Wonders and the Order of Nature, 1150?1750 (Zone Books)
- 作者: Lorraine Daston,Katharine Park
- 出版社/メーカー: Zone Books
- 発売日: 2001/10/01
- メディア: ペーパーバック
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- Lorraine Daston & Katharine Park, (1998). Wonders and the Orders of Nature, 1150-1750. New York, NY: Zone Books.
- Chapter 4. Marvelous Particulars
- Chapter 8. The Passions of Inquiry
- Gawking Wonder (pp. 316–328) ←いまここ
- 〔ここまでのまとめ:アウグスティヌスにおいて驚異と好奇心は独立のものであり、好奇心は批判されていた。だが、17世紀中盤には2つの情念は結びつけられるようになった〕
- だが驚異は人を強く惹きつけるあまり、好奇心や注意から離れてしまう恐れもあった。17世紀において、驚異が自然哲学で果たす役割は両義的だと考えられた。
- デカルトは驚異が探究を刺激すると認める。しかし、過剰な驚異は呆然[astonishment] となり、呆然とした人は更に何かを知覚するのをやめるため、探究が抑制されてしまうとした。
- デカルトの「呆然」は、[知的]能力や感官を麻痺させ好奇心を失わせる点でアウグスティヌスの「驚異」に近い。こうした「麻痺させる驚異」は、自然哲学を犠牲にするがしかし宗教的意味を持つとして賞賛されることもあった。〔ジョセフ・〕ホール司教は、雷の音を聞きつつ、神の力を自然原因の中に閉じ込めようなどと考えず、心を畏怖の念で満たすよう求めた。
- ベーコンもまた、過剰な驚きは知識の獲得を妨げると考え、〔驚異物を〕無計画に研究する経験主義者たちを蔑んだ。ベーコンにとって驚異は、自らの自然哲学が乗り越えるべき困難であった。これは中世のアリストテレス主義者たちが驚異物を無視したのと対照的である。
- 17世紀後半になると、驚異の悪い側面がより強調されるようになる。とくに、驚異は「原因についての」無知ではなく、端的な無知(=ものを知らない)と結びつけられた。ジョセフ・グランヴィルは、不注意な眼でも見える表層には、神のわざや善性がもたらす重要な驚異はあらわれないとし、「ものを知らない人間の粗野な驚き」を侮蔑した。メリック・カゾボンも、飛ぶ猫だとか人を海に引きずりこむロブスターといった話で驚く人を「田舎者」と罵る。怠惰で興奮気味な庶民の驚異に対し、自然哲学者にふさわしい驚異は、より洗練された鑑識眼をもつ者の驚異だとされた。
- 政治や宗教の文脈では、庶民の驚異は危険なものでもあった。ヘブライ学者ジョン・スペンサーは、王政復古以降ブロードサイドが伝える様々な恐ろしいエピソードや奇妙な光景が、人々に不安や熱狂の混じった驚きをもたらし、それが教会や国家の権威の転覆につながると考えた。
- またボイルは、自然に対する驚異は神に対する驚異を奪うもので偶像崇拝すれすれだと警告した。さらに自然への驚異は、人間より低次の被造物について人間の理解力が不足していることを示すものであり、屈辱的なことである。そこで、ボイルにとって驚異そして好奇心の適切な対象は神である。ここでボイルは、アウグスティヌスやベーコンとは異なり、ホッブズ的に、驚異と好奇心を一連のものとしてとらえる。ただしホッブズとは異なり、驚異と好奇心は自然の探究ではなく敬虔という文脈に置かれる。すなわち、神への驚嘆をおぼえることで人は神へ好奇心を抱き、ますます神の完全性を知るようになり、さらに神への驚嘆を増す。
- 驚異の対象を神に限局することで、ボイルは自然哲学から驚異を追放している。驚異と神を結びつけるのはホールやスペンサーも同じだが、彼らの「驚異」が畏怖の驚異であるのに対し、ボイルの「驚異」はもっとワクワクする[pleasurable]ものだった。
- 18世紀になると、驚異は神をその作品を通して讃えるという文脈におかれた。しかもその「作品」とは、幾何学的な雪の結晶や眼の解剖的構造、太陽系のメカニズムなどであり、これは以前の自然哲学における驚異の対象よりありふれている。驚異は自然神学の中に残ったのである。この自然神学的な、日常的なものへの驚異は、特に17世紀後半から18世紀の昆虫学でよく見られた。スワンメルダムは、平凡なアリですら、より巨大で派手な被造物と同じくらい驚嘆に値すると論じている。
- 後の昆虫学者も、これまで驚かれなかった対象へ適切な驚異が生じるように読者を促す。ルネ・レオミュールは、注意深くまた好奇の眼で観察することではじめてわかる昆虫の生態を驚異物として扱っている。この考え方は、驚異が先にあってはじめて好奇心が生じするとするフックやマルブランシュの考え方とは反対の、驚異の力学に関する新しい考え方だ。
