Wonders and the Order of Nature, 1150?1750 (Zone Books)
- 作者: Lorraine Daston,Katharine Park
- 出版社/メーカー: Zone Books
- 発売日: 2001/10/01
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- Lorraine Daston & Katharine Park, (1998). Wonders and the Orders of Nature, 1150-1750. New York, NY: Zone Books.
- Chapter 4. Marvelous Particulars
- Preternatural Philosophy (pp. 159−172) ←いまここ
- Chapter 8. The Passions of Inquiry
中世の自然哲学者たちは、驚異物が実在し、それが自然的原因によって生じるという点については意見の合致をみていた。しかし多くのアリストテレス主義者・新アリストテレス主義者は、驚異物を自然哲学の範囲から除外していた。これに対し、「Preternatural philosopher」(逸-自然哲学者)と呼べる一群の哲学者たちがあらわれ、驚異物を自然哲学の表舞台に引きだした。その多くは医者であった。
[本書でPreternatural philosopherとされている哲学者一覧]
- 1433-1499 フィチーノ
- ???? -1506 カッターニ Andrea Cattani
- 1462-1525 ポンポナッツィ
- 1486-1535 アグリッパ
- 1493-1541 パラケルスス(医者)
- 1501-1576 カルダーノ(医者)
- 1505-1568 レムニウス(医者)
- 1538-1615 デラ・ポルタ
- 1544-1603 ギルバート(医者)
- 1561-1626 ベイコン
- 1569-1661 デュプレ Scipion Dupleix
- 1577-1657 リチェティ(医者)
Preternatural philosophyが対象とした驚異物は以前のものと変わらない。すなわち一方には、隠れた作用の産物があり(磁力、アメジストのもつアラレやイナゴよけの力など)、他方に珍奇な現象があった(ヒゲのかたちをしたブドウの樹、像が天に浮かび上がる現象、カエルの雨や血の雨など)。こうした驚異物の説明は伝統的には、前者では種的形相〔以下の「備忘」参照〕、後者では偶然に訴える一般的な説明であることが多かった。これに対しPreternatural philosopherたちは、各々の事例に個別的な説明を与えることを目指した。
この説明のさいに用いられた原因は決して新しいものではない。これまで「その他」の原因とされてきたものを、組み合わせ洗練させることで説明がなされたのだ(精気、隠れた質、共感と反感、天界の知性・人間知性・人間の想像力がもつ外界を形成する力、など)。これらの原因は知覚できないという点で共通している。
フィチーノによる自然的原因の洗練
こうした因果的メカニズムをひとまとまりのものとして前面におしだして洗練させた最初の哲学者がフィチーノである。フィチーノにとって、あらゆる地上の現象は、天界の知性と天球の領域と隠れた結びつきを持っている。驚異物もこの構造の産物であった。
フィチーノによる驚異物の説明は多くの点で伝統的だったが、驚異的作用をもつものとして自然実体だけでなく人間の霊魂そのものを挙げるところに特徴がある。人間の霊魂には事物の種を変様させ支配する力がある。この力が驚異物とされるのは、偉大で稀なものは驚異の感情を生じさせるからだ。神によって高められた聖人の場合には、天の運行を乱したり驚異的な治療をおこなったりもできる。フィチーノは、後期プラトン主義的なアイデアによって、哲学からも神学からも非難されていた13世紀の魔術的伝統を再び活性化した。
フィチーノは、カッターニやポンポナッツィなど、15世紀末から16世紀初頭のイタリアの著作家に影響を与えた。 ポンポナッツィは、フィチーノが隠れた原因や精妙な精気、想像力のはたらきを一般的に探究したのを受け、これを個別の変則的現象の説明に適用した。たとえば、イタリア中部の都市ラクイラ〔L’Aquila〕で豪雨がおさまったさい、住民がパトロンであるケレスティヌス5世に感謝の祈りをささげたところ、その顔が空に浮かびあがったという。これは超自然的原因に訴えず自然的原因だけで説明可能だとポンポナッツィは論じる。すなわち、住民たちの熱心な想像力が、住人から発するある種の蒸気[vapor]〔を通じて、〕湿った空に聖人のすがたが刻印されたのだ。
