えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ドイツ観念論には啓蒙と神話が両方そなわり最強に見える 寄川 (2009)

ヘーゲル哲学入門

ヘーゲル哲学入門

  • 寄川条路 (2009). 『ヘーゲル哲学入門』(ナカニシヤ出版)
    • 第二章 啓蒙から観念論へ

 ドイツ観念論のなかには、「啓蒙の啓蒙」もしくは「高次の啓蒙」(ヘルダーリン)とよべる思想がある。理性的・科学的思考を掲げた啓蒙の思想は、しかし同時に「冷ややか」なものであり、生を「制約された」ものにしてしまった。この欠点を補うもの、つまり啓蒙を啓蒙するものを、ドイツ観念論者達は神話に求めた。だがその神話は、たとえばかつて古代ギリシアの共同体でみられたように、一部の人々のみを結びつけるものではない。啓蒙の精神を通過したドイツ観念論者達は、人間一般を結びつける神話を求めたのである。ここで言われる神話とは、啓蒙主義が言うような、理性的思考によって乗り越えられるべき感性的認識に過ぎないものではない。むしろそれは、人間と世界の連関に意味を与えるもの、人間の経験に意味をもたらすものなのだ。

 こうした、「神話」によって古代ギリシア的な共同体の原理と近代的な啓蒙の精神を結びつけるという発想は、ヘルダーの『神話の新しい利用法について』(1767)に見られ、これがヘルダーリン『宗教について』(1796-97)やヘーゲルの『ドイツ観念論の最初の体系プログラム』(1796)などに継承されていった。なおシェリングも神話を重視しているが、彼は古代ギリシャ的な神話を現代においてそのまま再生可能だと考えている点で、ヘーゲルらとは認識が異なる。