えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

分離脳患者の意識は本当に統一されているのか? Schechter (2012)

http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/09515089.2011.579417

  • Schechter, Elizabeth (2012). The switch model of split-brain consciousness. Philosophical psychology. 25(2): 203−226.

 ティム・ベインは、分離脳患者の意識経験について「スイッチモデル」を提唱している(Bayne 2008)。患者の両半球は注意資源を刻々と競い合っており、この争いの勝者である半球がそのつど意識の物的基盤となることで、統一的で単一の意識の流れが形成される、とするモデルだ。このモデルに含まれる、半球間の注意の揺らぎによって分離脳患者の意識を説明するというアイデアはもっともらしい。だがこのアイデアは、分離脳の患者が二つの意識の流れを持つとする「二重モデル」とも両立すると筆者は述べる。二重モデルは、「異なる半球を基盤とする互いに独立な意識経験が同時生起すること」が可能だとする点で、スイッチモデルと異なる。本論文は上記の説明アイデアを保ちつつ、二重モデルを擁護するものだ。

 スイッチモデルは、注意が意識の必要条件であると前提している。この点について、注意の欠如によって知覚プロセスが意識されなくなることや(Mack & Rock, 1998)、分離脳患者において空間的注意のシステムは分割されていないこと(Gazzaniga, 1987)、各半球は互いに独立に注意を払うことができること(Arguin et al., 2000)などが知られており、たしかにスイッチモデルを支持する経験的証拠は多い。
 
 だが、スイッチモデルの想定とは裏腹に、分離脳患者において「異なる半球を基盤とする互いに独立な意識経験が同時生起すること」は実際あるようにみえる。たとえばスペリーは、右半球を行使させる課題をおこなっている被験者が、左半球にしか提示されていない情報に基づいて状況を実況しはじめることがよくあると報告している。
 
 この言語報告は課題遂行に干渉することから、たしかに半球間では注意の奪い合いがあることが分かる。しかしこの競争は、スイッチモデルが想定するような、常に一方が片方に全面的に勝利しているようなものではない。決着がつかずに衝突している場面が存在するのだ。たとえばガザニガは、ある被験者が家族の手を暴力的に握りつつ同時にそのことを気遣う様子を見せた例を報告している(Gazzaniga 1970)。また両半球に言語能力がある或る患者は、実験状況において、自分自身と口論し始めている(Mark 1996)。

 スイッチモデルの擁護者は、こうした事例では意識の基盤となる半球のスイッチが何度も高速で起こっていると言うだろう。たしかに、上のような事例では、2つの意識経験が厳密に同時に起こっているかどうかは定かではない。だが、厳密に同時と言えそうな事例も存在している。たとえばSchiffer et al. (1998) は、分離脳患者に短文を提示し、その文章に対する賛成の度合いを評定させる際、言語報告ではなく、左手と右手それぞれの元に用意されたペグに触れることで回答するという実験を行った。すると、情動を喚起する短文については、左手の回答と右手の回答が異なるという結果が得られた。この実験では、それぞれの半球がそれぞれの意識経験を元にした行動をまさに同時に行っているように見える。

 以上のような事例で二重モデルを動機づけた後、筆者はスイッチモデル支持者が依拠している実験の詳細な検討に向かう。それらの実験を半球間での注意の揺らぎによって説明することは、たしかにもっともらしい。だが、この説明戦略と、スイッチモデルそのものは区別できると筆者は指摘する。というのも、注意資源獲得競争で負けている方の半球が完全に意識を欠いていると想定する必要はないからだ。たとえば、意識は程度をゆるすものだとし、負けている方の半球にも低レベルの意識を可能にする程度の注意資源は行っていると考えることもできる。つまり、注意の揺らぎによる実験結果の説明は、二重モデルとも両立可能なのである。

 だが二重モデルは、分離脳患者が非実験状況において統合された行動をしめすことを説明できるだろうか? これまでこの問題への対処としては、それぞれの半球に同じ内容をもつ意識経験が生じるとする「複製戦略」が採られてきた。だが、非実験状況において、両半球の意識的内容が同一ないし酷似しているというこの想定は疑わしい。しかし、複製戦略にたよらずとも、二重モデルの擁護者は行動の統一性を説明できる。行動の統一性には、身体の唯一性や、意識的ではない心的メカニズム、神経のメカニズム、主体の欲求など、さまざまなものが寄与している。これらの要因によって、一方の半球に意識的経験が保たれつつも、他方の半球から発せられる運動指令が統合された行動を生み出す、ということが可能になる。

 最後に、意識の通時的統一が取り扱われる。そもそも、スイッチモデルが言うように分離脳患者の意識内容が刻一刻と切り替わっているとすると、なぜ患者はそのように報告しないのだろうか? またスイッチモデルが正しいとすると、どの時点でも意識的である半球は一つだけであり、したがって、「現象的」に言えば分離脳患者には一つの意識の流れしかもたないことになる。だがその場合でも、右半球と左半球のそれぞれは、認知・知覚・情動等に関連する特徴の点で互いに異なる二つの「心理的」な流れに結びついているはずだ(この2つの心理的な流れのうち、ある時点で意識的になれるのは一方のみだとするのがスイッチモデルだと言える)(なお健常者の場合2つの心理的流れは統一されている)。そしてこうした心理的な流れは、意識の通時的同一性において重要なもの[what matters]の多くの部分を占めている。この点を考えると、「分離脳患者には一つの意識の流れがある」というよりも、「分離脳患者には2つの意識の流れがある」と言うほうが、事態をうまく捉えている[make sense]のである。