えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

精神の病と発達・進化の視点 フーコー (1954)[1997]

精神疾患とパーソナリティ (ちくま学芸文庫)

精神疾患とパーソナリティ (ちくま学芸文庫)

  • Foucault, M. (1954). Maladie mentale et personalité. Paris: PUF. (1997, 中山元訳, 『精神疾患とパーソナリティ』, ちくま書房).


第一章 精神の医学と身体の医学
第一部 病の心理学的な次元
・第二章 病と発達 ←いまここ
・第三章 病と個人史
・第四章 病と実存
第二部 病の条件
・序
・第五章 精神の病の歴史的な意味
・第六章 葛藤の心理学
・結論

 19世紀、精神の病は機能の喪失という点のみから捉えられていた。だが病においては強化される機能もある。すなわち、複雑・不安定・随意的なものが失われる一方で、単純・安定・不随意なものはかえって目立つようになる。この区別はさらに、発達における前後の区別と重ねられる。つまり、病は発達の成果が解体していく退行のプロセスだとされる。
 この視点は、進化論を導入したジャクソンが狂気を脳の高次中枢の破壊と結びつけて以来無視できないものとなった。たとえばフロイトは神経症の諸形態をリビドーの発達の各段階と対応させた。またジャネは、病が前社会的・原始社会的な反応をあらわにするものだと考えた。

 このような発達・進化の視点は、たしかに、病者の行動を「理解」可能な形で「記述」するのには有効である。だがこの視点を「説明」にまで持ち込み、病者のパーソナリティは子どもないし原始人のパーソナリティと同一であるとする考えは、誤りである。病者のパーソナリティは決して以前の段階に単純に「戻る」のではない。それはむしろ「再編成」を被り、固有の構成を備えるようになるのだ。
 また、発達・進化の視点は人間一般にかかわる抽象的な視点である。そこでは、個人が病になる潜在性・構造を持つことは説明できるが、特定の個人が、特定の時期に、特定の病になる必然性は説明できないし、病は各個人固有の形態をとること(例えば、妄想の主題に個人差があること)も説明できない。そこでさらに、個人の歴史という視点を導入する必要がある。