えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

道具的欲求はない Smith (2004)

https://www.jstor.org/stable/4106948

  • Michael Smith (2004). Instrumental Desires Instrumental Rationality. Proceedings of the Aristotelian Society, Supplementary Volumes, 78: 93-109.
    • II

道具的欲求とは、非道具的欲求および手段目的に関する信念によって説明されるような、独立の存在者ではない。むしろそれは単に、適切に関連した非道具的欲求と手段目的信念を持っているという、複合的な状態である

 道具的欲求は、関連する非道具的欲求/手段目的信念が失われると消える。しかしこのことは、非道具的欲求と手段目的信念が道具的欲求を引き起こす、と考えた場合には説明がつかない。そこで、非道具的欲求とは、道具的欲求と手段目的信念に他ならない(be nothing over and above)と考えたほうが良い。しかし人は、非道具的欲求と手段目的信念をもちながら、対応する道具的欲求を獲得しない場合がある(例:健康になりたいと欲し、運動すれば健康になれると信じながら、一向に運動しようと欲しない)。そこで、道具的欲求を構成する非道具的欲求と手段目的信念は、適切に関係しあっている必要がある。

 非道具的欲求と手段目的信念があるなら、関連する道具的欲求を帰属させるべきだという人もいるかもしれない。しかし、欲求と信念は様々な出力をもつ傾向性であり、それぞれの要因の重み付けられた和が〔一定の閾値を超えたとき〕当の状態の帰属がおこる。そこで、非道具的欲求と手段目的信念を帰属させつつ関連する道具的欲求を帰属させないという余地は十分にある。