えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ポルトガルにおける科学博物館 Lourenço and Dias (2017)

http://www.journals.uchicago.edu/doi/full/10.1086/692690

  • Marta C. Lourenço and José Pedro Sousa Dias (2017). “Time Capsules” of Science: Museums, Collections and Scientific Heritage in Portugal. Isis, 108(2), pp. 390−398.

 1991年、リスボン大学科学博物館館長のもとに地元のリセから連絡が届く。そのリセには、古い科学機具が大量に保存されていた。そうした機具はもともとアジュダ宮殿にあったもので、美術品の範囲に入らないということで1957年に同中学に寄贈されたものだった。1950年代には、こうした科学機具を集めて展示する公的な博物館が存在しなかったのだ。ポルトガルには国立の芸術や考古学、民族学関連の博物館などはあるが、持続的な国立の科学博物館は設立されなかった。国立の科学博物館設立の試み自体は3度あった。

  1. 啓蒙主義の時代。ポルトガルは貿易と教育を改善し列強に出遅れた経済力を取り戻そうとした。そこで、王族の教育・余暇の施設であったアジュダ王立博物館・植物園を一般開放した(1768)。同博物館はアジア・アフリカ・ブラジルなどへの探検を組織し多くのコレクションを集めたが、度重なる政治・社会的動揺により閉園した(1836)。
  2. 19世紀のポルトガルも経済的に貧しく、内戦(1828−1834)後はとくに悪化した。内戦に勝利したリベラルな政府はやはり産業の改革を掲げ、フランス国立工芸院をモデルに、機械や機具などの保存・展示により技術者を教育する工芸院を設立した。だが工芸院はリスボン(1836)とポルト(1837)の2カ所に設立され、また同時期に類似の組織が設立されたために工芸院は余剰なものとなり、結局リスボン工芸院は閉鎖(1852)、ポルト工芸院も新設のポルト商業技術博物館に併合された(1883)
  3. 1970年代のポルトガルも社会・経済的問題を抱えていた。独裁政権が倒され民主主義の気運が再び高まると、政府は自国の科学技術の進展に関連する資料を収拾・保存しようと国立科学技術博物館をコインブラに設立する(1976)。この博物館は旧植民地を含む様々な地域に分館を持つはずだったが、そうした計画に十分な資金を政府からも科学者共同体からも得られなかった。また国立機関としての役割を明確に定式化できず、文化行政上のお荷物となった。そこで1999年にテコ入れがなされ、同博物館はポルトガルにおける科学技術史の研究を推進する機関とされ、「科学技術史機関/国立科学技術博物館」と改名された。この改革が失敗した理由として、科学史家共同体とよい関係を結べなかったことや、コインブラ外への拡張の際に問題が生じたことが挙げられるだろう。結局、数年のうちに機関、博物館ともに閉鎖された(2002/2005)。

 ポルトガルには国立の科学博物館がなかったため、科学的コレクションや博物館はもっぱら各地の大学、学校、病院などの教育・研究機関で発展した。欧州諸国におけるコレクションや植物園、博物館などの設立の「黄金時代」は18世紀項半から20世紀前半で、ポルトガルも例外ではない。改革されたコインブラ大学(1772)やリスボン理工科学校(1837)には化学実験室、植物園や天文観測所、自然史博物館等が併設され、同じことが各地のリセや小学校、軍事施設、民間施設、病院などで生じた。19世紀後半以降になると、博物館にあるコレクションの歴史的重要性がますます認識され、博物館の組織化が進む。ただし、20世紀前半までに作られた博物館の多くは小規模で専門的なもので、大衆に向けられてはいなかった。74年の革命以降に作られた博物館はより大衆に向けられたが、そこで語られる歴史は単線的・教訓的なもので、歴史的・社会的・政治的背景や論争は無視されがちだった。

 国立の科学博物館不在のもと各地の研究・教育機関に併設された博物館は、大衆に向けられたものではなく、また投入されるも資金も乏しかった。だが逆説的なことに、こうした制限によってポルトガルの科学的インフラは他国がこうむった大規模な変化の影響を受けずによく保存されることになった。例えば、他の国では大学の化学実験室は数十年も立てば作り変えられてしまうが、ポルトガルではそのまま使い続けられたため、顕著な化学的遺産が多く残っている。また各地のリセには、19-20世紀初頭の科学コレクションや実験室がそのまま残っている。こうした科学の「タイムカプセル」がポルトガルには多く眠っているのだ。これらのタイムカプセルは、国立の科学博物館が不在であったがために、ポルトガル国内に分散している。この状況を旧来の〔遺産を一カ所に集めて展示するという〕博物館モデルで理解するのは難しく、リスボン、ポルト、コインブラの各大学は、それぞれの科学的コレクションを「国内に分散した単一のインフラ」として認識している。

 一方で、ポルトガルは国立科学博物館設立に失敗し続けた。しかしそのことは他方で、科学的インフラの変化の不在と相まって、様々な「タイムカプセル」を生み出した。この事例は「科学が発展するほど科学的遺産が生まれる」という線形の関係は成立しないことを教えてくれる。