えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

適応主義と道徳心理学 Delton and Krasnow (2015)

The Moral Brain: A Multidisciplinary Perspective (The MIT Press)

The Moral Brain: A Multidisciplinary Perspective (The MIT Press)

  • 作者: Jean Decety,Thalia Wheatley,Laurent Prétôt,Sarah F. Brosnan,Andrew W. Delton,Max M. Krasnow,Nicolas Baumard,Mark Sheskin,Jesse J. Prinz,Scott Atran,Jeremy Ginges,Jillian Jordan,Alexander Peysakhovich,David G. Rand,Kiley Hamlin,Joshua Rottman,Liane Young,Ayelet Lahat,Abigail A. Baird,Emma V. Roellke,Ricardo de Oliveira-Souza,Ronald Zahn,Jorge Moll,Joshua D. Greene,Molly J. Crockett,Regina A. Rini,Rheanna J. Remmel,Andrea L. Glenn,Caroline Moul,David J. Hawes,Mark R. Dadds,Jason M. Cowell
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 2015/02/20
  • メディア: ハードカバー
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  • 本章の目的:道徳心理の普遍的な側面を理解するために、進化生物学由来の適応主義的アプローチが有効であることを示す。

適応

  • 『種の起源』には、論理的に独立ないくつかの仮説が含まれている(Mayr 1982)。例えば、「全ての生命は一ないし少数の祖先から派生してきた」、「進化は小さな変化の積み重ねからなる過程である」、そして最も革命的だったのが、「有機体が環境により適応していくことの原因は、自然選択である」。
  • 様々な仮説の中で自然選択説が最も知られまたもっとも使われている。これは、自然選択説が、複雑な機能的組織の起源にかんする説明の中で、はじめて、そして今日でも唯一、論点先取的でないものだったからだ。自然選択説は、複雑な機能を生み出すのはランダムな力か知性を持った設計者のどちらかだ、という誤った二分法を打ち壊した(Dawkins 1986)。
  • 自然選択の産物は「適応」と呼ばれる。有機体の特徴の全てが適応であるわけではない。単なる「副産物」でしかないものも存在する。たとえば、血液が赤いことは、酸素を運ぶのにヘモグロビンが適していたことの副産物である。また、ランダムノイズによって決まる特徴もある。たとえば、頭に毛が何本生えるかはこれにあたる。
  • ここで重要なのは、副産物とランダムノイズでは複雑な機能的システムを創れないという点だ。従って、人間の道徳的本性の複雑な側面に関心をもつ心理学者にとっては、その分だけ心における適応が問題となる。
  • では、道徳心理のどのような特徴が適応なのか。ピアジェとコールバーグは、暗黙的にだが、道徳心理にかかわる適応は道徳的思考に特化したものではなく、推論や帰納といったより一般的なプロセスだと考えていた。しかし近年では、「善」「悪」という道徳に特化した概念(Greene et al., 2001)や、道徳直観の骨組みとなる諸領域(Haidt & Bjorklund 2008)が、適応だとされるようになっている。この流れに棹さし、本章では、より洗練された道徳特化の概念や能力が適応であると論じていく。

