えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ヨーロッパを統合する文芸共和国 ポミアン 1990[2002]

  • Pomian, K. (1990). L'europe et ses nations. Paris: Gallimard (2002, 松村剛訳, 『増補 ヨーロッパとは何か:分裂と統合の1500年』, 平凡社)
    • 第13章 第二のヨーロッパ統合:文芸共和国

 本書は副題通り、ヨーロッパの歴史を「分裂」と「統合」を繰り返すものとして記述しています。「第一のヨーロッパ統合」は、イスラム勢力に対するキリスト教文化圏として統合された12世紀から16世紀、そして「第二のヨーロッパ統合」が、エリート文化上の統合にあたります。この第二の統一を可能にしたもののひとつが「文芸共和国」の存在でした(※最近では「学問の共和国」と訳すみたいです)。

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 ラテン・キリスト教の知的エリートたちは、宗教改革後でさえひとつの文化に属していた。それはスコラ学と人文主義をふたつの極とする知的文化であり、すでに16世紀初頭には後者から「文芸共和国」が生まれていた。ラテン語を共通言語として情報交換をおこなうこの運動の中心は、エラスムス存命中はバーゼルにあった。その後はしばらくの中心不在であったが、パリがその位置におさまった。フランスから各地に亡命したプロテスタント(とりわけユグノー)の力によりフランス語の共通語化が進み、またナントの勅令により獲得された宗教的平和は学問を開花させた。フランス語化した文芸共和国でエラスムスの役割を果たしたのはピエール・ベールだった。彼が代表する当時の理解によれば、文芸共和国は一切の特殊性・偶然性から自律した自由な国であり、社会的地位ではなく理性が支配するものであった。これはあくまで理念であったが、住人たちに国家や宗派を超えたヨーロッパへの帰属感覚を与えるものであった。

 16世紀初頭から、新世界の習俗への関心が盛り上がっており、旅行記に新たな威厳が与えられていた。そこから生まれてきユートピア文学には、旅への関心とともに権力・国家・法律といった問題への関心も現れている。マキャベリは権力に博物学者の目を向け、倫理や宗教を尊重するためではなく、権力を維持するために何をなすべきかについて考えていた。宗教に対する政治の自律性というこの新しい考えは、軽蔑されはしたがすぐに広まった。

 自然に対しても新しい視線が投げかけられた。ガリレオは観察機具や測定器具という媒介によって自然を研究する方法を生み出し、新たな科学研究が勃興した。また媒介の認識は過去の研究にも進入しており、史料批判はますます精緻になっていた。こうした研究手法の変化は、文芸共和国の内部再編成と平行した。16世紀イタリアでは文芸共和国からアカデミーが派生した。17世紀にはスコラ文化に支配された大学に対し、私的集団が組織され科学や歴史の研究がおこなわれた。世紀の後半から18世紀中盤にかけては、ロンドンの王立協会やパリ王立科学アカデミー・碑文文芸王立アカデミーをはじめとして公式のアカデミーの創立が各国で続いた。こうした組織は科学研究を推進したが、科学が各国の権力の道具となっていく面もあった。

 絶え間ない戦争の時代において、文芸共和国はヨーロッパの文化的統一の体現だと自己規定してきた。しかし学問の世界は徐々に制度化が進み、私的な文通や個人的関係には頼らなくなる一方で、ますます国家財政に従属するようになっていった。