えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

機能的自律もない Oppenheimer (1947)

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00224545.1947.9918895

  • Oskar Oppenheimer (1947). The Functional Autonomy of Motives. The Journal of Social Psychology, 25(2): 171-179.

 G. W. オルポートは、動機の「機能的自律」の理論を提唱した(Allport 1937)。様々な動機は、はじめは本能に機能的に依存している。しかし、そうした動機が充足される状況に偶然付随している要素が、次第に重要性を獲得するようになり、最終的にその動機は本能から機能的に自律するに至るという。

 この現象の例として、オルポートは元船乗りの例を出している。船乗りはもともとは稼ぎの手段として海を愛していたが、稼ぎの心配がなくなって船乗りを引退したあとでも、海への愛が残りつづけている、という例だ。しかし、海は元船乗りの別の本能を満たしているのかもしれない。たとえば、引退後の生活は退屈で、海を眺めることで冒険心を慰めてくれるなど。このとき、海への愛という新しい動機は、状況の偶然の要素から生じてきたわけでもなければ、本能から機能的に切り離されているわけでもない。オルポートの他の例でも同じことが言える。たとえば職人は、しだいにお金や名誉とは関係なしにいい仕事をしようとするようになる、とオルポートは述べる。しかしこの事例も、問題の動機を支える動機が別のものに移行した例に過ぎない(174)。すなわち、自己保存や社会的承認への動機が、自尊への動機に変化している。

 実験からの証拠とされるものもやはり薄弱である。まず、幼児の反復行動("circular reflex")。オルポートはこれが背景となる動機無しで生じると言う。しかしそうだとすればこうした行動は私達の人生のなかでもっと起こっていていいはずだし、何らかの強い動機が満たされるから同じ行動を反復していると考えるほうが尤もらしい。幼児は声を発するのを楽しんでいて何度も繰り返すのかもしれない。また、未達成の課題はそれ自体がニーズになるとオルポートは言う("conative perseveration"、ツァイガルニク効果など)。しかしこうした現象は自己主張や対抗意識の動機によって説明できる。

 また習慣形成についても、「多くの場合、習慣は私達に安全だという幻想を与えるだろう。すなわち、人生がこのまま無限に続くだろうという観念を。そしてこの場合、習慣にしたがって行為することにって自己保存の動機が満たされていると考えられる」(178)。しかしその一部では、たしかにオルポートの言うような機能的自律があるだろう。

 こうしたごく一部の現象にしかあてはまらない説をオルポートが動機一般にあてはめてしまったのは、人格のユニークさという彼の学説に由来する。たしかに、あらゆる動機をごく少数の本能によって説明するタイプの本能心理学を批判する点でオルポートは正しい。しかし、現代の多くの心理学者の考えでは、本能は多数あり、そのなかには人生のあとのほうにあらわれるものもあるし、また一部の人々しかもっていない本能もある。こうした様々な本能から、二次的動機が生じる。二次的動機は機能的には自律していないが、その数は非常に多く、人格の相対的なユニークさを説明するのには十分だ。フロイトが本能を重視しすぎていたが、オルポートは軽視しすぎている。