えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

具体的経験という認識論的障害 バシュラール (2012) [1938]

  • バシュラール G. (1938=2012) 『科学的精神の形成』(及川馥訳 平凡社)

【目次】
第一章 認識論的障害の概念 本書のプラン
第二章 第一の障害 最初の経験 ←いまここ
第五章 科学的認識の障害としての一元的かつプラグマティックな認識

1 〔科学的思考への最初の接触の仕方:18世紀の科学書〕

 最初の経験は、科学的精神形成に不可欠な<批判>以前にある、第一の障害である。科学的精神は自然に逆らって形成されなければならない。しかし、制度化された教育の取締を受けた教科書から科学に触れる今日の人々には、科学は自然な〔さもあたりまえの〕ものにおもわれ、このテーゼの意味は分かりにくいかもしれない。
  しかし今日のような制度の整っていない18世紀以前には、科学書は日常生活と関わりを持つ通俗的なもので、筆者と読者は同じ土俵の上で考えているものが殆どだった。

【例】
・雷の引き起こす恐怖に一章を割く
・想定読者である宮廷の人々の意見を引き合いに
・研究対象と相手を結びつけるごちゃごちゃした献辞
・学者と好事家の書簡出版
:〔読者/好事家の「博識」が増えすぎ、〕先行理論46理論を検討してから自説を提示。
(※今日の科学書ではむしろ博識を切りつめることが良書の証であり、ここに現代と博識の時代のひとつの心理的な違いが表れている。ベーコンさえプリニウスをかなり引いており、科学的精神は幾何数列的に進展すると言える)。

一方で現代の科学教育の本には博識や歴史への参照は無く、ひとつの理論全体と関連で科学は提示される。このように今日と18世紀以前では科学的思考への最初の接近の仕方がかなり異なり、今日では経験と書物ははじめにある経験からは切り離されている。

2 〔好奇心〕

また、幾何学化の導入が遅かった電気学を見ても、最初の観察の視覚的印象を放棄することのむずかしさが分かる。
  電気に関する最初に理論は極めて平明なものとして提示され(プリーストリ 1771)、そしてその理論は「観察」(ただ見るだけ)を重視する経験主義の色彩を帯びていた。こうした前科学的思考は、個別事例を変化させること(抽象化:数学化を準備)より、変種(具体的なさまざまの事例の羅列)を求める(帯電可能な物質の「カタログ」(ブーランジェ))。
平易な理論のもと電気現象は人々の注目を集め(「電気熱」)、関連する実験も外見の面白さに着目した好奇心を満足させるようなものばかりだった(ダイヤモンドの蒸発・ライデン瓶・フランクリンの「電気の晩餐会」)。クーロンは(退屈な)抽象の方向に戻ることで静電気の基本法則を発見することができた。

3 〔イメージからイメージへ〕

  誕生期の科学においては、興味をそそるために驚異が探され、矛盾するイメージを含む実験が集められた(氷で点火される火)。そこにさらに夢想も加わり、イメージによって誤謬が生み出されていく。

【例】
・石綿の芯でランプが長持ち→石綿の芯から「石綿の油」を分離すれば永久ランプに
・鉄と硫黄を混ぜて地面に埋めると煙が出てくる→火山の仕組みが理解できた
・電流が板を揺らす→地震の仕組みが理解できた
・電気の力で厚紙の人形が自立歩行する(自動人形) → 地球の自転によって持続される大気中の電気の力が動物の自立歩行能力の真の原因である
(※電気の通じる場で踊る自動人形は機械的原因を持たないようにみえるので、生物にごく近いと思われた。「視覚的な表象が内部の隠された類似に優先する」)
・ねずみ花火をモデルに惑星の軌道が渦状だと主張(ニュートン後)

科学的精神は絶えずイメージ・アナロジー・隠喩と戦わなければならない

4 〔教育におけるイメージ〕

 視覚的なものやイメージは教育の現場でも有害である。たとえばヨウ化アンモニウムを爆発させる実験をしても、人は爆発しか覚えておらず、原因は忘れている。若者はたとえば抑圧された権力への意志などの心理的要因によって爆発に興味を持つに過ぎないからだ。

基礎教育において、あまりに激烈なあまりに色彩に富む実験は間違った興味の原因となる。教師に対して口を酸っぱくしていうべき忠告は、できるだけ早く具体的な事象を抽象化するよう、たえず実験台から離れて黒板にむかえ、ということである p. 71

5 〔はじめにある確信の合理化〕

  実験が行われるべき理由は複数あり、それはある認識が問いに対する答えとして生じてきた<発生期>へ繰り返し立ち戻ることで知られる。この考え方に対立するのが<出発点=確実>という欲求/信仰〔経験主義〕である。実験の持つ理由の構成を絶えず批判的に明示化しなければ、科学的精神の<無意識>が形成されてしまう。〔この無意識は〕はじめにある〔経験主義的〕確信を、安易に<合理化>するものである。
  この無意識を取り除くには「対象認識の精神分析」を行うしかない。その手法としては、たとえば、実験家と(文学作品にみられる)夢想家が同じ方法で不純な合理化をやっていることを指摘することがある(阿魏剤でヒステリーが治るという伝統の盲目的受容に対する神経学者と文学者の合理化の仕方の類似)。
  個々の観察に固執することで生まれる〔素朴な経験主義的〕認識は動かし難い。事実と理由が短絡的に結びつきすぎていて(3章)、〔解釈など入ってはいっていない直接的で確実な事実認識のように思われるからだ〕。しかし事実が定義・明確化されるのには常に最小の解釈が必要であり、それが誤っている場合は事実の方には何も残らない。

6 〔平坦な記述などない〕

経験的認識は、事実を確認するだけで精確な認識の水準にあり続けるなどと言うことはできない。対象のどれだけ平坦な記述をこころみても、思いがけない語のイメージにひきずられたりするし、対象の認識自体が無意識によって直接ゆがめられることもある。ベーコンは鉱物に、ビュフォンも生物にヒエラルキーを設けた。動物にすら王を設けるのは、大貴族であり秩序の支持者であるビュフォンの無意識を反映している。

7 〔モラルの秘儀伝授としての錬金術〕

  最初の経験の中にある直接的なものは、〔事実よりも〕さらにわれわれ自身の情念である。このことは、錬金術を検討することで示される。錬金術はなぜ客観的な科学的思考の攻撃を受けながらも心理的に長く持ちこたえたのか? それはこの運動が人間の無意識に源を持つからだ。
一般に錬金術のようなシンボル体系が享受されるためには、各人の根本的な関心が画一化されていなくてはならない。「このような、知覚ではなくむしろ感情を起源とするような画一化に反対して科学的精神は働かなければならない」。
  錬金術師は、実験を通して錬金術の教養を心理的に確信するようになる。そして前科学的な時代において、仮説とは深い確信に基づいたものだった。実験で検証されているのはモノではなくモノに対応する心理的なシンボルなのであり(モノ→心理的シンボルへの「関心の逆転」)、〔そしてこの心理的シンボルは深く確信されているので〕実験が失敗したとしても(モノに関心を持つ近代科学とは違って)大した問題にはならない。それどころか、実験者に心理的/道徳的欠陥があった故に実験は失敗したのだとさえ考えられた。実際のところ錬金術とは知的な秘儀伝授であるというよりモラルの秘儀伝授なのであった。

  かくして前科学的な精神構造はあまりに具体的、直観的、個人的であることがよく理解された。