- Alexander von Humboldt 1847[1849] Cosmos: A Sketch of a Physical Description of the Universe, vol.2. Translated by E. C. Otté. London: Henry G. Bohn.
- THE IMAGE REFLECTED BY THE EXTERNAL WORLD ON THE IMAGINATION......, pp. 370–372. ←いまここ
- Description of nature by the ancients, pp. 373–374. ←いまここ
- Description of nature by the Greeks, pp. 375–382. ←いまここ
- Description of nature by the Romans, pp. 383–392. ←いまここ
- Descriptions of nature in early Italian poets, pp. 419–421.
- Descriptions of nature by Columbus, pp. 421–425.
- Descriptions of nature in Camoens' Lusiad, pp. 425–437.
- Descriptions of nature in Ercilla's Araucana, pp. 427–429.
- Calderon, pp. 429–430.
- 第一巻はここから
- 独・仏・英・日版の関係はここ
※注はすべて要約者による
【目次】
第2巻の全体像
- 第1部 自然研究への誘因
- 外界が想像力に映し出すイメージ
- I. 自然描写
- 異なる時代・人種において自然の観照は異なる感覚を引き出したこと
- II. 風景画
- 風景画の自然研究への影響
- 植物観相学のグラフ的表現
- 異なる地域における植物の植生の特徴
- III. 熱帯植物栽培
- 植物の諸形態の対比と類似
- 植生の観相学と特徴から喚起される印象
- 第2部 宇宙の自然的観照の歴史
- 自然の全体としてのコスモス概念の漸次的発展と拡張の主要原因
- 宇宙の自然的観照に影響を与えた重要な瞬間
- 1. 始まりとしての地中海沿岸
- 2. アレクサンダー大王下のマケドニア人による遠征
- 3. プトレマイオス朝における宇宙の観照の拡張
- 4. ローマ人の世界統治
- 5. アラブ人の侵入
- 6. 大洋発見の時代
- 7. 天に関する偉大な発見
- 8. ここまでの振り返り
第1部 自然研究への誘因
外界が想像力に映しだすイメージ、自然の詩的描写、風景画、地球表面の様々な部分の植物観相学を特徴づけるような異国の植物の栽培
[370-1] 我々は今や、対象の領域から感覚の領域に進む。この内面世界の探求にあたっては、自然的対象の観照 [contemplation] を、自然への純粋な愛を喚起する手段として捉え、自然研究や遠方旅行を強く動機づける原因について探求する。自然の観照への誘因には3種類のものがある。すなわち、動植物を生き生きと描写する(1) 文学および [371-1] (2) 風景画、そして、(3) 熱帯植物の栽培と地元の植物との比較、である。
[371-2] 偶然に喚起された自然の印象が、その強力な力によって、子供の人生全体を決めてしまうこともある。例えば北半球では見えない南十字星*1を見たいという欲望や、絵入りの聖書に描かれるヤシやレバノンスギなどは、旅行への最初の衝動を与える。フンボルト個人のことを言えば、南国に行きたいという最初の、そしてずっと変わらない欲望を喚起したのは、[372] (1) ゲオルク・フォルスターの『南洋諸島の記述』(Schilderungen der Südsee Inseln)、(2) ガンジス側のほとりを描いたウィリアム・ホッジの絵画、(3) ベルリン近郊の植物園にあるドラゴンツリーであった。ただし、(1)–(3)のような誘因が力を発揮するのは、近代的な文化のなかにおいて、かつ、精神が一定方向に発達しこうした印象を受け入れやすくなっている個々人に対してのみに限られる。
I. 自然描写:異なる時代・人種において、自然の観照は異なる感覚を引き出したこと
古代人による自然描写
