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Daston, L., and Galison, P. (2007). Objectivity. New York, NY: Zone Books. 第一章 目の認識論 第五章 構造的客観性(1/2/3←いまここ)} |
【まとめ】
カルナップやシュリックをはじめとする論理実証主義者の哲学でも強調されている「構造的客観性」は、人間に限らずあらゆる知性体にとっての伝達可能性を保証するものだ。それは、ますます大規模になっていく科学研究の中で、時代や場所を超えた科学者の共同体という夢想を可能にするものでもあった。この考え方の大きな源泉の一つはアインシュタインであったが、ただしアインシュタイン自身が構造的客観性の擁護者だったかどうかには微妙なところがある。
中立言語の夢
[1] フレーゲをはじめ1900年付近の数学的論理学者の影響を受けたカルナップは、新しい記号論理学こそ普遍記号学の実現、万学に適用可能な「関係の理論」だと考えた。諸科学は多様な視点を採るので「内容」の点では統一できない。この多様性を乗り越える客観的な世界の構築こそ、『世界の論理的構築』(1928)における関係の理論の目標であった。[2] カルナップの言う「構造」とは路線図のようなものだ。路線図は尺が正しくないし、駅名を捨象することもできるが、どの駅がどうつながっているかの情報程度があれば自分の位置がわかる。この種の構造は視点や存在論に中立で、要素を異なるところから組みあわせることも、異なる要素で同じ構造をつくることもできる。ただし構造以外の部分は主観的である。
[3] この中立という態度は、同時に道徳的態度、生き方でもあった。ウィーン学団の新しい哲学は、新しい思考・行動様式を要求する。哲学者はもはや一人で全哲学を描くことはしない。他の哲学者、科学者、もっと広い様々な人々と共同で仕事を進める。[4]このエートスは、ウィーン学団のテキストの書き方にすら影響した。参考文献を注にまわさず、文章の流れの中に補足説明等とともに書き入れるのである。互いのテキストは分析検討され、論理に適ってない価値や独断はチェックされる。カルナップはこの中立・寛容な態度を数学、言語、政治、存在論にも拡張し、独断主義を戒めた。
[5] カルナップは、科学的客観性と構造を結びつける見解をポアンカレやラッセルに遡る。ラッセルは個物性を明らさまに軽視しており、個々の関係の本性よりもその関係で順序づけられる対象の集合の方が重要だと考えた。そして順序関係のネットワークは地図で表現できる。[6] ラッセルの考えでは、主観的世界と客観的世界は構造を共有している。従って、私たちは前者から推論を通じて後者を知ることができる。これまでの哲学者は、経験や世界の「内容」に注目したので、存在論上行き詰まってしまったのだ。
[7] 構造こそ伝達可能性の守り手である。シュリックは、アインシュタインの時空間内での出来事の定義が、客観性(間感覚的・間主観的妥当性)を持つ手続きに則っておこなわれていることを指摘した。一方でシュリックによれば、このようなテストできない心理的命題は客観的ではない。[8] 心理や個人差の排除により、彼らは人間の領域を去ることになる。人間の感覚神経をつなぎかえた怪物の世界も、構造の点では人間のそれと同じなのだ。
宇宙的共同体
[1] シュリックの思い描いた怪物は、世紀末のSF作家の夢想と通じるところがある。この頃、異星人は人間と動物のキメラではなく、全くの異形として描かれだした。[2] だが、地球人と異星人はコミュニケーションすることができた。このことは、ウェルズの『月世界最初の人間』やJ・H・ロニー(兄)の「クシペユ」にみえる敵対的異星人でも、カミーユ・フラマリオンの『世界の終わり』にみえる友好的宇宙人でも、同じである。
[3] 現実の地球上にしても、科学における国際協力が重要になるにつれ、伝達可能性の問題が深刻になっていた。例えばCarte du cielという巨大な天文地図作製プロジェクトの国際会議では、各国の論争が激しく、言語の才がある司会が求められた。目標を共有する科学者でも、スムーズな意思疎通は前提できなかったのだ。[4] この困難は19世紀後半から始まっていた。ダーウィンのように家にいるタイプの科学者でさえ、非母語の論文読解という点で苦しんだ。犬を理解することと外人を理解することには程度差しかないというロイド・モーガンの発言も、同じ困難の現れなのかもしれない。