- 驚異をもたらすものについても新たな考え方が生まれた。スコットランドの医師ジョン・アーバスノットは、不規則性よりも規則性のほうが驚くべきことだと考える。自然神学者は、神無しの宇宙は混沌だと考えるので、あらゆる秩序のあらわれが神の存在、力、慈悲の証明となる。世紀の変わり目頃には、自然の通常のなりゆきに介入する派手な驚異的出来事というのは、自然哲学においても神学においても尤もらしさを失っていった。
- このように、17世紀後半から18世紀前半ごろには驚異が好奇心から分離し、自然哲学から離れ自然神学へ移動した。この動きは、自然哲学において過剰な驚異がもたらした問題に対する一つの回答であった。だがもう一つ別の回答があり、それは驚異を自然哲学の中に温存するものだった。すなわち、驚異を自然の規則性に向けるというものだ。
- この第二の回答を熱心に支持したのがフォントネルである。彼は自然の根本的な原理の単純性や経済性こそが驚嘆にあたいするものだと論じた。そしてそうした驚異は、自然の科学的研究のはじめにあるもののではなくて、むしろその結果である。
- だがそうした自然哲学は、これまでの驚異がもたらすような喜びを欠くのではないか? この疑問に答えるようにフォントネルは、好奇心あるものは生物の驚くべき多様性を観察し極めて大きな喜びを得るだろうと述べる。これは好奇心の魅力についてのおなじみの説明だが、ただしレオニュールの場合同様、好奇心によって驚異がもたらされるのであり、その逆ではないと考えられている。
- この逆転の発想はしかし庶民には広まらず、教養人とのあいだに溝ができていった。1736年パリで出された珍しい貝殻のカタログでは、対象顧客を2種類に分け、様々な形態の原因の発見を求める「ナチュラリスト」と、多様な形態を見て眼を楽しませたい「珍し物好き」を区別している。
- 18世紀中頃の教養人のあいだでは、驚異は「ポカンとすること」[gawk] くらいにまで成り下がった。哲学者にかんして言えば、驚異はデカルトの「呆然」とほぼ同義になった。たとえばヒュームは、驚異物に惹かれてしまう人間の性向は誠実な証言にとって有害だとし、『人間本性論』における情念の分析でも驚異を取りあげていない。好奇心は登場するが、驚異によって駆り立てられるなどとは考えられていない。
- この時代では唯一アダム・スミスが、驚異に哲学の始まりという役目を与えた。だが、驚異はワクワクするものではなくむしろ不快なものだとされる。この不快を取り除くために研究が行われるのだ。
- 不快なものとはいえ、スミスの驚異はまだ哲学者にふさわしい情念ではある。だが彼の見解は少数派であり、多数派は、驚異を無教養な大衆のものとするヒュームの見解に近かった。かつて17世紀後半の自然哲学者は、奇妙な現象を目にしても怯えずに驚異のスリルを感じ取れるという点を誇っていた。だがそうしたワクワクする驚異は、18世紀中盤には民衆の道楽となり、自然哲学者はヒュームの懐疑主義かスミスの不安に逃げ込むことになった。
- 自然哲学者は驚異を捨てたが、好奇心には駆られていた。ただしここでいう好奇心は、欲望や快楽との結びつきを解除されている。そのかわり好奇心は、絶えず注意を保つことを必要とする困難な仕事だとされ、そうした勤勉な好奇心は尊敬に値するものだとされるようになった。
- かくして18世紀中盤までに、驚異と好奇心はアウグスティヌスの頃のように再び対置されるようになった。だが両者の情動としてのありかたは変わった。驚異はもはや敬虔なものではなく、低級で傲慢な快楽になりさがった。新奇なものによって喚起されるが、その隠れた原因を探そうという欲望をたぎらせるものではなく、むしろ消すものとなった。他方で好奇心は、アウグスティヌス的な色欲でもホッブズ的な強欲でもなくなり、驚異がもたらす喜びや無尽蔵や欲求から切り離された、真摯な努力となった。
- この変化は、自然哲学の対象にも変化をもたらした。17世紀中盤には、自然哲学者は自然の秘密や奇妙な現象に注目しており、驚異が好奇心をかき立て探究に向かわせるという心理学が採用されていた。だが、フックやフォントネルらが驚異の対象を日常的なものや秩序に変化させると、そうした対象と探究の心理学のあいだに緊張が生じた〔。探究の心理学は出発点に驚異をおくが、日常的なものや秩序にまず驚くということはないからだ。そこでフォントネルは出発点に好奇心を置いた〕。結局、この対象の変化に驚異はついていけず、驚異は哲学者にふさわしい情念ではないとされるか、スミスの場合のようにワクワクとの結びつきを失った。もしくはせいぜい、自然神学の中で瞑想的な情念となった。こうして驚異が自然哲学から排斥されていく中、好奇心は生き残ったが、その対象や力学は大きく変化した。瞑想的な驚異も勤勉な好奇心も、普遍や一般化へ向かうものであり、もはや17世紀中盤の探究が扱っていた個物にかかずらうものではない。