えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

科学的イデオロギー カンギレム (1977) [2006]

生命科学の歴史―イデオロギーと合理性 (叢書・ウニベルシタス)

生命科学の歴史―イデオロギーと合理性 (叢書・ウニベルシタス)

  • カンギレム・G (1977) [2006] 『生命科学の歴史―イデオロギーと合理性』(杉山吉弘訳 法政大学出版局)
    • 1 科学的イデオロギーとは何か

・[1]「科学的イデオロギーとは何か」という問いは、科学史の実践の中から出てくる。というのも、科学史は諸科学の歴史なわけだが、この時、かつての学科や実践を「科学」であるか否かを決める基準が必要になる。関連して、真正の科学の歴史が、真正でないものの追奪の歴史をどう扱うのか(考慮しない/してもよい/考慮すべき)という問題もある。
・[2] これは資料からの再構成という歴史的方法で片付く問題ではない。むしろ科学的認識が歴史の中で立ち上がる際の恒常的なありかたに関連した、認識論的な問題である。[3] ズホドルスキーが言うように、これまで科学史は「反科学」の歴史であり、それは必然である(※「反科学」については後述)。「真理の歴史としての科学の歴史は実現不可能である」。[4] しかし、今日の科学史家はこの基準の問題にまともな答えを持っていない。

・[1] 科学は似非科学知を批判する事によって設立される。しかしこの似非科学を「科学的イデオロギー」と呼ぶのは適切か?
・[2] 今日の「イデオロギー」はマルクスの通俗化に由来する論争的機能を持つ認識論的概念である。すなわち、事物それ自体の表現を装うが、実際は「状況」(人間間/事物−人間間の関係からなるシステム)を擁護する手段であるような、政治・宗教・道徳・形而上学的表象体系を告発するために、イデオロギーという概念は用いられる。
・[3] 「イデオロギー」という語は、環境に対し感覚が生む自然な現象として観念を理解する観念学に用いられたものであり、これ反形而上学的であった。しかし観念学派と対立したナポレオンは歴史や民衆の心情にリアリズムを見いだし、観念学派を内容空疎な形而上学として非難した。[4] − 。
・[5] さてマルクスの意味で科学的「イデオロギー」と言うのは一見するとおかしい。というのは、マルクスはイデオロギーと「科学」を対置させるからだ(なおイデオロギーは誤謬であるが、その誤謬は当のイデオロギーを生む具体的問題を否定するという「代償作用」の機能をもつ)。
・[6] 確かにマルクスは自然科学が商業や産業から自由ではない事を指摘した。しかしそれはマルクスが、自由主義経済の言説と天体力学の言説の間に認識論的地位の差を認めなかったという事ではない。(芸術と同じく)自然科学は、その歴史的条件の消滅の後も永続的価値を保有する。
・[7] それでも、「科学的イデオロギー」概念に意味を与えることは出来る。マルクスは政治・道徳・宗教的イデオロギーがもつ機能が終焉を迎える状態を〔予見した〕。しかし歴史は続く。科学的認識についても、我々と自然との新たな関係を科学的明晰さを伴って予め打ち立てておく事は出来ないのではないか? むしろ逆に、既に検証されているものを乗り越える、合理性に対する知的冒険の先行があるのではないか〔そこで科学イデオロギーが生まれる〕。その場合、科学イデオロギーは科学の障害であると同時にその可能性の条件でもあるのだから、科学史は科学的イデオロギーの歴史を含まなければならない。以下では科学的イデオロギーの更なる特徴付けを行う。

・[1] 科学的イデオロギーは自らの虚偽を許さないにせの科学ではない。科学的イデオロギーは、それが科学知全体の中で占める場所を、「自らの妥当性の領野を限定しその成果の整合性と統合性で自らの価値を示す言説」に取り囲まれる事で、消滅する。また科学的イデオロギーは他の既存の科学のモデルの模倣により科学たろうとするのであり、「反科学」というより「非科学」である。例えば「原子論」という科学的イデオロギーは、宗教という反科学に自らを対置するのであり、これを迷信と同一視してはならない。また、科学的イデオロギーは後から科学が占めにくる場所の「上に位置する」だけでなく、「脇にそれている」。つまり、科学は人が期待する場所でイデオロギーに取って代わるのではない。19世紀の原子論は「分割不可能なもの」という位置に現れない。
・[2] イデオロギー消滅の別の例として、モーペルテュイの『生身のヴィーナス』は確かに遺伝学を予感させるが、そこでの遺伝は前生説・後生説や両性の従属関係に関する法的問題など過剰な野心をもっていた。他方メンデルは「形質」という新しい概念による問題設定にのみ関心をしぼって研究した。これは科学とイデオロギーの違いをよく表す。
・[3] イデオロギー出現の仕方の探求も興味深い。スペンサーはフォン・ベーアの発生学の諸原理を拡張する事で普遍的進化の法則を手に入れたが、彼やダーウィンは、自由な企業や政治的個人主義を正当化するための科学的保証人であった。[4] こうした拡張は拡張元の科学の〔正当性〕のみを根拠として行われる。スペンサー流のイデオロギーの広範な影響を被った言語学・民族学・社会学は、現在その進化主義的起源を清算する。これは、イデオロギーがその歴史的な可能性の条件の変化により消滅するという事実の証拠である。

・[1]また科学的イデオロギーは、科学者が文化における科学の位置を主張する言語で構成される「科学者のイデオロギー」から区別される。科学的イデオロギーはむしろ哲学者のイデオロギーであり、ある分野において推定上の科学者でしかない人間が科学的野心をもって主張する言語からなる。
・[2] まとめ

  • (a) 科学的イデオロギーは、その対象が、借りものとしてそれに適用される科学性の規範に比べて、誇大に膨れ上がっているような説明体系である。
  • (b) ある科学が設立されるに至る分野には、その科学以前につねにある科学的イデオロギーが存在し、あるイデオロギーが斜めに対象とする側面の分野には、そのイデオロギー以前につねにある科学が存在する。
  • (c) 科学的イデオロギーはにせの科学と混同されるべきではなく、魔術とも宗教とも混同されるべきではない。科学的イデオロギーは、にせの科学や魔術や宗教と同様に、全体性への直接的な接近の無意識的な欲求によって確かに駆り立てられてはいるが、それがその威信を認め、そのスタイルを模倣しようと努めるところのすでに設立されている科学の方を横目でやぶにらみする一つの信念なのである。

・[3] 話を最初に戻すと、[4] 科学を諸事実の継起として捉える科学史にはイデオロギーは関係ないが、[5] 科学を検証の諸規範を通して鍛えられ純化されたものとして捉える科学史はイデオロギーに取り組まざるを得ない。[6]イデオロギーと科学を分離する事は重要だが、[7] 両者を組み合わせて、科学史を単なる年代記録以上のものにすべきである。
・[8] 科学的イデオロギーに場所を空けない科学史は、自らの対象についての虚偽意識という意味でそれ自体がイデオロギーになる恐れがある。[9]真理だけの歴史というのは矛盾した考えである。