えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

素朴心理学と認知科学 Millikan (1993)

White Queen Psychology and Other Essays for Alice (Bradford Books)

White Queen Psychology and Other Essays for Alice (Bradford Books)

  • 心的状態についての日常的な語りは理論的な語りなのだという考えは、「経験論と心の哲学」の時点では奇怪なものだったが、今日では普通の考えかたになっている。セラーズは、理論的措定物とはその他の理論的措定物や理論外部の存在者との法則的関係によって定義されると考えた。そうすると、素朴心理学の措定物は本質的に法則に支配されていることになるが、これは、素朴心理学をもとに法則的な心の科学(認知科学)をつくることができると示唆するものでもあった。
  • またこの考え方にしたがうと、ある心的状態がどういう内容を持つかは、その心的状態が他の心的状態、環境、行為等とむすぶ法則的な因果関係と対応しているはずだ。このことは、心的術語の意味を明らかにするにはその術語の含意関係を分析すればよいとする哲学的分析の伝統と結びついた。術語の論理的関係を因果的関係にマッピングすれば、心的状態の内容も分かるというわけだ。
  • しかし近年、内容は因果役割ではないという議論が積み重なってきた(パトナム、バージ)。これは、素朴心理学はセラーズ的な理論ではないということだ。そうだとすると、認知科学では内的状態への内容帰属は何の重要な役割も果たさないと考えられている(スティッチ、チャーチランド)。
  • 本章の主張は、素朴心理学はたしかに法則的な理論ではないが、それが認知科学の発展に重要な役割を果たすとは限らない、というものである。

1 生物学的カテゴリー、固有機能、通常の条件

  • 心理学は生理学ひいては生物学の一分野だが、生物学が説明する対象の「はたらき」は、たとえば有機化学が説明する対象の「はたらき」と抜本的に異なっている。
    • 有機化学の対象には、「よくはたらいていない」、とか、「正しくはたらいていない」などということがない。他方で生物学の対象(身体、循環系、赤血球)システムにはそうしたことがありうる。生物学の対象は有機化学の対象とは異なるカテゴリー、「生物学的カテゴリー」に属している。
  • 生物学的カテゴリーにはどのようなものがあるかを明らかにするには、そのカテゴリーに属する対象の実際の構造や実際の機能を見てもダメで、その歴史を見る必要がある。
  • どういうことか:語句の整理
    • 〔歴史的心臓〕: ある種の生物の歴史の中で、生存と生殖を助けるために血液を効率よく押し出してきた心臓
    • 通常[“N”ormal]の心臓:大部分の歴史的心臓と十分一致する心臓
    • 通常の説明:ある種の生物において、大部分の通常の心臓がどうして生み出されるのかについての、歴史的説明〔=歴史的心臓に言及する説明〕
  • ある種の動物において心臓が心臓であるのは……
    • それがなぜ生み出されるのかについて、通常の説明に十分近い説明が与えられるから。
  • あらゆる心臓には、血液を効率よく押し出すという機能が結びついている。これを「固有機能」と呼ぶ。ある心臓が、実際には血液を効率よく押し出すことができなくなっていても、その心臓の<>U固有機能は血液を効率よく押し出すことである。
  • 固有機能の遂行にも、「通常の説明」がある。
    • 通常の説明:器官や生物がどのように固有機能を遂行するかについての、歴史的説明
      • ※人間には、歴史的には血中のカリウムを使っていたが、今はリチウム化合物を使う機能がある。この機能の通常の説明は、カリウムに言及する。
    • 通常の遂行:通常の説明に登場するような固有機能の遂行
    • 通常の条件:固有の遂行のための条件(「通常の説明」に登場する条件)。
  • 固有機能は派生する。
    • 働き蜂には、ダンスを生み出し、他の蜂たちを一定方向に飛行させ、その蜂たちに花粉をとらせ、巣に花粉をもたらす、ことを固有機能とするメカニズムがある。
    • そして個々のダンスの固有機能は、このメカニズムの固有機能から派生したものとなる。つまり、他の蜂たちを一定方向に飛行させ、その蜂たちに花粉をとらせ、巣に花粉をもたらすことである。
      • 様々な派生的な固有機能が、一挙に遂行されるとは限らない。
        • 蜂が誤ってダンスを踊った場合、他の蜂たちを一定方向に飛行させるという固有機能は遂行しているが、その蜂たちに花粉をとらせるという固有機能は遂行し損ねている

