えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ショーペンハウアーの介入、ツォルベの認識論 Beiser (2014)

After Hegel: German Philosophy, 1840-1900

After Hegel: German Philosophy, 1840-1900

  • Beiser, F. (2014). After Hegel: German Philosophy, 1840–1900. Princeton, NJ: Princeton University Press. 

・第二章 唯物論論争(1−2/3−4/5−6←いまここ/7

 ショーペンハウアーの愛弟子、ユリウス・フラウエンシュテット(Julius Frauenstät)は、唯物論論争で師の立場を擁護した。彼が唯物論に反対して著した『自然科学が詩、宗教、道徳、哲学におよぼす影響について』 Die Naturwissenschaft in ihren Einfluß auf Poesie, Religion, Moral und Philosophie(1855)や『唯物論』Der Materialismus (1856) は、唯物論論争への寄与のみならず、19世紀後半のショーペンハウアー受容に大きな役割を果たした点でも重要な著作である。

 フラウエンシュテットの(そしてショーペンハウアーの)考えによれば、理性と信仰は両立可能である。ただしそのためには、科学と唯物論の同一視と、宗教と古いキリスト教の教義(有神論・魂の不死)の同一視という二つの誤りを正さねばならない。唯物論とは科学を元にした哲学的主張に過ぎず、唯物論無しでも実験や観察で自然を探究することができる。また宗教の眼目は辛い人生からの救済であり、それには神や不死の信仰は必要ない。仏教を見よ。

 無からの創造や魂の不死を攻撃する際には、フラウエンシュテットは唯物論者の議論に分を認める。しかし自由意志や、自然や歴史の目的性を救うために、彼は機械論的説明が完全だとは認めない。機械論的説明のみでは、生命現象の全てを説明することは出来ない。有機体における要素がそもそもなぜそのように組み合わさったのかが説明できないからだ。生命への意志があって初めて、物体がかくのごとくに組み合わされるのだ。機械論はあくまで現象界にのみ適用されるのであり、自由や目的の領域である英知界には適用できない。つまり唯物論は、批判哲学がなかったかのように素朴実在論に回帰しているという根本的欠点をもっている。知識は我々の側の条件によって条件づけられているのであり、このことはミュラーやヘルムホルツの生理学的研究によっても正当化されている。

 なお唯物論の別の欠点として、自然法則の永遠性を信じている点もあげられる。自然史を振り返るならば、地球の初期の段階では異なる法則と力が作動していたと考えられ、現在の自然法則が永続すると考える根拠はない。

 フラウエンシュテットは唯物論論争におけるショーペンハウアーの存在感を大きく高めた。しかし彼はショーペンハウアーの悲観主義にはほとんど言及しなかった。その教義では人をひきつけられそうにないと気づいていたからだ。悲観主義の行方は6章で扱われる。


 唯物論サイドのもう一冊の重要な本は、ハインリッヒ・ツォルベ Heinrich Czolbe の『新説感覚主義』(1855)であった。この本は、唯物論に対して「感覚主義」、すなわち極端な経験主義という認識論的基礎を与えるもので、物理学から論理学まであらゆる分野から超感覚的なものを排除しようとする。経験主義の重視は、観念論者が認識論を牙城としていることへの反動だった。観念論者のようにアプリオリな概念の存在を認めれば、超感性的なものを呼び込むことになってしまう。そこでツォルベは概念や判断や推論をその起源となる感覚経験にさかのぼったうえで、感覚経験を脳と神経の振動という物的過程から説明しようとする。これらの説明は荒っぽいものであったが、唯物論には認識論的基礎が必要だということを知らしめた点で『新説感覚主義』は重要であった。

 ツォルベはロッツェの生気論批判から唯物論の着想をえたと述べ、ロッツェ自身も一貫していれば唯物論者になるはずだと述べた。そこでロッツェはまたしても誤解を解くべく書評を執筆することになる(この書評はフレーゲにとって重要になった)。ロッツェにいわせれば、思考の本質はまさに、直観の素材に超感性的な何かを付け加えることにある。超感性的なものが付け加わるおかげではじめて、単なる経験の継起を超える因果性や、意識の統一の認識が可能になるのだ。ツォルベは超感性的なものというのをあまりに乱雑に捉え、神秘的な念力のような物と同一視して批判しているにすぎない。

 この書評に対しツォルベは『自己意識の発生について』Entstehung des Selbstbewusstseins (1856) で応答を試みる。この著作では、感覚刺激と感覚内容の間にはギャップがあるというロッツェの指摘をみとめ、それを埋めるための努力を唯物論者が怠ってきたと叱咤する。もしこのギャップが埋まらないならば、現象と物自体の世界は異なるという超越論的観念論の基本図式を受け入れざるをえない。ではツォルベはどうやってこのギャップを埋めるかというと、驚くべきことに素朴実在論である。もちろんこの立場は長続きせず、数年の後ツォルベは唯物論の誤りを認めることになる。