集団での協力のための道徳的概念

  • 道徳性そして道徳心理に何が含まれるかというのは大きな問題である。一方では、利他性、協力、寛容、徳といった人間行動の様々な側面を含ませる研究者もいれば(Ridley 1996)、より狭い見方をとり、善悪の判断とそれに続く非難と賞賛、そして関連する情動を道徳性の中核とする見方もある(DeSciolo & Kurzban 2009, 2013)。
  • 本章では、狭くみたときにも道徳的と言えるような事例に焦点を当てる。
  • はじめの事例は、協力(cooperation)にかかわる。人間はユニークな協力的狩猟採集システムを進化させており、これは「資源のプール」(resource pooling)ないし「共同体による共有」(communal sharing)などと呼ばれる(Fiske 1992; Gurven 2004)。資源を共有しておくと、狩猟採集における困難や資源不足を緩和することができ、長期的な利益がある。エクアドルとペルーのアマゾン川流域に住むシウィアール(Shiwiar)の研究によると、資源をプールするシステムの外部にいる人々のうち約65%が生き残れないという(Sugiyama 2004)。
  • だが、資源のプールはフリーライダーに脆弱である。
  • 進化モデリングによると、この問題を軽減ないし消去するためには、フリーライダーを協力から排除する、ないし、協力しなかった者に罰を与えるとよい(Boyd and Richerson 1992)。ここから、フリーライダーは悪だと判断され、怒りや懲罰感情を喚起する存在だと考えることができる。そこで問題となるのが、フリーライダーを特定し対処するために特別にデザインされたメカニズム(フリーライダー概念)が存在するか否か、という点だ。
  • フリーライダーに特化した概念が必要だと思われるのは、フリーライダーの同定がかなり難しく微妙な問題だからだ。そもそも資源のプールは、共有資源に貢献できない人を生き延びさせるためのシステムである(Tooby and Cosmides 1996)。だがこうした人々は、目に見える寄与が無いという点ではフリーライダーとかわらない。そこでフリーライダーを適切に同定するには、目に見える行動ではなく、その行動を支える動機を推測できるのでなくてはならないことが、進化モデリングから分かっている(Delton and Robertson 2012)。そして、筆者らの研究は、まさしく動機を手がかりにしたフリーライダー同定に特化したメカニズムが人間の心にはあることを示唆している(Delton et al. 2012)。
  • 【実験の概要】
    • この実験で被験者は、島に不時着した一群の人々が数日間に渡っておこなった様々な行動の記述を読む。その後、ある行動をしたのが誰であったかを答える課題に解答したのち、それぞれの人について印象を評定する。ここで、被験者がある人の行動を誰の行動と記憶し間違えているかが重要となる。たとえば、A・B・C間で誰がどの行動をしたのか記憶の混乱が見られ、またX・Y・Z間でも記憶に混乱が見られるが、ABCとXYZの間では混乱が見られない場合、この2群の人々は異なるカテゴリーの中に入れられていると考えられる(Taylor et al. 1978)。分析の結果、わざと共有しないという行動を見せたフリーライダーは、たまたま採集に失敗した人とは異なるカテゴリーに入れられ、また罰や排除に値するという評価を受けた。
  • 【経済合理性?】
    • フリーライダーと失敗した人の表面上の行動は同一(=共有資源への寄与がない)なので、動機こそがフリーライダー同定の手がかりになっていることが示唆されている。だがこの結果は、動機を利用する「フリーライダー概念」を用いずとも、経済的合理性だけで説明できるかもしれない。というのも、心はあくまで利益の多寡を検出するのであるが、〔目下の寄与分が等しく0であっても、〕協力的動機をもつ人は長期的には多くを寄与してくれるので、動機を二次的な手がかりとしてフリーライダーが同定されているのかもしれない。この仮説が正しければ、フリーライダー同定にとって重要なのはあくまで寄与量だということになる。
    • だがこの仮説は別の実験によって反証された。この実験で用いられたシナリオでは、無人島の人々はみな協力しようとするのだが、成功する場合と失敗する場合がある。もし経済的合理性仮説がただしければ、失敗する人は寄与量が少ないので非難対象になるはずだ。だがそうはならなかった。たしかに被験者は寄与量に応じて人々をカテゴリー化するが、寄与量が少ない人を非難することはなく、むしろ能力が低いと評価された。
  • 【フリーライダーに特化していない?(1)】
    • 実験1の結果を解釈する別の仮説として、そもそも意図に基づいて人の善悪をカテゴリー化する一般的な能力があれば良いという仮説が考えられる(Cushman 2013)。「悪い人」ではなくて「フリーライダー」というよりきめの細かいカテゴリー化を人々は本当におこなっているのか。
    • きめ細かいカテゴリー化がおこなわれるのは、異なる適応問題は異なる解決法を要求するからである。そこで、無人島の中に、フリーライダーと暴力的な人(食糧をもってきてはくれるが、他人に暴力をふるう)がいるとし、被験者がこの両者を区別するかを更なる実験で確かめた。すると、たしかにこの二群の人々は区別され、また暴力的な人の方がより罰や排除に値すると評価された。
  • 【フリーライダーに特化していない?(2)】
    • だがこの結果は、暴力と「権利や義務にかんする違反」一般の違いを反映しているだけなのかもしれない。
    • そこで次なる実験では、暴力的な人ではなく、共有資源を盗む人をフリーライダーと対置させた。いずれの人も、集団の資源を自分自身のために盗用していると言える。だが、フリーライダーの論理と所有権の論理は異なる適応課題である。実際、被験者はこの2種の人々をちゃんと区別し、フリーライダーがより罰や排除に値すると評価した。
  • 以上の実験は、フリーライダー同定に特化したメカニズムの存在を示唆している。このことは、人が解かなければならない適応課題とは何かに注目し、それを解くために必要な計算にかんする心理学的理論をつくるという、適応主義的アプローチによりあきらかになったことだ。同じアプローチから、「新しく集団に加入した人」(Cimio & Delton 2010)、「非常に価値のある協力相手」(Delton & Robertson 2012)、そして「公共善」(協力によって生み出される善のなかでも、寄与者にしかアクセスできない善ではなく、あらゆる人がアクセスできるもの)(Delton et al. 2013)への違反者などを検出する特別のメカニズムがあることが示唆されている。

