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- 斎藤太郎 (1988). 「K.Ph.モーリッツの第一美学論文について」, 『藝文研究』, 52: 117−131.
カール・フィリップ・モーリッツがゲーテとの交流の結果生み出した『美の造形的模倣について』(1788)は、ゲーテ美学の亜流として受け取られ、19世紀末までその重要性は十分認識されてこなかった。だが彼の美学の特徴である芸術の自己目的性は、モーリッツがゲーテと会う1786年以前の著作にも十分に現れている。
その著作が『自己において完結しているものという概念の下でのすべての美術ならびに文芸の統一の試み』(1785)である。バウムガルテン以来ドイツの美学は、明晰だが判明ではない認識能力としての感性の学とされていた。そこで美は、感性という人間の有限な認識能力に基づく現象にすぎないとされ、美の目的もまた主観の側から根拠づけられた。すなわち、芸術は道徳的教化や幸福を促進する手段だと考えられたのだ(「作用美学」)。
啓蒙主義において支配的だった作用美学にモーリッツは異議を唱える。手段として有用なものは、受け手となる人間自身が定める目的に寄与することにより、喜びを生み出す。従ってこのような喜びは、「利己的」(eigennüzing)であって、動物と共通する粗野な喜びにすぎない。これに対し美しいものは、人間側の目的に寄与しないにもかかわらず喜びをもたらす。ところで、理性的存在である人間は合目的的でないものには喜びをおぼえない。従って、目的は美しい対象の内部にあるのであり、つまり美しいものは自己目的的である。美しい対象に私たちがおぼえる喜びは「美しい対象自体ゆえの喜び」であり、非利己的で、人間を動物よりもより高い存在としてくれる。
こうしてモーリッツにおいて、美は有用性の概念から解放され、美の価値は対象の客観的特性の中に根拠を持つことになった。このことは、倫理学に従属していた美学に、独立した地位を与えることでもあった。
このような美学がモーリッツの個人的体験と反省から生まれていることが、自伝的小説『アントン・ライザー』から伺える。その主人公であるライザーは抑圧的現実から逃避して芸術を志し、他者から認められたいという「エゴイズム」を動機として詩作や演劇にとりくむために真の芸術の姿を捉えることが出来ない。このように、芸術は社会の合目的的メカニズムが生み出す抑圧から逃れられる唯一の領域なのだが、「逃避」という外的目的に芸術を従属させてしまえば、芸術はふたたび逃れるべき合目的性の構造に絡めとられてしまう。そこで、モーリッツにとって、芸術は自律的なものでなければならなかった。
モーリッツの個人的要因を除いても、18世紀ドイツの市民たちは多かれ少なかれ社会的抑圧を感じていた。18世紀後半のドイツで美学が盛んに論じられたのも、芸術が啓蒙主義的理想を表現できる比較的自由な場を提供していたからであった。