2 生物学の一分野としての心理学

  • 心的状態には固有機能があり、その固有機能は心的状態を産出するメカニズムの固有機能から派生している、そして、これらの固有機能の遂行には通常の説明がある。
  • 私たちの認知状態作成・使用メカニズムには様々なものがあるが、それらの活動を支配する有限の基本原理があり、その原理が歴史的にいって私たちの生存に寄与してきたのは何故かを説明することは可能なはずだ。
    • もしそうでないなら、私たちの認知的生活は、進化が生み出した他のメカニズムにたまたま付随しているものにすぎなくなってしまう。
  • 生物学的カテゴリーに属する対象の研究は次のような課題に取り組む。
    • (1)その固有機能は何か
    • (2)その固有機能の通常の遂行はどのようなものか
    • その対象がどういう原因や結果をもつ傾向にあるかといった問いには取り組まない。
  • ここで、素朴心理学とは、身体の内部に固有機能を持つ状態(信念や欲求など)を措定する理論なのだと想定しよう。その上で、もし素朴心理学が正しければ、そこで措定されているものについて説明する科学的な理論(認知科学)を展開していくことが必要となるだろう。
    • このような素朴心理学は措定物を法則で定義するセラーズ的な理論ではない。では、固有機能と法則にはどのような関係があるのか。
3 固有機能 vs.法則
  • 生理学者が行うことは、法則の発見ではない。そうではなく機能分析である。つまり、研究対象を細かいパーツにわけ、それらの固有機能を記述すると共に、もとの対象の固有機能をどうやって実現しているかを探究する。
  • 身体のある部分の固有機能の通常の条件は、他の部分の固有機能であることが多い。なので、身体が健康であれば、多くの部分はその固有機能を遂行していると想定できる。そこで生理学では、健康なシステムに話を限れば、〔機能の遂行を支配する原因と結果について〕一般化を行うことができる。
  • だが、身体の周縁に位置する部分では、固有機能の遂行のための通常の条件が、身体外のものにかかわることが多い。そのため、身体は健康でも固有な遂行をしそこなうことがある。とくに、通常な条件が統計的平均条件ではなく最適条件である場合には、いつ機能が遂行されるのかについて法則性・一様性がほとんどない場合もある。
    • 素朴心理学が措定する状態はこちらに近いようにみえる。そうすると、こうした状態が固有機能の遂行に失敗することがあるのも、不思議なことではない。
      • この点を指摘することは、素朴心理学が概して高い予測力と説明力をもつことを否定するものではない。だが、素朴心理学が認知科学に関連するのは、そもそもそれが予測力と説明力を持つからではない。
        • もし素朴心理学が正しいならば、それは私たちの内的装置の「能力」(チョムスキーの意味で)を記述していることになる。その能力を持っているデバイスを探し、それが(適切な条件下で)運用(遂行)されるプロセスを記述することが、神経心理学者の仕事となる。
4 動き、行動、行為
  • ここからは、「素朴心理学とは固有機能を持つ内的状態を措定することで行為を説明・予測する理論だ」という上記の想定がもっともらしいものだと示す作業を行う。
    • だがそのまえに、心理学が説明しようとする「行為」とは何なのか、そして、固有機能の知識から予測・説明できることは何なのかをはっきりさせたい。
  • 心理学者は、生理学者同様、対象のあらゆる動きに関心があるわけではない。対象がある動きをもたらすことを固有機能としている限りで、その動きに関心がある(このときこの動きは「行動」ないし「行為」と呼ばれる)。
    • たとえば、「私の腕を20インチ北西に動かす」は私の行動を記述しているのではないが、「あなたにお金を渡す」は私の行動の記述である。心理学が説明するのは後者だ。
5 固有機能が分かっても分からないこと
  • ある対象の固有機能が分かっても、それによって、その対象内部のはたらきが自動的に分かるわけではないし、外的なはたらきに話を限っても、その対象の諸部分のはたらきが自動的に分かるわけではない。
    • あるコンピュータがチェスで勝つように設計されているという知識から私は、それが許容可能なチェスの手をうち自分を倒そうとしてくることはわかる。だが、どういう手を打って倒そうとするのかまではわからない(pace Dennett 1978)。それを知るためには機能分析が必要である。
  • まとめると、素朴心理学が固有機能を持つ状態を措定して行動を説明しようとするものなら、次のことが言える。
    • 1:行動ないし行為のみを説明する
    • 2:とくに、説明する行動が身体の範囲を超えていたり(「ウサギを撃つ」)、抽象的だったり(お金を返す)する場合、その行為をもたらす精確な「動き」については説明・予測しない
