- Barr, J. (1999) Pre-scientific Chronology: The Bible and the Origin of the World, Proceedings of the American Philosophical Society, 143 (3): 379-387
旧約聖書は、古代エジプトからその後キリスト教、そしてニュートンにおいてまで世界の歴史の証拠として使われていました。ルターやスカリゲルにも重要な著作がありますが、ここでは英語圏で馴染みのある人物として、世界の創造を紀元前4004年10月23日(日)としたジェームズ・アッシャーが紹介され話の縦糸となっています。本稿の主題は「世界の始まり」と関連する出来事の時間関係です。これを明らかにするには、旧約の登場人物達が長男を設けた年齢を加算しつつ、誰が何歳の時にどの出来事が起こったのかを確認していけばよい訳なのですが、話がそう簡単にいかない理由が大きく3つあります。
- (1)記述に完全に明確ではない点がある。同じ出来事に言及してるのに年代が一致しないなど。
- (2)ヘブライ語のテキスト、七十人訳、(後には)サマリア五書で年代が合わない。七十人訳とサマリア五書では、アダムからノアまでの年代が1000年近く違う。
- (3)ヘブライ王国以降の記述が断片的で曖昧で、新約を考慮しても状況は改善しない。そこで、古典や天文学的な情報に頼らざるを得なくなる。
ここでアッシャーの紀元前4004年説に戻ると、この頃(17世紀)までに、「ヘロデ大王は紀元前4年に死んだから、イエスの生年はそれより前のはず」ということが分かっており、これが4004という年代の根拠の一部です。しかし10月23日(日)というのはどこから出てきたのでしょうか? ユダヤ暦から、創造が秋である事、そして日曜であることはわかります。その先が天文学の出番です。アッシャーはほぼ間違いなくケプラーの『ルドルフ表』を見ており、紀元前4004年の秋分以降最初の日曜として、10月23日を見つけたのです。(3)により、天文学が精確性を増す16-18世紀が聖書年代学にとって重要な時代となっていました。ケプラー自身も、キリストの生誕は紀元前5年だと考え、ニュートンもそれに賛成しています。
そんなケプラーやニュートンを始め多くの知性を惹き付けた聖書年代学は、何故すたれたのでしょうか。理由はいくつかあります。たとえばサマリア五書の発見は旧約の統一性に疑問を投げかけましたし、アダムが最初の人間ではないと考えれば聖書の謎が解けると主張するラ・ペレール『アダム以前の世界』(1656)のような著作の影響もありました。そして、地質学の登場が世界を変えたのです。