えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

シジウィックとショーペンハウアーの道徳哲学は似ている Macmillan (1898)

https://www.jstor.org/stable/2375591

  • Macmillan, Michael. (1898). Sidgwick and Schopenhauer on the Foundation of Morality. International Journal of Ethics, 8(4): 490–96.

 シジウィックの三大道徳原理に、正義・仁愛、賢慮がある。前2者をショーペンハウアーはカントの超越論的感性論から演繹している。現象のレベルでは、空間・時間の制約を受け個々の人間は個別の存在だが、実在のレベルでは世界は一なので、個々の人間を分けて考えるべきではない。ショーペンハウアーは賢慮の原理は擁護していない。だが、時間が現象にすぎないなら異なる時点の間に等しい考慮を払うのは当然だろう。ところでショーペンハウアーは道徳哲学の目的は利己主義を排することだと言うが、実在のレベルでは自己も他者も一だという認識に基づいて他者を助けるのは、ある種の利己主義ではないのか。ここで利己主義を、現象レベルでの利己主義と実在レベルでの利己主義に分けて考えよう。そして、利己主義は利己主義であるから悪だというわけではない。現象レベルの利己主義は正義と仁愛を犯すから悪なのであり、実在レベルの利己主義は悪ではない。

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 しかしここで2つ気になることがあります。まず、現象的レベルで個別化された自己と、実在レベルで単一の自己があるとき、道徳的に考慮にしなくてはならないのが後者だというのはどうしてなのでしょうか。そしてもう一つは、私たちの行為は全て現象なのですが、それによって実在レベルでの自己を考慮することは本当にできるのでしょうか。これはヘルバルトが、英知的自己は因果関係を超越しているのでそれに影響を及ぼすことができず、従って教育することができないと指摘したのと同じ問題です(Herbart 1804)。