えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ビスマルクからベルリン大総長デュ・ボア=レイモンへ ビスマルク 1870[1940]

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1057375

  • ビスマルク [1940] 『ビスマルクの手紙』(吹田順助訳 主婦の友社)、二八二–二八三頁

九二、ドゥ・ボア・レイモンへ     ヴェルサイユにて、一八七〇、一〇、六

 敬愛する総長殿

 貴下が戦争勃発に際して、偉大なる国民的闘争に対するわが国の大学の精神的同意を表白されたところの演説を御親切にもお送りくだされたことに対して、私は、貴下が預言者のように言いあてられた広大な成功が得られた今において始めて、私の感謝を申上げることができるのです。貴下の深遠にしてかつ痛切なる御言説は必ずや、それを傾聴せるドイツの青年学徒ならびに彼らの同業者の何ぴとにも多大な印象を与えたことと信じています。さらに私の特によろこびとするところは、貴下の御演説の効果が遥にドイツの国境を越えて波及し、特にそれが的確なる翻訳によって普及されたイギリスにおいて*1、外界の攻撃と横暴とに対する大いなる道徳的な、かつ国民的な奮起としてわれわれの意義を明かにし、かつ基礎づける上にあづかって力あったことを、各方面の情報によって知りえたことであります。

 閣下に私のもっとも正直なる尊敬を呈することをゆるしたまえ。

※新かな遣いに直しました

*1:1870年8月3日にベルリン大でおこなわれた講演の英訳である「A Speech on the German War」だと思われる。この演説には「われわれベルリン大学は、王宮の向かいに構えるものであり、そのいしずえが証すとおり、ホーエンツォレルン家の知的な護り手である」という一節があり、これをハイエクは、「科学者が科学者の名において発した言葉の中で史上最も恥ずべきものかもしれない」と酷評している("Planing, Science and Freedom", Nature 148: 580−584)