社会的交換のための道徳的概念

  • 一対一でおこなわれる交換によって、私達は互いに利益を得ることができる。交換は文化に普遍的である(Brown 1991)。
  • だが交換には、自分が渡したが相手が渡してくれない可能性があるというリスクがある。このリスクを緩和するには、これまでの経歴や評判からみて相手を選んだり、ズルにたいして効果的な応答をおこなう(関係の解消、罰を課す)ことができる。
  • 一度交換すると決めたら話を道徳的なものにする、というリスク緩和法はよくおこなわれている。すなわち、契約を守ることは道徳的に正しく、ズルは道徳的に悪いので罰に値するとされるのである。ここでの問題は、交換に特化した心のメカニズムがあるかどうかだ。筆者らはこの問題に次の実験で取り組んだ(Kranow, Cosmides, Pedersen & Tooby 2012)。
  • まず、被験者の協力傾向が測定される。測定には、絶対に捕まらずにズルできる状況で自分がどう行動するかを記述する課題と、一回のみの囚人のジレンマ課題が用いられる。囚人のジレンマ課題では、被験者自身の選択を聞くだけで最終的な結果は知らされない。相手も匿名である。
  • 次に被験者はペアになり(※ペアの相手は実際にはコンピュータである)、一部の被験者には、相手の記述課題での回答、もしくは、囚人のジレンマ課題での選択が伝えられ、協力傾向の情報が与えられる。なお囚人のジレンマ課題の情報が伝えられる場合、課題の相手は被験者自身であったとされる条件と、第三者であったとされる条件が用意される。
    • その後、次の信頼ゲームをおこなう(★)。先攻は、一定の与えられた金額を相手と平等に配分するか、それとも全額を相手に渡すかの選択をおこなう。相手に渡した場合、金額が大幅に追加される。後攻は手にした金額を平等に配分するか、それとも独り占めするかを選択する。ここで独り占めが選択された場合、先攻は少しの金額を払うことで後攻の取り分を減額することができる(=罰に相当)。その後、先攻後攻を入れ替えてもう同じゲームをもう一試行おこなう。
  • すると以下のような結果が出た。
    • 協力傾向について知らされていない場合、被験者は相手を信じる
    • 記述によって協力傾向が知らされている場合、被験者は非協力的な相手をあまり信用しなくなる。他方、囚人のジレンマ課題の情報を与えられている場合、ジレンマ課題の相手が自分自身であった場合にのみ、被験者は非協力的な相手をあまり信用しなくなる。
      • これはつまり、交換の規範にかかわる心のメカニズムは、〔非協力的だという〕道徳的な悪さ一般を帰属するためのものではなくて、自分にとって有益なパートナーを識別するためのものであることを示唆する。
    • 二回目の試行で協力する気がある被験者ほど、一回目の試行で相手から裏切られた際に罰を与える。
      • 同様の傾向が刑事裁判でも見られる。被験者にとって重要な事件のほうが、加害者に対して修復よりも懲罰を求める傾向が高まる(Petersen et al., 2012)
  • つまり、自分が不当に扱われた時と、他人が不当に扱われた時、それぞれに対する道徳的反応を生み出す認知メカニズムは、どちらの事例も等しく違反として評価するものではなく、従って、道徳的善悪という一般的なシステムに由来するものではないようにみえる。むしろこのメカニズムは、交換の中で一番効果的に利益を手に入れられるかたちでリスクを管理するために、道徳的賞賛、非難、信頼、懲罰などを運用するという特徴をもっているようだ。