古代人は自然の観照からくる喜びを知っていたはずなのに、その感覚をあざやかに表現することは現代と比べて少なかった、とよく言われる(シラーの引用。またGervinus, Adolph Becker, Eduard Müller)。[373-2] これは確かに一理あるが、ギリシアとローマにしかあてはまらない。自然の感覚は古代のヘブライ人やインド人の多くの詩にあらわれている。つまりこの感覚は、異なる出自(セム系とインドゲルマン系)の民族の中に存在していた。
ギリシア人の場合
古代ギリシア詩の一般的傾向
[373-3] たしかにヘレニズム期には、個別具体的な自然描写はおまけ程度にしか現れない。ギリシアの芸術においては、すべてが人間の生活の領域に集中しているからだ。[374-2] デルフォイでは、おそらく冬が終わった喜びを表現するために、春の歌が歌われた。冬の自然の記述はヘシオドス『仕事と日』にもある(おそらく後代の加筆)。『神統記』では、ポセイドンの領土の自然描写があるが、[375-1] それは擬人化されている。こうした擬人化の傾向はあらゆる古代の詩人に見られる。
[375-2] 文学としての自然描写がないからといって、古代人には自然美への感受性が欠けていたとか、創造的能力が古代ギリシア人にはなかった、などと考えるべきではない。むしろ、自然の魅力によって呼び覚まされた感情を言葉で表現したいという切迫した衝動がなかったのである。最初期の詩的精神は、むしろ活動的生や内的情動に向けられており、その最も高貴な方向性は叙事詩と抒情詩だった。その後、教訓的な詩(エンペドクレスの『自然について』など)を通じて修辞的要素が広がっていき、それに伴い教訓詩のほうの単純さや高貴さも徐々に失われていった。[375-3] 以上の流れを説明するために以下では個々の例を見ていこう。
叙事詩・抒情詩の場合
ホメロスの場合、叙事詩という性格上、自然の最も魅力的な描写でさえ、単に二次的に描かれるに過ぎない。『イリアス』には、羊飼いが星の輝く夜の静けさのなかで遠く山流の音を聞くという描写がある(viii, 555–559)。『オデュッセイア』では、岩だらけのパルナッソスの寂しさを描く崇高な描写と、キュクロプスの土地にあるポプラの楽しげな描写が対称的である(xix, 431–445)。
またピンダロスは、春を祝うディテュランボスのなかで、「花のほころびが地を覆うとき、アルゴス・ネメアでは、ヤシの新芽がさわやかな春を告げる」などと歌い、また「天の柱、不朽の雪を養う」エトナ火山について歌う。だが、すぐに自然の話から離れ、英雄や戦争勝利の賛美に移ってしまう。
[376-2] ギリシアでは、他の国とは異なって、陸と海が密接に結びついているために、独特の魅力をたたえた風景があることをわすれてはならない。[377] 古代ギリシア人のように知的で高度な才能を持った人々が、たとえば地中海の入り組んだ海岸に見られる森で覆われた崖であるとか、時間や季節に応じて変わる地表と大気の相互作用、また植物相などについて、無関心だったとは考えられない。実際、ギリシアでは植物の世界は英雄や神々などと神話的関係にあると考えられていた。神々は、自分と結びつきの深い植物に傷を与えた人に復讐すると考えられていた。このように、古代ギリシアにおいて想像力は植物に命を吹き込んだ。だが、古代ギリシア人の精神活動が持っていた方向性は、自然の景色の描写の発展にはあまり寄与しなかった。
悲劇
ただし時として、悲劇作家の中にさえも、激しい怒りや悲しみのただなかにおいて、自然美に対する深い感覚が生まれている。たとえば例えばソフォクレス(c. 496 – c. 405)の『オイディプス王』でオイディプスが〔真実を知り放浪したすえに〕コロノスの森に近づくシーンでは、安らかな自然の様子(ナイチンゲール、青々としたツタ、スイレン、クロッカス、オリーブ)が描かれ、オイディプスの苦痛のイメージが高められている(682–706)。[378-1] またエウリピデス(c. 480 – c. 406)の『クレスポンテス』(断片)には、「メセニア*2とラコニア*3の牧草地は、穏やかな空の下で、千の泉と美しきパミソス河*4の水で潤う」といった記述もある。
牧歌から記述優位の時代へ
[378-2] シチリアに発する牧歌は移行的形式の詩で、風景よりはむしろ小規模な人間の営みを描いている。しかしそこには独特の哀愁があり、あたかも人間の胸中では、風景に喚起された深い感情とある種のメランコリーが常に結びついていたかのようだ。