ポンポナッツィはおかしな現象を説明するさいに自然的原因のみに訴え、悪霊に訴えない。これはPreternatural philosophyの根本的な特徴である(フィチーノと悪霊の関係には微妙なところがある)。自然の奇跡と(超自然的な)悪霊による奇跡は、悪霊の自由意志の有無以外の点で区別できないとされており、この区別をつけられる人物である悪魔学者がPreternaturalなものの専門家とされていた。これに対しPreternatural philosopherは著作から悪霊を排除し、自然的原因に集中する。これは彼らの知的信条を反映したものだが、神学的危険を避ける意図もあった。
フィチーノがPreternatural philosophyに与えた影響は3つある。まず、彼が強調し洗練させた因果的メカニズムは、16世紀の Preternatural philosophyのなかで定番のものとなった。第二に、これらの因果的メカニズムが埋め込まれた形而上学と宇宙論が、大きな影響力を持った。フィチーノとその追随者にとって、〔知覚可能な〕自然の秩序は不可視の対応関係のネットワークとして解釈でき、そこから自然世界の深い構造が明らかになるのだった。第三に、フィチーノは魔術的なアイデアをふたたび驚異の言語で語った。驚異は哲学と医学の言説からは長らく失われていたが、フィチーノ以降、魔術的作用はますます「驚異的」なものであり、それが生み出すものは「驚異物」だと言われるようになる。フィチーノがこうしたレトリックを採用しやすかったのは、彼が大学人ではなく宮廷サークルを渡り歩く人物であったことによる。
しかしフィチーノの著作は、その哲学的な細部やレトリックのみによって重要なのではない。彼の著作は、大学を支配するアリストテレス主義的な哲学とは異なった、新しい種類の哲学的著作のありかたを例示したのだった。そこでは、人間の知識の力によって物質的世界を変様することができるという点を強調した、新しい自然観・自然哲学観が展開されていた。
カルダーノによる驚異物の個別的な説明
フィチーノの考えの支持者として16世紀中盤に大きな影響力を持ったのがカルダーノである。彼は驚異をまさに全哲学的企ての中心におく。カルダーノにとって、宇宙とは隠れた相互作用のネットワークである。そうした世界の中で、珍しいもの、隠れたもの、偶然的現象といった驚異物は、自然世界の中でも説明すべき重要な対象となった。彼の『事物の多様性について』(1550)は、世界の様々な場所を総覧することではじまり、「大地の驚異」「水の驚異」「空気の驚異」「星々の驚異」、さらに、金属や鉱物、植物、動物、人間における驚異の紹介が続く。
【驚異の例】
カルダーノによる自然の豊かな多様性と美の認識は、前節で記述したような感受性と関心の反映である。彼は同時代の地形学的著作、自然誌的著作に通じており、自身が蒐集家であるとともに他人の蒐集品の鑑定士でもあった。
しかしカルダーノは同時に、驚異物が希少ではないと見破りその原因を明らかにする伝統的自然哲学者としての一面ももっている。エメサ〔シリア西部の都市、現ホムス〕で発見された隕石と同じものを友人がもっていると記したり、イングランドのカラスがいっせいに冬に卵を産んだ年について、それはその冬が暖かかったにすぎないとあっさり説明したりする。このように、自然的原因によって世界を脱魔術化する試みはオレームなどにも見られたが、カルダーノの試みはより個別的である点に特色がある。雨がふらないアンデスの高地でトウモロコシが育つのは、太陽の熱が弱く地表しか乾かないからである。アイルランドにヘビがいないのは、地面が多くの瀝青を含むため乾燥と臭いでヘビが死ぬからである。
カルダーノが個別的説明を行うのは、彼自身が説明に求める水準が高いということ以上に、そもそも探検や文化・商業上の他地域との交流の拡大によって、説明すべきものが急増したという点がある。多くの事例が利用可能となったことで、驚異的現象の説明を検証し洗練させることも可能となった。たとえばアイルランドの石化させる湖について、はじめカルダーノは瀝青を原因としていたが、アイルランド同様に瀝青と水が多いパレスチナおよびアイスランドには似たような湖が存在しないことから、瀝青だけでなく水が適当な冷たさと質にあることが必要だと見解を変えている。
しかしこうした説明をおこなっても、カルダーノは驚異物を自然哲学から除去しようとはしない。むしろ彼は驚異を哲学に復帰させようとしており、賢者の霊魂においては驚異の強さはその対象が〔どのくらい驚異に値するかを〕を精確に測りとっているとした。また、さまざまな自然の驚異物に階級をもうけ、偽の驚異物を排して真の驚異物の価値が低く見積もられるのを防ごうとしていた。蒐集について論じた『事物の多様性について』最終節でも、偽の驚異物を見分ける方法が教示されている。
【驚異物の階級の例】
- とても驚異的:マゼラン海峡で見える青い雲
- 驚異に値するが、そこまででもない:メキシコ人が行う足での曲芸、フアン・セバスティアン・エルカーノが地球を一周した際、一日多く過ごしていることになったこと〔航海日誌と寄港地の日付があわなくなる〕。
- 驚異物ではない:スイスの空に現れた赤いスイス十字
カルダーノは、フィチーノ以上にはっきりと、自然哲学者にふさわしい新しい「驚異」概念を洗練させている。それは、無知と迷信に囚われた俗人の怯えた驚異でも、創造主の驚異を前にした畏れにあらわれるアウグスティヌス的驚異でもなく、規則性と機能性に向けられたアリストテレス的驚異でもない。それは、本当に驚くに値すると知っている非凡な現象に数多く接してきた鑑定士の驚異である。
