる人間本性やカントの善意志のような、内なる自然の衝動がある。これらはどれも互いに対立あるいは混合し合いながら、普遍的配慮の要求に応えられるという我々の確信を根拠づけている。

・[-463:3] ロマン主義は啓蒙に対する批判の中から生じ、戦いは今日も続いている。とりわけ、人々が自らの目的を個人的に定義し道具的にしか社会に結合できない「原子論」は、社会の凝集力の基盤を掘り崩してしまうという批判がある。この批判はトクヴィルを通じてシヴィック・ヒューマニズムに接続された一方で、ナショナリズムをも生み出した。主権を担うのは単なる集合体以上のものであるというルソーの考えは、「固有のあり方・考え方をもつ民族」というヘルダーの概念に展開し、それを表現するものとしての「言語」がネイション形成の原理になった。
・[-] しかし、ロマン主義‐表現主義は19世紀に重要な変化を被っている。(1)万物をつき流れる生命としての自然という表現主義的自然観は、古い「有意味な宇宙の秩序」の概念をいくらか取り込んでいた。しかし、自分が内部に衝動を感じ調和を求められるこうした自然に対し、19世紀の自然科学は宇宙の巨大さと微細さは想像以上に寂莫であることを示した。この時、内なる自然のイメージは変わり始め、底知れず異質で道徳と関係ないものになっていった(ショーペンハウエル)。(2)「芸術による充足」という概念には、それが道徳の源泉であることとは相容れない要素を持っていた(次章)。