えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

論争の区切り:ランゲの『唯物論史』 Beiser (2014)

After Hegel: German Philosophy, 1840-1900

After Hegel: German Philosophy, 1840-1900

  • Beiser, F. (2014). After Hegel: German Philosophy, 1840–1900. Princeton, NJ: Princeton University Press. 

・第二章 唯物論論争(1−2/3−4/5−6/7←いまここ)

 1866年ランゲの『唯物論史』第一版が出版される。この本は19世紀ドイツ哲学の中でもっとも重要な一冊で、極めて多くの読者と批判とをえた。

 科学と信仰との対立を解決する鍵を、ランゲはやはりカントに求める。現象界と英知界の区別は、唯物論と根拠なき信仰の中間を行く道を指し示している。ただしランゲはカントによる神の擁護は18世紀の遺物だと考えており、有神論を攻撃する点で唯物論に賛同する。英知界とは超自然的な何か存在する領域ではなく、道徳的・美的価値をふくむ厳密に規範的な領域なのだとランゲは理解する。こうしてランゲも、ロッツェとは独立に、存在と価値の領域の区別にたどり着いた。

 だが二元論よりも重要なのは純粋理性と形而上学の批判である。カントの批判は唯物論に深刻な問題を突きつける。まず唯物論は、カントによって批判された素朴実在論に他ならない。しかも悪いことに、生理学はカントの認識論を確証しているので、唯物論者は自分の首を自分で絞めることになる。第二に、全ては法則に従って必然的に生起するという唯物論の主張は、カントによれば、因果性という認識のアプリオリな条件によってのみ可能になるはずなのだ。

 『唯物論史』は、しかし単に唯物論批判の書ではない。ランゲには唯物論を擁護する面もあり、経験主義・唯名論・機械論といった理念を賞賛している。ランゲが唯物論を擁護するのは、それが自然科学を武器に横暴な権威や宗教的迷信から個人を解放するという倫理的側面を持つからだ。彼の歴史記述はこの視点に貫かれている。古代の唯物論の進展はキリスト教とプラトン-アリストテレス主義の覇権により妨げられてしまったが、初期近代が唯物論を再発見し、自然科学が誕生するのだ。こうした歴史を描くことでランゲは、唯物論論争に歴史感覚をもたらした。それまでの唯物論者は、唯物論は現代科学の産物だと考えていたし、批判者は唯物論は一時の流行、あるいは哲学ですらないと考えていた。ランケはこうした認識を改めつつ、同時に宗教・政治批判の伝統を復興させようともしていた。

 以上のような特徴を持つ『唯物論史』は、つまるところ、唯物論者の宗教批判や科学的なプログラムにはのりつつも、しかし素朴な形而上学や価値の無視には賛同し難いすべての人にとって、魅力的なものだったのだ。多くの人にとって、本書により唯物論は総括された。


 『唯物論史』の第二版(1873−75)の頃には既に、ダーウィンが議論の中心となっていた。だがダーウィンの勝利により唯物論が立証されたと考えてはいけない。ロッツェが示したように、機械論的説明の適用範囲が広がることは、必ずしも唯物論の正しさを示さないからだ。むしろロッツェ、フラウエンシュテット、そしてランゲは、唯物論の急所を突くことに成功していた。その弱点とは素朴な認識論であった。そして、これらの批判がカントにインスパイアされていたことを考えれば、19世紀後半のドイツで支配的だったのが唯物論でなく新カント主義だったというのも、頷けるのである。