えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

言語の一般性から強い利他性を導出することはできない Baggini (2002)

http://journals.cambridge.org/action/displayFulltext?type=1&fid=113974&jid=PHI&volumeId=77&issueId=03&aid=113973
Baggini, J. (2002) Morality as a Rational Requirement. Philosophy, 77: 447 - 453

  サールのこの議論には問題点が2つあります。
  まず一つ目。3に出てくる「手助けへの私の必要性は、あなたが私を手助けすることの理由になる」という信念には2つの読みがあります。

  • R1「手助けへの私の必要性は、あなたが私を手助けすることの、私にとっての理由になる」
  • R2「手助けへの私の必要性は、あなたが私を手助けすることの、あなたにとっての理由になる」

欲求に依存しない利他主義的理由を打ち立てようとするサールはR2を主張しなくてはいけませんが、サールの議論ではR1しか打ち立てられていません。自分に痛みがあり助けが必要であることを認識すれば、私にとっては、あなたが私を助ける理由を与えてくれます。しかし、私にとっての理由があなたにとってもまた有効だと考える理由は何もありません。
  また、仮に上の論点を無視するとしても、「理由を与える」という薄い概念と「義務である」(ought)というより実質的な概念の間にはかなりの隔たりがあります。仮にこの論証により道徳的な「べき」が導出されるとすると、我々は殆どありとあらゆる援助を道徳的に義務づけられているというあり得ない結論に至ってしまうでしょう。

教訓:道徳には「全ての人のための」理由が必要だが見つけるのは難しい。だからこそカント主義者は「特定の人にとっての」理由から出発するのだが、あなたにとっての理由と私にとっての理由には架橋しがたい論理的ギャップがある。