[378-3] 本来のヘレニズム詩はギリシア人の自由とともに失われ、詩は徐々に記述的、教訓的、教育的になっていった。アレクサンダー大王(356 – 323)の時代には、天文学、地理学、狩猟、漁業なども詩の主題となり、生物などは現代のナチュラリストが同定可能なほど精確に記述されていることも少なくない。だがそこには、自然に霊感を受けた内面が欠けている。こうした記述優位の傾向は、ノンノス(前5世紀)の『ディオニュソス譚』に見られる。ノンノスは自然の動乱を喜んで描き、ヒュダスペス川岸*5の森が雷で焼かれ川底の魚まで燃えたとか、[379-1] 蒸気の上昇によって嵐や雷雨が生じる過程を描いている。
詞華集
[379-2] 『ギリシア詞華集』の一部には、自然に対するより深い感情と繊細な感覚が見られる。小アジアのディオニュシウス一世(c. 432 – 367)の時代にシチリアに伝わったプラタナスが多すぎるほど登場するものの、全体として言えば、植物よりも動物に心が傾けられている例が多い。ガダラのメレアグロス(c. 130 – c. 80)による春の牧歌は重要な作品である。
その後の展開
[379-3] また古代からの名所であるテンペ峡谷*6について、[380-1] おそらくディカイアルコス(c. 370/350 – c. post 323)を真似て、アイリアノス(c. 175 – c. 235)が残した記述は見逃せない。アイリアノスの記述は、これまでで最も詳細であるだけでなく、絵画的である。「聖なる月桂樹から贖罪の枝を折る」ピューティアの行列*7を通して、木陰の谷の様子が生き生きと描かれている。
4世紀も終わりに近づくと、散文作家のロマンスの中に風景描写が織り込まれるようになってくる。その好例がロンゴス(不詳)の『ダフニスとクロエ』だ。ただしこの作品では、愛情の描写のほうが圧倒的に優れている。
偽アリストテレス『コスモス』とアリストテレス
[380-2] 著者の記憶を超えてこれ以上文献を列挙することは本書の意図ではない。最後に、偽アリストテレス『コスモス』(『宇宙論』)の自然描写に触れよう。曰く「〔大地と海の〕領域は、数限りない山々や草木、緑深い森林、さらには知恵ある動物、つまり人間が建設した街、さらには海にある島や大陸などによって彩られている」(392b12–20, 野澤訳)。この修辞的描写はアリストテレスの簡潔・科学的スタイルとは異なっており、本書が偽作だとされる根拠の一つである。
[381-1] ただし、キケロの『神々の本性について』に保存されている後期アリストテレスの真作の断片には、非常に雄弁に大地を描写したものが存在する。そこでは、創造の作品の美しさと偉大さという観点から神々の力の存在が認められており、こうした言説は古代では類を見ないものである。
ローマ人の場合
全体的傾向
[382-1]ギリシア人に欠けていた自然描写はローマ人にはますます見られない。古代ローマは農業をはじめ田園での活動に力を入れていたものの、ローマ人は冷静厳格で現実的な知性をもち、自然にかんする理念的な詩作よりも日々の活動に注力する傾向がギリシア人以上に強かった。
また、ギリシア語とラテン語の構造の違いにも注目すべきだ。古代ラティウムの言語は柔軟性に欠け、語彙の借用も少なく、様々なアイデアを表現することよりもむしろ強い実用的傾向を持っていた。さらに、すでにアウグストゥスの時代(27–14)から見られたギリシアを真似る傾向も、民族感情の自由な表現の妨げとなった。しかし何人かの強靭な精神は、こうした障害を乗り越えることができた。
ルクレティウス
ルクレティウス(c. 99 – 55)の『事物の本性について』は、天才的詩才に豊かに彩られ、コスモス全体を歌いあげている。ここでは詩と哲学が密接に絡み合っているが、文体の硬直化は免れている。兄フンボルトは、[383] 古代ギリシア、古代ローマ、そして古代インドで起こった形而上学的抽象と詩の融合について論じているが、詩、哲学、科学、歴史に、必然的・本質的な区別は存在しないという*8。
キケロ
多忙な政治生活のなかでも自然美へ鋭い感受性が残っている人物がいるとしたら、それは偉大で高貴な人物に違いない。キケロ(106 – 43)がそのことを証明している。『法律について』や『弁論家について』は多くの点で『パイドロス』の引き写しだが、自然描写の個性は失われていない。すなわち、[384-1] プラトンは自然を一般的な言葉でたたえているが*9、キケロは短いスケッチのなかで、自然を現実の風景の中にあるかのように描写している。キケロの故郷であるアルピーノ*10の古塔が背負う険しい山を下ると、フィブレーノ川のほとりにオークの木立が見え、そして支流によって形成された「カルネッロの島」がある。ここでキケロは瞑想、読書、執筆に没頭したという。故郷の高貴な風景は無意識のうちに魂に印象を与え、当人の生来の気質と密接に結びついたのだ。[384-2] またキケロは、建国紀元708年〔= 前48年〕のローマ内戦のさなかにあって、各地に立てた別荘での生活に慰めを見出し、[385-1]友人にあてた手紙で景色の魅力について語っている。
