- 作者: Lorraine Daston,Peter Galison
- 出版社/メーカー: Zone Books
- 発売日: 2010/11/05
- メディア: ペーパーバック
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- Daston, L., and Galison, P. (2007). Objectivity. New York, NY: Zone Books.
【まとめ】
19世紀後半、生理学と心理学は主観を経験的に探求し始めた! すると、感覚、知覚、推論、論理などに個人差があることがわかってしまった…… また歴史や人類学も、時代や文化ごとに精神生活のあり方が異なると示していた。だがそうだとすると、科学そのものも「万人に伝達できる」ようなものではないということになるのでは!?!?? あかん。この問題に対し、個人、歴史、文化的な違いを超えてなお残る「構造」にこそ客観性はあります、という考え方が出てきた。「構造的客観性」だ。
この客観性の擁護者の一人がフレーゲだ。新しい生理学と心理学は、論理や数学を表象や直観の観点から説明しようとする。だが、表象や直観は個人の所有物であって主観的だが、論理や数学は全ての思考者にとって共通のもの、客観的なものであるはずだ。だから経験的なアプローチはおかしい! そこで、表象や直観を論理から排除するために、これらのものに影響されない新しい証明の方法を開発しよう。「概念記法」だ。これはめっちゃ使いづらいが、そのおかげでかえって混乱をなくして客観性を守ることができる。
◇ ◇ ◇
図像なしの客観性
[1] ヘルムホルツは感覚生理学の研究から、感覚は外的対象と類似した写し絵ではなく、その主観的な記号にすぎないと考えた。だから自然をあるがままに見ることは不可能であり、科学的客観性もそこにはありえない。むしろ客観性は、諸々の感覚が保持している時間的継起の内に見出される一定不変の「関係」に存する。[2] ここに、あらゆる図像化を拒む新しい客観性がある。図像の代わりとなるのは、法則的な連続性、方程式、論理的関係といった「構造」である。新しい客観性の提唱者たちは、構造に基づく客観性こそ主観という私秘的な精神世界から脱し、万人に伝達可能なものを手にする唯一の道だと考えた。
[3] 本章の登場人物には「構造」という語を使わない者もいるし、また使う者もこの語に込めた意味は多様だった。だが、伝達可能性の問題を認めそれに取り組んだことが彼らをまとめるひとつの根拠となる。もう一つの根拠は、これらの人々が後に先駆者としてまとめて扱われた点にある。[4] たとえばフレーゲは「構造」という語を使わなかったが、ポワンカレやラッセルと並び伝達可能性の問題に挑んだものとカルナップにより理解された。[5] 実際、「構造」という語は、19世紀から20世紀初頭にかけて有機体や社会、数学的対象へ広がる新たな意味を獲得しつつあったもので、この時期の構造的客観性の提唱者のマーカーとしては不安定である。[6] 一方、彼らが「客観性」によって意味したものは同一であり、それが、翻訳・伝達・理論変化といった過程や個人の様々な違いを超えて残るような科学的知識の側面であった。この個人の(特に感覚経験の)可変性を明らかにしたのは、歴史学、人類学、文献学、心理学、そして感覚生理学だった。
[7] 一定の図像と結びついている機械的客観性は、いかなる視覚も拒否する構造的客観性と共通点がないと思われるだろう。[8] それに、機械的客観性の敵は期待や仮説をデータに押し付ける主観性であり、対処法は自己抑制であった。一方構造的客観性の敵は、自然や他の精神から切り離された私秘的な自己としての主観性である。対処法は諦念であり、自分の観念と感覚をあきらめることが重要となる。[9] とはいえ、両者は主観性という共通の敵を持っていた。客観性はいつも、それより頑強で脅威的な対応物、主観性から定義される。そして構造的客観性の敵となる主観性は、部分的には、感覚生理学と実験心理学の発見物であった。
