えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

妊娠する権利 Kennedy (2024)

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/bioe.13260

  • 近年、新生児集中治療のために、部分的体外発生技術の開発が進んでいる。
  • ただし、関連する倫理的議論の射程はより広い。とくに生殖の自由について、体外発生賛成派はこの自由が増進されると主張するが、逆に反対派は自由が低減されると主張する。
  • 本論文の目的は〔「妊娠する権利」の確立によって懸念を低減することにより、〕この両者を調停することにある。
体外生殖が家父長主義を永続させるという懸念
  • 体外生殖は、妊娠、代理出産、子宮移植に代わりうるため、妊娠したくない/できない人の生殖の自律を増強しうるもの技術として注目されている。
  • だがあまり検討されない論点に「家族の絆」(family tie)がある。生殖過程から人間の妊娠者が取り除かれると、人間の妊娠者と胎児との間に妊娠中に形成される絆、すなわち「妊娠の絆」(gestational ties)も取り除かれることになる。
  • この点に着目し、体外生殖は家族に関する家父長主義的な見方(そこでは、妊娠の絆はほとんどあるいはまったく道徳的重要性を持たないとされる)を永続化するという批判がある。
  • Rothman (1996) は、人間を互いに切り離されたものと見る家父長主義的な世界観ではなく、人と人とのつながりを中心とする世界観を促進する点で、妊娠の絆が重要だと論じた。関連してKingma (2019) は、現代の西欧文化に浸透しているする妊娠の「容器モデル」(containment model)を批判した。このモデルでは胎児は妊娠者の身体内部に位置する切り離された存在者だと考えられている。このような視点は、妊娠者を交換可能な容れ物とする有害な見方につながり、また妊娠という仕事(gestational labor)を単なる胚の孵化作業に貶めるという点で批判されている。
  • 家父長主義的な家族観では、妊娠者の役割は、代理母や体外発生と交換可能なものとして捉えられる。このことから、体外発生の導入は、妊娠の道徳的重要性を否定する家父長主義的見解を永続化させる恐れがあるとされる(Rothman 1996; Cavaliere 2020; Lee, Bidoli, & Nucci 2023)。
  • ただし、この懸念はあまり深く検討されていない。多くの研究者はむしろ、体外生殖が家父長主義下にある不正義から女性を解放するポテンシャルに注目している(Firestone 1970; MacKay 2020; Singer & Wells 2006; Smajdor 2007)。
  • 体外発生技術が、女性にとっての生物的生殖を男性にとっての生物的生殖に近づけうるのは確かである。だがその時、女性が男性理念に同一化していくならば、妊娠や妊娠の絆を貶める社会的規範への抵抗はなされないだろう。体外発生技術による解放の焦点は、技術的手段による社会的不平等の回避ではなく、社会的不平等の是正に向けられるべきである(Cavaliere 2020; Segers 2021)。
生殖の自律への脅威?
  • 体外発生技術は、妊娠を希望する人の生殖の自律を失わせると論じられている(Kendal 2015; Tong 2006; Murphy 1989)。この懸念は、体外発生のほうが胎児の発達にとって理想的な条件を提供できるという可能性によって強められている。例えば、Kendal (2017) は、体外発生が最適化された妊娠環境を提供することにより、胎児の平等を促進しうることを指摘した。ただし、このことが、伝統的な方法で生殖したい女性に対する体外生殖の強制につながってはならないとも論じている。
  • この懸念はオーバーすぎると思われるかもしれないが、根拠のないものではない。既に今日でも、胎児の利害関心の促進という名目によって、妊娠者が社会的判断や非難に晒されたり(Richardson et al., 2014)、刑事訴追(Patrow & Flavin 2013)や強制的な医療処置(Nelson & Milliken 1988)といった強制的手段にかけられたりしている。同様に、胎児の命を守るという名目は、中絶へのアクセスの制限というかたちで、妊娠者の生殖の自律を制限する道徳的・法的正当化として用いられている。
  • 本論文の関心は、体外発生よりも妊娠を選ぶという選択を正当化できる道徳的基盤を突き止めることにある。以下では、家父長主義的見方に抗して、妊娠および妊娠の絆が重要な利害関心であることを示す。
子供を養育する権利
  • 妊娠する権利を擁護する出発点として、子供を養育する権利に関する議論を利用することができる。Brighouse & Swift (2006) は、親になることは人の開花繁栄にとって独特な貢献をなし、それを他の親密関係で代替することはできないため、親の権利というかたちでそれを保護すべきだと論じた。親子関係の独特な性質は次の4つとされる。