非難と協調

  • 道徳的非難は様々な行為に向けられる。アマゾンのヤノマノの間では、平行イトコ婚が非難され交差イトコ婚が推奨される(Chagnon 1996)。カラハリ砂漠のクンの間では肉を他人に分けないのが非難される(Cashdam 1980)。近代アメリカでは喫煙が非難される(Rozin & Smith 1999)。
  • 非難は複雑な現象である。非難対象となる行為が時間と空間を通じて変化するだけではない。ここで扱いたい更なる問題がある。自分一人で他人を非難しても、むしろ自分の方が見解を変えるよう逆に言われてしまうかもしれない。そうならないために、非難は社会的行為となっていることが多い(Boehm 1993)。だが、この種の協調を成し遂げるのは難しい。
  • 協調の難しさが道徳判断に与える影響を示した研究に、DeScioli & Kurzban (2009, 2013) がある。彼らはまず、作為と不作為では作為の方が厳しく非難されるという現象に注目する。
  • ところで、私達の道徳的反応の機能の一つは、非難の対象を一致させ〔て、集団にとっての利益をもたらす〕ことだと考えられる(DeScioli, Bruening, and Kurzban 2011)。そうすると、道徳判断の強さに影響する一つの要因は、その判断にかんしてどれだけ容易に協調が見込めるか、という点にあるはずだ。もし協調が達成できないならば、あえて非難をおこなうことはコストが高くなるのでおこなわれなくなるはずである。
  • 以上をもとに考えると、たしかに作為の場合には悪行がおこなわれたことが公に明らかであるのに対し、不作為の場合は判断が難しい。そこで、「作為の場合には非難の協調が容易であるために判断が厳しくなる」という仮説が立てられる。だが対抗仮説として、作為では因果が直接的だが不作為はそうではないという点が判断の厳しさに影響しているとも考えられる。
    • そこでDeScioli, Bruening, and Kurzban (2011) は、「「何もしない」ボタンを押す」などのかたちで、不作為が「選ばれた」ものであることを公に明らかにしておくシナリオを用意した。すると、この条件では作為と同じ程度厳しい判断が下された。ここから、判断の厳しさに関係するのはやはり協調の難易度であることがわかる。
  • これらの実験は非難という複雑な現象の表面を扱っているにすぎないが、適応主義的なアプローチの有効性を示していると言える。
おわりに:道徳心理学するのになぜ適応を気にするべきなのか
  • この章では、集団での協力、社会的交換、非難の協調について、適応主義的的な道具立てがいかに役立つかを見てきた。適応主義的アプローチは、人類が長い間直面してきた問題を吟味することで、それを解くために進化してきた心理的適応について仮説を生み出す。そしてそうした仮説が、経験的研究を導いてくれる。そしてこのアプローチは、道徳心理の理解にも貢献するはずである。