[10] 1848年以降の世代の生理学者・心理学者は、実験室で心の調査を始め、経験的手法で脳内の働きや思考そのものを捉えようとした。[11] この新しい科学は、カントによる「主観性」・「客観性」の境界の引き直しを余儀なくされた。というのも、機械的客観性の方法が主観性自体に向けられることで、知覚や判断から論理に至る心的過程の個人差が明らかとなり、翻って、諸科学の中にある訓練では解消できない個人的誤差を浮き彫りにしたからだ。不変永遠とされていた理性が、文化、時代、個人に相対的なものに解体される恐れがあった。
[12] これに対し主に数学者と哲学者は科学的客観性を深化させた。たしかに生理機能や知覚は個人で異なり、時代や場所ごとに心的生活は異なる。理論が入れ替わる科学すら束の間のものだ。だが、全ての思考者にとって永遠に同一で、真に客観的な純粋思考の領域はある。それが、あらゆる変化を生き残る構造的関係である。[13] 構造的客観性は、表象の理想化を捨てた機械的客観性をさらに強化し、あらゆる表象を捨てる。17世紀の科学と哲学は感覚を客観的なものの典型例としたが、今や感覚は「観察者の単なる主観的状態」を表すにすぎない(カッシーラー)。 [14] 同時に、自己抑圧というエートスも新たな極限におし進められる。今や人は意識内容を信じたいという衝動に抵抗する必要がある。
[15] 構造的客観性と、20世紀後半に現れた哲学上の立場としての「構造的実在論」はどう関係するだろうか。構造実在論者は(主に方程式で表現される)抽象的構造が、理論の変化を超えて生き延びる点に注目し、科学が実在を正しく記述していると主張する。[16] だが、構造的客観性の擁護者の関心は、「科学が真である」(実在を正しく記述)という点ではなく、「科学が客観的である」(全ての思考者にとって共通)という点に向かった。科学的客観性は存在論ではなく認識論にかかわるのだ。
[17] およそ1880年から1930年に現れた構造的客観性の支持者には、フレーゲ、パース、ラッセル、ポワンカレ、プランク、カルナップ、シュリックといった分野や政治信条的に多様な人物がいる。だが彼らは、機械的客観性を超える構造的客観性を明確化した点で一致していた。
心についての客観的科学
[1] 『純粋理性批判』は客観性の指標として「伝達可能性」をあげた。ある判断が別の理性的存在者に伝達可能なら、それらは同じ対象について正確に話しているだろう。[2] だが19世紀後半には、「共有された理性」は客観性の基準ではなくなる。科学は客観性を経験的探求によって明らかになるものだと理解した。しかもその探求のための手法は、現象を抽象化・理想化することを戒めるものであった。そして60年代には、共有された理性それ自体が客観的・経験的な調査のトピックとなっていった。
[3] たとえばヘルムホルツは、ユークリッド幾何学的直観は総合的アプリオリではなく、じつは「経験の観察可能な事実」に由来すると論じた。算術についても同様である。思考の法則は自然の法則であり、それを示すのは神経生理学で成功を収めたのと同じ手法なのだ。[4] ヴントたちはヘルムホルツのプログラムを熱心に取り上げた。彼の実験室の機関紙である『哲学研究』の第一号には、数学の経験的起源にかんするヴントの論考が載った。彼は自己観察という救いがたく主観的な方法を用いる哲学者をそこかしこで攻撃し、実験的手法を用いた自身のアプローチを客観的であると正当化している。
[5] 心理生理学にとって根源的な次元は時間、神経伝達の時間、反応時間の時間、注意持続の時間である。ヴントによれば、時間こそ抽象的な数と具体的経験を結ぶものでもある。時間直観は個人内での表象の連続性に由来する。[6] 発展した数学と思考の法則はたしかに可能な経験を超えているが、経験的起源の痕跡は公理・定義・定理に埋め込まれている。とくに数、大きさ、空間にかかわる最も根源的な公理と定義は、明らかに数学が経験からの帰納により生まれたことを示す。
現実的なもの、客観的なもの、伝達可能なもの