    • (1) 子どもの幸福が親にのみ依存しているという一方的な脆弱性
    • (2) 親子関係から抜け出す力(power)の対称性(親が強力な力を持つ)
    • (3) 養育の信託義務という道徳的性質
    • (4) 子どもの自発的・無条件の愛で特徴づけられるような、親密性のユニークさ
  • 同様のことが妊娠の絆にも言えるかもしれない。だがBrighouseとSwiftは、胎児は子供と似ていない(たとえば、(4)親を自発的・無条件的に愛するような存在ではない)という理由から、こうした見解に否定的である。
  • これに対しGheaus (2012, 2018) は、妊娠に関連した負担を負うこと、胎児と身体的に交流すること、妊娠中の情動的反応、を通じて、妊娠者も胎児との間に親密な関係を形成できると反論した。そして妊娠者には、生まれてきた子どもの親となることで、その親密な関係を継続する理由があると論じた。
  • この反論は、妊娠の絆の価値を認識している点で重要である。だがこの反論が示しているのは、妊娠者が親になる道徳的権利であって、妊娠する権利ではない。
妊娠の絆の価値から妊娠する権利へ
  • ここで必要な仕事は、妊娠関係が親子関係と類似の仕方で人の開花繁栄に独特の貢献をなすと示すことである。上で見た親子関係の特徴のうち(1)–(3)は妊娠関係にも当てはまるが、(4)が難しそうにみえる。
  • BrighouseとSwift自身、妊娠者は自身の情動的愛着の対象について実際のところほとんど何も知らず、関係の(ほぼ)すべては投影と幻想によると指摘した。これは事実そうかもしれない。だが、このように認識を重視する親密性理解を採用しなければならない理由は明らかではない。
  • 認識的な親密性理解をとらないならば、妊娠における親密性のユニークな性質を際立たせるためのカギとなるのは、妊娠者と胎児の身体的・生理的つながりだろう。実際、身体的つながりが親密性の一形態となることは様々な文脈で認められてきた(性的関係やケアロボットとの関係など)。ただ、そうである以上は、これが妊娠関係のユニークな性質とは言い難いと思えるかもしれない。
  • しかしさらに検討すれば、妊娠関係における身体的つながりは(単なる程度問題ではなく)種として独特であることがわかる。性的関係などとは異なり、妊娠者と胎児の身体的つながりは極めて広範(pervasive)であり、両者の存在論的地位に関する疑問が呈されるほどである。実際Kingma (2019) は、胎児は妊娠者の部分であるという見解を擁護している。したがって、妊娠における身体的つながりは実際ユニークだと思われる。こうした見解は、より広くフェミニズムのなかでも長く支持を得ている(Little 1999)。
  • 妊娠における親密性のユニークさに関する以上の説明に基づけば、BrighouseとSwiftの議論は妊娠の絆にも拡張することができる。したがって、妊娠への利害関心は子供を養育することへの利害関心と同様の重みを持つことになり、それは妊娠する道徳的権利の基盤となる。この権利は、望むならば妊娠を選択することを道徳的に正当化するものである。
妊娠する権利の性格
  • 体外発生技術が妊娠を希望するからその選択の自由を奪うという懸念を緩和するには、妊娠する権利の確立が必要である。
  • ただし、妊娠する権利は絶対的なものでない。むしろこの権利は、妊娠者が胎児に対して信託義務を負うという条件のもとでのみ成立する。このことは、親になる権利が子どもの利害関心を適切に満たすという条件のもとでのみ成立するのと同じことである。たとえば、妊娠希望者が薬物乱用者で胎児の生命に深刻な脅威を与えるような場合には、体外発生よりも妊娠を選ぶという権利は剥奪されるだろう。
  • とはいえ、多くの妊娠希望者は胎児の利害関心を適切に満たすと考えられる。実際、多くの妊娠者は、胎児の最善の利益のためにかなりの生活制限を受け入れている(Nelson & Milliken 1998)。
  • 適切な妊娠環境の閾値をどこに定めるかは確かに議論の余地がある。だが、体外発生技術の使用に関する決定は〔妊娠環境に関する考慮だけで行われてはならず〕、妊娠を求める妊娠者の基本的な利害関心が考慮されるべきだと一貫して主張できる。妊娠希望者の妊娠環境が、〔体外発生技術が提供するとされる〕最適な妊娠環境以下ではあるが適切な閾値以上である限り、妊娠する権利は妊娠するという選択を保護する働きをする。言い換えれば、妊娠希望者は、体外発生ではなく妊娠という選択肢を正当化するために、「完全な子宮」を提供する必要はない。
  • 妊娠希望者が体外発生を選択するよう圧力をかけられたり強制されたりすることの悪さは、妊娠する権利によってより完全に説明することができる。妊娠の絆の形成と妊娠経験は、人の開花繁栄に独特な貢献をするものなのだから、生殖の自律の剥奪は〔重みのない〕単なる欲求をくじくどころではなく、人の重要な利害関心を満たせなくするものである。体外発生技術がいかに最適な環境を提供しようとも、それを妊娠希望者に強要することは、妊娠するという基本的権利を侵害している。