知識の貴族主義的モデル
鑑定眼の強調は、Preternatural philosopherの多くの著作に見られる知識の貴族主義的モデルの一要素である。このモデルは、知識の対象が選りすぐりのものであることを強調し、それを聴衆が選りすぐりの人物であること(知的および社会的エリートであること)と重ねあわせるものであった。また、驚異物の秘密は優れた解釈者つまり哲学的なエリートにのみ与えられるともされる。驚異物は人間に叩きつけられた挑戦状なのだ。こうして、驚異の感情とは未知だけでなく卓越した技と鑑定眼のあらわれともなった。
驚異物と貴族主義の連合がもっともはっきり出ているのが、彼自身高貴な家柄に生まれたデラ・ポルタの著作である。『自然魔術』(1558)の序文は、「寄りすぐり」のレトリックを用いるだけでなく、イタリアのパトロン制を反映した貴族主義的な存在論を展開してもいる。各惑星は、階層をなす従者(地上物)たちを従えている。従者の主人が誰であるかは徴によって知ることができ、また従者には主人の力がある程度与えられている。さらにデラ・ポルタの哲学は、理解だけでなく力を与えるものでもあると言う。驚異物を理解する人間は、その力をコントロールすることができるようになるからだ。Preternatural philosophyはPreternatural technologyでもあった。
[図4.6] デラ・ポルタの『植物観相学』 Phytognomonica(1588)は、植物の外見から内なる秘密を探究しようとする。4.6.1の扉絵上部にいるヤマネコは物体を透かし見ることができるために、隠れた真理を探究するPreternatural philosopherのエンブレムとなる。その他のコマは、デラ・ポルタの学説の具体的な適用例になっている。たとえば左下のコマには人間の心臓とそれに似た植物が併置されて、この植物がとくに心臓に効くことが示される。同様に、4.6.2. の植物は外見が月と似ていることから、月と共感で結ばれており月に影響を与える。
「驚異の時代」
Preternatural philosopherたちに対しては、ユリウス・カエサル・スカリゲルらの新アリストテレス主義者が批判を展開した。だが、著作の影響力と拡散力ではPreternatural philosopherに分があり、多くの著作が改版と翻訳を重ねた。このことは、印刷技術の発展によって大学外での哲学文化が花開いていたことを示している。
最後に、本章で見てきた展開(新たな経験主義の洗練、自然誌コレクションの登場、自然哲学に対する新たなアプローチ、自然世界の現象に対し洗練された驚異を示すという感受性が形成されたこと)の中心人物たちは、医学訓練を受けた人物であったことを強調したい。学者と比較して医者は数が多くまた裕福であったために、大学、専門職、上流階級といった様々な環境を自由に移動できた。これにより、ラテン語の世界と俗語の世界をつなぐ文化的仲介者の役割を果たしたのだった。医者たちにせき立てられるかたちで、多くの驚異物に関する文献が印刷された。そこには、偽アルベルトゥス・マグヌスの『世界の驚異物について』〔自然の秘密について〕やオレームの『驚異物の原因について』といった、中世の書物までもが含まれていた。時はまさに「驚異の時代」であった。以下ではこの時代の覇権と凋落を見ていく。
備忘:種的形相による驚異物の説明
アリストテレスに起源をもち、13世紀中盤に広く受け入れられていたもう一つの〔驚異の説明法〕は、様々な自然実体に対して星辰が驚異的性質を刻印するというものだ。このプロセスのなかで星辰と自然実体の媒介となるのが、実体の「種的形相」であるとラテン哲学者と医学理論家の多くは考えた。種的形相とは、個体がある種に属している限りで所有している形相だと定義される。たとえば、サファイアにサファイア性を、ケシにケシ性を与えるのが種的形相である。この学説はアラビアの哲学者、とりわけアヴィセンナとアルキンディによって洗練され、多くの驚異物のはたらきを説明するのに用いられた。たとえば、天然磁石の引きつける力、バジリスクの毒のオーラ、レモラ(コバンザメ)の脅威的な強さといったものだ。こうした種的形相が与える性質は、実体がもつ「オカルト」性質ないし隠れた性質と呼ばれ、「表立った」manifest 性質と区別された。実体は、表立った性質の複合(すなわち、熱冷乾湿の個々のバランス)から、つまり究極的には実体を構成する物質から生じると考えられていた。事物の表立った性質は、感覚可能な質に依存するものであったから、それがどうはたらくかは知覚可能である(表立っている)。これに対し、オカルト性質のはたらきかたはより奇怪なものであり、遠隔作用(天然磁石やバジリスク)や、表立った原因全体からすると不釣り合いなほどの劇的な結果(コバンザメ〔※体の小ささに比してくっつく力が強すぎる〕)などが含まれていた。(p. 127)