[1] 心の客観的科学に辛辣に反対したのがフレーゲであった。[2] ここでは、彼による思考の客観性擁護の試みが、19世紀後半の新しい[機械的]客観性に対する応答・その批判的拡張であった点に注目したい。カントは客観性概念の適用範囲を倫理や美学を含むものとしたが、フレーゲはそれを暗黙裡に科学(Wissenschaft)のみに狭め、客観性を科学に不可欠なものとした。同時に、伝達可能性ではなく伝達可能性の「障害」に焦点をあわせていた。[3] フレーゲは客観的なものとして外界の対象のみならず理論的抽象物(例:地軸)や数を認める。物的に現実的なものは客観的なものの部分集合である。そして客観的なものは法則的なもの、概念的なもの、判断可能なもの、言葉で表現できるものとして定義される。
[4] フレーゲは、論理と数学への経験的アプローチのスポークスマン(ミル、生理学者のシュトリッカー、民族学者のアケリスなど)を批判しただけでなく、[5] 経験陣営への離反を見せた数学者・論理学者(ハンケル、カントール、エルドマン)、そして教科書(シュレーダー)にさえ厳しい批判を加えた。[6] これらの研究者への挑戦の書『算術の基礎』(1884)の出版までには、数学と論理学が生理学と心理学の攻撃に耐えられるかという論争が10年以上展開されていた。
[7] では、フレーゲが大きな脅威とみなし、客観的な存在者を対置させた「心理的存在者」とは何だったのか。それは表象と直観である。表象とは対象の心的図像であり、感覚か想像力により形成される。直観も図像化できるが、これは経験の空間・時間・因果的順序に関する根の深い前提物である。両者とも主観的なのだが、それは外界に対応しないからではなく、私的に所有されており全ての理性的存在者の共有財産ではないからだ。[8] 心理学者は外的刺激により生み出される「客観的」表象と意識の働きで生み出される「主観的」表象を区別したが、フレーゲは「客観的表象」という語は誤解を招くとして避け、あらゆる心的図像を主観性の領域に委ねた。思考は我々から独立であり、我々は観念(表象)の所有者ではあるが思考の所有者ではない。[9] 算術は特定の誰かに個別的なものではないのだから、数が観念であることはありえない。
[10] フレーゲは心的図像や直観、および感覚によって汚染されている言語を算術と論理から根絶すべく、定理を証明するための新しい実践を導入する。概念記法である。概念記法と日常言語の関係は顕微鏡と裸眼の関係にたとえられる。後者は便利だが、科学的目的に適しているのは前者である。[11] 概念記法は何か新しい成果をもたらすものではなく、最も同情的な読者の目にすら極めてわずらわしい記法であった。だがフレーゲにとっては、全ての学問を飲み込むかもしれない恐るべき心理学から論理と算術をまもる盾だったのだ。
[12] 概念記法には、「単なる表象」と判断可能な「命題」という根本的な区別が埋め込まれている。前者は「 − A 」後者は「 |− A 」と書かれる。後者だけが否定されたり肯定されたりできる。[13] また、概念記法を直観と言語から一層独立させるべく、フレーゲは主語述語の区別を捨てた。今や問題となるのは、判断の概念内容(その判断から何が推論されるか)のみである。そしてフレーゲは、アリストテレス的論理が同定した様々な推論を一つの原理へと翻訳可能にした。だがどちらの論理が好ましいかは心理とは関係ない形式上の問題である。
[14] 概念は特殊者たちが共有するものを表現するものだが、その形成にかんして自然言語は科学が求める厳密性に達していない。必要なのは専門化されわざと使いにくくされた道具だ。[15] 概念記法は、客観性を達成する代わりに厳しいルールを課す。逆に言えば、こうまでしないと感覚や直観に訴えるという誘惑には抵抗できないのだ。写真も概念記法も、主観性に対する番人であった。しかし前者は図像を保存し、後者は捨てた。
[16] フレーゲの主観性に対する攻撃は、表象と直観の私秘性・個人性を超越するための戦いであった。感覚や表象や直観が個人化されていることをフレーゲや他の構造的客観性の擁護者は自明視できたが、これがどうして可能だったかを理解するために、改めて生理学と心理学の出現に目を向けよう。個人化された主観性の典型例は、色彩の感覚であった。