えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

行為論を自然化する Nanay (forthcoming)

http://philpapers.org/rec/NANNAT

  • Nanay, B. (forthcoming) Naturalizing action theory in Mark Sprevak & Jesper Kallestrup (eds.), New Waves in Philosophy of Mind. Palgrave

 Brand (1984) は、(a)経験科学と連続的であり、(b)意図的行為を特権化せず、(b)倫理学と独立した、行為の理論を作ろうと提言しましたが、それは全く実現していません。そこでNanayは行為論の自然化に乗り出します。Brand自身は、素朴心理学が科学的探求の概念的枠組をなすと考えました。しかしこれでは不十分だとNanayは考えます。素朴心理学的概念が自然種でないと経験的に明らかになればそれを新しい概念で置き換え、経験的知見が哲学的理論を制約するというのが有意義な自然化です。一方で経験的知見を受け入れた哲学的理論は、反証可能な程度に特殊化された仮説を提供します。こうした意味での行為の理論の「自然化」が避け難いことを示すのがこの論文の目的です。

 行為を単なる運動ではなくまさに行為たらしめているのは、行為をトリガーする心的表象だと考えられています。意図的であるかないかに関わらず全ての行為がもつこの「行為に先立つ直接的な心的表象」(IMAA)の本性を理解するのは、哲学的な行為の理論の最優先課題です。IMAAには表象的要素と意欲的要素があるとされていますが、ここでは表象的要素に焦点を当てこれを「実践的表象」と呼びましょう。実践的表象は行為の遂行に関連する様々な性質をもつ対象を表象します。

 ところで、物が左にずれて見れる眼鏡をかけてバスケのシュートを行うと、初めは当然失敗しますが練習すれば成功できるようになります。この現象は次のように理解できます。一方で、シュートという行為をガイドする実践的表象はゴールに特定の位置を帰属させるが、他方で意識的な知覚経験はゴールに別の位置を帰属させる。ここから知覚学習が行われ、その中で実践的表象は行為を成功裏に遂行させるように変化したが、後者の表象は変化していない、と。すなわちここには、そこそこ正しい実践的表象と、意識的だが不正確な表象という、2つの心的状態がある訳です。

 同じ対象(ゴール)に異なる性質(位置)を帰属させるこの2つの表象が同時に持たれている事を考えると、実践的表象の方は無意識的、つまり内観の対象にならないものであるはずだと考えられます。するとこの実践的表象について明らかにするためには、科学的証拠を持ちいるしかありません。内観に限らず、素朴心理学、日常言語、概念分析なども実践的表象を探求するには不適切です。従って、「行為を行為たらしめるもの」の探求には経験科学が必須であり、行為の理論の自然化は避けられないのです。