えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

フリースによる超越論的観念論の心理学化 Hatfield (1990)

The Natural and the Normative: Theories of Spatial Perception from Kant to Helmholtz (Bradford Books)

The Natural and the Normative: Theories of Spatial Perception from Kant to Helmholtz (Bradford Books)

  • Hatfield, G. (1990). The natural and the normative: Theories of spatial perception from Kant to Helmholtz. Cambridge, MA: MIT Press.

Ch. 2 Mind, Perception, and Psychology from Descartes to Hume

Ch. 4 Spatial Realism and Idealism: Kant read, revised, and rebuffed

 今日ではほとんど忘れられているが、19世紀初頭の人々の多くは、カントの学説の中でも人間の知識(とくに感覚的直観の形式としての時空にかかわる部分)を、本質的に「心理学」にかんするものだと受けとっていた。こうしたカント読解は、カント受容やヘルムホルツの背景理解のために、そしてその広範な射程それ自体の点でも、重要なものだ。

1 フリースとヘルバルトにおける超越論的知識の基礎

 フリースもヘルベルトも、カントのカテゴリーと直観の形式の学説は心理学的なものであると考えた。そのうえでフリースは、心理学によって哲学を基礎付ける路線は正しいと考えたが、ヘルベルトは誤っていると考えた。

1.1 フリース:超越論的観念論と心理学

 『新理性批判あるいは人間学的理性批判』(1807)を著したヤーコプ・フリース(Jakob Friedrich Fries: 1773-1843)は超越論的観念論の擁護者であった。しかし彼は、カントは自身の超越論的哲学がもつ経験的な本性を理解し損ねていると考えた。カントはカテゴリーの妥当性をアプリオリな演繹によって「証明」しようとしたが、それは循環論法に陥っている。カテゴリーの妥当性はむしろ、内感とそれへの反省を基盤とした帰納的・経験的方法で行われなければならない。

 だが、経験的方法は因果律のような哲学的原理の必然性と普遍性を捉えられないのではないか。この問題にフリースは次のように答えた。

 まず、自然のうちに成立するものとしての因果律と、思考の法則としての因果律を区別する。前者のような自然の原理にかかわる知識を「哲学的知識」、後者のような思考の法則にかかわる知識を「超越論的知識」と呼ぶ(超越論的知識は「理性の理論」を構成する)。超越論的知識は、内感と反省から帰納的に獲得される。ただし、この帰納的な獲得というのは、認識の事実からその事実を説明する能力に遡るという超越論的なものだ。例えば、内感と反省によって、「全ての心的表象は統合されている」という事実があきらかとなり、この事実を説明するために、超越論的統覚の存在が措定される。

 このようにして思考の法則が明らかになったならば、そこから哲学的知識の正しさを導きだすことができる。つまり、私たちは幾何学の公理や因果律について別様には考えられない、という意味で、これらのものが必然的に正しいということが分かるのだ。このような説明の仕方は、帰納的に獲得された原理に訴えているので、アプリオリな「証明」ではない。
 
 もちろんカントもまた、幾何学の現実性や間主観的に妥当な経験の存在といった一定の事実から出発している。だが重要なのは、こうした事実がカントにとっては「超越論的所与」だということだ。一方でフリースも似たような事実から出発するのであるが、そうした事実は内観と反省によって明らかになるものという身分を持っている 
 
 フリースの見解は、「自然主義的」という意味で「心理学的」なのではない。彼は理性の活動を観念連合に還元したりしないし、理性の理論を「物理的」理論だと呼ぶが、これはこの理論が物理学と同様に帰納的基礎を持つと言っているにすぎない。カントの『批判』に対しフリースの『新批判』が「心理学的」なのは次の2点である。
(1)既に述べたように、カントがアプリオリな超越論的「証明」を行うのに対し、フリースは帰納的に証明された理性の理論から出発して超越論的「解明」をおこなう。ただしフリースは、カテゴリーや直観の形式を内観によって直接見いだせると主張するわけではない。被説明項となるデータを幅広く説明できるものが、カテゴリーや直観の形式として正当化されるのである。
(2)フリースが訴える思考の法則とは、個々の思考を生み出す具体的な因果的プロセスの特徴である。

 フリースは幾何学や因果律にかんする客観的な知識が可能であると主張しようとしていた。ところが、これはうまくいかなかった。というのも、フリースは超越論的観念論の精神に則り、真理の対応説を退け、意識の内部での整合性によって真理を説明する。このような真理観をとっても、カントであれば、物自体を認めることで「意識一般」にとっての客観的な知識が可能だと考えたようだ。だがおそらくフリースはここに不整合をみとめた。彼は、真理はあくまで「個々の意識」にとっての真理だという見解を採用した。だがそうすると、思考の法則も個々の意識にとってしかあてはらないと考えざるを得なくなり、幾何学や因果律にかんする客観的な知識が不可能になってしまうのだった。