えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

循環しながら進歩する歴史 ボウラー (1989)[1995]

進歩の発明―ヴィクトリア時代の歴史意識

進歩の発明―ヴィクトリア時代の歴史意識

歴史の律動

 大陸では、国民精神の弁証法的運動により社会が非連続的に発展するという社会観が出現し、各時代の精神を復元する態度を推進した。英国でこの態度の影響を受けたトマス・アーノルドは、国教会など民族精神の支柱の保存を求めて急進的な自由主義に対抗した。彼の『国家の発展』(1835)は古代と近代の文明が類似の発展サイクルを辿ったことを認め、各国は特定の発展段階をたどり隆盛・衰退するという循環的見解に至った。と同時に、クリスチャン・ブンゼンを介したドイツの観念論の影響から、各サイクルは人類全体の普遍的発展に一定の貢献をなすとされた。これが、「自由主義的国教会派」とよばれる歴史観の基盤である。

 この考えを受け、各社会が神の計画にどう貢献したかを仔細に検討したのがチャールズ・キングズリーだった。例えば歴史小説『ハイペシア』(1853)は、ローマを滅ぼしたチュートン人の中に、今日の英国が引き継ぐことになる自由の精神と哲学をみとめこれを評価した。彼の著作の影響は大きく、ヨーロッパ列強の領土拡大も神の計画の一部だとされるようになった。世界中の社会の発展は、経済的必要性ではなく英国の国民精神の導きにより達成されるのだ。

 この観念論的帝国主義解釈を、J・A・クラムの『大英帝国の起源とその使命』(1900)が発展させた。人種の内なる力という形をとる世界精神は征服への渇望として表面化し、この征服は道徳に啓蒙された大国の発展につながるなら正当である。従って大英帝国には、自由と寛容に基づく新たな帝国を発展させる権利がある。そして帝国には累積的な循環のサイクルがあり、古代の帝国を総合したローマの精神を大英帝国は受け継いでいるのだ。また子(マシュー)アーノルドも、ヘブライズムとヘレニズムという二つの精神の揺れ動きによって文化のサイクルが形成されるという循環史観を採用した。

人種という神話

 キングズリーは国家発展のサイクルが人種に関連することを示唆していたが、この考えは19世紀後半に強くなってきた。個人の力が強まる自由主義の趨勢を享受しているのは白人だけと考えるのは容易かったし、ドイツ人が己の祖先について「ローマを滅ぼした独立不覊のチュートン人」という神秘的イメージを作ったのも重要だった。サクソン人もチュートン人の子孫だからだ。

 従って、英国の自由の政体史的起源はとても古いことになる。ウィリアム・スタッブズの『イングランド政体史』〔1874−78〕によれば、サクソン人の自由独立の精神をもったが、ノルマン人のおかげで国家統一をたもち、そして近代にはこの精神が再び開花した。あるいはエドワード・フリーマンの『ノルマン征服史』(1867−76)によれば、ノルマン侵攻により近代の英国ができたのではなく、それは自由を愛する古い伝統に対し必要な揺さぶり一時的にかけたにすぎない。

 他方、近代におけるサクソン人の自由の精神の噴出に目を向けたジェイムズ・フルードのような歴史家もいた。彼はアルマダの開戦で活躍した船乗りたちに「意志の強さ」を認め、これを自由と並んでイギリス人の人種的特徴とし、他人種支配の根拠とした。

 父アーノルドもキングズリーも、ヨーロッパ文明はチュートン人の自由の精神にギリシャ人・ローマ人の遺産が加わって可能になったとした。だがこの3民族は実は共通の祖先を持つという考えが50年頃に現れ始める。これを支持したのは、3者の言語が共通の祖語をもつという言語学の見解である。人種主義はイギリス史からヨーロッパ文明の発展全体へと広がった。

 18世紀後半に始まる〔比較〕言語学は、「インド・ヨーロッパ」語族の系統樹を作り上げ、「アーリアン」の名を与えた。この知見はマックス・ミュラーの『言語学講義』(1861)により英国に知れわたり、「高貴で進歩的なアーリア人と思慮深いセム人という二つの人種の相互作用により文明が発展する」という考えが出てきた。かくして言語学の教えは、自由主義的国教会派的歴史観ともアーリア人(チュートン人)の優越性という信念ともよく結びついた。この3者がどれもドイツの由来であることを考えれば当然である。
 
 言語学者の見方は、哲学的歴史家や人類学者の進歩主義と様々な対照をなしていた。例えば直線的社会進歩モデルに対し、言語学は共通祖先からの枝分かれ的分岐を擁護しており、これは原理的には目的論を放逐する可能性を秘めていた(ただし言語学者は、目的論の根拠を終局ではなく始原に見いだした。ミュラーによれば、言語進化は創造主により予め組み込まれた潜在能力の開花の過程なのだ)。またアーリア語の明晰さ・単純さや言語進化の速度の低下は、言語進化には退歩的側面があることを示唆した。さらに、人類学者は古代アーリア人を既に文明化していると考えたため、〔言語学が示唆するように〕ここを文化発展の出発点とはできなかった。
 
 このように、ミュラーの体系は進歩主義に対して観念論的・人種主義的な包括的対案を与えた。歴史を作るのは神であり、自らの種族が神の計画に貢献するために文化的伝統を維持しなければならない。だがアーリア人を原型とするこの考え方は聖書の時間尺度と運命をともにする。既に見たように、60年代以降考古学は人類史の長さを劇的に拡張し、これに伴い人類史をめぐる思想は進歩主義に席巻されることになる。

 最後に確認だが、自由主義的国教会派においても人種間・民族間の競争をすすんで認める動きがあった。このような傾向は「社会ダーウィニズム」という個人主義的イデオロギーのみのものではなかったのだ。