アレクサンダー・フンボルトの『コスモス』序論を英語で読んでいたのですが、ドイツ語原文と内容の食い違いがかなり大きいことに気がつき、なぜだろうと調べているうち、この英訳は若干ややこしい成り立ちをしていることがわかりました。以下は今回調べてわかったことのまとめです。一言で言うと、英訳序論はドイツ語原文を訳したものではなく、フンボルト自身が新たに書いたフランス語序論を訳したものです。
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フンボルト『コスモス』第1巻にはE. C. Ottéによる英訳版 (1849) があるが、その序論(Introduction)、特に前半部分は、ドイツ語原文 (1845) の該当部分(X)と内容がほとんど一致していない。しかしこれは英訳者 Otté の独断によるものではない。Ottéは明記していないが、この部分の英訳は内容から考えてエルヴェ・フェイ(Hervé Faye)による仏訳版 (1846) に依拠していることがほぼ確実である。そして、この仏訳版は、序論のみフンボルト自身が書いた新しいものであることが訳者序文で明言されている。
ただし「新しい」というのは出版年からいうと正確ではなく、この仏訳版序論の前半部分は、すでに1845年にRevue des Deux Mondesに掲載された”De l’étude et de la contemplation de la nature”(Z)とほぼ同一である。ただし仏訳版に再録するにあたって最後に3つの段落(x)がつけ加えられており、この3段落はドイツ語原文の対応箇所の忠実な仏訳になっている。
また仏訳版序論の後半部分(Y*)は、細部に違いはあるがおおむね独語原文(Y)を仏訳したものになっている。なおこの細部の違いについて、英訳は仏訳版の方に依拠している。つまり、序論全体にわたって、英訳版は原文ではなく仏訳版に依拠していると考えられる。
なお序論の日本語訳としては、前島郁男による前半の部分訳 (1959)、および手塚章による後半の訳 (1990) があるが、これらはいずれもドイツ語原文に直接基づいている。