    • 3:内的状態の固有機能の遂行はひじょうに頻繁に失敗するということがありうる。このばあい、素朴心理学は予測ではなく回顧的説明によって理解に貢献する。
6 欲求
  • あらゆる欲求の最も明白な固有機能は、己自身の充足を生みだす助けとなることだ。私たちが欲求に与える記述(「ご飯をたべたいという欲求」)は、その欲求の最も明白な固有機能の記述にもなっている〔この欲求の固有機能は、ご飯を食べることを生じさせる助けとなることである〕。ただし、これによって全ての固有機能が特定されているわけではなく、全ての固有機能を明らかにするためには完全な機能分析が必要となる。
  • おそらく、ほとんどの欲求が実際に生じるさいには、その固有機能を遂行するための通常の条件は満たされていない。とはいえ、人がある欲求を持つと知ることによって、その人が何をするかもしれないかはある程度は分かる。
    • 人がどのような欲求を持つかは、本人から聞いたり、その人や他人の過去の行動からの一般化によって推測できる。その人がその欲求を実際にどのくらい実現するかも、同じような仕方で推測できる。こうした推測が外れたときには、想定外の環境や信念によって説明をつけることができるが、これは懐古的なものであって被覆法則モデルに従うような説明ではない。
    • ある信念や欲求がどのような行動をもたらすかについて決定的な予測を行うことは、行動は予測者にとって未知な他の信念や欲求に依存するために、不可能であるといわれてきた(フォーダー)。だが、欲求単体からでも(非常に誤りやすいが)推測を立てることは出来る。ジェーンに会いたいという欲求を持っている人は、人生のどこかの時点で、任意の人よりもジェーンにあう蓋然性の方が高いだろう。固有機能を持つものは、任意の何かを引き起こすことよりも、その固有機能を遂行する蓋然性の方が高いからだ。
    • さらに、素朴心理学の枠内でも、欲求がどのように充足されるかについてある程度は言うことが出来る。すなわち、人はその欲求に関連する情報を集め、実践的推論を行って行為することで、その欲求を充足させるだろう(※もちろん、正確に言ってどういう情報・推論がかかわってくるかまでは分からない)。
  • 〔このように予測はそれなりに可能であることから考えると、〕人の全ての信念と欲求を知ってさえいれば、(その人の認知システムが壊れていないかぎり、)その人の行動を刻一刻と予測することが出来ると思われるかもしれない。つまり、素朴心理学はやはり法則的なものだと思われるかもしれない。
    • だがそうではない。というのも、人は自分の持つ信念の論理的帰結を全て信じるようになっていないからだ(いちいちそんなことをしていると単純な実践的決定を行うためにすらシステムが停止しかねない)。このことは、機能不全やデザイン失敗の結果ではない。信念と欲求の補助的な固有機能として推論に関与ことがあるならば、いつ推論メカニズムを働かせるか定めるメカニズムがあるはずだ。
      • 論理学は証明の妥当性をチェックする方法を教えるが、実際にどう証明を構築するかは教えない。同じように、素朴心理学も実際の推論傾向については何も教えない。
7 信念
  • 信念の固有機能のひとつは、欲求の充足を助けるような仕方で推論に関与するといものだ。だが、信念はこの固有機能そのものによって種別分けされるのではない。そうではなく、その固有機能遂行の通常の説明のなかにあらわれる、固有機能遂行のための特定の条件によって種別分けされる。
    • 信念には真偽がある。これに対応するものとして欲求の充足・非充足があると考える哲学者もいる。だが、真偽は規範的だが充足非充足は記述的である。私の信念が誤っていた場合には、その信念には欠陥がある。
      • 誤った信念が、欲求充足を助けたり新たな真なる信念を生み出すといった固有機能を全て遂行することはありそうにない。また遂行していたとしても、それは通常の説明にそうような仕方ではないだろう。
      • これに対し、信念が真でありさえすれば、上記のような固有機能は通常の仕方で遂行されるだろう。ここから、信念の真理条件とは、信念がその固有機能を通常の仕方で果たすために成立していなければならない条件のひとつだということが示唆される。
        • これがつまり、信念はその固有機能の遂行のための特定の普通の条件によって種別分けされるということだ。
  • 誤信念には欠陥があるという点を、身体の器官と比較してみよう。
    • 汗腺の固有機能は、まさに身体が過剰に熱せられている場合に、汗を生じさせることだ。これと類比的に、信念生成メカニズムの固有機能は、まさにpである場合に、pという信念を生じさせることなのだと考えられる。
    • だが、身体が過剰に熱せられていないのに汗が生じているということから、汗腺そのものに欠陥があるということはただちには帰結しない。むしろよりありそうなことは、汗腺は異常[abNormal]な状況で働いているということだ。同様に、ある人が偽なる信念をもっているということは、かならずしも、信念生成メカニズムに欠陥があることを帰結しない。