ウェルギリウス、オウィディウス、ティブルス、ルカン
[385-2] ウェルギリウス、ホラティウス、ティブルスらはよく知られているので、幾つかの作品に見られる自然に対する繊細な感性について、個別例をあげるまでもないだろう。ウェルギリウス(70–19)の『アエネイス』は、叙事詩という性質上自然描写は副次的であるものの、穏やかな波や夜の静けさが柔和に描かれている。
[385-3] オウィディウス(43 – 17)は、モエシアのトミス*11に追放されていたが、残念ながらこの湿地帯の描写は伝わっていない。[386-1] だが詩人は自然を鮮やかに歌う詩才を持っており、洞窟、泉、夜については食傷気味だが、メトニ*12の火山噴火について非常に特徴的で地球構造学的にも重要な描写を残している。以前にも引用したが、染み込んだ蒸気の力により、大地は空気の入った袋ないしヤギの皮のように膨張するとされる〔第1巻英訳p, 239)。
[386-2] ティブルス(c55 – 19)はアウグストゥス時代の詩人には珍しく田園で隠遁生活を送っており、心情を素朴に歌うタイプだった。それだけに、自然の具体的特徴を描写した作品がないのが悔やまれる。
[367-2] ルカヌス(39 – 65)は、祖父で修辞学者の大セネカに似て、その詩はあまりにも装飾的であった。だが、マルセイユの現在ではまっさらな海岸にあった、ドルイドの聖なる森の崩壊について、鮮やかに真に迫るすばらしい描写を残している。曰く、オークの樹は真っ二つにされ、よろめきながら互いに支え合い束の間立っていたが、葉をむしり取られ、神聖な森の暗がりに初めて差し込んだ光に苦しんでいたという。新大陸の森の中で生活したことがある人ならば、ここで詩人が僅かな言葉でもって鬱蒼とした木々をいかに生き生きと描いているかを感じ取れるだろう。
なお、小セネカの友人である小ルキリウス(1世紀)の『エトナ』は火山の噴火に伴う諸現象を忠実に描写しているが、第1巻で我々が称賛したピエトロ・ベンボ(1470 – 1547)の『エトナ対話』のほうが遥かに個性的である〔第1巻英訳p. 242〕。
実りなき時代
[367-3] 4世紀末期、偉大で高貴な形式の詩が消えていき、詩的精神の発露は科学や記述という裸の現実に向かった。詩的要素が単に思考のそえものでしかなかったこの実りなき時代の作品として、アウソニウス(310 – 393)の『モーゼル』がある。アクイタニア*13のガリア人として[388-1]ウァレンティアヌスのアレマン人討伐に同行したアウソニウスは、当時からブドウに覆われていたモーゼル川*14の丘陵地帯をなかなか優雅に描写している。
歴史家の場合
[388-2] 散文作家の作品では自然風景の描写は稀だが、カエサル、リウィウス、タキトゥスら歴史家の作品では風景描写がしばしば見られる。これは戦場や渡渉、山越え、自然の障害に対する格闘などを記述しようとする際に出てくるものだ。タキトゥス(c 55 – c. 120)では、ゲルマニクスがアミシア河*15を渡るシーン(『年代記』)や、シリアとパレスチナの山脈の壮大な地理的描写(『同時代史』)が魅力的だ。クルティウス〔・ルフス〕(1世紀)の『アレクサンダー大王』は、ヘカトンピュロス*16[389-1]の木の多い砂漠地帯を美しく描写している。
プリニウス
[389-2] プリニウス(23 – 79)の『博物誌』については後に詳細に検討したい(p. 564–568)。事実を包括的に捉えようとする一方、スタイルの点では不揃いで、個別の自然現象の記述には欠ける著作だが、秩序だったコスモス(naturæ majestas)における活動的諸力の結びつきを検討しようとする部分では、真の詩的霊感があらわれている。
別荘地
