https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1467-8519.2010.01809.x
- Ives, J., & Dunn, M. (2010). Who's arguing? A call for reflexivity in bioethics. Bioethics, 24(5), 256–265. https://doi.org/10.1111/j.1467-8519.2010.01809.x
2つの生命倫理学
- プライベートな生命倫理学
- 学術的議論に貢献することを意図した知的営み(an intellectual exercise intended to inform academic debate)
- パブリックな生命倫理学
- 公的政策や、科学者、医療者、患者、大衆の行動を形成・変容させることを狙った実践的営み(a practical exercise intended to shape and re-shape public policy and/or the behaviour of scientists, medical practitioners, patients or members of the public.)
生命倫理学と客観性のレトリック
- いずれの形態の生命倫理学も、客観性というレトリックによって提示されている
- だが、近年の客観性批判は生命倫理学へ拡張されるべきだ
- 道徳哲学は不可避的に社会に埋め込まれている
- 道徳的議論の中核には直観がある
- 道徳的議論は、その直観に表現を与える
- 道徳直観は、私たちの生活経験を通して形づくられる
生命倫理学の役割と義務
- 生命倫理学者は、政策、大衆、研究計画、臨床規制等に影響を与える権力を持っている
- このため、パブリックな生命倫理学の実践者には説明責任(accountability)があり、それを果たすことは義務(duty)である
- こうした義務は、科学的知識が公的な場面に取り入れられるその他の文脈ではよく認識されている
- 例:臨床試験を行う際には、研究の性格について反省的になり、利益相反の可能性を開示することで、透明性の向上が図られる
- 同様の要請は生命倫理学にも当てはまる
- 生命倫理学者は、自分の直観が道徳的議論や研究関心一般にどのような影響を与えているかを、オープンかつ明示的に考慮するべきである(反省性)
オートエスノグラフィーと告白物語
- より責任ある哲学的生命倫理学を実現するために役立つ方法として、オートエスノグラフィー、とくに告白物語が役立つ
- 先例として:Eva Kittay; Thomas Lacqueur
- オートエスノグラフィー
- 研究者自身の自伝的情報を、研究の社会・文化的前提の分析と解釈に用いる
- 告白物語(the confessional tale)
- 問題の分析過程における混乱、不確実性、ジレンマなどを吐露する個人的な表明。オートエスノグラフィーの一種(van Maanen 1988)。
- オートエスノグラフィー的な反省性は、真なる結論を導いたり説得性を高めるという意味で、議論をより良くするわけではない。
- そうではなく、説明責任と公開性の必要を認め、またそれに応えるためのもの
- 透明性を高め、理想化を減らすことで、議論はよりよく理解され、また評価されるようになる
- そうではなく、説明責任と公開性の必要を認め、またそれに応えるためのもの
反省的生命倫理学のポイント
- 反省性を実現するためには様々な方法がある。
- オートエスノグラフィーがあらゆる場合に適しているわけではない。
- しかし、反省的な生命倫理学実践はいくつかの共通要素をもつだろう
- 1. 議論がどのように理解されるべきかについて、明確な方向づけがされている
- 学術的議論を刺激するための思考実験なのか? それとも政策決定者・実践者に向けられたより実践的な提案なのか? 等々
- 2. 議論の源泉が説明され、著者が目下の倫理的問題に対して立つ様々な立場が考慮される
- 議題は著者の(どのような)個人的な関心に基づくのか? 自身、友人、家族などの経験に負っているか? 議論が真剣に受け止められること(taken seriously)に(どのような)関心を持つか? 等々
- 3. 議論の中で、1. と2. が考慮されるような批判的・自己反省的な書きかたをする
- 補論(appendix)や注をつける、本文の中に個人的語りを入れ込む、等々
- 1. 議論がどのように理解されるべきかについて、明確な方向づけがされている
反論と応答
- 反論:反省性を求めることは哲学的生命倫理学の目的および方法と両立しない
- 著者個人の経験に焦点を当てることは他人との関連性を失わせ、一般化された規範的主張をすることが難しくなるのではないか
- 応答:議論の透明性を高めることで、公的な場でその議論の結論に依拠することはむしろ容易になる
- 反論:論理的議論などの既存の方法によって、すでに個人的直観の主観性の問題は克服されている
- 応答:個人的直観は道徳的議論によっては決して対処できない。だからこそ、哲学者の個人的な語りを通してそれを議論の中に位置づけ、透明化する必要がある
- 反論:反省性を求めることは煩わしく、混乱しており、また自己満足的(self-insulgent)である
- 応答:反省性は社会科学において様々に批判されてきている。たしかに、オートエスノグラフィー、特に自己物語には、独善的で甘えだという批判が最も当てはまる。だがそうした批判は、反省性がどう実現されるべきかにかんする批判であって、反省的になる必要性それ自体に向けられたものではない。反省的分析をいかにうまく行うか、という問いが重要である。