      • それどころか、そもそもその人の内部には欠陥がない場合もある。身体と関係ない非常に多くの条件にも、信念生成メカニズムの固有機能の通常の遂行は依存している。そこで、完全に健康な人の信念の多くが誤っているというのも不思議なことではない。
        • ところで、誤信念があまりに一般的であるためか、誤信念というのは異常なものであるという点が見過ごされてきた。この見過ごしは、ある信念の機能を明らかにしようとする試みに、その信念が真か偽かはまったく関係ないという想定に現れている。この想定は、健康な肝臓と黄疸の肝臓が行うことに根本的な差がないと想定するのと同じくらい馬鹿げている。
8 信念と欲求の独立:合理的動物
  • 素朴心理学によれば、人間の信念と欲求はまったく別々のものであり、人間はとくに使い道のない情報を収拾したり、充足する方法が分からない欲求を抱いたりできる。そしてこの両者は、実践的推論によって相互作用する。
    • 他方で原始的な動物については、それが実践的推論をするとは思われない。欲求と思考は密接に結びついている。
  • 信念と欲求が互いに独立のものであり、それらを新たな仕方で組み合わせる能力を持っていることは、合理性をもつための本質的条件である。
9 内側の地図
  • 上のような信念と欲求の記述に合致するようなメカニズムはどんなものなのか、これは素朴心理学からは分からない。だがここで哲学の伝統を頼りにすることが出来る。
    • 伝統的な見解によると、内的表象が表象であるのは、それが対象と類似しているからだ。この類似性が極めて抽象的なものでありうるというアイデアをウィトゲンシュタインは示した。思考と世界の間で数学的写像ができればよいのだ。だが、そのような写像の仕方は無数にあり、そのうちどれが内的表象にとって重要なのかが問題として残った。
  • ここでハチの八の字ダンスについて考えよう。八の字ダンスは蜜のありか「についての」ものである。通常の場合、ダンスのありかたと蜜の場所のあいだには一対一の対応が成り立っている。
    • ここにおいて、重要な写像規則が何なのかは極めて明らかである。その規則は、蜂の進化的歴史によって定められるのだ。また蜂のダンスは存在しないものに「ついて」のものでもありえるため、志向性を持つと言える。
      • ただしこの場合、ダンスは叙述的表象であると同時に指令的表象でもある
  • 〔以上の考察を人間の内的表象にも適用してみよう〕。
    • まず、真なる信念を真にしている条件/事態ないし充足された欲求を充足させている条件/事態のことを、「実在値」と呼ぶ。
    • 素朴心理学によると、実在値は、信念がその固有機能(欲求充足の助けとなったり、他の真なる信念を生み出す)を普通に遂行するために成り立っていなければならない条件である〔7より〕。
    • また、実在値は、欲求の固有機能が生み出すべきもののひとつである。
    • ここで、信念ないし欲求にはある変換を加えることが出来、その変換は実在値の変換と一対一対応するものだと仮定せよ。
      • この変換を支配する規則は、「かくかくをどこどこの場所におけ」というものになる。
        • 「x loves y」→「x loves z」
    • 以上の仮定によると、通常の場合、信念と欲求はある決定的規則によって実在値の写像となる。
  • このように素朴心理学を伝統的な哲学学説で補うと、志向性にかんする自然主義的な理論を生み出すことができる。
    • この理論は科学者に対して次のようなものを見つけるよう求める。
      • 脳内にある(非常に抽象的な意味での)像をうみだすシステム
      • 実際の事態の像を生み出しうるメカニズム(信念生成メカニズム)
      • 像を利用し、対応する実際の状態を生じさせるシステム(欲求充足システム)
      • 様々な像が、おおよそ素朴心理学が言うような形で、相互作用することを可能にするシステム
10 含意
  • 以上の見解からは、脳が記号をその形式に従って操作しつつも同時に意味論的エンジンでありうることが容易に理解される。
    • まず、欲求や信念といった表象が記号なのは、その固有機能が普通に遂行されていれば世界を写像しているからだ。
    • さらにそれらの記号(信念・欲求)は推論プロセスに関与する(操作される)ことを補助的な固有機能としている。だが、異なる記号は異なる操作を被るのが通常のあり方なので、記号の操作はあらゆる意味の違いに可感的になる。
  • 内的表象と命題的態度(内的表象と、それを所有する人の関係としての)の区別は重要なものではなくなる。
    • 肉屋にある牛の心臓は牛から切り離されているが、特定の固有機能を持つかぎり心臓であることをやめない。同じように内的表象も、その所有者から切り離されても、特定の固有機能を持つかぎり、信念や欲求であることをやめない。