えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

理由にまつわる4つの区別 Dancy (2000)

Practical Reality

Practical Reality

  • Dancy, J (2000) *Practical Reality* (Oxford University Press)

1 Reason for Action

5. Four More Distinctions

1 ヒューム主義と反ヒューム主義(動機付け理論における)

ヒューム主義

・ヒューム主義の基本主張:意図的行為は行為者の信念と欲求を参照することによって説明される
・さらに、欲求信念組のなかでも欲求が優越権を持つ:行為のあるところ、それを可能にする「何らかの動機的な力」が存在せねばならない。活動的状態である欲求はこの種の力であり、一方信念は静的な状態である。このことは、適合方向の違いの点からも理解できる。信念は事物を変化させようとせず、それをあるがままに捉えようとする。一方で、欲求は事物を変化させようとする。この意味で、欲求は信念と違い能動的であり、この能動性の点で欲求が優越的なのである。

反ヒューム主義

・反ヒューム主義の議論はおよそ二つの形態をとる

【1】ネーゲルの「動機づけられた欲求」と「動機づける欲求」の区別からヒントを得たもの
・信念の中には必要な欲求を自ら生み出すことが出来るものがあり、信念の方が優越であ〔りうる〕
例:ある行為が不正だという信念は、私の中にそれに関与しないようにとの欲求を引き起こす。このように形成される信念欲求組が、その行為の差し控えを動機づける。

【2】信念だけで行為を動機づけうる:「純粋認知主義」(Dancy [1933] MOral Reasons)
・動機付けには二つの別の要素が必要という点ではヒューム的見解に賛同するが、その両方が信念でありうる
→物事がどうなっているかについての信念 + もし行為が成功裏にふるまわれたら事物はどうなるかについての信念
・ヒューム主義のポイントは、動機には二つの適合方向をもつ状態が必要だと言う点にある。そこで純粋認知主義者は、動機付けには2つの適合方向が必要という見解を破棄するか、もしくは〔やっぱり〕欲求は動機付けにとって本質的だと認めるかの選択を迫られる。
⇒Dancyの回答:動機のあるところには欲求があるだろうと認めつつ、欲求が動機づけるものの一部であることは否定する

私の見解では、「行為者の動機づける状態」それ自体は、全く信念のみから構成される。実際、そのような状態は普通は二つの信念から構成されるだろう。しかし、動機があるところには欲求がある。何故なら、欲求とは、動機づけられている状態だからである。したがって私は、「動機が存在することが可能になるためには別の適合方向をもった二つの別の状態が必要だ」というアプリオリな議論を許容するが、欲求を、それが古典的なヒューム主義の中で占めていた舞台の中心から完全にのけたのだった。私の見解では、欲求は決して動機づけない(もしのどが渇いているなら、それは水を飲むことの予期によって動機づけられているのである)。しかし、欲求がなければ動機は存在しえないのである。  p.14

2 心理主義と反心理主義(動機付けの理論における)

・純粋認知主義者はヒューム主義の持つ次の二点を認める
 ・信念と欲求の非対称性(動機において果たす役割の違い)
 ・欲求は独自の現象学を持つ独立した存在であること
・さらに、「動機づける状態の理論は、行為のための理由の理論(動機付け理由の理論)を構成する/である」というアイデアを手つかずで引き継いでいる。従ってここまでの議論は、行為者の動機付け理由が信念でありうるのかそれとも欲求が必要なのかという点をめぐるものだった。
・しかしこうした議論は、「我々の動機付け理由は我々自身の心理的状態である」という著しく議論のよちのある前提を置いている。この立場を「心理主義」と呼ぶ。
・ちょっと考えてみても、我々が実際に自分や他人の行為を説明する際に与える理由には、行為者の心的状態ではないものがあることがわかる。動機づける理由というものは「I did it because p」の「because」の右側によって特定されるようなものならば、多くの理由はあきらかに行為者の心理的状態ではない。これに対し、動機づける理由が心的状態なら、「A acted because P」のような形で完全に特定される理由は無く、「A acted because A believe that p」とかなにかそういうものが適切な形になる。

3 内在主義と外在主義(規範理由の理論における)

内在主義:行為者Aがφする良い理由をもっているのは、Aが関連する事実を全て知って合理的に熟慮したすればφに動機づけられるだろう場合に限る。
つまり内在主義は、規範理由に必要条件を課す(条件Cにおける動機)。
→内在主義:行為者Aがφする理由を持つのは、Aが条件Cにおいてφに動機づけられる時に限る。
⇔外在主義:条件Cにおいて動機づけられなくても、良い理由を持つことが出来るとする立場

4 欲求ベースの規範理由と価値ベースの規範理由

【欲求ベース説】全ての規範理由は、行為者の欲求によって「提供されている」
【価値ベース説】少なくともいくつかの理由は達成、快楽、友情等などの価値によって提供される(「根拠づけられる」)
・この二つの見解は、理由の形而上学的な根拠にかかわっている。「根拠づける」「提供する」という関係は「〜〜の存在の必要条件である」という関係よりも強いものと考えなくてはならない。この点でParfit [1997]には混乱がある。ウィリアムズの元の目的に忠実である限り、内在主義は必要条件に関する主張であり、理由が欲求によって「与えられる」「提供される」といった〔形而上学的〕主張を行う必要はない。従って、パーフィットの主張よりも弱い内在主義が存在しうるのであり、それは理由が心理的状態ではないことを許容する。
・しかし、内在主義に対しては次の反論がある。つまり、内在主義によれば「十分に残酷・非道徳的な人は何の務めも持たないことになり、その人が悪しく行為するという事を考えることが出来なくなる」。この反論を突破するには、人が悪しく行為した場合、その人の欲求がどうあれ、彼にはそれをなさない何らかの理由があったのだと考えなくてはならない。

6. Looking Back and Looking Forward

本書の構成

第2章:良い理由は行為者の欲求に基づくものではない
第3章:良い理由は行為者の信念に基づくものでもない
第4章:純粋認知主義が心理主義の中でも最も健全な見解である
第5章:しかし我々はそもそも心理主義をとるべきではない。我々を動機づける理由は我々の特徴ではなく状況の特徴である。
第6章:上の立場の展開と反論への応答
第7章:つづき
第8章:Dancyの提出する動機付け理由の説明が因果的か否かの議論