[389-3] 華やかさや見かけ重視の建物が乱立していた点を除けば、ローマ市内や近郊に多数作られた別荘を、ローマ人の自然への愛を証明するものとして挙げることができたかもしれない。[390-1] 小プリニウス(c. 61 – c. 113)は自身の別荘についてなかなか魅力的な記述を残してもいる。ただし、剪定された木に囲まれ、建物が密集したその別荘は、今日の感覚からは趣味が良いとはいい難い。とはいえこうした記述や、ティヴォリのヴィッラ・アドリアーナ*17にテンペの谷を再現する試みなどからは、ローマ人もやはり自然を自由に享受することへの愛を失ってはいなかったことがわかるだろう。なお、せっかくの自然享受もそれが奴隷によって成り立つのであれば台無しだが、小プリニウスの領地では比較的マシだったと付け加えられるのは喜ばしいことである。小プリニウスは[391-1]奴隷に対する人道的な共感を持っており、奴隷は拘束されず、自分の労働で得たものを自由にすることができた。
見逃されたもの(スイス、柱状節理)
[391-2] 政治家や軍人がガリアに向かう際にヘルヴェティアを通過することはよくあり、そこには文人もついていったが、アルプスや氷河その他スイスの自然風景について古代から伝わる記述はない。道の悪さについて考えるのが精一杯だったのだろう(カエサルに至ってはアルプスを越えながら文法書(『類推論』)の準備をしていた)。スイスがかなり文明化した後、シリウス・イタリクス(c. 26 – 101)は、アルプスを退屈でむき出しの荒野だとして、これと対比しイタリアの渓谷やリーリ川(ガリリャーノ川)*18の木に囲まれた岸を称賛している。
また、フランス中央部、ライン川沿い、ロンバルディアなどでは、玄武岩の柱状節理という驚くべき光景がよく見られるのだが、ローマ人作家でこれに言及しているものはいない。
*1:南十字星の素晴らしさを示すために『神曲』から引用が行われている(煉獄篇ii, 25–28)「 私は右手を向いた。そして意識を/南の天極に向けると、原初の人々の他には/これまで目にされたことのなかった四つ星を見た。/空はその炎を楽しんでいるようだった。/哀れ、寡婦となった北半球の大地よ、/あの輝きを仰ぎ見ることができないとは。(原訳)
*2:メソニとも。ペロポネソス半島の南西部の地域
*3:ペロポネソス半島南部の地域
*4:メセニアとラコニアの中間を流れる川
*5:現ジェルム川。ヒマラヤに発し、パキスタン東部とインド北西部を流れる。
*6:テッサリアの渓谷。オリュンポス山とオッサ山に挟まれ、ピニオス川が流れてエーゲ海に注ぐ
*7:ピューティアとはアポロンの神託を伝えるデルフォイ神殿の神官のこと。神託を受ける者は、月桂樹を携え、行列をなして神殿を訪れるという慣行があった。
*8:Humboldt “Ueber die unter dem Namen Bhagavad-Gita bekannte Episode des Maha-bharata” (「バガヴァット・ギーター」の名で知られるマハーバーラタのエピソードについて), GW, i, s. 98-102.
*9:「プラタナスはこんなにも鬱蒼と枝を広げて亭々とそびえ、またこの丈高いアグノスの期の、濃い陰のすばらしさ。しかも今を盛りのその花が、なんとこよなく心地よい香りをこの土地にみたしていることだろう。こちらでは泉が、世にも優しい様子でプラタナスの下を水となって流れ、身にしみ透るその冷たさが、ひたした足に感じられるではないか。[......] それにまた、ここを吹いている風はどうだ。なんとうれしい。気持の良いそよぎではないか。それが蝉たちのうた声にこだまして、夏らしく、するどく、ひびきわたっている。だが、なかでもいちばんうまくできているのは、この草の具合だ。ゆるやかな坂にゆたかに生えて家、横になってみると、じつに気持ちよく頭をささえてくれるようになっているのだから。」(229B–230C, 藤沢訳)
*10:ローマから南東100kmほどに位置する地域
*11:現ルーマニア、コンスタンツァ。黒海に面した港町
*12:ペロポネソス半島北東部の都市。エピダウロスとトロイゼーンの間に位置
*13:アキテーヌとも。現フランス南西部の地域。主府はボルドー
*14:フランスのヴォージュ山脈に発し、北へ流れる川。ルクセンブルクを通り、ドイツに入ってライン川に合流する
*15:現エムス川。ドイツ北西部オランダ国境付近を流れる
*16:現イラン、クミス。パルティアの旧首都で、カスピ海のやや南方に位置
*17:ローマ近郊にある別荘地。世界遺産
*18:イタリア中部を流れる川。アドリア海側のモンテ・カミチアに発して南西に流れる。上流がリーリ川、下流がガリリャーノ川と呼ばれ、ティレニア海に注ぐ