[5] 以上の背景を考えれば、全ての思考者の共同体というアイデアは居心地のよいものだ。ラッセルやアインシュタインも、これに思いを馳せて慰めをえていた.機械的客観性は、孤独で逆説的にも個人中心的の探求(自分の意志を自分の意志で制御する)を生み出した。一方で構造的客観性は自己の消去を求めるが、それは共同体へ参入するためである。[6] この自己の消去はポアンカレやカルナプには自己犠牲であったが、ラッセルらにとっては個人的な状況からの解放だった。ピアソンやパースは態度を決めかねていた。[7] だが主観の抑圧だけが構造的客観性に結びついたわけではない。そこには切望や不安も表現されていた。そこには、意志を通じ合わせることができる共通世界への熱望があった。だが、あらゆる心理の排除が求められたがゆえに、けっきょく構造的客観性すら真理と共同体を与えないのかもしれなかった。
[8] 構造的客観性は、世界にも自己にも骨格となる関係しか残さない。この平行関係をヘルマン・ワイルは「変換の不変項」という射影幾何のメタファーで捉えた。点が世界の対象を表すとして、点が主体にとっての座標上で占める位置を、順序づけられた3つの数で決定するとしよう。ここで座標系が変化しても(=どの主観的自我にとっても)、3数が数としてのみ理解されているなら(=純粋意識の経験)、各点の数的関係は不変である。
[9] ワイルの科学哲学は、カルナップやカッシーラーと同様、特殊相対性理論から霊感を受けていた。だがアインシュタイン自身の客観性に関する見解は微妙なところがある。[10] アインシュタインがニュートン力学に対して抱いた不満は、「現在」が全ての基準系で同じ時点を指す点にあった。彼によれば時間は空間と共にしか客観的に定義できない。そこでアインシュタインは、ぴったりあった二つの時計を異なる場所に用意し、これらの時計上同時刻に起きた二つの出来事を、一つの基準系における同時的な出来事だと考えた。
[11] この考え方が構造的客観性と相容れない点が二つある。まず、ある一様に運動する基準系で同時的な二つの出来事が、別の基準系では同時でない。つまり、全ての観察者にとって出来事の時空的位置が異なる。[12] 第二に、アインシュタインの客観性は純粋な客観性ではない。哲学者Henry Margenauは、「[アインシュタインにとって] 客観性は物理法則の不変項と等しい」と論じ、理論は不変項のおかげで客観的構造の地位を持つという解釈を表明した。[13] だがアインシュタインは、理論を構成する「全ての」量や主張が客観的意味を持つし、しかも客観性は一つの理論の枠組みのなかでしか成り立たないと応じた。 [14] アインシュタインによれば、主観客観の区別はその有用性により正当化される。座標系に相対化された客観的な時間は、主観的な時間を出発点として定義されており、理論の中で主観と客観は込み入っている(時計を同期させる方法も慣習的である)。だから同時性は規約的側面をもつものなのだが、しかしその規約の正当性は特殊相対論全体の成功を通じて認められるのである。
[15] では結局アインシュタインは構造的客観主義者なのか。Yes & Noだ。彼は一生をかけて相対論内部で不変なものを探求していた。これは事実だ。しかし同時に彼は、客観性は原理、観察、規約をふくめた全体としての理論の統合性から発すると考えていたのであり、不変項だけが客観性の担い手だとは考えていなかった。[16] だがこうした全体論的な考え方は後の哲学にあまり影響しなかった。一方構造的客観性は、ウィーン学団を通じて現代の分析哲学における認識論にも受け継がれている
[17] 機械的客観性の限界を理解したとしても、感覚経験と図像を全て捨て去る構造的客観性は、数学者や論理学者ならぬ経験科学者には高くつきすぎていた。視覚的なもの、感覚、イメージへの回帰がすぐおこる。[18] だがいまや、正しいイメージ明らかにするのは天才でも労働でもない。自信に満ちた専門家である。この新しい科学的ペルソナは、機械的客観性からも構造的客観性からもひどく嫌われていたもの、すなわち無意識的直観と知覚の習慣に臆面もなく依拠する。次章では、「熟練の判断」という新たな認識的徳を探求しよう。