えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

強化学習によって獲得された外的対象を求める欲求の合理性 Crocker (1974)

https://www.jstor.org/stable/3327180

  • Lawrence Crocker (1974). Egoistic Hedonism. Analysis, 36(4): 168-176.

次の2つのテーゼを検討する。

  • (P)全ての目的欲求はS欲求(意識状態を対象とする目的欲求)だ
  • (E)O欲求(S欲求ではない目的欲求)の実現のためにコストを〔わずかでも〕支払うのは不合理だ

 (P)は、ありふれた欲求によって反証されているように見える。例えば、アイスクリームをたべたいという欲求は、アイスクリームを食べること(意識状態ではない)を対象としているのではないか。しかしアイスクリームを食べることは、その味経験を得るための手段として欲されているにすぎないのかもしれない。後者の解釈を退けるには、本物のアイスから得られる経験とシミュレーションで得られる経験を比較し、前者がより欲されると示せばいいだろう。しかし少なくともクロッカー自身は、この例の場合どちらも同じように欲すると考える。実際、本物のアイスを欲する理由がどこにあるのだろうか。(P)に対してより強力な反証となるのは、愛されたいという欲求である。ここに天使がいて、私の関連する意識状態はすべて同じだが、実際に愛されている世界と実際には愛されていない世界のどちらかを選べと言ってきたとしよう。このときには、たしかにクロッカー自身も前者を好む。

(E)の検討に移ろう。実際に愛されている世界を選ぶのにはコストが必要だとする。すなわち、その世界にふくまれる快い経験が減る。クロッカー自身は、2年程度までならこのコストを払ってもいいと思う。しかしこれは合理的なことなのか?

 ここで、次の仮説が正しいとしよう。すなわち、全てのO欲求は、その対象が一定の経験と連合していたことによって強化されたものだと。このとき、O欲求の不合理性はその起源に求めることができる。すなわち、

強化は手段目的計算を模倣する。というのも、強化が生み出す欲求の対象は、合理的に考えて望ましい結果を生み出すとおもわれる対象だからだ。しかし、模倣は二つの点で不完全である。第一に、強化は、強化されるものと強化するもののあいだにリアルな結びつきがなくても生じる。第二に、産出される欲求は対象を手段としてではなく目的として求めている。O欲求の不合理性は、その起源において、手段目的計算を台無しにしている点にあるのだ。
 この議論の主な問題点は、元々の仮定が強すぎる件を除いても、次の点にある。すなわち、欲求の欲求の起源は不合理かもしれないが、その充足にコストを支払うことが不合理であるとは限らない。私たちの持つ欲求は、基本的な欲求も含むそのほとんどが、合理的なメカニズムよりも強化に近いかたちで生じた。目的欲求は、手段欲求とは違い、合理的起源や正当化が期待できるような種類のものではそもそもない。 p. 174

 別の反論もありうる。上記の仮定が正しければ、0欲求の起源は部分的に外部にある。すなわち、催眠の結果得られた欲求などに近い。従ってこの欲求は本当に私のものではない。従って、私のものである欲求の実現にコストをより支払うほうが理にかなっている。これはそうかもしれない。しかし私が持っている全ての欲求は、その起源がどうあれ、なんらかの点でやはり私のものであり、少なくともいくらかのコストを支払うことは理にかなっているだろう。もちろん、ある欲求の起源を知りその欲求をもつことをやめるということはあるが、全ての欲求がそうだとは限らない。さらに類似の反論もある。強化などの外的メカニズムによって獲得された欲求は、パーソナリティ構造の深部に位置していない表面的なものだろう。そして、表面的欲求に払うコストは減じられるのが理にかなっている。これもそうかもしれない。しかしこの場合でも〔、表面とはいえ私のパーソナリティ構造の一角に位置してはいるのだから、〕少なくともいくらかのコストを支払うことは理にかなっている。

(E)に最も強力に反論するための議論は、愛の完全なシミュレーションはアイスの完全なシミュレーションと変わらないというものだ。しかし両者には明らかに重要な違いがある。自分の経験がシミュレーションだと後から明かされたとしよう。アイスの場合、シミュレーションの事実を知ったあとでもその〔経験の〕魅力は失われない。しかし愛の場合その魅力のほとんどすべてが失われる。その理由は、愛されることや賞賛・尊敬されることは、人が自分自身の価値についてもつ理解の一部だからだ。真実のアイスは自己評価には影響しないが、真実の愛は自己評価に影響する。これが二つの事例の違いである。このときさらに、なぜ自己の実際の価値を気にかけるべきなのかと問われるかもしれない。しかし普通に考えて、気にかけるべきではないと主張する人の方に挙証責任がある。
 
 (P)や(E)が正しく思えてしまう原因は過剰な一般化にある。経験は実際重要だし、O欲求だと思っていたものが実際はそうでなかったり、O欲求が外的で表面的だったと気づくこともある。しかしそこから(P)や(E)は出てこないし、こうした主張は私たちの直観にも反している。

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メモ:現実接触直観の対象依存性、強化メカニズムの固有機能、欲求の起源と疎外